介護・オブ・ザ・リビングデッド ~真章~

大長編81
  • 表示切替
  • 使い方

介護・オブ・ザ・リビングデッド ~真章~

『死者が蘇る』

その現象は、私達の社会を混乱の渦に叩き落としました。

何故なら、死はその意義を失ったからです。

不死者の存在は、人が抱いてきた命の価値を崩壊させ、未曾有の混沌を世界に生み出しました。

その混沌の中で、私達人類は、未来に何を思い、どんな社会を創造するのでしょうか?

これは、今まで存在しなかった価値観に初めて向き合った人間達が織り成す、世界が変革する物語です。

その現象は、私が勤務している老人保健施設から、始まりました。

西暦20xx年、日本。

N県K郡S町の山奥、ある山麓で、一人の老人が保護された。

山奥の廃村で一人暮らしをしていたとされるこの老人は、町の役場の職員に保護された際、重度の要介護状態であり、近隣の公立病院で治療を受けた後、身よりも無く家族の有無すらも不明だったこの老人は、N県の老人保健施設へ特殊措置入所する事となった。

介護老人保健施設⚪︎⚪︎苑。

(※介護老人保健施設…介護保険施設の一つ。設置当初は病院と自宅の中間施設として設立されたが、近年の要介護者増加の影響で看取りも含めたケアを行う場所とも認識されている。他の施設へ転移するケースもある。通称、老健)

その利用者食堂で、

「はいよ、爺ちゃん。昼ごはんだよ。今日はカレーだってさ。」

若く明るい声がした。

声の主である若手男性介護士の八代 立志(やしろ たつし)は、意気揚々とお年寄りに昼食は配膳する。

「ちょっと、立志先輩! 利用者さんにそんな言葉を使っちゃダメじゃないですか! ちゃんと敬語を使って下さい!」

「いや、奏…、そんな事言ってもさぁ、そんなの、俺には似合わねえよ…。」

お年寄りに敬語を使えない立志を嗜めるのは、立志の後輩の古林 奏(こばやし かなえ)である。

「それに、俺の介護のモットーは…」

「『介護は愛情だ!』でしょ? まったく、立志先輩は…。もういいです! 私はタモツさんとイセさんの食事介助するので、そっちの方の事は任せましたよ!」

と、奏はプンスカしながら、他のお年寄りの介助に廻る。

(※介助…いわゆる、お手伝い。食事介助は、手足の不自由な要介護者が食事を食べるお手伝いをする事。又は、ケアとも言う)

「あいよ、奏。任しとけ!」

そう言いながら、立志は老人の介助にあたる。

言葉使いは乱暴な立志だったが、その介助の技術は確かであり、繊細な箸使いで、手の不自由な老人の口元に程よく温かなカレーライスを運ぶ。

「どうだ、爺ちゃん、美味いだろ?」

立志の言葉掛けに、老人は僅かに頷いた。

しかし、その瞳には感謝の感情が込められていた。

食事の介助も終わり…、

お年寄りを昼休みのために寝かした二人が、食事の片付けを行いながら、

「そう言えばさ。奏。」

「なんですか? 立志先輩。」

「あの爺ちゃん、身寄りがないんだろう?」

「…はい。カルテの基本情報とインテーク(事前情報)記録を閲覧しましたが、自分の名前すらも不明だそうです。」

「へー、よく知ってるな?」

「立志先輩…。ケアを行うなら、事前に情報に目を通すのは当たり前です。」

「ははは、でも俺のモットーは、」

「『介護は情熱!』でしょ…。」

「そうそう。熱意と優しさがあれば、介護はできる!」

「できる!…わけないでしょ! それでもプロですか!」

「ま、まぁまぁ。怒るなよ。でさ、あの爺ちゃんさ、」

「はい。山奥で見つかって、保護された後、この施設に措置入所になったんです。」

「…措置入所? 聞かない言葉だな?」

「ええ。いまどき、措置入所は珍しいですね。」

「珍しい事なのか?」

「はい。って、先輩! これも基本ですよ!」

「ああ、ゴメンゴメン。」

「まったく…。本来、この国の高齢者対策は介護保険で対応されてます。

介護保険は、いわゆる国民皆保険であり、全ての国民はこの保険が適用されます。

国民は、歳を取ると…一般的に65歳以上で要介護状態になると、本人と家族が、…殆どは家族ですが、役所に申し込みを行い、介護保険を利用し、介護サービスを受ける事になります。」

「ふんふん。」

「この介護保険が始まる前は、お年寄りが要介護状態になると、役所、つまり行政機関ですね。が、お年寄りが暮らす場所を選んで、入所させてました。これがいわゆる措置入所です。

介護保険はそうではなく、お年寄り本人が自分で受けたいサービスを選び、望む暮らしを送れる事を保障する制度です。まぁ、結局本人の意思は反映し辛く、多少形骸化している節がある事は否めませんが…。」

「ほう…。」

「お年寄り本人がサービスを選ぶ、それは、サービスを行う事業そのものも民間に委ねることを意味しました。

老人本人と、その家族に暮らしの選択を委ね、同時にその事業も民間に委ねる、それが介護保険の基本形態です。それが善しきか悪しきか、まだ答えが出るような段階ではありませんが…。国は介護の矢面から退き、お年寄りの世話は、老人本人とその家族に、そして、私達介護の事業者に委ねられました。」

「…うん。」

「で、今回の老人のケースは、身寄りが確認できず、でも帰る家も無く、行政の判断で特例として施設にする事になったんですね。」

奏の解説が終わる。

「…うーん、まぁ、命は助かったんだから、良かったんだろうな…。たぶん。」

珍しく立志の言葉のキレが悪い。

「…そうですね。このお爺ちゃん、施設に入所した時は、手足も満足に動かせず、認知症もあったのか、まともな言葉も喋れなくて険しい表情ばかりでしたけど…、最近は少し表情が和らいだような気がしますね。立志先輩のおかげかもですね。」

奏が立志を褒める事は珍しい。立志の態度を気にしてだろうか。

「…そうだといいよな。…さて、仕事の戻るか!」

「そうですね。お喋りばっかりしてると、主任に怒られちゃいますよ。」

そう言って、立志と奏は、いつもの業務に戻った。

「爺ちゃん、聴こえるか? 夕飯だよ。今夜は肉じゃがだぜ!」

「前に肉じゃがが出た時は、まっずいじゃがいもを使っててな。栄養士に文句言っていいやつに変えてもらったんだぜ。」

「爺ちゃん、今日は風呂の日だ。温まってってくれな。ははは。」

「ちょっと爺ちゃん、しっかり掴まってねえと、溺れちゃうぜ。」

立志は、一所懸命に老人のケアをした。

立志にとっては、それは特別な事ではない。当たり前に行っている事だった。

「困ってる人を手伝うのに、理由なんて必要か?」

それは以前に立志が言った言葉である。

そして、しばしの時が過ぎた日。

冬の始まりの頃。

老人の退所が決まった。

高齢者老人専用の保護施設に移る事となったのだ。

身寄りのない老人の生活費用捻出の都合の為の仕方のない転移であったが、それは、寝たきりとはいえ、行政の都合で慣れた施設での生活から強引に切り離されることを意味する。

「爺ちゃーん! 達者でなー!!」

老人を移送する寝台車に、立志は見送りの言葉を大声で放つ。

その声が、担架に乗せられて車に揺られる老人に届いたのかは、解らない。

だが、その時、老人は、一言つぶやいた。

「ありがとう」と。

それは、誰にも聞こえないような、か細い声だった。

しかしそれは、老人が発見・保護されて、初めて発する言葉だった。

「…世界は変わった。ここから、始めよう」

それが、老人の最後の言葉である。

以降、この老人は、これから生じる巨大な混乱の波に飲まれ、忽然とその足取りを消す事となる。

冬の頃、

老健⚪︎⚪︎苑。その特別個室で、

「親父ー!!」

「お義父さん…。」

「おじいちゃん…、なんで動かんの?」

齢95歳のトウゴロウ老人は、家族に囲まれながら、最後の時を迎えようとしていた。

清潔に整頓されたベッドに力無く身を預け、浅く深い下顎呼吸を繰り返すトウゴロウ老人。

老人は、医師と、息子と嫁と孫らの家族に看取られながら、今、その命を亡くそうとしている。

同室には、担当する看護師と普段ケアにあたっている介護士が付き添っている。

その中には八代立志と古林奏の姿もあり、立志は真っ赤な眼をしたまま涙を堪え、奏も口元をきりりと結びつつも哀しみの感情を押し殺していた。

奏は、家族に悟られぬように、

「立志先輩…、涙を流したらプロ失格ですよ…。」

と立志の背中を突く。

「解ってるけど、自然に出てくる涙は止まらなねぇよ…。お前だって…、」

「…解ってますよ…。」

奏も眉間のシワを深くして涙を堪える。

そして…、

トウゴロウ老人の口元の動きが停まった。

僅かながら続いていた呼吸が、停止したのだ。

医師が、トウゴロウ老人の死亡を確認する為に聴診器とペンライトを取り出す。

通常、医師は患者の死を把握する手段は、

①聴診での心音と呼吸音の確認

②睫毛反射・対光反射の消失の確認

③脛骨動脈・頚動脈の脈動の確認

である。

トウゴウロウ老人の最後を診断する医師は、この手法に則り、腕に首に手を沿え血液の流れに触れ、ペンライトで眼を照らしその反応を観察し、聴診器を老人の薄い胸板に当てて心肺の鼓動を把握し、その生命活動の停止を、認識した。

そして、その結果を、老人を囲むその家族に、周囲のスタッフに、伝えた。

「ご臨終です。」

死因は、老衰ー心不全であった。

死を告げられた家族は、長く家族を養い続け、幸せな家庭を築く礎となり、いつか再び一緒に暮らす事を夢見て老健に入所し、そして、その願い叶わず体調の悪化で亡くなったトウゴロウ老人の死を嘆き、涙を流した。

日頃からケアにあたっていた介護士・看護師も、トウゴロウ老人の日々の記憶を思い出し、そっと涙を流す。

一頻り悲しみに暮れた後、

担当する看護師が「これからエンゼルケア(※死後処置。同時に身を清める)を施させて頂きます。ご家族様は、あちらでお待ち下さい。」と、丁寧に声をかけた。

退室の準備をする家族達。

エンゼルケアの支度を始める看護師と介護士。

同時に医師も、死亡診断書の作成の為に退室しようとする。

と…。

その時である。

「…ぁ、ぁ…あ、ああぁ…。」

室内に、言葉にならない喃語のような、

それでいて年老いた老人の啜り泣きのような、

奇妙な音が室内に僅かに響いた。

何の音だろうか?

「…あ、ああぅ、あ〜、」

音は、いや、その声は、続いている。

家族と職員は、声の源を探して部屋の中を見回す。

簡素な造りの個室の中には、

家族と、職員だけである。

…いや、違う。もう一人、いる。

ベッドに横たわる、トウゴロウ老人。

そんな、馬鹿な…。

だが、耳を澄ませば解る。その声が真っ白なシーツを被せられたトウゴロウ老人から、

…死体から、聞こえる事に。

「ば、ばかな…。」

真っ先に我に返ったのは、医師だった。

死亡は、確認した筈だ。

しかし、確かに、その声は、自分が自分の眼で、触れて、聴いて、生命活動の停止を判断したのだ。

診断を間違う筈が無い。

だが…、

しかし、その医師の確信は、裏切られる。

シーツが動く。ベッドが軋む。

そう、

死体が、

確かに死んでいた筈の死体が、

ゆっくりと、その身を、ベッドの上に起こしたのだ。

その異端の光景に誰もが息を飲み、言葉を失う。

「あ、あ、あ、あ」

死体が顔をこちらに向けた。

正気の宿らぬ青白い顔のまま。

枯れ木のように細く血管の浮き出た腕を動かして、

瞬きを忘れた瞳のままで。

意味の解らぬ言葉を発しながら、

だが、その視線は確かに、こちらを凝視していた。

そして、

その視線の先には、家族が、いた。

事態に唖然とする家族。

しかし、その僅かな沈黙の後、

「親父ー!!」

「お義父さん…。」

「おじいちゃん…、元気になったん?」

家族達は、死者が、…いや、トウゴロウ老人が起き上がった事に喜びの声を挙げ、その細い身体を抱き締めた。

その光景を見詰める医師は、呆然としながら、

「な、なんで?」

と嘆き呟く。

周囲の看護師も驚きを隠せず、

「せ、先生…、トウゴロウさん、お亡くなりになってました、よね?」

と、疑問を口にする。

トウゴロウ老人は、医療に携わる専門職なら間違えようが無く、確かに死亡していたのだ。

「あ、あぁ。死亡確認に間違いは無い! …筈だった…。」

言葉失う医師。

その時である。

部屋にいた介護士が声を挙げた。

「良かったなぁ! トウゴロウじいちゃん! 元気になったんだな!」

声の主は、立志だ。

「ちょ、ちょっと先輩! 空気読んで! す、すいません、先生!」

奏が立志を静止する。しかし、立志は、

「何言ってんだ、奏。お前だって、嬉しいだろ?」

と奏に言う。立志の言葉に奏は、医師の手前、少し躊躇った後、

「は、はい…。家族も喜んでるし…。はい! 私も、トウゴロウさんが元気になって良かったです…。」

奏も、トウゴロウ老人が息を吹き返した事に喜びの言葉を述べる。

涙を流し喜ぶ家族と、震える手で家族の手を握り返すトウゴロウ老人。

そして、その姿を見て素直に感激している施設のスタッフ達。

その光景を見ていた医師は、

「…よ、よかっ…た…。そ、そうだな。君達の言う通りだ。トウゴロウさんは、亡くなっていなかったんだ。そうだ、これは、良い事なんだよな…。」

と、現実を受け入れ、命を護る医師として、取り敢えず、老人の復活を喜ぶ事にした。

その医師の名は、黒崎一(はじめ)。まさにこの時、この若い医師が選ぶ運命の選択肢が決定された。

…生命活動のいずれかが一時的に停止しても、適切かつ執念な心肺蘇生で蘇るケースは確かに存在する。

又、当然、医師も人間であり、不慮不足な誤診は有り得る。

死亡と判断された患者が息を吹き返す事例は幾つもあるのだ。

よって、今回の事態も、医師の誤診として社会は判断した。

ニュースキャスター『先日、この老人施設に勤務する医師が、入所者の死亡を誤診し、その入所者家族に多大な迷惑を被らせた件に関するニュースです。医師会はこの医師に対して厳しい事情聴取を行った上で家族への謝罪を行いました』

