中編5
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顔のない妻

朝起きると隣に妻とは違う女性が寝ていました。

酔ってマンションの違う部屋に上がり込んでしまったのかと驚きましたが、昨晩は遅くまで残業をしていたので飲んではいません。

その女性は騒いでいる私を見ると、どうしたのあなたと目をこすりながら尋ねてきました。

私はどちらさまですかと尋ねると彼女は寝ぼけて自分の奥さんの顔も忘れたのかと笑いました。

その女性は何の違和感もなく私の妻だと言いました。

そう言われると、その女性は私の妻に容姿は似ていたので、元々気性の激しくない私は自信がなくなってきました。

しかし、外見が似ていてもやはり別人なのです。

そのまま夢の中にいるような心地で私は妻によく似た彼女のつくった朝食を食べて出勤しました。

仕事を終え、恐る恐る帰宅するとやはり朝と同じ女性が私を出迎えました。

彼女は久しぶりに私の好物のグラタンを作ったのよとご機嫌そうでした。

この妻らしい女は私の好物も知っていました。

私は刺激しない程度に彼女に名前や生年月日、結婚記念日などを聞いてみました。

その女性はいぶかしげな表情を浮かべながらもすらすらとよどみなく私の問いかけに答えました。

そもそも普通なら妻を知っている人物や夫婦の写真などで確認をとればいいのですが、それができない事情がありました。

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私は元々他人に対して興味がない人間でした。

早くに両親を亡くし、懇意にしている親戚筋もなく一人で仕事と趣味に没頭する人生を淡々と過ごしていました。

妻と結婚をしたのも三十代半ばになって、独り身では社会的にも奇異に見られることが多くなってきたことと、老後の介護を少し気にしたからでした。

婚活パーティーで私と同じく両親を早くに亡くし、他人に干渉しない生き方が好きという彼女と表面上は意気投合し、程なくして籍を入れました。

その後、彼女は主婦として家事をこなしましたが、仕事柄家にあまりいない私とはほとんど会話もしなくなりました。

もちろん夫婦なので最初は何度か性行為も行いましたが、それもすぐになくなってしまいました。

また、お互いに写真を残すということを気にかけない性分でしたので、結婚式すら行わなかった私達には二人で写真を撮った記憶すらありませんでした。

運転免許証も車に乗らない妻は持っていませんでした。

目の前の彼女の写真をマンションの住人に見せて確認するという考えも浮かびましたが、別人とはいっても妻の特筆すべき特徴であったウェーブのかかった長い黒髪と豊かな胸に関してはこの彼女も同じであったので、普段まったく交流のないマンションの住人には見分けがつくとは思いませんでした。

私はこんな事態に至って自分の人生でこれほど他人に興味を示さなかったことが悔やまれることはありませんでした。

自分の妻が別人になったかもしれないのに自分にはそれを確認してもらえる共通の知人どころか妻の交友している人物さえ一人も知らなかったのです。

そうなると私の妻として見た目疑問と思えるところは何もない彼女を見て、むしろ自分の方が精神的におかしくなったのではないかと思い始めていました。

そうして、少し落ち着いて客観的に事態を考えられるようになった時、改めてこの妻らしい女性に見入ってみると、彼女は私が妻と認識していた無機質な女とは違い、とても表情豊かで明るく私に対してもその日あった出来事などを優しい眼差しで話してきました。

そんな彼女と接しているうちに他人に対してこれまで抱くことのなかった愛おしさというものを少し感じるようになっていました。

その夜、私はその妻と思われる女性に恥ずかしながらも夜の営みを求めていました。

最初、彼女は本当にご無沙汰だったのに突然どうしたのと驚いていましたが、快く私のお願いを迎えてくれました。

その夜、私は今までの人生で味わったことがないほど夜の交わりに激しく心を奪われました。

行為が終わった後、妻と思われる女性は嬉しそうに今夜の動機について問いかけてきました。

私としてもどうにも説明がつかないので、適当にはぐらかしていたのですが、その時にはもう彼女が自分の妻だったのだということで無理やり納得しようとしていました。

引っかかるものがないと言えば嘘になりますが、目の前のこの女性が私の妻であることに何の不都合がないばかりか、私の人生に今まで存在しなかった彩りという概念が生まれようとしていました。

