中編5
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路線バス  (再)

 

 昼間の収穫を終えたキャベツ畑は、肥料の匂いと混じり合い、汚物の匂いがしていた。

出荷のできない規格外のキャベツ達は畑に打ち捨てられ、土に帰る日を待っている。

土と繋がっていた頃を思い出し、夜空に向かって二酸化炭素をひそかに吐き出しているのであった

私はパンプスのヒールが折れる程に走っていた。

職場から15分の所に目指すバス停留所はあった。畑の脇にできた細いあぜ道を走っていた。

あのバスに間に合わなければいけない。

 都心部から2時間程の通勤圏にある田園地帯のこの場所は、宅地開発が進みつつあり、農地だった土地に住宅がすでに何棟も建設されていた。

私はそこで分譲営業をしている。といっても派遣だ。しかし契約件数のノルマも与えられ、未達成だとクビ切りにあう。

私は10年間しがみついて働いてきた。大学受験を控える一人息子がいるからだ。

とにかくこれからもお金が足りなくなる。夫の稼ぎだけでは生活が成り立たない。

 バス停は市役所前のロータリーにポツンと建っていて、そこが始発点となっていた。

夜8時38分。それが私のタイムリミットだった。その後は9時50分。タクシーは無い。

そもそも人がいない。市役所勤務の人達だけが乗るバス停といってもいい。

「あー、だめだぁー」   

 私は硬いベンチに崩れ落ちた。 

時間調整で停車しているバスの姿が無かったのだ。待っていても人が乗らないと判ると始発バスは容赦なく次のポイントに向かう。

私はそこで初めてつま先の痛みを感じた。パンプスは泥だらけたった。

バックからタバコとライターを取り出し火を点けた。

深く吸い込むと退廃的な苦味が口中に広がった。そして今日一日の出来事がまるで食べ過ぎたあとのゲップのようにムカムカとこみ上げてくるのだった。

 契約を取れていた頃はあんなにチヤホヤと煽てまくっていた上司や同僚が、取れなくなった途端に見事な手のひら返しの態度を私に取るようになった。

売ってナンボの世界だからしょうがない。営業には波があるし。と言い訳するが、今のスランプは長すぎる。

今日は職場の全員に無視された。

もう辞めようかなぁー。  もう一度煙を吐いた。

夫と息子に晩御飯遅くなると連絡をいれないと。

駅前のスーパーに寄ってお惣菜買って、それから。

段々と自分が嫌になってきた。もうどうでもいいと思った。このままどこか遠くに行ってしまいたい。

ふと顔を上げると市役所の建物の角から灯りが見えた。バスだ。こちら向かってくる。スーッとベンチの前に止まり前方の扉が開く。

「お待たせしました」

「……」

「遅くなりすみません」運転手の男が言う。

心に火が灯るとはこういうことかもしれない。

私は無言のまま、と言うより言葉を忘れたまま、定位置の座席に滑り込む。

自分で勝手に決めた席で、運転手の左側の最前列。この席が好きなのだ。

発車までの待ち時間、運転手と世間話もできるからだ。でも今日はしたくない。

疲れすぎている。

「今日はどうしたの。時間変わった?」

「いえ。ちょっと道路が混んでいて、戻り車がおそくなったんです。すみません」

「全然大丈夫よ。丁度よかったわ」

結果がよければ経過はどうでもいい。これが長年の間に染み付いてしまった思考回路だった。

20代らしい運転手の横顔は整っていて、今人気の若手俳優に似ていると思った。

年甲斐もなくときめいている自分がおかしかった。

「お客さん、お仕事の帰りですか」

「ええ」

「失礼ですが、どういった」

「そうね。家を売っているのよ」

「そうなんですかぁ。 家  いいなぁ」

「……」

「僕でも 家買えますかね」

「お金貯めれば買えるんじゃない。足りなかったら結婚相手と収入合算とか、親からの援助とか」

「……」

まずい事を言ってしまった。もう仕事の話はしたくない。後悔した。

それより早く発車して欲しかった。

すぐに私一人乗せたバスは滑り出した。次のポイントまで10分程かかる。寝たふりをしようと思ったが気まずいままだったので私から話しかけた。