『本日は、この誤診によって迷惑を被ったご家族様へのインタビューを行い、今のお気持ちをお聞きしました』

レポーター『安易な医師の診断でご家族の方には多大な心理的負担をお掛けしたと思われますが、今のお気持ちはいかがでしょうか?』

家族(息子)『いやまぁな、最初は驚いたけどさぁ、親父が生きてるんならそれに越したことはねえやな。孫も「爺ちゃん元気になった」って喜んでるしな。親父の世話は施設の職員さんが一所懸命やってくれてるしさ。黒崎先生も悪くねぇし。迷惑なんて思っちゃいねぇよ。』

レポーター『はぁ…、そうでしたか…。』

家族『ん? どしたね、暗い顔して。まぁ、気になっているといえばな…。』

レポーター『はい?』

家族『親父な、今も脈がないんだってさ。』

レポーター『…はい?』

そうなのだ。

蘇ったトウゴロウ老人を再び診断した時、医師や看護師は、更なる驚愕の事態に直面する事になった。

トウゴロウ老人は、確かに、動いている。

家族の顔も認識し、曖昧であるが言葉も喋っている。その行動だけ見れば、生きていると言っても全く遜色無い。

だが、トウゴロウ老人の心臓の鼓動は今も完全に停止している。

肺機能・呼吸も停まったままであり、瞳孔反射も無く、脳活動も限りなく停止していると言っても差し支えない。

つまり、

トウゴロウ老人は、

依然として、

死者のままなのだ。

人はそれを、なんと形容するか?

『生ける屍』

つまり、

『リビングデッド』

又は、『ゾンビ』

である。

死を免れた?トウゴロウ老人は、そのまま老健入所を継続し、数日が経過した。

老人は、見た目やその行動は以前とほとんど変わらず、ベッドや車椅子の上でこっくりこっくりと居眠りをしている。

ただ、相変わらず顔色は真っ白で、生命活動停止の影響か食事の量は極端に落ち、排泄もほとんど無い。

だが、家族の顔が見えれば、穏やかな微笑みを見せたりと、安らかな老後を過ごしているようにも見える。

そして、事態はさらに進行する。

冬場は、お年寄りが亡くなる事が多い。

特に、12月~2月頃。

要因はいろいろあるが、寒さによる血圧の上昇での脳梗塞や心疾患のリスクの向上、インフルエンザや感染性胃腸炎への罹患、乾燥による呼吸器官への負担・肺炎などが挙げられる。

その自然環境的な要因も一因となり、社会は新たな局面に突入した。

…死者の復活が、再び、発生したのだ。

しかも、引き続き、何件も、

二人目の、そして、三人目、四人目の、さらに五人目の、『生ける屍』現象が起きたのだ。

その発生はいずれも1人目のトウゴロウ老人が入所していた老人保健施設⚪︎⚪︎苑で起きた。

いずれの老人も同症状であり、肺炎の悪化や心疾患の進行により生命活動を停止し、医師が臨終の確認を行った数分後、その臨終の寝床から起き出したのだ。

最初は驚愕し、自身の観察眼を疑問視し、緊張感を改めて診断にあたっていた黒崎医師だったが、流石に同症状がこれだけ続くと逆に開き直り、自らこの現象への新説・新たな見解を打ち出した。

その見解とは、即ち、

『これは、新たな疾病ではないのか?』

又、同施設で立て続けに発生していることから、

『未発見の感染症ではないのか?』

である。

その推論を持って、医師は施設に強い要望を出した。

この蘇った利用者を、即刻隔離すべきである、と。

それは、研究の為でもあり、何より感染を防ぐ為の防護手段であった。

当の老健⚪︎⚪︎苑は、医師のその要望を受諾し、隔離専用の棟を緊急に用意した。

老人保健施設はその性質上、様々な目的を持った入所者を受け入れている。

その為、生活や目的別・心身の能力別に幾つかの棟を併設するのが常である。

(例えば、リハビリ専門棟や重症者専門棟、認知症専門棟、など)

老健⚪︎⚪︎苑は、その一つの棟を『生ける屍』専門の隔離棟とした。

(この隔離体制は、後の世のメディアから『ゾンビ棟』と呼称される事となる)

黒崎医師は、この隔離棟で、老健に勤務する看護師や介護士の手を借りながら、この蘇り現象の究明に徹する事となる。

世界初のゾンビ棟(仮)の誕生は、嫌が応にも社会を、世界を震撼させた。

なにせ、ゾンビである。

映画の中だけの存在であった怪物が現実に発生したのだ。

連日、この現象の真偽も含め、ネットやテレビで推論が重ねられている。

その推論は今後、白熱の討論を呼び、さらに社会を激震させる議論を生み出す事となる。

黒崎医師の研究によれば…、

このゾンビ(仮)の大きな特徴は、『死んでいるのに死んでいない』事である。

呼吸や心拍・脈拍などの各種バイタル値は全て、死者である事を示している。

だが一定の体温は持ち続けており、それは死者の冷たさではなかった。

さらに、蘇って一ヶ月が経過する老人もいたが、何故か腐敗は進行しておらず、その身体機能の低下も見られない(もともとお年寄りなので身体機能は良くないが…)。

喃語しか発生できず、意思の疎通は困難であり、脳波も停止していた。だが、微かな記憶を有しているのか、意思や感情があるように行動し、その行動も生前?の様式に則っていた。

そしてその原因は、未だ不明であり、感染経路も解らないままだった。

なんで死んでいるのに生きているのか? なぜ蘇るのか? 未だ解らない。

そして、蘇る老人は⚪︎⚪︎苑内で更にその数を増していった。

レポーター『緊急生放送! 本日は、現在社会を恐怖に包んでいるゾンビ棟の現状を取材したいと思います』

レポーター『普段は報道陣の立ち入りを禁止されている老人保健施設⚪︎⚪︎苑ですが、本日は私達報道陣の真実を追求する熱意を県知事に認めて頂け、取材の許可が下りたのです』

レポーター『それではこれから、この恐怖のゾンビ棟に潜入します』

レポーター『ついに、ゾンビ棟の入り口に着きました。この先はいよいよ、恐怖の元凶、戦慄のゾンビ棟です。恐怖で私に足も震えています。皆さん、無事を祈っていて下さい』

レポーター『本邦初公開! これが、恐怖のゾンビ棟の真実です! どうぞご覧ください!』

隔離棟に踏み込むレポーターとカメラマン。

そのカメラが捉えた映像は…、

食堂の椅子に座る数人の老人達と、甲斐甲斐しく世話をするスタッフの姿だった。

戦慄のおぞましき恐怖の映像は、そこには全く見られない。

『ちょ、ちょっと、立志先輩! 大変です! キクミさんが味噌汁こぼしちゃいました!』

『慌てるなよ、奏。ほら、そこで歩いてるショウゾウさん、生きている頃から足が悪いから、味噌汁に滑って転んじゃったら大変だ。配膳は俺がやるから、早く拭けよ』

『す、すいません、立志先輩…』

『あいよ、ハル婆ちゃん。ご飯だよ。あ、そう言えばハル婆ちゃん、肉嫌いだったっけか。でも、水ばっか飲んでるだけじゃ元気無くなっちゃうぜ!』

『ハルさん、死んでるじゃないですか…。元気も何も…』

『むぅ。そんな事は解ってるよぉ。でもさ、介護は…』

『介護は愛情! でしょ? 知ってますよぉ、もう!』

予想の斜め上のゾンビ棟の長閑な光景を見て、レポーターとカメラマンは別の意味で愕然した。

レポーター『えーっと、私達は、違う棟に来てしまったみたいですね。ね、ねぇ? …え? ここで間違いない? いや、これって、普通の老人施設じゃないですか?』

レポーター『…は、はい。解りました。えー、カメラの調子が悪いので、本日はこれで、本日の取材は中止します。再取材は後日という事で、カメラを局に返しまーす』

「いやー、今日も一日忙しかったなぁ。帰ろうぜ、奏。」

「相変わらず慌ただしいですね。ちゃんと記録と日誌、書きました?」

などと会話をしながら、立志と奏はスタッフルームで退社の準備をする。

と、そこへ、

「こんばんは~。立志と奏さんはいるか~い?」

と、一人の男性がスタッフルームに顔を出した。

「あ、晋也先輩、どうしたんですか?」

「おう、晋也。何か用か?」

現れた男性の名は、湯上晋也(ゆがみ しんや)。立志の同期でり、奏の先輩にあたる。

晋也は自前のタブレットを二人に見せながら、

「君達二人、さっきテレビに映ってたよ。」

と、先程の取材映像を二人に見せる。

『恐怖のゾンビ棟! 戦慄の潜入取材!』

そんなテロップとともに施設内に踏み込んだレポーターが目にしたのは、ありふれた介護老人施設の日常風景だったのだが。

「ネットでもTwitterでも、騒がれっぱなしだよ。『恐怖のゾンビ棟の実態は、ただの老人ホームだったww(笑)』とか」

「ったくもう! ゾンビゾンビって。爺ちゃん婆ちゃんはゾンビじゃねえぞ! ちょっと死んでるだけじゃねぇか…。」

と言い放つ立志の言葉に、奏は、

「まぁ、それが問題なんですけどね。でも、一方的に怖さを煽るこの報道にも、問題は感じますね…。」

と、眉をひそめる。

「うん。世間の思っているものと、僕らがいる実際の現場には、大きな違いがあるのかもしれないな…。」

晋也はそう言って、タブレットをとじた。

「まぁまぁ。相変わらず晋也は難しいことばっか考えてるなぁ。」

「ほんと、頭のいい人は違いますねぇ。」

立志と奏が晋也をからかう。

「うるさいな! …しかし、嫌な予感はするよ。」

晋也の危惧は、近い将来、現実となる。

それから一ヶ月後。

事態は大きく動いた。

ゾンビの大量発生である。

今まで、この蘇り現象はN県の老健⚪︎⚪︎苑のみだった。

一地区限定の現象であり、世間はその脅威を然程強く感じてはいなかった感があった。

だが、N県を中心にしてこの現象は拡大の兆候を見せ始め、ついに他県でも老人の蘇り現象…ゾンビが発生したのだ。

しかも、内陸のN県から遠く離れた四国方面や北陸での発生もみられている。

N県から始まった、死に至る寸前の老人が生命反応を停止したまま蘇る現象。それが、遠く離れた土地でも発生した。

つまりこれは、蘇り現象が全国で発生したことを意味する。

ゾンビ・パンデミックである。

ゾンビの大量発生に伴い、対応に追われた行政は、最初の発生地⚪︎⚪︎苑での対応を参考に踏まえ、各県に所在する介護老人施設に隔離棟の併設を要請した。

結果、全国各地にある介護老人施設に隔離棟が設けられる事となったが、真に対応に追われたのは、当の施設を運営する法人管理者と、そこに勤める従業員である。

「「ゾンビの世話なんて、どうやればいいんだよ!」」

全国の働く介護職は困った。

老人の世話なら慣れている。だが、相手はゾンビだ。どうすればいいんだ?

