長編9
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本当に有った怖い話

暑くなってきたので、「本当に有った怖い話」など。

京都というところは、昔から「怖い話」が多い。有名なところでは、「深泥が池の怪・・・」これは京都新聞にも載ったことがある。タクシーが府立病院の前でうら若き女性を乗せた。「深泥が池」まで行ってくれ」というので走り、家の付近まで来ると、その女性は、「お金を取ってくるから少し待っていてください」、といって1件の民家に入った。

5分経っても10分経っても戻ってこないので、タクシーの運転手がその民家を訪ねると、中からお母さんと思しき女性が出てきた。わけを話すと、そのお母さんの顔が驚きの表情に変わり、そして・・・「実はたった今、病院から連絡があって、入院していた娘が亡くなったった」という。驚いたタクシーの運転手が車に帰り、後部座席を見ると、そのうら若い女性が座っていたところは、ビッショリと濡れていた。

・・・以上があらましである。

「深泥が池」は浮島があるので有名、昔ははここで「ジュン菜」が取れたという。近くに結核病院の後もあって、何かオドロオドロした雰囲気が確かに漂うようだ。

「深泥が池」は京都御所から見ると、ちょうど北東の位置、すなわち「鬼門」に当たるところにある。

以下は小生が体験した「怖い話」である。

これを話すときには今でも背筋が寒くなる。

いままで多くの人に語ったことはないのだが、

もう35年以上たち、記憶から消える前に、書きとめておくことにした。

下鴨「糺ノ森」の下宿はとてもよいところだったが、大家さんが夜勤のため、日中に音楽を聴くことが出来なかった。

それでやむなく上賀茂の下宿屋に移った。

1968年の2月、試験を控えたある寒い日、高校の同級生で東京の大学に進学した友人からの電話があった。

京都に行くので宿めて欲しい、都合4人で行くが、2人宿めてもらえれば、後は違う京都の友達の下宿に泊まるという。

試験を控えてはいたが、2日程度というのでOKした。

道が分からないというので、目印の喫茶店を教えて、当日約束の時間に待っていた。

上賀茂の下宿屋は、大通りからも来れるのだが、近道をすることにして、車で来た彼らの助手席に座って道案内をした。

加茂川の上流に向かって左の堤防道路より一段低い狭い道路を通ると近いので、その道をとおることにして、しばらく進むと、・・・時間はもう6時過ぎ、でほとんど暗くなっていた。

車が松の木が道の真ん中に生えている不思議な場所に差し掛かり、減速してその左をユックリと通過しようとしたそのとき、、一人の「女」が立っているのに気がついた。

その場所は、北区小山東玄以町辺りである。

こんな寒い日が暮れてしまった時間,人通りがほとんどないこの道に、なぜ女性が立っているのか・・・不思議に思っているうちに、その「女」は徐に車に近づき、フロントガラスからわれわれを覗き込んで、首をかしげる仕種をすると、今度は助手席の方に来て車の中を覗き込んだ。

誰かを探すような、スローモーションのような、その異様な仕種にひるんだのか、一番近い助手席の小生はもちろん,同乗の誰一人として、窓を開けたりして話しかけることすらなかったのである。髪の長めの白っぽい服装の・・20歳から30歳だろうか・・若い・「女」であった。生気盛んな若い男が5人もいながら、ただただジットしていたばかりであった。

少し時間が有って、車はその「女」の脇をユックリと進んだ。

車の中では、なぜか5人とも押し黙って、一言も声を発するものはいなかった。

「それにしても変な「女」がいるものだ、

「商売女にしては、あんな人気のないさびしい場所にいるなんて・・・・」「きっと誰か恋人とでも待ち合せでもしていたのだろう・・・」

「精神状態が少し変なのではないか」などと口々に言葉が出るようになったのは、下宿の灯りの下、温かいお茶を飲んでいるときになってからであった。

次の日彼らは奈良へと向かった。夕方には帰ってくるので、一緒に夕飯でも、といって分かれたのだが、その時間をとっくに過ぎても帰ってこなかった。

連絡もないまま待っていると、夜11時近くになって、下宿の外で呼んでいる声がしたので、裏門の鍵を開けると、なんだか様子が不思議しいが、とにかく全員を(もう一人、彼らの京都の友人が増えていて計5人、合わせて6人が4畳半の部屋でひしめいた)部屋に上げた。