「この仕事長いの?」

「いえ。まだ5ヶ月です。給料は安いけど辞められないんです。一番就職難だった時に拾ってもらった恩がありますし。やりたい事もまだあるんです」

「やりたい事」

「ええ。僕、この間まで高速バスに乗っていたんです。事情があってまた路線にもどったんですが。ここから見える東名見るとまた乗りたくなりますね」

運転手は前を見ながら言った。

確かに今走行している橋の下には、ヘッドランプの白とテールランプの赤とを交互に見せる車が、川のように流れている。

運転手は更に話を続ける。

「僕、前にお客さんにお会いしたことあります」

「えっ、いつ頃」

「おととい」

「おととい……」

一昨日は水曜日のはずだ。この業界は水曜日は休みなので私は仕事でバスには乗ってはいない。

「お客さん、バスツアーに参加されていましたよね。箱根行きの日帰り温泉バスツアーですよ。○○駅前から出ている高速バスに、お一人で乗られましたよね」

私は記臆を辿る。たった一昨日の話なのに、なんで覚えていないの?

私、未だ40代なのに、認知症がもう始まってしまったのかしら。

いやだー。嫌だわ。

「あの時の運転手が僕です。お客さんはやはり今みたく僕の左側の最前列、そう、丁度その席に座っていました」

「……」

「ひどく疲れたご様子で、ずっと窓ばかり見ていらっしゃいました」

「……」

「皆さんどなたもそうでした」

「僕、あの高速バスに乗っていたお客さんを探す為にまた路線バスに乗らせてもらったんです。お客さんが最後です」

「事故起こしたんです。箱根の峠道でトラックと正面衝突。崖に真っ逆さま。皆さん、僕に帰りたい。帰りたいと泣きながら言うのです。

だから僕は……。 お客さん、ごめんなさい。僕が必ずご自宅にお送りしますから」

そう言うと運転手はクルリと顔をこちらに向けた。

右側の顔半分が欠け、眼球が垂れ下がっていた。

「ひっ」

私は咄嗟に顔を背け、バスの窓に顔を着けた。夜の闇で鏡と化した窓に私の顔が写った。

左側の頭蓋骨が露出し、陥没し、ピンク色に染まった骨に血にまみれた前髪がべったりと張り付いていた。

次のバス亭が見えてきた。バスは赤信号で止まった。

「お客さん、このままお帰りになっても今頃、お客さんのお通夜の最中で、お家の方は誰もいませんよ。

それより僕とこれから高速に乗って、ちょっと箱根までドライブしませんか?」

【終】

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どんでん返しですね。
楽しく読ませていただきました!

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鏡水花さま♡ あんみつ姫さま♡ 珍味さま♡ むぅ様♡ ラグトさま♡ セレーノさま♡ mamiさま♡ ♪。.:*・゜懐かしい皆さんに再会でき、嬉しいコメントに心が熱くなりました。
お読み頂き、評価くださったユーザー様♪。.:*・゜ありがとうございました(*゚▽゚*)
再投稿にもかかわらず、応援して頂き、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 ご期待に添えるかどうかわかりませんが、また機会があれば・・・(^_^;)

心からありがとうございました♪。.:*・゜♪。.:*・゜♪。.:*・゜小夜子(^O^)

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中年に悲哀がグッときます。

旧作の再投稿いいですね。

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うおーっっっ‼︎‼︎
これです(o゚Д゚o)!!
この話がもう一度読みたかった。

小夜子節炸裂ですヽ(・∀・)ノ

疲れた中年の女…
そして、ラストはこう来るかっΣ(*゚Д゚ノ)ノ
と、衝撃を受けた話でした(*^^*)

小夜子さん♬
リクエストにお応え下さり、有難うございました(人•ᴗ•♡)

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