その悩みや疑問は必然、最初に隔離棟を併設した⚪︎⚪︎苑に寄せられた。

その質問に対し、⚪︎⚪︎苑の隔離棟の最前線でゾンビの世話をしていた介護職は、こう答えたという。

「ゾンビったって、ついこの前まで施設で普通に暮らしてた人達っすよ。今までと何も変わらねぇっす。俺達はただ、困っている年寄りの手伝いをするだけっす!」

その言葉を受けた全国の介護職は、取り敢えず深く考えず、今までとほとんど変わる事なく、ゾンビ老人の介護にあたったという。

レポーター『ついに発生したゾンビ・パンデミック! 全国各地で老人のゾンビ化が進んでおります!』

レポーター『ゾンビ棟に隔離されているとは言え、ゾンビ棟内で集団で蠢くゾンビの姿は、まさにこの世の地獄を連想させる恐ろしいものです!』

レポーター『精気の無い表情で隔離棟内を目的も無く彷徨い続けるその姿は、まさしくモンスターです!』

「おーい、シゲ婆ちゃん、寝床はこっちだよ。そっちは倉庫だって。」

「立志先輩~、トミさんに面会だって~。」

「お、そういえば孫が生まれたんだっけな。トミ婆ちゃーん、孫が来たってさ~。」

「トミ婆ちゃん、面会室はこっちだよ。狭い場所で悪いね。」

「トミさんも娘さんも、喜んでますね。笑ってるのが解ります。」

「そうさ。なんたって、家族だからな。」

「やぁ。君達二人は相変わらずよく働くね。」

「あ、晋也先輩、どうしたんですか?」

「お、晋也、ちょうどいいや、忙しいから手伝えよ。」

「いやいや、僕、今、夜勤が終わったとこだぞ。無理無理。」

「入浴介助の人出が足りねぇんだ、ちょっとでいいからさ、な?」

「…仕方ないなぁ。少しだけだぞ。」

「晋也先輩、ありがとうございます!」

「…まぁ、奏さんも頑張ってるしな。」

社会が感じるゾンビの認識と、現実のゾンビ棟には、未だ大きな差があった。

蘇り現象の全国化に伴い、その研究も公的機関に本格的に委ねられる事となった。

⚪︎⚪︎苑所属の黒崎医師も収集され、また、全国から集められた研究者によって、事態の究明把握が進められた結果、この現象についての幾つかの事実が発見された。

まず、蘇り現象の発生する人間は、88歳以上のお年寄りに限定されている事である。

現段階では、若者の発生は一件も無かった。

次に、…これが未知の病だった場合だが…感染経路が不明なのだ。

映画などのフィクションの場合、『感染者に噛まれる』『血液に触れる』といったケースが多い。

だが、今回の場合はそのような事例は無く、接触も無い老人達が挙って発症しているのだ。

ちなみに、老人施設ではお年寄りの歯磨きや義歯の取り扱いの介助もしており、歯に触れる機会は多い。

だが、職員への感染のケースは全く無く、この事からも感染症の可能性は少ない事が証明されている。

三つ目に、蘇り現象の発生条件である。

条件の一つ目は、先述の通り『88歳以上』である事。

何故その年齢なのかは不明なままだが、古来より、『8』という数字は吉不吉限らず多種な意味を持つ数字とも言われており、又、人間の成長は8の歳ごとに変化が現れるとも言われている。

しかし、その事が今回の事象に関連するかは、解らない。

条件の二つ目は、身体に大きな損傷がある場合は発生しない事である。

老人の死因に多い老衰や肺炎・心不全等の疾病による死亡での蘇りの発生は多いが、事故などによって身体の損傷が酷い場合は、そのまま死亡するのだ。

他、失血が死因の場合も蘇らない。

蘇った後に事故に巻き込まれ、失血により活動を停止(=死亡)したというケースもあった。

また、老人は亡くなった際の身体能力を維持したまま蘇る。

蘇った後もADLに変化は無い、という事である(※ADL:日常生活自立度)。

意識・記憶の残存については曖昧なままだが、以前の研究から、蘇り後も生前の行動パターンをなぞるように生活している事や、家族などの顔を覚えているような仕草をする事からも、微存ながらも意識や記憶はあるのでは無いかと言われている。

四つ目に、彼らの食事問題だが…、

一般?のゾンビに言われるような『血を吸う』『腐肉を好む』『脳を食べる』といった食事への嗜好は、全く見受けられ無い。

食欲そのものが無いのかもしれないが、水だけは好んで飲用する。

これは先述の失血による活動停止と関連するのかもしれない。

つまり、彼らの身体の維持には、水分が必須、という事なのだ。

そして最後に…、

この蘇り現象の発生が全国規模で増加を続けている、という事実があった。

このままでは、失血や事故以外が死因の老人全てが蘇るかもしれないのである。

これは、一過性小規模な『病』ではないのだ。

封じ込めによる対策は意味を成さない。

そして、これからも『蘇る老人』は増えていくのだ。

その研究結果を持って、医師ら研究者達は、自分達の見解を政府に伝えた。

『彼らは死んでいるだけで、ただの老人と変わらない、人畜無害な存在である』と。

『死者であるか、生者であるかに関わらず、尊厳を持って接するべきである』と。

この発言には、当初から蘇りの研究を進め、その生活様式を観察してきた⚪︎⚪︎苑の医師の存在が大きかった。

だが、政府はこの見解に難色を示す。

ゾンビをどう扱うか、それをこの場で決めるのは早計である、と。

国として、彼らをどう扱っていくべきなのか?

その答えは、行政府に委ねられた。

ニュースキャスター『本日は、昨今話題の、増えゆくゾンビ化老人問題についてです』

ニュースキャスター『ゾンビ研究を行っていた医師団の報告により、ゾンビの急増の可能性が高まっている事が発表されました』

ニュースキャスター『その年寄りにしか発生しない事から、巷では超高齢化型ゾンビや要介護ゾンビ、はたまたシルバーゾンビなどと呼ばれております』

ニュースキャスター『事態を重く見た政府は、関連識者を集め数度の渡る有識者会議を開催し、その結果を踏まえて国会の場で、ゾンビの取り扱いを決定していく予定であります』

そんな世間の動きに疎いまま、何一つ変わる事なく、⚪︎⚪︎苑で蘇ったお年寄り達の世話をする立志、奏、晋也の若手介護士三人。

ふと、奏がケアの手を止め、立志と晋也に、

「あ、そうそう、立志先輩、私、やってみたい事があるんですが…。」

と声をかける。

「なんだ? 奏。」

少しモジモジとしながら、奏は、

「私、これでもケアマネージャー資格持っているんですよ。なので、蘇ったお年寄り皆さんの介護支援計画を作ろうと思って…。」

と、二人に提案してみた。

「ああ、そうか。死んじゃったから、ケアプランも終結しちゃったんだな。」

※ケアプラン:介護支援計画。ケアマネージャーが中心となって作成する。利用者が望む生活を送れるように、ケアの方法や連携の手段、その目標が記された計画書。介護サービス提供の証明にもなる介護保険の中核的存在とも言える。

「はい。でも、死んじゃっても、今も普通に暮らしているし、生きてた頃みたいに自分らしく暮らせる為の計画があってもいいんじゃないかって。」

そんな奏の提案に、

「いいんじゃないか! やろうぜ!」

「うん。僕も手伝うよ。」

立志も晋也も、奏の提案に賛同する。

「はい! ありがとうございます! 立志先輩と一緒にいると、私も頑張りたくなっちゃうんですよね。」

自分の提案が二人に受け入れられた事に安堵し、明るく礼を述べる奏。そんな奏に立志は、

「さすが奏だな。俺も負けられないぜ! そう、俺の介護のモットーは、」

「『どんな事になっても、どこにいても、その人らしく暮らせる事を支えるのが介護だ!』でしたっけ?」

それは、立志と奏の、いつものやり取りだった、筈だった。

だが立志は、

「…いや、奏。それは俺のモットーじゃないな。」

と、首を振る。

「え?」

立志の返事にキョトンとする奏。そんな奏に立志は告げる。

「それはきっと、奏。お前のモットーだ。」

~政府の諮問機関として設立された有識者会議の場で~

議論される内容は、

『我が国はゾンビをどう扱うか?』

である。

議論①【彼らは、死者か? 生者か?】

生物学的には、彼らは、間違いなく死んでいる。

心音と呼吸音の停止。睫毛反射・対光反射の消失・脳機能の停止。

これら医学的見地を持って、彼らは確実に死んでいると断言できる。

では、道徳論的にはどうだろうか?

意識も曖昧であり、脳死(又は不可逆的昏睡)に至る人間を生きていると認めて良いのだろうか? それら死者を際限無く無意味に生かしておく事になんの意義があるのだろうか?

又は、存在論的にはどうだろうか?

ゾンビ達が生前と同じ行動をしているという報告も確かにある。

脳死とは『自分を自分だと認識できていない状態』とも言われている。

だが、脳が生物学的に活動を停止しているという事実がある限り、彼らゾンビの脳は死んでいる。

つまり、脳が死んでいる以上、その自己認識もあり得ないと判断される。

よって、生物学的にも道徳的にも、存在的にも、彼らは死者である。

議論-②【彼らは保護の対象になり得るか?】

日本国憲法第14条『全ての国民は法の下に平等であり人権信条社会的身分又は門地により政治的経済的又は社会関係において差別されない』

又、

日本国憲法第25条『全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は全ての生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない』

とあり、その憲法から生存権は定義され、社会福祉・社会保障の各種法律は制定されている。

高齢者の為の法律『介護保険制度』も、この25条から策定された。

これら法律の根幹を成す定義が、『人権』である。

では、死者に人権はあるのか?

人権はその性格上、法律上の規定は存在しないが、死者に享受できない事は明らかであ

り、人権とは生きている人について存在するものと前提される。

又、民法上においても「人」がその権利を持つものとされ、この「人」には死者は含まないと理解されている。

つまり、『死者を保護する』理由は存在しない。

議論-③『我が国は死者をどう扱うか?』

我が国には、死者の扱いに関する法律は存在しない。

だが、それに近しい法律として、『墓地埋葬等に関する法律(通称:埋葬法)』が規定されている。埋葬法によれば、死者は葬儀を経て24時間後以後に火葬等-埋葬(習俗上の埋葬)するとある。

又、死体の放置は、習俗上の埋葬とは認められない方法で遺棄する事と同義であり、つまりこれは刑法『死体遺棄』と同義となる。

よって、速やかなる埋葬が望まれる。

これら有識者会議での議論の結果を持って、国会の場にて、ゾンビの扱いが討論された。

~国会討論~

『昨今話題となっているゾンビ化問題ですが、どう扱っていこうとお考えでしょうか?』

『え~議論を重ねた結果、ゾンビへの対処は国家的急務と認識して事態にあたる所存でございます』

『保護すべきだとの声もありますが』

『え~先日の有識者会議の場にてゾンビは【動く死体】でしかなく法的に保護する対象ではないと結論が出ております』

『動いているのなら、あれらは生きているのではないでしょうか?』

『え~その議論についても先日の有識者会議の結果から解るようにあれらは生物学的には当然に道徳的にも存在論的にも死者であると認識していく次第であります』

『では、政府としましては、あれらゾンビについて…』

『え~法的に死者を弔うのは至極当然の事でありまして、迅速に【処理】を検討する予定であります』

国会での長い議論の末。

国の結論は、

蘇った老人の存在を怪物として『処理』していく…

つまり、『ゾンビ駆逐』の方向性で収束して行く事となった。

しかしこの結論は、政府の予定調和であった。

政府は…国の為政者達は、ゾンビが出現した瞬間から、このシナリオを考えていたのだ。

国会での討論も、

事前の有識者会議での議論も、

『ゾンビ=モンスター』であり『駆逐する』という結論も、

全ては国の管理者によって導かれたストーリーだったのだ。

〜国会討論前日、内閣府にて~

「総理! 理解していらっしゃいますか? 彼ら蘇った老人らは、ゾンビは、死なないのですよ!」

「つまり、無尽蔵に老人が増えるという事です。それでは社会福祉はパンクしてしまいます。ねぇ、事務次官?」

「はい。補佐官の言う通りです。今ですら、介護保険費用などの社会保障費は増加の一途を辿っています。」

「しかし、少子高齢化が進む中、老人の数はいずれ必ず減ります。結果、老人への社会保障費は削減できる。」

「その通りです。官房長官。だからこそ、私達は今まで抜本的解決を先延ばしにしながら、一般市民と民間企業、そして地方行政に介護を押し付け、老人共の人口が減るのを待っていたのですよ。」