なにかトラブル・・・交通事故にでもあったのかと聞いてみると、しばらく押し黙っていたのだが、そのうち一人が突然、『昨日の夜、あの狭い道路で「女」を見たか?』とわけの分からぬことを言う。

「全員であそこを通った時に見たはず、小生もハッキリ覚えている」

というと、「そうか、やはり間違いない」という。

そして・・・「実は今夜も昨日とほぼ同じ時刻に、あそこの道を通ったのだが、同じ場所にまた昨日と同じ「女」が立っていて、昨日と同じ動作をした」というではないか。

話しているその男の顔は、血の気が引いており、他の3人も、得体の知れない恐怖に、おののいているような感じがした。

そして次のように語り始めたのである。

昨夜小生の下宿を出て、もう一人の京都の友人宅に泊まるために行ったのだが、部屋の電気はついているのに、そのアパートの友人がまだ帰宅しておらず、部屋の前で待っていると友人帰宅、「アレ。、電気消して出かけたのに、点いている・・・消し忘れたのかな・・・」といった。

そして今夜「女」を見た後に、京都の友人のアパートに先に行ったら、今夜も昨夜と同様に「消したはずの電気がついていた」という。

さらに奈良での不思議な出来事があり、法隆寺の駐車場が満車だったが、すぐに見てこようということで、駐車してあるホンダのN-360の前にふさいで停めたそうだ、自分たちの車をどけないと絶対に出ることが不可能な位置だったが、無理を承知で、法隆寺見物を終了、急ぎ帰ると、その車の姿はすでになく、不思議なことがあるものだ、と全員で話していたという。

そして京都への帰り道、法隆寺に停めてあったものと同じ白色のホンダN-360がトロトロ前を走っていたので追い越そうとしたとき、対向車が来たので急加速しホンダにかぶせるようにした、助手席に座っていた男が・・・「ドン」という音とともにホンダ車が彼らの車の左サイドに当たるのを見たのであった。

しかし停まらずにそのまま走り続け、一息つくべく入ったドライブインで確認すると、車には何のかすり傷もついていなかったのだそうだ。彼らの車はマークⅡの新車であった。恐らく父親の車を借りて京都まで来たのであろう。

話は明け方まで及んだが、これはきっと「幽霊」の仕業に違いない、と誰かがいったその瞬間に小生の下宿の下の屋根を激しく・・・・・霰が激しく降ってくるような音が数秒続いた、みんなはビックリして声も出ない。小生が思い切って窓を思い切り開けた瞬間にその音は、何もなかったかのように、ピタリとやんでしまい、霰が降った様子などは全くなかったのである。

そうするうちに誰からとなく、もう一度もう一人の京都の友人のアパートに行ってみて、もしさっき消してきた電気が点いていたら、それは絶対幽霊の仕業に違いないから、確認しに行こうということになった。

全員が小生の下宿を抜け出して、そのアパートに向かったのは、午前3時を少し越える頃であった。

彼のアパートは小生の下宿を少し下がったところに有る、加茂川にかかる橋を越えて東にいってすぐのところにあった。橋を渡り、そのアパートに近づき彼の部屋が見える位置まで差し掛かったときのこと、「アッ」と小さな叫び声をあげたその友人は、そのまま地面にへたり込んだ。

そして残りの全員も部屋の電気が点ついているのを確認したのであった。

さて、それから全員は恐怖におののき、まんじりともしないで、小生の下宿で朝を迎えることになった。下宿の他の住人が6人ほどいたが、すぐに下宿中その話で持ちきりとなった。

話を聞きつけて次から次へと小生の部屋にやってきて話を聴いていったのである。

話の中で、数々の提案があり、朝一番でその場所に行ってみてこよう。新聞配達か、牛乳配達のところに行き、最近この近所で、自殺した若い女性がいるかどうか、など聞きににまわろう。そしてなによりも、全員で、どこかの神社にお参りしようということになった。

