中編3
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幸福な飼育

自分は平凡な人間だと、トーマスは思っている。彼はイギリスの片田舎で生まれて、親の後を継ぎ家具職人をやっている。

先日同じ村出身のミーナと結婚し、二人で暮らし始めた。穏やかな彼女との生活に問題はなく順調だ。

本の中の英雄のような華やかさはなくとも、どこにでもある、だがかけがえのない幸せな日々だ。何を不満に思うだろうか。

「トーマス、休憩にしましょう。クッキーを焼いてきたの」

ミーナは香ばしい焼き菓子を持ってドアを開けた。彼女のつくる菓子はとても美味しい。

「ありがとうミーナ。今日も美味しそうだね」

「ふふ、ありがとう。今日はジンジャーを入れてみたの。仕事の方はどう?」

仕事道具を片付けて、彼女の座るテーブルにトーマスは座った。

「順調だよ。注文された椅子もほとんど出来上がったし、予定通りにマークに納品できそうだ」

マークは村の商店の息子で、家具の販売の仲介人をしてもらっている。おかげで村から出ることもなく、トーマスは家具職人を続けられていた。

「この仕事が終わればまとまった金も入るし、隣町にでも出掛けようか。...結婚した祝いもできていなかったしなあ。レストランにでもどうだい?」

「いいわよ、行かなくて。代わりにお仕事が終わった日にあなたの好きな料理をたくさん作りたいわ。私お料理好きだもの」

そう言ってミーナはトーマスに紅茶を淹れた。

「...それにね、お金は貯めておきましょう?家族が増えるから」

「...もしかして、ミーナ」

ミーナは微笑んで、お腹をさすった。彼女の肯定にトーマスは飛び上がってしまいそうなほどに嬉しくなった。

「本当かい!ありがとう、ありがとうミーナ。俺を父親にしてくれるんだね」

トーマスは立ちあがり、ミーナを抱き締めた。

「来年にはね。男の子と女の子どっちがいい?」

ミーナは椅子に座りながらトーマスに手を回した。

「どちらでもいいよ、産まれてくれれば」

ああ、とトーマスは思う。自分は平凡で幸福な人間なのだと。

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番号8730121の経過は良好だ。

人間という種がほぼ絶滅し、AIを搭載したアンドロイドが立場を交代した現代となっては、試験管から培養した人間といえども保護の対象となる。

この施設では過去の文化レベルを再現した場合の人類の行動パターンを分析するため、最新機器を使用した保護が行われている。

この番号8730121は17世紀イギリスという設定のもと、赤ん坊の頃から生育されてきた。

舞台となる村は全て施設内にあり、村より外は存在しない。そして番号8730121の行動は全て監視されている。

番号8730121以外の人間は存在せず、村人、家族、妻は全て人間型アンドロイドである。子供が産まれる設定となったため子供のアンドロイドも随時追加されるだろう。

子供は成長の必要が出るため、一月毎のボディの交換が必要となる。その手間が大変だと思いつつ、管理者のアンドロイドは監視を続ける。

番号8730121---トーマス----は何も知ることは無い。

生涯知ることはなく、平凡な家具職人として幸せに死んでいくのだろう。

Concrete
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