「うーん。仮に、ゾンビを生きた人間だと国が受け入れるには、現在の社会福祉システムの抜魂的な見直しと金銭の工面が必要となると言う事だね。」

「はい、総理。国民の税金もさらに上がります。 増税…。しかも、何の役にも立たぬ死体の為に、です。」

「今の政府に、そんな世間の風評に晒される余裕はありますか? 野党も煩いこの昨今に…。」

「仮にゾンビを保護するにしても、その法改正や経済調整に膨大な手間がかかりますね。」

「今の政府に、それらの手間を担う余裕はありません。ましてや当面の資金を得る為の膨大な金銭を工面する余力もありません。」

「…私達の退職金を減額していけば、金銭的猶予は生まれるのでは?」

「総理! 今まで私達は身勝手な国民と野党連中に悩まされ、身心ともに多大なストレスを身に受けてきました! それなのに、更に私達に身銭を切れと!」

「それではあんまりです。党員を納得させられませんよ。」

「これは、数世代前からの政府が想定していたシナリオと異なる、予想外の出来事なのです。計画を崩す事は、更なる混乱を生みます。」

「既定路線から外れない道…現状を維持し、ゾンビなどという想定外の因子を排除する方法こそが、国の為なのです!」

「…解った。災害対策基本法における防衛出動の方向で動こう。」

「ありがと うございます、総理。」

「で、…どれに判子を押せばいいのだね?」

…そして、その言葉通り、世論の反発を恐れ、より良い未来のための変革の手間を惜しみ、あぶく身銭を切る事を望まぬ国の管理者達の意思が反映された結果、

ゾンビを『怪物』として駆逐する未来が、決定づけられようとしていた。

~○○苑 スタッフルーム~

時刻は、入居者寝静まる夜間帯。

古林奏は一人、デスクに向かっていた。

机の上には、書類が散乱しており、普段の几帳面な奏からは考えられない散らかりようだった。

しかも、当の奏に動きは無く、机に向かって項垂れている。

奏は、疲れていた。

仕事にではない。

社会の動きに。そして、自身が根を詰めて行なっていた仕事が、身勝手な国の意思で水泡に帰そうとしている事に。

その時、スタッフルームに一人の男性が入ってきた。

「奏。」

部屋の中に声が響く。

奏の名を呼ぶ声の主は、立志である。

「…なんですか。先輩。」

奏が返事を返す。

しかし、その声には普段勝気な奏らしさは無く、声をかけた立志を振り返る事もない。

相変わらず机に向かって項垂れたままである。

奏の机の上から皺くちゃの書類が一枚、ヒラリと床に落ちた。

立志はその書類を拾い上げ内容に目を通す。

その書類は、奏が作ったケアプランだった。

奏の几帳面さを表すように、詳細な介護支援計画がびっしりと書き込まれている。

『歳をとって死んじゃった後でも、その人達が少しでも幸せに暮らせますように』

そんな奏の意思が込められたケアプラン。

それが数十人分。

これを作るのに、奏は徹夜までしていた。

「ケアプラン、やらないのか?」

立志が奏に声をかける。

「苦労して作ったんだろ? 残業して。徹夜までして。」

「…もう、やめます…。」

か細い声で、奏が返事をする。

「なんでだよ? 奏…。」

「もう、作りません。やりません…。」

「なんでだよ! 奏は、蘇った爺ちゃん婆ちゃんが幸せに暮らせるようにしたかったんじゃなかったのか? その為に、頑張ってきたんじゃないのか?」

「…だって、もう全部、無駄じゃないですか…。」

と呟いた。

「え?」

「…先輩だって、ニュースぐらい、見るでしょ?」

「あ、あぁ。」

「なら、知ってるでしょ? 私達の頑張りなんて、全部無駄だって事…。」

「…。」

奏の言葉に、今度は立志が黙る。

「政府は、蘇ったお年寄りを『処理』する事にした、って。」

「…。」

「処理って、どういう事か解りますか? 死者として、もう一度死なす…つまり、殺すって事ですよ!」

「…。」

「私達がお世話をしてきたあの人達は、生きている時と何も変わらない。なのに、なのに…。」

奏の声は次第に興奮を帯び…、

「私は、嫌です! …嫌です…。」

次第に、涙声になる。

「嫌、です…。」

最後には小さな呟きとなり、再び奏は、机に力無く倒れ込む。

奏は、絶望していた。社会に。世界に。

「なんで、こんなことになっちゃたんですか…。」

その奏の呟くに、立志は、

…、

……、

懐から拳銃を取り出した立志は、銃口を奏の頭に向ける。

引鉄を引けば、奏の頭は吹き飛ぶ。

「立志先輩。私、死にたくない。でも、生きたくもない。だって、この世界で生きている意味も希望も、何も見えないから…。」

自ら死を選ぶ事が、この希望無き世界での奏の唯一つの希望だった。

だから、立志は、引鉄を引いた。

銃口から放たれた弾丸は、死という形で奏の願いを叶えた。

しかし、弾丸が放たれる瞬間、奏の口が動き、何かを呟く。

死の間際、奏から放たれた最後の言葉は、

「嫌…。」

死にたくはない。でも、死ぬしかない。もう、解らない。

奏の最後の言葉の意味を理解した瞬間。

奏の頭は、吹き飛んでいた。

飛び散る脳漿の中で、佇む立志。

それは、立志の脳裏に浮かんだ、惨劇の記憶だった。

……、

…、

「うわーーーーー!!」

立志が突然叫び、頭を抱えて蹲る。

「せ、先輩! どうしたんですか! いきなり叫んで…。」

立志の声に驚いた奏は机から身を起こし、立志に駆け寄る。

「先輩! 大丈夫ですか! どうしちゃったんですか?」

「…う、うぅ…。」

「ちょっと、先輩…、起きてくださいよ!」

床に蹲りながら、身体を震わせる立志。

「先輩、嫌ですよ、起きて下さい!」

その時。立志の震えが止まった。

そして、

「…そうだ。嫌だよな。」

立ち上がった立志は、呟く。

「え? 先輩?」

「俺は、もう二度と、奏。お前を撃ち殺したくない。」

「せ、先輩? 何を言ってるんですか? え? うちころす? なんの話ですか?」

突然の立志の言葉に奏は戸惑う。

「止めなきゃ、いけないんだ。」

「え? 止める? 何をですか?」

困惑を深める奏。

「…惨劇の、未来を。」

「未来? 惨劇? 何を言ってるんですか…?」

戸惑う奏に構う事なく、立志は熱に浮かされたかのように言葉を続ける。

「そうだ。ここで止めなきゃ、いけないんだ。もし、今いる蘇ったじいちゃんばあちゃんがいなくなったって、これからも蘇るじいちゃんばあちゃんは増えていくんだ。その度に、…殺していくのか? じゃあ、次はなんだ? 次が、蘇りそうなじいちゃんばあちゃんを殺すのか? それが終わったら、次はどうする? じいちゃんばあちゃんが全部いなくなったら、次はどうする? 人間は誰だって、じいちゃんばあちゃんになるんだぞ。それも全部、殺すのか? そんなクソッタレな未来は、俺は絶対に、嫌だ!」

それは、いつか見た立志の記憶。

今とは異なる未来の、惨劇の記憶。

「ど、どうしたんですか? 一体何を言ってるんですか?」

奏が、立志の肩を揺する。

「何よりも…奏。」

「はい?」

「俺は、お前を、助けたい。」

「は、はい?」

「俺は、あんなクソッタレな未来は認めない! 絶対にさせない。もう、奏を撃ち殺すのは、絶対に、絶対に、嫌だ!」

それは、立志以外には意味の解らない言葉だった。

立志は、思い出したのだ。

過去の、未来の出来事を。次元を超えた前世の記憶を。

…それは、この世界に起きた、「二つ目の」奇跡だった。

しかし、立志以外の人物が、この記憶の意味を理解する事は、今は難しい。

当然の如く、目の前の奏は当惑する。

「え、っと。私が、死んじゃう? 何を言ってるんですか、先輩?」

「えっと、うん、そうだな…。解説すると、うん、奏。お前、近々、死んじゃうんだ。」

「は?」

「お前だけじゃない。世界中の人が死んじゃうんだよ。」

「それって、人類の破滅じゃないですか!」

「で、俺は、それを止めたいんだ。」

「は、あぁ。そうなんですか。」

なるべく努めて冷静に解説しようと試みる立志だが、残念なのはその言語力である。

「先輩、きっと、私を励ます為に冗談を言ってるんですね。私はもう大丈夫ですよ。先輩見てたら、元気になりましたから。」

「あ、あぁ、そうか。良かったな。」

これでは立志がまるで変人である。

しかし、奏が元気を取り戻したのだから、取り敢えず良しとしよう。

施設の駐車場で奏を見送った後、立志は一人、夜風に吹かれていた。

先程までは、甦った記憶の奔流に流され、熱に浮かされたようになっていたが、冷たい風に充てられて、だいぶ冷静さを取り戻した。

しかし、冷静になった事で、逆に記憶の深い部分までを思い出した立志は、途方に暮れていた。

蘇り現象に端を発した一連の出来事は、政府を、国を、社会を追い詰め、「国民総自殺の推奨」を発令させ、人間の尊厳の維持を理由に、全ての国民に拳銃が配られ、親族を、隣人を、殺し合わせた。

社会全てが狂っていた。

しかし、あの時は、その選択しか選べなかった。

全ての状況が、あの惨劇の未来を導いていた。

そして今も、その時の出来事をなぞるように事態は刻一刻と進んでいる。

この流れの中で、俺に何ができる?

政治家でもなく、金持ちでもなく、権力もない、ただの一介の介護職である俺に、何ができる?

どうすれば、惨劇の未来を回避し、奏を…、

いや、奏だけじゃない、罪なきお年寄りを、救えるのか?

「どうすりゃいいのか…。解らねえよ。」

立志が嘆く。

その時である。

「どうしたね、若いの?」

誰もいないと思っていた駐車場に突然、年老いた男性の声が響く。

「うわ、びっくりした!」

駐車場の横の草むらから、一人の老人が姿を現した。

「何かお悩みかね、若いの。」

立志はその老人に見覚えがあった。

「じいちゃん、あんた、確か、前に施設に入所していたよな。で、他の施設に移った…、」

その老人は、以前に人里離れた山奥で保護され、身寄りもなく措置対応でここ○○苑に入所した、あの名も無き老人だった。

「いやー、じいちゃん、久しぶり! 退所したのかい? 元気だったかい?」

「儂は元気じゃが、見た所、若いの、お前さんの方が元気じゃないようだがのぉ。」

「あ~、そうなんだよ、ちょっと、悩んでてな。」

屈託のない立志。

「ほうほう、そうかい。ならば、この年寄りに相談してみんかい? 伊達に歳は食ってないぞ。」

飄々としながら会話を続ける老人。

「けど、きっと、信じないぜ? もし誰かに話せば、爺さんの頭が疑われるぜ?」

「心配は無用じゃ。認知症だからの。直ぐに忘れる。」

「そうか。なら安心だ。」

(注※自分で自分を認知症だという人間の大半は、認知症ではありません)

「実は、最近、死んだ年寄りが蘇るんだ。」

「ふむふむ。」

「で、政府はそれを危険視して、ゾンビや化け物みたいに扱ってさ。」

「ほうほう。」

「近いうちに、蘇った年寄りは全員、殺されちゃうんだよ。」

「なるほど。」

「で、そのうちに、若い人も蘇るようになってさ、」

「うむうむ。」

「だったら皆んなで自殺しようぜ、みたいな事態になるんだよ。」

「ほー。」

「で、俺はそれをなんとかしたいわけだ。」

「ははぁ~。」

「でも、俺なんかに何ができるかな…、って、悩んでたんだ。」

駐車場に冷たい風が吹く。

「それは、大変じゃな。」

「お、解ってくれるのかい、じいちゃん! 何か、いい案はあるかな…。」

老人は、しばし顎に手をやり、考える。

そして、口を開いた。

「『社会を、変える』のだ。」

「は?」

老人の持つ雰囲気が、変わった。

飄々とした老人から、

凛とした、存在に。

空気が、張り詰める。

「過去、社会は幾度となく形を変えてきた。

獣から人となり、道具を手にして文明を築き、

幾多の幸福と、その何倍にもなる不幸の時代を乗り越え、

社会は、世界は、その都度、想像し直された。

そして今。世界は新たな岐路に立たされている。新たな変革の時代を迎える。新たな進化を受け入れねばならない。

社会は、変わる。かならず、変わる。それが幸福か不幸か、今はまだ解らない。

しかし、その時、お前さんは、どうする?