そう思い立って、あらためて横にいる彼女の方に目を向けると、彼女の後ろ、ベッドの傍らに彼女とは違う別の女が立っていました。

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私は衝撃で声一つ上げることできずにその突然現れたその女性に目が釘付けになりました。

その女は顔が見えませんでした。

寝室の照明が薄明かりだったからではありません。

女の頭の部分だけがぽっかりと黒く塗りつぶされて、顔が認識できないのです。

しかし、私は即座にその女が私の妻であると感じてしまいました。

雰囲気も髪型も体型も私の記憶の中にある妻そのものでした。

その顔のない妻は右手でベッドに横たわっている彼女を指さしていました。

まるで自分をこんな風にしたのはこの女だと指し示すように・・・

私のうろたえた姿に横にいる彼女が何かあったのか尋ねてきました。

彼女の問いかけに意識が覚醒し、あらためて見ると顔のない妻の姿は消えていました。

首をかしげるばかりで彼女は妻とおぼしき顔のない女は見ていないようでした。

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私は正直に顔のない女が立っていたことを彼女に告げると、今までどんなに問いかけにも顔色一つ変えなかった彼女の表情に本当にわずかですが動揺が広がったのを感じました。

その彼女の変化を認識して、そこまで受け入れようとしていた夢の世界が、現実の世界であることを思い知ることになってしまいました。

私の妻はもうこの世にはいない、そんな漠然とした感覚がありました。

そのとき、私の目から一筋の涙が流れ落ちました。

その涙は消えてしまった妻に対するものなのか、こんなことになるまで他人に対して関心を持てなかった自分に対してなのかは分かりませんでした。

もしかすると、私も妻のように彼女に存在を消されてしまうかもしれない、そんな危惧ももちろんありました。

それでも、私は目の前のこの女性と夫婦として生きてみよう、そう思うことにしました。

彼女は私が人生で初めて興味をもった女性なのですから。

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読み直すとラスト一行の余韻がじわります。
ホラーであり、サイコでもあり、サスペンスでもあり、悲劇でもあり、喜劇でもある。

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なつ様、作品への怖いポチをいただき嬉しいです。

怖いポチ数が減ったことに関しましては確かに見ようによっては悪質なかく乱行為に見えるかもしれませんが、指が当たって評価が解除になるような故意ではないケースも考えられますので、そこはどうかお収めください。

私としてはなつ様のご指摘のお気持ちも当然良かれと思ってのことと感じております。
本当にありがとうございます。

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あれ?
締め切りギリギリでポチがへりました?
誰が犯人かすぐ分かったけど

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なんだかこのサイト、ばかばかしくなりやめることにします。リセットします。

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むぅ様、丁寧なコメント本当にありがとうございます。
アワードのことに関しましてはメッセージボードの方にあらためて失礼します。

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とっつ様、私自身は怖いポチ数を変えたりすることはできませんので、結果は神のみぞ知るというところですが、応援していただいているそのお気持ちが本当にうれしいです、ありがとうございます。

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初受賞なるよう応援しています♪

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よもつ様からご感想と怖い評価をいただけて本当に嬉しいです。
私はよもつ様の不思議系のお話をいつも感嘆しながら読ませていただくことが多かったですので、ものすごく影響を受けていると思います。
すべての作品が安定のクオリティの上に怪異の出現の仕方や人間の闇の内面の描写、絶妙な結末、こんな風に描けるんだ見事だなあと感じています。

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ロ、ロビン様、ハードでしたか、それは失礼しました。
というか禁欲はダイエットなどもそうですが、やりすぎは良くないですよ。

ロビン様の場合はあるとき見知らぬ妹達に入れ替わっていたなどどうでしょう?
・・・それ、何だかかなり面白そうですよ!

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