その結果、例の「女」が現れたすぐのところに「お地蔵さん」があるのを発見。しかし早朝の調査ではそのような「女性」の存在を耳にすることは出来なかった。

それから全員で、「北野八幡宮」におまいりし、「お守り」をいただくことになった。

なぜ天神様なのか・・・・そのときは、神社仏閣ならどこでもすがりたい気分だったのである。

予定より一日遅れて、彼らは「宝塚」へと向かったのである。

一時は小生もパニックになったのだが、 月日はそんなことがあったのを忘れさせてくれるぐらい、急いで過ぎ去った。

あの「幽霊騒動」は小生を担ぐために、全員で仕組んだ芝居ではないかという思いが強くなり、それにしてはたいした演技力なので、彼らが本気でそう思ったのかもしれない。

という思いは、だんだん薄れていったのであった。

小生が「女」を見たのは1回のこと、電気が点いているのを見たのもたった1回、奈良での出来事は体験してないのだから、彼らの恐怖のリアリティはなかった。

それから半年がたち、夏休みに東京の友人が再び京都にやってきた。

話のついでに、その友人に「あのときの幽霊騒動は、小生を担ぐために仕組んだのだろう」とぶつけてみた。「いやいやすまんチョットだけと思っていたのだが、話が大きくなって、収拾がつかなくなってね・・・・」・・・てっきりそういう答えが返ってくるものと思っていたが、しかしそうではなかった。

「実はアレからまだいろいろあって」・・・・といいにくそうにしている。

しつこく聞くと、やっと話し始めた。

京都から宝塚に向かう高速道路で、いきなり車のボンネットのロックが外れ、ボンという音とともに、ボンネットがあいてしまう。それが何回もあったというのだ。空気が入り込んで、ボンネットがガタガタと音を立てるので、何回もボンネットを閉めなおしながら走ったと・・・。

車の持ち主で運転手のBはパニックとなったが、交代で運転をして漸くたどり着いた宝塚で、霊能者=祈祷師にお願いすると・・・・・恐ろしいことが分かったというのであった。

はたしてその鑑定結果は如何に!!

その霊能者が言うことには、「車に霊がついている」それも複数の霊が・・・・と。

霊能者の質問に、車の持ち主であるBが言うには、その車で、この1月解禁されるとすぐに父親と一緒に岐阜県の飛騨地方に「狩猟」に行ったという。

霊能者は、その際に「飛騨川のバス転落事故」で亡くなった人たちの霊がたくさん車について、助けを呼んでいるのだと・・・・。

この事故は史上最大のバス事故で、100人以上が亡くなり、助かったのはわずか3人だけという悲惨な事故であった。事故にあったのは、乗鞍岳登山目的の観光客で、主婦とその家族が中心だったという。夏休みだから、子供も多かったことだろう。ほとんどが行方不明のままであった。

Bが41号線を走り、飛騨地方に「狩猟」行ったのは、バス転落事故があってから半年ほどのときだったという。この「狩猟」という行為もよくなかったらしい。

「霊」は、きっと自分の存在を知らせるために、電気をつけたり、寒い中2度も現れたり、ボンネットを開けたりしたのだろうという結論とともに、彼らは、改めて霊能者から祈祷をうけ、お守りをいただいたという。そして友人の首にぶら下がっているそのお守りを小生に見せたのである。

小生の友人の友人Bは、東京に帰るや否や父親にこのことを話して、すぐに車を手放したという。

さあ・・・皆さんはこの話、どう思われるでしょうか?集団で小生を「担いだ」のでしょうか?

小生には、そのときの彼らの悲壮な顔からして、そうだとは決して思うことが出来ないのである。

またそれにしては手が込みすぎていて、誰かがキチンとプロデュースでもしない限り、すぐにばれてしまうと思うのだ。もし誰かのプロデュースだとすれば、彼らは全員名プレーヤー、迫真の演技は、映画でも見たことも聞いたこともないほどだったのである。

嘘のような話であるが、・・・・・でもこれは本当の話なのです。

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