嫌でも社会は変わる。

しかし、何も為さずに惨劇の未来を選ぶのか、最善の未来に向けて自ら動くのか。

決めるのは、お前さん自身だ。」

「…。」

「そして、すでにお前さんは『変わった』。お前さんが変わった結果、周囲の者達も少しずつ、変わりつつある。社会は、変わりつつある。」

「…社会を、変える…。」

立志は老人の言葉を、心の中で繰り返す。そして、

「じいちゃん。」

「なんだね、若いの。」

「あんた、何者だ?」

「知ってるじゃろ。ちょっと長生きし過ぎた、ただの惚けた年寄りじゃ。」

「違うよな? 別の名が、あるんじゃないか?」

「そうじゃの…。敢えて言うなら、…『奇跡を起こす者』かの…。」

「それって、カミさま…、」

その時、一際強い風が吹き、立志は目を瞑る。

そして再び目を開けた立志の視界の先、

老人の姿は、消えていた。

「ありがとう。じいちゃん。」

誰もいない駐車場の真ん中で、

虚空に向かって呟く立志。

…立志の決意は、固まった。

~次の日。○○苑にて~

「作戦会議を開こう! 人類滅亡を防ぐんだ! 晋也!奏! 協力してくれ!」

会議室に集まる晋也と奏の二人の前で、立志が宣言する。

「おいおい、いきなり何を言ってるんだ、立志は?」

突然の立志の宣言に、呆れる晋也。そんな晋也に構うことなく、

「おう、晋也。このままだと、人類が滅んじまう。だから、何とかしようと思うんだ。」

と話を続ける。

「あぁ、そうなんだ~。で、どうしたんだ、立志は。働きすぎておかしくなったか?」

晋也は、可哀想な人を見る視線を立志に送りながら、隣の奏に訊ねる。

「はい…。先輩、昨夜からちょっと変なんですよ。普段にも増して…。」

「おい、奏! 俺を変人扱いするなよ。誰の為にやってると思ってるんだ! …まぁいいや。話を続けるぞ。」

「あ、あぁ。で、なにがしたいんだ?」

「もうすぐ蘇ったじいちゃんばあちゃんが、国に殺されちまう。」

「ああ。もうすぐ特別法案が可決してしまうな。結果、お年寄りは『処理』されてしまう…。」

「処理…。それって蘇った人達を『もう一度死なす』ってことですよね…。晋也先輩…。」

「うん。奏ちゃん。そう言う内容の法案だって聞いてるよ。」

「で、俺はその『処理』を、やめさせたい。」

「まぁ、俺も介護職だし、思うところはあるけど…。」

「やめさせないと、人類が滅ぶ。」

「なんで、そこまで話が飛躍するんだ?」

当然の疑問を晋也が口にする。

「思い出したんだ。」

「? 何をだ?」

「俺の中に、人類が滅ぶ記憶がある。それを思い出したんだ。」

「は?」

「今の世界は、その滅んだ世界と同じ道を辿っている。だから、俺はそれを止めたい。」

困惑する晋也とは裏腹に、立志の目は真剣だった。

「冗談を言って…いるってだけじゃなさそうだな。めずらしく立志が真剣だ。」

「そうなんですよ、晋也先輩。昨夜も、言ってる事は変なんですが、凄く真面目なんです。」

「まぁ、立志が言う夢? 前世? の記憶とかでは、いったいどういう事態になって、人類が滅ぶんだ?」

「ああ。俺もやっとしっかり細かい所まで思い出せた。聞いてくれ。」

立志は二人に、今、社会に生じている事態と、これから起こり得る変化を伝える。

「まず、俺達が勤める老人施設で、最初の蘇り現象が起きた。それが全ての始まりだった…」

全国各地で同様の蘇り現象が次々に発生した。

対処に困惑した行政は、混乱したまま、安易に蘇った人達を化け物…「ゾンビ」として扱い始めた。

そして、ゾンビを『国家に対する外敵』として捉えた政府は、災害対策基本法を基にした緊急特別法案を制定させ防衛出動を自衛隊に要請した。

新たに成立した法案は『ゾンビ駆逐特別法案』と呼ばれ、速やかな化け物の駆除を目的とした部隊…通称『再殺隊』は大きな権限を持った。

ゾンビの弱点は解明されていた。身体に大きな損傷を与える事。

再殺隊は、その方法を効率的に、迅速に遂行していった。

隔離施設の焼却。脱出したゾンビを撃ち殺す。容赦なく。

その殺戮行為に、多くの人間が巻き込まれた。

しかし、政府の政策を支持するマスコミは、化け物の駆除を目的とした再殺隊を英雄として盛り上げ、名実ともに巨大な権力と影響力を手にした再殺隊を止める術はなかった。

化け物を破壊する再殺隊の行いは、正義だった。

再殺隊は次に、街に匿われていたゾンビを殺して回った。ゾンビ狩りだ。

次に再殺隊は、これからゾンビ化すると推測される老人を始末して回った。

そして、社会から老人は消え去った。全ての年寄りは、滅んだ。

だが、事態はそれで終わらなかった。

かつては老人しか発症しなかった蘇り現象が、若者にも発生したのだ。

「全てのゾンビは滅ぶべき」。その流れを止める事は誰にもできなかった。

自分が化け物だと、化け物になるのだと、誰も認められなかった。

殺戮は、続く。老若問わず。

社会は既に幾人もの年寄りを犠牲にしたのだ。もう、後には引けない。間違いを受け入れられない。

そして、政府は、人は、社会は、化け物になる前に、人として尊厳を持ったまま、人類のまま、滅ぶ事を選んだ…。

立志の長い説明が、終わった。

「だいたい、こんな流れだ。俺はこれを止めたい。」

「…。」「…。」

立志らしくない整然とした説明、そして、これから起こり得る展開に、晋也と奏は言葉を失う。

暫しの沈黙の後、晋也が口を開いた。

「話は理解できた。よくできた話だよ。筋も通っている。…例え全てお前の作り話だとしても、な。」

「ちょ、晋也先輩! 言い方が…、」

「けれど、立志が本気だってのはよく解った。俺はお前を信じるよ。」

「ありがとう、晋也。」

「しかし、その話が本当だとして、その上で、どうやって世界を救うんだ?」

晋也は、立志を信じた。

「ああ。まずは、再殺隊の設立に繋がる特別法案を、止めたい。」

「で、どうやって?」

晋也の詰問は厳しい。

晋也は立志を信じた。だからこそ、晋也は、その先を厳しく求める。

「…その方法を、一緒に考えてくれ。頼む。」

「うーん、そうだな…。政府の政策に反対する手段があるとすれば…。」

晋也は腕を組んで考える。

「…例えば、テロ、とか…。」

「いやいや、晋也先輩! 何を言ってるんですか? 政府の政策に反対だからって、テロを起こす事はないでしょう!」

「解ってるよ、奏さん。今、奏さんが反対し通り暴力的手段に訴える行為は、社会が認めない。」

「じゃあ、どうする?」

「うーん、いわゆる社会活動…ロビー活動やデモ運動を組織するなんて手段もあるけど…。」

「先輩、ロビー活動って何ですか?」

「簡単に言えば、権力のある政治家に直談判する手段だな。しかし、当然、俺達にはコネなんてないから、無理だ。」

「じゃあ、デモを組織するのは…、」

「SEALDsの例が解りやすいが…。これも現段階では組織力が無いから無理だな…。」

立志がやろうとしている事は、簡単ではない。

しかしその時、立志の脳裏に、昨夜の老人の言葉が浮かんだ。

「社会を変える…。」

「どうした? 立志?」

「なあ、晋也。過去、人類社会は何度も変化してきたんだよな?」

「あ? あぁ。」

「社会が変わる時って、どんなきっかけで変わってきたんだ?」

「そうだな…。例えば有名なのは、フランスのルネサンスだな。」

「ルネサンス?」

「ルネサンスのきっかけは、ある二つの発明だった。火薬と、印刷技術だ。」

「火薬はなんとなく解るが、印刷技術ってのも凄い発明だったんだ…。」

「うん。まず火薬の開発だが、火薬は文明が持つ技術に大きな進歩を齎した。発掘、建築、移動手段。そして、戦争…。

火薬の開発は人類に銃と大砲を齎し、それは、剣を持たず戦闘の訓練も受けてこなかった農民が、騎士や貴族を倒せる…つまり、身分制の常識を覆す事態を齎した。

それまでの世界観は崩れ去り、世界規模での下克上現象を齎した。」

「…幾多の幸福と、その何倍にもなる不幸の歴史ってやつか…。」

「なかなか洒落た言い方をするなぁ。誰の受け売りだ?」

「カミサマ、かな。」

「何言ってるんだ? まぁいい。で、印刷技術だが…。こちらの方は、社会に思想的な進化を齎した。」

「思想的な?」

「ああ。例えば、宗教。そして、聖書。

それまでは、聖書の内容や解釈は、人を通じてしか行えなかった。布教者からの言葉としてしか、民間に伝わらなかった。

しかし、文字による聖書の内容の伝達は、自由な解釈や多様な読み方の推進を齎した。

聖書の解釈の自由化とは、人間の思想の自由の幕開けと同義だったんだ。

まぁ、その結果、キリスト教の分裂、宗教間の争いへ発展したんだがな。」

「新たな技術を手にした時、社会は変わる…。」

「その通り。 つまり、技術とは、それを使う発想と社会基盤によって、世界を革新しうるんだ。そして、いったん技術が回り始めると、技術を手にした者の発想を変え、文化と思想を改め、社会を変えていく。」

「じゃあ、現代の社会で、その…社会を変えうる発明があったとしたら?」

「それは勿論、これだろ?」

晋也は鞄に手を入れ、タブレットを取り出す。

「パソコン?」

「それも凄い発明だが、なによりも素晴らしいのは、インターネットだろうな。」

「インターネットかぁ。確かに便利だけど…。それほど凄い発明なのか?」

「ああ。印刷技術が思想の自由化を生み出したのなら、インターネット…高度情報通信は思想の共有化を想像したんだ。」

「共有化?」

「インターネットは、情報の送受信の道具として、昨今飛躍的に普及した。その結果、誰もが平等に自分の意思を自由に表現でき、誰もがその思想を閲覧し対話できる。つまり、他者間における思想の共有化ができる社会になった、ということだ。」

「なるほど。ということは…」

「ああ。『不特定多数の他者に思想を訴える』という手段において、インターネットに勝るものはない。」

「それだ! 」

晋也の説明に、立志がガッツポーズをする。

「うちの施設の様子をネットで伝えよう!

生き返ったじいちゃんばあちゃんは、死ぬ前と全然変わんないって事をさ!」

立志の意見を聞いた奏も、

「いいですね! 施設での様子を伝えれば、蘇ったお年寄りが危険な存在じゃないって事をアピールできるかも…。」

と同意する。

「ああ。それで、じいちゃんばあちゃんたちを殺す新しい法案が間違っているって事を社会に解らせるんだ!」

立志は自身のアイデアに浮かれる。しかし、晋也は浮かない顔だった。

「インターネットの活用については、俺は反対だ。」

「なんでだよ、晋也?」

立志の案を反対する晋也。

「ネットの世界では『責任』が軽視され過ぎる。」

「責任?」

「ああ。まず第一に、施設の中の様子をネットで流すのは、お年寄り達のプライバシーの問題がある。」

「そうですね…。倫理的に良くないかもしれないですね。」

「俺は、自分が発信した情報には責任を持ちたい。前に俺が見せたマスコミの映像みたいな、自分勝手で下劣な行為はしたくない。」

「確かに、私もあの報道には腹が立ちました。でも、立志先輩がやろうとしている事は、正しい事ですよ?」

「それを決めるのは、社会だ。俺達が正しいかを判断するのは、世間であり、社会だ。それが、社会を変えるって事だ。」

晋也は奏にはっきりと伝える。

「晋也先輩…。」

「なるほどな、晋也。慎重に進めなきゃいけないって事か。」

「その通りだ、立志。その上で、もう一つの問題だが…」

「ああ。」

「ただインターネットで『社会は間違っている!』と発信するのでは、無責任だ。」

「無責任、ですか。」

「インターネットは、確かに万能なコミュニケーションツールだ。優れた拡散力と自由性に優れる。しかし反面、匿名性が強い。」

「匿名性?」

「うん。インターネットでは情報の発信者は特定されない。どこの誰がどんな発言をしようとも自由だ。しかし、その特性は、発言した言葉やメッセージに対する責任感の欠如を生んだ。責任感無く『誰々が間違っている!』などと叫ぶのは、社会に参加していない子供でも出来る。」

「でも、立志先輩はそんな無責任な人じゃないですよ! 」

「奏さん。さっきも言ったが、それを決めるのは、社会だ。」

「解ったよ、晋也。ただ『間違っている』と叫ぶだけではダメなんだな。」

「ああ。俺達が行おうとしている『社会を変える』行為は、今の社会の流れを否定し、新たな社会を想像する事だ。それはすなわち、今の社会を『壊し創り直す』行為と同義なんだ。それはつまり、壊した時に生じるデメリットにも目を向け、デメリットから発生する事態にも対応しなければならない。」

「今を壊すなら、その責任をとるべきだ、って事か…。」

「その通りだ。今の社会…年寄りが処理される現実を破壊するなら、その先にあるべき、より良い未来を保障できなければ、社会は決して認めない。」

「その為には、お年寄りが『処理』されない社会になった時の、デメリットを考えろ、って事ですか?」

「そうだな。例を挙げるなら…、今後、死なないお年寄りが増加した時、その保護には莫大な経費がかかるだろう。結果、国の社会保障制度は崩壊する。その結果、迫害されるのは、蘇ったお年寄り達だ。それでは意味がない。」

「そんな…。」

「倫理感の問題もある。例えばだが、奏さん。君が死んだとする。」

「え?」

「おいおい、晋也。」

「まぁ聞けって。立志。」

「…続けて下さい。」

「うん。で、その時、君なら、どう思う?」

「どう思う、ですか…?」

「ああ。今、俺たちは蘇った人を処理させないように活動しようとしている。そして、保護が推進されたとする。それは考え方を変えれば、蘇った人間を周囲の人間の意思で存命させ続けている状態だ。」

「はい…。」

「では、保護された君本人は、どう思っているのだろうか? 」

「え?」

「蘇った人間は喋れない。自身の意思を表示できない。もしかしたら、そのまま死にたいと思っているのかもしれない。…人として尊厳を持ったまま、怪物にならないままで。」

「怪物として生きたいか、それとも人として死にたいか…。」

「…それじゃあ、俺が見た未来の姿と同じだ。結局そうなっちまうのか…。」

社会を変える。その選択肢の先に待つ問題は、簡単には解決しない。晋也の洞察で、立志はその壁の厚さを感じた。

考え込む立志と晋也、奏の三人。

会議室に沈黙が流れる…。

その時、奏が一言、小さく呟いた。

「私が、生き返ったら、私は、どうするか…。」

会議室の中、無言の三人。

その静寂を俯き考えんでいた奏が顔を挙げる。

「ねぇ、立志先輩。」

「どうした、奏?」

「先輩の見た未来では、私はどうやって死んだんですか?」

意を決したように、奏が立志に問う。

「先輩、言ってましたよね? 『俺が殺した』って。」

「…あの時は記憶が戻って興奮してたんだ。今は、あまり言いたくない。」

「もっと詳しく教えて下さい、先輩。」

「前にも言ったろ? 俺が、撃ち殺したんだ…。

俺は、銃口を奏の頭に向けて、引き金を引いた。

その時、奏は言っていたよ。

私は死にたくない。でも生きたくもない。

この世界で生きている意味も希望も何も見えないから…。

そう言っていた。

あの時は奏にとっては、自ら死を選ぶ事が、この希望無き世界での奏の唯一つの希望だったんだろう。

だから、俺は、引鉄を引いた。

でも最後に奏は言った。

嫌…、と。

死にたくはない。でも、死ぬしかない。もう、解らない。

それが、俺が殺した奏が最後に感じた事なんだろう。

信じられないよな。でも、あれは俺にとっての真実なんだ。奏…、」

「先輩?」

「あの時は、すまなかった。

ただ撃ち殺すことしかできなくて、

命を奪う事でしか、奏を救う方法が思いつかなくて、

でも、その方法も間違えていて、

本当に、すまなかった…。」

立志は奏に向かって頭を下げる。

唇を噛み締め床を見つめる立志の姿を見た時。

「命…。」

奏の脳裏に奔るものがあった。

それは、奏の頭に銃口を向けながら、涙を浮かべ唇を噛みしめる、立志の姿。

「立志先輩。頭を上げてください。あれは、私が願った事なんです。先輩が悪いんじゃありません!」

「奏?」

「私、思い出しました。先輩が苦しんでいた姿を…。」

「奏…思い出したのか? あの未来の記憶を!」

「はい。ほんの僅かですが、思い出したんです。見た事ないはずの光景が、記憶のずっと奥にあるんです。だから、私は、立志先輩を、信じます!」

「ありがとう、奏。信じてくれて…。」

「でも私は、晋也先輩みたいな知識もないし、立志先輩のように未来の記憶をはっきり覚えているわけじゃありません…。普通の人間です。

けど、自分自身の事なら分析できる。

立志先輩が話してくれた、未来の私が感じた事は分析できる。

それで、私、思ったんです。

未来の私が最後に言っていた事…、

『死にたくない。でも生きたくもない。

この世界で生きている意味も希望も何も見えない』

あの言葉は、感情は、あの世界で私だけが感じていた事じゃないと思うんです。

亡くなれば怪物となり、生きていても殺される。

確かにあの世界には絶望しかなかった。

なぜ、絶望しかないのか?

死ぬか怪物になるか。その二択しか示せない社会になっていたからです!

それじゃあ、命の扱い方が余りにも軽視され過ぎです。

先輩。『命』って、なんなんでしょう?

「命?」

「はい。今、社会に発生しているこの蘇り現象を通じて、世界に求められるべき議論は、

ゾンビの発生をどうするか、ではなくて、

命の扱い方を…『命の価値』を問われている、

のではないでしょうか?』

命の価値。それは、以前に立志が例の老人から聞いた言葉だった。

「つまり、奏さんは、今起きている事態を、病や一時期の現象ではなく…、」

「…進化。人の進化だと言いたいんだな?」

「はい。私はそう思います。そして、立志先輩や私の記憶にある世界では…、」

「進化に、社会が対応出来なかった、と。」

「そうです。だから、今、社会に問われている事は…」

「命の価値を見直した社会の構築、か。」

「はい。私は、この先の未来で、私みたいな悲しみを抱いて死んだ人がたくさんいるのなら、それを止めたい。」

それは、奏の決意の言葉だった。

奏と同じ悲しみ苦しみを減らす…。

奏の決意を受けた立志は、思考を巡らす。そして…、

「そうだ! 奏。それだよ!」

「どうした、立志?」

「俺、解ったよ。俺たちが目指す社会の姿が、やっと解った!

この現象が、全ての人間に遍く発生するなら、人は必ず自分に問うはずだ。

『死んだ後も、生きていたいか』と。

『自分だったら、どうすればいいのか?』と。

俺が見た未来には、選択肢が無かった。

一方的に殺されるか、絶望に打ちひしがれて死を選ぶしかなかった。

その未来には絶望しかない。

けれど、命の終わりを、人生の最後の姿を、自分自身が選べる社会だったら、どうだ?

命の終わらせ方を、自分で選べる社会。

一方的に殺されるのでは無く、

絶望に打ちひしがれて死を選ぶのでも無く、

命の最後の輝き方を、自分自身が選択できる社会。

それが、俺たちの目指す社会の姿だ!」

立志は、拳を掲げる。その姿を見た晋也も、満足気に頷いた。

その時である。

ガシャン!

突然、深夜の会議室の扉が開き、一人の男性が部屋の中に入ってきた。

「話は聞かせてもらったよ。私に手伝える事はないだろうか?」

その影の主…黒崎一(はじめ)医師は、三人に言った。

「く、黒崎先生!」

突然の闖入者の姿に驚く奏。ケアマネジャーを兼務する奏は、他の二人よりも黒崎医師との面識があった。

「こ、こんな深夜に、ど、どうされたんですか!」

「君達三人こそ、どうしたんだい?…と言いたいところだが、君達の話は廊下でずっと聞いていた。随分と不穏な話をしていたね。」

ギョッとする三人。

「い、いえ、先生。そんな事は…、」

黒崎医師は現在、政府の研究機関に協力をしている人物だ。

言わば、立志達が行おうとしてる事の、…敵になり得るかもしれない相手であり、三人が慌てるのは当然だった。

しかし、黒崎医師は緊張と警戒を見せる三人に言う。

「おいおい、そんなに警戒しないでくれ。僕は敵じゃない。」

「…どういう事ですか?」

訝しむ晋也。

「君達は、例の緊急特別法案に反対なのだろう?」

「…そうですが、僕らは…、」

「みなまで言わずとも、君達の話し合いはずっと聞いていたから解っている。君らは、あの蘇った老人達を救いたいのだね?」

「…はい。」

「そこでだ。…君達にお願いがある。僕にも、その活動を手伝わせてくれないか?」

「…はい…って、え?」

反対されると思っていた奏は驚きの声を挙げる。

協力を申し出た黒崎医師は、三人に語る。

「少しだけ、私の話を聞いてくれ。」

今でこそ、蘇り現象の第一人者として国に協力しているが、以前の僕はプライドの凝り固まった鼻持ちならない人間で、先輩にあたる医師団とも折り合いが悪く、君達には悪いが老人施設の専属医師などという閑職に追いやられ、腐っていた。

充足されないプライドが、自分の中に歪んだ自尊心を作っていった。

そんなある時、僕はあの…人類初の蘇り現象に遭遇した。

最初は、誤診だと思った。自分にミスがあったなど、認めたくなかった。

僕の歪んだ自尊心は、自分のプライドを優先して、医師として一人の人間の命が救われたことを素直に喜べなかった。

しかし、その時だ。

あの場にいた立志くんの奏くんが、救われた命を素直に喜ぶ姿を見た時。

私は、自分の間違いに気付いた。

今思えば、あれが僕の医師人生の、分かれ道だったのかもしれない。

歪んだ自尊心ではなく、

医師としてのプライドを、価値観を取り戻せたんだ。

君達二人には感謝している。

「だから、僕は君達に協力したい。君達を信じたい。」

「ありがとうございます。黒崎先生。私達を信じてくれて…。」

「ははは。これでも蘇り現象研究の第一線にいるんだ。ありえない現象を幾度と無く目にしてきた。今なら神様の存在だって信じるさ。それに…。」

「それに?」

「君達が目にしたであろう、蘇り現象の研究結果は、僕が提出したものではない。政府は、私の提出文書を意図的に曲解している。ゾンビ…蘇った人間が危険な存在だと意図的に印象付けようとしている。」

「そうなんですか…。」

「それに、蘇った老人を安全視する見解を言わせないでいようとする政府の圧力も感じている、つまり、私自身も自由な発言を塞がれている状況なんだ…。

それが私は許せない。これは、私の戦いでもあるんだよ。」

「よし! 心強い味方が加わった所で、作戦会議を再開しよう!」

「立志先輩はマイペースですねぇ。まぁ、それでこそ先輩ですが。」

「で、どうする?」

「やはり、施設内の蘇った人達の姿を世間に見せる事が有効ですかね。」

「うん、共通認識を作る為の基盤としては有効な手段だろうな。でも…。」

「施設に入所しているお年寄りの姿を勝手に映像化するのは倫理的にまずいよな。」

「…その案だか、他にも問題はあるよね。」

「他の問題? なんですか、先生。」

「君達三人の処遇だ。」

そう、小さな始まりとはいえ、これは反社会的な行動なのだ。

立志、奏、晋也の三人の社会的な立場は危うくなる。

「会社はクビになるかもしれない、ですよね…。」

「そこでだ。君達三人を僕に守らせてくれないか?」

幸い、立志達三人は、社会で最初の隔離棟に配属された介護職員だ。

黒崎医師は、三人の立場を、施設の介護職員としてだけで無く、医師直属の研究機関の一員として登録する事で、三人の立場を守りたいと提言した。

それは三人にとっても願ってもいない申し出だった。

「大人は頑張る若者を支えるのが努めだからね。」

黒崎医師は言う。

さらに、映像化にあたっての倫理的な課題にも光明が見え始めた。

一般に、映像化して世間に放映すると言う行為は、関係者の同意が必要になる。そうでなければ、その映像は『無責任』なものとなる。

本来ならば、当事者である蘇った老人達の意思を確認することが望ましいが、現在は蘇った老人の意思の存在は確立されておらず、同意は難しい。

しかし、この蘇り現象の『当事者』は、蘇った老人本人だけではない。

その家族も、当事者なのだ。

このままでは、家族が再び政府に殺される。それでいいのか?

それを、家族に説いていく。そして、その反対のための行動への協力(映像化)を申し出る。

まさに正攻法であり、社会活動への理解者を増やす活動である。

こうして、立志ら三人の若者と未来を信じる医師四人の戦いは、始まった。

「上手くいきますかね…。」

作戦会議の後、晋也は黒崎医師に尋ねた。

「どうだろうな…。今はこの手段が最良だと思うが…。問題は、”時間”だろうな…。」

「そう、ですよね…。」

黒崎医師の言葉に、晋也は暗い顔で頷く。

施設の生活の様子を映像化する為の関係者の、家族の説得、そして施設への説得は、黒崎医師が行ってくれた。

中には、訝しむ家族もいたという。

それは蘇り現象に対する社会の認識が一枚岩ではない事を痛いほど感じさせたが、大半の家族は映像化に同意してくれた。

医師と介護士職員の、日頃の熱心なケアが、家族の信用に結びついたのだ。

映像を社会に放送するにあたり、マスコミは信用できない。

過去の映像を省みるに、大半のマスコミは、蘇った老人を『ゾンビ=怪物』として報道する。

利益を背景とした政府との密約があるのかもしれない。

マスコミの影響力は巨大だが、頼るわけにはいかない。どう曲解されるか知れないからだ。

ネット上にある動画共有サイトを利用するしかなかった。

インターネット上の動画共有サイトで、⚪︎⚪︎苑・隔離棟の映像が流された。

蘇ったお年寄りの日常の様子が映像の中に映る。

のんびりと日向ぼっこをするお年寄り。

面会に来た家族と穏やかに過ごすお年寄り。

介護職員と一緒に静かに散歩に興ずるお年寄り。

その映像は、普通の高齢者施設の様子と何ら変わりはなかった。

隔離棟だと説明がなければ、蘇ったお年寄りが生活を営む施設とはわからない程、危険な様子などまるで感じさせなかった。

映像と共に、蘇ったお年寄りに危険はなく、政府の新法案は間違っている事を示すテロップが流される。

しかし、肝心の社会の反応はと言うと…、

動画共有サイトへのコメントや、掲載したメールへの反応はいくつかあった。

そのほとんどは介護職や看護師などの同業者からの友好的な内容であった。

しかし、その数は少なく、社会全体が反応を示しているかと言うと、決してそうではない。

社会の大半は、立志達の活動に無関心なままである。

「どうしてだよ! なんで皆んな、そんなに関心が無いんだよ!」

興奮した立志が晋也に問う。

「懸念はあったんだ。」晋也が立志に返事を返す。

社会運動の最大の問題…。それは、

大半の人達が”あれは自分たちに関係ない一部の特別な人だけがやっている”

”自分達には関係ない””当事者ではない”

というように考えてしまう傾向があると言う事だ。

加えて言うなら、

社会活動のテーマは、”これが問題だから”では広がらない。

そのテーマが日頃から”それはいけないのではないか”という認識が日常に結びつかねばテーマになり得ない。

「つまり、日常に浸透する”時間”が必要と言う事だ。」

「それじゃあ、新法案設立までには全然間に合ない…。」

晋也の説明に立志は肩を落とす。

「いや、そんな事はないよ、立志君。」

「黒崎先生…。」

落ち込む立志に黒崎医師が声をかける。

「君達は、この社会に、”蘇った老人は危険な存在ではない”と言うメッセージをはっきりと残したんだ。自身の意見を、発言を、自分の中だけに留めるか、世の中に発信するか、その違いは大きい。」

「そう言うものですか?…。」

「ああ。君達のメッセージは必ず世に中に届く。時間はかかるかも知れないが、ね。」

「その時間が問題なんですよ、先生!」

「解っている。だから私も、一つ行動を起こしてみようと思う。遠からず、君らのメッセージの後押しになると思うよ。」

それから数日後。

黒崎医師の所属する蘇り現象の研究機関は、政府公式発言の形で、ある発表を行った。

その発表とは、

『蘇った老人の名称の統一』である。

テレビ放映を通じて黒崎医師がマスコミの前で発表する。

「昨今多数見受けられる、高齢者の蘇り現象において、当事者である蘇った老人に対しての呼称を、この度、統一する事をお知らせいたします。」

「我々研究機関の見解としまして、蘇った老人の呼称が統一されていない事への社会の混乱を危惧いたしまして、

この度、蘇った老人の呼称を『甦生者」とする事を正式発表したします」

「この『甦生者』という名称につきまして、所謂一般的な『蘇生』とは意が異なる現象だと認識する次第であり、甦生の意味するところの『生として更(あらたまる)の表現を尊重し

、『甦生者』と呼称する次第でありまして…」

テレビ放映を通じて黒崎医師の発表を見る立志達三人。

「なあ、晋也。名前を統一する事に意味があるのか?」

「なんだ、解らないのか? 大いに意味はあるぞ。」

「どんな意味があるんですか?」

「…名所の統一。その理由は簡単に言えば、イメージ戦略だな。」

「イメージ?」

「ああ。名称が変わればイメージも変わる。

例えば、[認知症]は以前、[痴呆症]という名称だった。しかし、その用語が侮蔑的な意味合いを含んでいることや、症状を正確に表していないことなどから、[痴呆]に替わる呼称として「認知症」が最適とする検討会が開かれ、現在は[認知症]という名称が正式な病名となった。

同じく、以前は[精神分裂病]と呼ばれてた精神疾患が[統合失調症]と名を改めたのも同じ経緯だ。精神分裂病という名前が患者に大きな不利益を与えてしまう恐れがある事、

また、その人の人格やこころといった根本に問題があるわけでないにも拘らず、精神分裂病という名称が、その人の精神(こころ)が分裂してしまう怖い疾患のようなイメージを与えてしまう事を懸念し、名称の変更を行った。

それらの疾病と同様に捉えるわけにはいかないが、イメージを変える…『蘇ったお年寄り=ゾンビ=怪物』の思い込みを無くすには、名称の変更・統一は良い手段だと思う。」

「なるほどなぁ。」

頷く立志。

「ゾンビではなく甦生者。黒崎先生は、蘇ったお年寄りをそう呼ばせる事で、社会が抱くイメージを変えようとしているんだな…。」

後に黒崎先生医師は語る。

「僕も若い者達には負けられない。

[甦生者]…。蘇ったお年寄りの呼称統一は、政府直属の公式研究機関からの発表だ。自治体や民間のレベルでも名称の統一が成る。」

「本来なら、国民アンケートや理事会の検討・承認を通して行うことがベストだが、今回は時間が無かった。」

「少々強引に事を進めたので、今後の僕への風当たりは強くなるだろうな。今後、僕自身が直接メディアに露出できる事は無いだろう。」

「だが、後悔はしていないよ。」

黒崎医師が行った[甦生者]への名称変更は、社会に少なからず変化を齎らした。

関係する職能団体に動きがあったのだ。

全国の看護師が所属する看護師会や、

多くの会議福祉士が入会している介護福祉士会、

他、社会福祉士会や介護支援専門員協会などで[甦生者]の扱いに関する検討会が開催された。

その際には、立志達がネットで公開した映像が、貴重な情報として参考資料に取り上げられることもあった。

甦生者に関係する職種の者達は、解っていたのだ。

甦生者を、怪物と見做し、駆逐する考え方に。

ただ、その表現の仕方が解らなかったのだ。

検討の結果を省庁へ提出する団体もあった。

立志や黒崎医師の活動を後押しする流れが出来始めた。

しかし、まだ問題はある。

声を挙げ始めたのは、実際に甦生者に関わることの多い職種の者達だけであり、未だ、当事者とは程遠い大半の国民にとって、甦生者の問題は対岸の火事であり、特に若者を中心に無関心な人間がほとんどであった。

未だ日常への浸透は遠く、日常に結び付かねば、社会の変革は成就しない…。

何度目かの作戦会議の場に、立志、奏、晋也、黒崎医師の四人が集まった。

「今の状況…どうなんでしょうか?」

「うん。活動への後押しは増えた。確実に声は高まっている。」

「けれど…。」

「はい。時間が、足りません。」

「しかし、確かに風向きは変わっている。しかし、政治を、社会を変えるには、あと一歩が必要だ。」

「はい。そして、その方法は…険しい。」

晋也はその”あと一歩”の内容を語る。

…例えば、過去、いや、現在進行形の話でもあるが

”原発”の問題を例に出そう。嫌な気分になったら申し訳ないのだが…。

日本の原発は”国策民営”で発展していった。

しかし、国策民営は、”無責任が発生しやすい”という構造上の問題がある。

無責任の理由として、”企業は政府の援助を期待している。しかし、政府に援助をする義務はない”…。

つまり、…誰も責任を負わない体制になってしまっている”んだ。

責任感の欠如は、リスク管理の不備を産み、深刻な事故が起きる可能性を考えられなかった。

つまり、社会の変革を成すには、マクロな視点でもミクロな観点でも、責任が…、為政者の”責任”が必要なんだ。

それが、社会の変革の最後の一押しとなる。

しかも、現在、社会を政府に任せておけば安心だという国民は、僅か3%しかいないと言われている。

しかし、社会に政府は必要だ。

だからこそ、政治家は強い責任感を持って為政に携わらねばならならない。

「…と、僕は考えます。」

「政治家の、責任、か…。」

「それって、私達になんとか出来る問題なんですか?」

「そうだな。例えば内閣総理大臣に直接会ってみんなの前で約束させる、とか!」

「立志先輩、それは幾ら何でも無茶でしょう?」

「相変わらず立志は無理を簡単に口にするなぁ。」

「そうか?」

「…いや、案外、有効な手段かもしれないな。」

「え? 黒崎先生、本気ですか?」

「ああ。君達の立場は言わば、国家の運営する研究機関で、僕と共に甦生者の生態究明に直結する仕事をする者達…。甦生者のスペシャリストだ。

そんな君達と政府の対談。実現すれば面白い事になりそうじゃないか。」

「いや、私達、そんな大層な立場じゃないですよ?」

「それは言い様と、君達の自覚の問題だよ。」

「…先生。面白そうじゃないですか、それ!」

「本気か、立志?」

「対談成立の可能性は高くはないが…、僕の立場を利用して、政府に掛け合ってみるよ。」

「総理。例の対談の件なのですが…。ご助言、良いでしょうか?」

「うむ。官房長官。どうしたのかね?」

「はい。私は対談には反対ですね。ねぇ。補佐官。」

「ええ。私も賛同し兼ねます。」

「しかし、補佐官。例の甦生者に関わる新法案に対して、反対する動きが世間と研究機関の中にあるのだろう?」

「はい、総理。どうやら研究機関も一枚岩ではなかったらしく…。特に、黒崎という医師が目立った行動をしているらしく…。」

「その人達と対話する事は、意味があるのではないかね?」

「いえ、総理、所詮は少数の意見です。」

「はい、その程度の意見は無視で良いかと思います。」

「ええ。既定路線を変えるには必要性はありません。」

「新たな法案を作る際、少数の反対意見など、いつもの事ですから。」

「…あの新法案に、何か問題があるという事はないのかね?」

「何をおっしゃっているのですか、総理!」

「そうです、総理! 我々が間違いなど犯す事はあり得ません。」

「はい! 我々為政者は、絶対に間違いがあってはならないのです!」

「そうだな…。私達為政者には、大きな責任があるのだからな…。」

「その通りです。総理。」

「解った。対談の件は、断ってくれたまえ。」

「はい。では、私達はこれで。」

事務次官、官房長官、補佐官の三人は、総理の部屋を出て行った。

その直後。

TELLLLLLLLLLLLL…

部屋の電話がなった。

総理への直通回線だ。総理は受話器を取り上げる。

「はい、私だ。ああ。そうか。もう、余裕はないのだな。解った。そのままで、大丈夫だ。付き添いの者にも、宜しく言っておいてくれたまえ。」

…受話器を置いた総理は、暫く考え込む。

そして、再び受話器を取り上げると、事務次官へ内線を入れた。

「私だ。先程の対談についてだが…。対談の機会を設けてくれ。なるべく、早く。」

そう告げ、総理は受話器を戻す。

結果、内閣総理大臣と立志達の対談が、成立したのだった。

対談実現の知らせを聞いた黒崎医師は、立志らはに告げる。

「黒崎先生も一緒に対談に参加できるのですか?」

「うん。何故か僕も参加を許された。しかも、総理のご指名らしい…。」

「何を考えているんでしょうか…。」

「解らない…。しかし、この対談が、社会を変える最後のチャンスになるかもしれない。」

「はい。社会に、真実を伝えましょう!」

「ときに、立志。」

「なんだ、晋也?」

「対談の時は、俺と奏、それと黒崎先生が喋るから、お前はなるべく黙っていてくれ。」

「なんでだよ?」

「…先輩が喋ると、なんだがこじれそうですよね…。」

「なんだそりゃ?」

「まぁ、取り敢えず、俺達に任せてくれ。お前の熱意は、俺達が叶えるよ。」

対談は、総理大臣官邸で行われた。

この対談に興味を持ったマスコミ一同に注目される中、設けられた対談の席には、内閣総理大臣・事務次官・官房長官の政治家サイドと、立志・奏・晋也の三人と黒崎医師が別れて座る。

対談の最初の口火を切ったのは、事務次官だった。

事務次官は、備え付けのモニターに先日の立志達が配信した施設の映像を流すと、

「君達だね、この映像をネットで流しているのは? このような正確性に欠ける映像を流されては、社会にいらぬ混乱が生じてしまう。即刻、配信を中止してもらいたいのだがね。」

「それは違います。」

事務次官の言葉に反論を返したのは、晋也だ。

「私達は真実を伝えたいだけです。」

「真実、だと?」

「はい。これを見てください。」

晋也は、持参した書類の束を事務次官に見せる。

それは、介護記録紙の束だった。

介護施設では、ケアの証明として入居者の様子や変化を記録に残すことが義務付けられている。

事務次官らは、その記録紙の束に目を通す。

記録紙には、晋也や奏が毎日遅くまで残って記した、施設の甦生者の生活の様子が事細かに書かれていた。

その記録の内容は詳細に渡り、甦生したお年寄りの姿が克明に記されていた。

のんびりと日向ぼっこをするお年寄り。

面会に来た家族と穏やかに過ごすお年寄り。

介護職員と一緒に静かに散歩に興ずるお年寄り。

それらの記録は、配信された動画の内容とも整合性がとれている。

また、普段の食事風景やスタッフと関わる時の様子も書かれており、甦生したお年寄りが水しか飲まず、また他人を襲うような姿は全く見られていない事も記されていた。

「ご覧の記録と映像を合わせて見れば、ご理解頂けると思いますが、甦生したお年寄りに危険は全くなく、世間で噂されるような『ゾンビ』とは全く異なるものである事が解ると思います。」

晋也は、そう事務次官らに説明を行う。

その時、晋也の言葉に傍らの官房長官が言葉を挟んだ。

「しかし、君らだってニュースは見るだろう? 今、社会はゾンビ…いや、甦生者か。甦生者を死者として扱う事を願っているのだぞ? 社会がそれを望んでいるのだ。我々為政者は、国民の意思を無下にはできないのだよ。」

「本当に、そうでしょうか?」

官房長官の発言に、奏が意を唱えた。

「私達は、先の画像や記録の開示にあたり、ご家族の協力を得ています。」

「それがどうしたのだね?」

「その大半のご家族は、この甦生現象に対しての、政府の新法案に反対でした。そうでなければ、映像や記録の開示に賛成してくれることはなかったでしょう。」

「ぬ…。」

官房長案が一瞬黙り込む。

「映像や記録を見て頂ければご理解頂けると思いますが、甦生したお年寄りと、そのご家族が共に過ごす姿は、その関係に未だ家族としての絆があるという事です。つまり、家族も、この甦生現象の当事者と言えます。」

「…。」

「その当事者が、新法案に反対しているのです!」

「ちょっといいかね?」

その時、黙り込む官房長官の隣に座る補佐官が発言する。

「…はい。」

訝しむ奏に、補佐官が告げる。

「君らは、映像や記録を通して私達を説得しようとしているようだが…、その映像や記録は、本当に正しいのかね?」

「は?」

「映像は、編集できる。記録は、改竄できる。共に都合のいい部分だけを継ぎ接ぎして作り出す事が可能だ。更に言うなら、君らは新法案に反対の人間だ。その主観にまみれた者達が作った記録物にどれ程の信憑性が有ろうか?」

「私達が嘘を言っているとおっしゃるんですか?」

奏の言葉に補佐官は余裕の笑みを浮かべ、

「いや、そこまで言ってるんじゃないよ。ただ、それら客観性の欠ける記録を土台に自論を語るのはナンセンスだ、と言う事だ。もしそれらの記録を土台に展開していくのなら、入念な精査の上で進めて行かねばね。…じっくり、時間をかけて、ね。」

奏の顔が曇る。

「事案稼ぎのつもり、か…。」

黒崎医師が、ボソリと呟いた。

立志らに時間はない。精査など受けているうちに、新法案は制定されてしまうのだ。

「奏くん。僕が変わろう」

黙り込む奏の傍らに控えていた黒崎医師が立ち上がる。

「テーマを変えましょう。」

「なんだね、黒崎先生?」

「今から見せるデータは、僕達の研究機関が日々観察し収集していたデータの一部です。これらのデータは国の研究機関のものです。当然、入念な精査を受けたデータです。あなたが言う、客観的なそのデータを用いて、検討をつづけていきます。」

「…早く話したまえ。」

補佐官は、黒崎医師の言葉に若干の苛つきの表情を浮かべながら、話しの先を促す。

「はい。以前に僕達研究機関は、この甦生現象は88歳以上の高齢者のみに発生していると報告を行いました。」

「そうだったな。それがどうした?」

「しかし、ここ最近、88歳未満の人間でも甦生現象が発生している事例が見受けられました。」

「何?」

補佐官の顔に戸惑いが浮かぶ。

「それらの事例はわずか数件。全体から見れば数%にも及びません。」

「…何が言いたい?」

「しかし、この数%の事例が、何をもたらすか。想像できますか?」

「どう言う事だね?」

今まで沈黙を貫いていた総理大臣が発言する。

「この事例が表す意味は、”甦生現象の発生年齢が下がっている”。つまり、”高齢者以外でも甦生者になるかもしれない”と言う事。言わば、もしかしたら『あなた自身』が『今この瞬間』に『甦生者になる』可能性がある、と言う事です。」

「な、なんだと! 何を言っているんだ、君は!」

黒崎医師の言葉に、補佐官が驚愕する。

「所詮、想像だ! 僅か数件の事例を大袈裟に語っているだけではないのかね!」

「そう! 想像です。しかし…研究者としてはまことに遺憾ですが、この甦生現象はすでに科学的見地を超越しています。言わばこれは、『奇跡』。』

「奇跡、だと? それが研究者の発言かね!」

「そうです。奇跡です。奇跡がもたらすものなど、科学で究明できるわけがない。想像を超える事態に発展するかもしれない。だからこそ、我らは一層意欲的に『未来を想像』しなければ、変化に対応できなくなる。」

「つまり、君の言おうとしている事は…。」

総理大臣が黒崎医師の説明の先を促す。

「この先の検討において、僕達は想像力を全力で活用して進めていきたい、と言う事です。宜しいでしょうか、補佐官?」

「…。」

黒崎医師の言葉に補佐官が黙り込む。そして、

「…皆さん。」

暫くの沈黙の後、最初に口を開いたのは総理大臣だった。

「対談を、続けましょう。」

「ありがとうございます。総理。」

「発言、宜しいでしょうか?」

「どうぞ、奏さん。」

「先程、黒崎先生が発表した新データ…『甦生現象の若年化』と、甦生者を死者として扱う法律…いえ、『甦生者を再び葬る新法案』。この二つを掛け合わせた未来がどのようなものか。想像をできますか?」

「未来の姿、だと?」

「はい。今、この対談をご覧になっている方々も、一緒に想像してみて下さい。」

その言葉の後、奏は一息、深呼吸する。惨劇の記憶を、自身の死の記憶を思い出し、語る為に。

「これは、私の想像かもしれません。しかし、来たる未来の一つの姿だと確信して、皆さんにお伝えします…。」

そして、奏は語る、あくまでも想像だと言われれば返す事なもないのだが、

ここで語らねば、もう機会はないかもしれない、

人類に降りかかる災禍の記憶を。

全国各地で発生する甦生現象について、甦生者を人類に仇なすゾンビとして扱い、制定された『ゾンビ駆逐法案』と呼ばれる法律のもとで、甦生者の駆除を始めた。

しかし、甦生者の駆逐は、さらにその規模を拡大し、これから甦生しうる高齢者を虐殺。

結果、世の中から高齢者は消え失せた。

しかし、若年層の甦生現象が始まり、しかし、社会が選んだゾンビ撲滅の流れは消える事なく、

そして、政府は、人は、社会は、化け物になる前に、人として尊厳を持ったまま、人類のまま、滅ぶ事を選んだ…。

「そんな社会が訪れた時としたら、皆さんなら、どう思いますか? 何を感じますか?

私なら、きっと、こう思うでしょう。

『死にたくない。でも生きたくもない…』と。

それこそが、希望の欠片も見えない、真に絶望の社会でしょう…。」

奏の長い語りが終わった。

事務次官が叫ぶ。

「荒唐無稽だ! 戯言だ!」

為政者は否定する。受け入れられない。受け入れられるはずがなかった。

「そうでしょうか?」

晋也が発言する。

「甦生現象の若年化は、データとして確かに存在します。そして、政府の新法案が『ゾンビの滅殺』を示す事は明白です。という事は、今、彼女が語った未来が訪れる可能性は、ゼロじゃない。俺たちは、その未来を止める為に、ここにいます。」

「なるほど。それが、君達の目的なんだね。」

晋也の言葉に、総理は穏やかな声で応える。

「ええ。そうです。今からでも間に合います。この蘇生化現象を、『ゾンビの発生』…『災害』を念頭にした災害対策基本法を基のするのではなく、社会保障制度の観点から成る介護保険法や障害者基本法のように、緊急的な措置や保護も含めた弱い立場の人々を守護する為の制度に変更できないでしょうか?」

「何を言っているのだね!」

「法改正など! この場で語ることではないだろう!」

「もう既に遅いのだ!」

為政者達は口々に否定の言葉を口にする。

しかし、晋也は冷静であった。

奏は、一つ間違えれば妄想とも言われ兼ねない社会の行く末を語った。勇気のある行動だ。

晋也も、奏の勇気に負けるわけにはいかないのだ。

晋也は言葉を紡ぐ。

「憲法が定めるところの生存権。その生存権を体現する各種社会保障制度。

過去、高齢者はその社会保障制度の一つ、老人福祉法に支えられてきた。

その後、高度成長期がもたらす繁栄と共に高齢者人口や医療費の増大、財政の逼迫や国民が求めるニーズに合わせながら、度重なる再考・見直しを経て老人保険法(後期高齢者医療制度)と介護保険法に文化していった。

…そもそも、何故、生存権があるのか? 社会保障制度が存在し、国民は制度を尊重するのか?

生存権は、社会保障制度は、過去の戦禍で疲弊した人々を護る為に生まれた。

そして社会が発展した後でも形を変えながらも制度は人々に支持されてきた。

それはつまり、弱き人々を護る事が、この国に住む人々の国民性、人間性だと考えます。

国家は制度に支えられ、ルールで成り立っている。そして制度は変えられる。制度を変えれば社会が変わる。そして今、蘇生者現象という過去最大とも言える変化が訪れている。

弱き人々を護るのが社会保障制度です。

今、甦生者の存在は社会の視線や波の晒され、その立場は弱い。

だからこそ、蘇生者を護る新たな社会保障制度が必要になると思うのです。」

「…それは理想論だ。実際の政治とは、そのような青臭い思想で成り立ってはいない!」

「それが国を支える責任を負っている為政者の言葉ですか!」

奏が激昂する。

「今、社会の形を変えずに蘇生した人達を保護しなければ、今度は自分達が災禍に晒されるのかもしれないんですよ!」

「そうなったらそうなった時に、柔軟に対応をしてだね…、」

「柔軟でばければならない。それは理解できます。しかし今までこの国の政治は柔軟であり得ましたか? 柔軟になるには、政治は複雑になり過ぎました。だからこそ、今、この変化の最初の時期に、この先多くの若い甦生者が生まれる事を想像して法整備を進めていかねばならないと思います。」

奏と晋也が主張する。しかし、当の為政者は、

「しかし、もう新法案の制定を想定して関連企業との協力体制や部隊の整備を進めているのだ! どれ程に君らが新法案に反対しようとも、既に社会はゾンビ撲滅に動き始めている。今更止められるものではない!」

と、頑なに自身の考えを改める事はない。奏と晋也の言葉は、為政者には届かない。

「そもそも、ゾンビが増えて国が滅びるなど、君らの妄想ではないのか! いい加減にこの茶番をお終いにして、ゾンビを葬る為の方策をだな…、」

為政者は変わらない。奏らの言葉を妄想と決めつけ、話を聞こうともしない。

対談は暗礁に乗り上げかけた、

その時である。

「…黙って聞いていれば…。」

奏と晋也の後ろに控えていた立志が呟く。

「おい、立志、」

立志の苛立ちを察した晋也が立志を制止しようとする。が、

「うるせえ!!」

立志が叫ぶ。

「な、なんだね君は!」

突然の立志の叫びに驚く為政者達。

「妄想だぁ? 茶番だぁ? ふざけるんじゃねぇ!」

ずいと前に出た立志は、そんな為政者達を怒鳴りつける。

「いいか、よく聞けよ!

あんたら政治家が言う、ゾンビってのは、ただのじいちゃん、ばあちゃんだ。ずっと一緒に世話してきた俺たちが言うんだから、間違いない。生きてた頃と、何にも変わらないんだぞ。

もし、じいちゃんばあちゃんを葬ったとしても…。これからもどんどん、死なないじいちゃんばあちゃんは増えていくんだ。誰だって、歳をとる。そして、命を亡くす。そう、誰だって、だ! あんたも、あんたも、これを見ている誰もが、歳をとる。そして、死ぬ。解っているか? これは、他人事じゃないんだ。生きている限り、誰だってゾンビになるって事なんだぞ!」

立志が一気に言葉を捲し立てる。

それは今まで奏や晋也が発していた様な理性的な言葉では無く、もっと感情的な、例えるなら、怒りの咆哮だった。

普段聞き慣れない突然の怒声に、為政者は身を下げて慄く。

「そ、そうです!」

傍ら立つ奏も、立志の言葉に続く。

「私達は、どんなお年寄りだとしても、幸せを願って、お手伝いをしてきました。死んでたって、生きていたって、幸せに暮らす権利は、誰にだってあるはずなんです。そう思って、私はお年寄りの生活を手伝ってきました。

「そしてこの先、誰でも歳をとれば蘇る社会が来るかもしれないんです。でも、もし、この現象が社会に受け入れられた時…。もしかしたら、例え死んじゃったったとしても、幸せに暮らせる社会が出来るのかもしれません。」

「しかし、彼らゾンビは、死んでいるんだ。命の無い者に人権はない。これは先日の有識者会議でも決定した事で、生物学的、道徳論的、存在論的にもあれらは死者であってだね、」

為政者が反論を試みる。しかし、立志の言葉は止まらない。

「生物学的だ? 道徳論的だ? 存在論的だ? そんな事はどうだっていいんだよ!

その命ってのが、仮にじいちゃんばあちゃんの中に無かったとしても、だ! じゃあ、『心』は、どこにあるんだよ!

「こ、こころ?」

「そうだ。心だ。あのじいちゃんばあちゃんには、心が無いって言うのか? 家族と一緒にいる時、じいちゃんばあちゃんは、笑っているんだ。孫を見て、喜んでるんだ。何気無い日々を、楽しんでいるんだ。辛い時だって、前向きになろうと頑張っているんだ。生きているお前らと、何が違うってんだよ!」

「心など言うそんな曖昧なもの、どこにあると言うのだね!」

為政者の反論に、りっしは、立志は、

「それはな、」

と言って立志は奏の手を握る。

「ちょ、ちょっと先輩?」

立志の突然の行動に驚き、奏は顔を紅くする。

「ここだ。ここにあるんだよ!

俺がいて、奏がいて、他人がいて、手をとって、関わり合って、繋がりあって、絆が生まれて…、そこに、心があるんだよ。生きてたって、死んでたって、関係ない。人と人が関わりあう限り、心は『ここ』にあるんだよ! その心まで失くしちまったっていうのか?

だったら、その絆を否定する、あんたらの心は、どこにあるんだ!」

心の在り処を語る立志に怯む為政者は、

「そ、君らの言動は所詮、感情論だ! 我々政治家は、こ、心などという感情論には流される訳には…、」

為政者

言いかけた、その時。

「もう、やめなさい。」

傍らに控えていた総理大臣が、すいと立ち上がり一歩前に進んだ。

「心か。今の私には、君の言葉が理解できるよ。」

静かな口調で総理が語る。

「そ、総理?」

「八代立志君。古林奏さん。湯上晋也君。」

「…はい、なんでしょうか?」

訝しむ顔の立志。

「少し、私の話を聞いてくれないかね?」

総理は、立志の顔を見詰める。

「…どうぞ。」

総理の表情に、なんとも言えない、そう、憂いのような表情を感じた立志は、総理大臣の言葉の先を促した。

「ありがとう。皆さんの聞いてください。

昨晩。

私の父が亡くなった。先日から体調が慮しくなかったのだがね。

…そして、甦生した。父は甦生者となったのだ。

死の瞬間。私は父の手を握り締めていた。父の手は力無く、私の手を握り返す力もなかった。

そして、最後を看取った。

その直後、父は甦った。甦生者として。

甦った父は、私の手を握り返した。

その時。私の中に二つの感情が生まれた。

一つは、”父をこのまま法に則り再び殺さねばならないのか?”

それが為政者として、正しい選択なのだろう。

しかし、私に中に生まれたもう一つの感情は、

”嬉しかった”

”父が生き返って良かった”

”このまま生きていて欲しい”

そういう気持ちだった。

それがきっと、心、なのだろうな。

私もそろそろ、自分の気持ちに、心に、素直になろうと思う。」

この場にいる誰もが、総理の言葉に耳を傾けていた。

そして、その意味を察した為政者の一人が、唖然とした顔で総理に向かって意を唱える。

「そ、総理! それが現内閣総理大臣の発言ですか!」

「黙りなさい! 君達こそ、我ら為政者の仕事を何だと心得る!」

総理が吼えた。そして、立志らに向かって話を続ける。

「我ら政治家も人間だ。万能でも無く間違いも犯す。

しかし、国民は常に我々に完璧を求める。常に国民の眼に晒される。

だから、我々にミスは許されない。どんな事態にも必ず答えを出し、指針を示し、指示を出す。それが我々の仕事だ。

しかし、ミスが許されないからこそ、愚かにも我々はミスを誤魔化し、隠蔽しようとする汚れた俗習も持ってしまった。

その結果、社会は政治への関心を失い、同時に政治家自身も民意を尊重しなくなっていった。

…そう、政治と民意に壁が生まれたのだ。今や政治に期待をする国民は百人に数人だと言われている。

しかし、君達は違った。

壁を乗り越え、この場所に立ち、社会をより良い方向に変えるために、我々政治家に、もう一度期待をしてくれた。

…人を救う事を、求めてくれた。

だからこそ、私は君達の気持ちに、仕事で応えようと思う。」

それは、社会を変える事を時の内閣総理大臣が、その直接の言葉で約束したことに他ならない。

立志ら三人の顔に驚きが浮かぶ。そして、安堵と喜びが浮かぶ。

しかし、場に佇んでいた為政者達は、ハッとしたように、

「し、しかし総理! 今更政策の転換など!」「費用も手間も掛かります!」「関係企業の理解も得なければならず、その時間も…、」

と口々に反論を述べる。が、

「黙りなさい!」

と、総理に一括される。

「言ったでしょう。我々だって、完璧ではないのだ。間違いも犯す。

しかし、一度作ったものを見直せることは出来る。

制度が、国民の為により良いものにあるように見直しを続ける事も、我ら政治家の役割でしょう!

国民の真の幸福の為に社会保障はある。

その根幹は、国民を護る為にあるのではないのですか!

それが、我らの国のプライドではないのですか!」

総理の言葉に、その場の為政者達は黙り込む。

そして、総理は再び三人に顔を向けると、

「管理側は、得てして人を数値で見る。それは損得勘定や掛かる時間、そして、統計などでだ。

それらは間違いではないが、それだけでは真実を掴めない。

共に歩み、同じものを見て感じて、言葉を交わし、理解を求め合った先に、真実はある。

君達介護職の皆さんの仕事は、お年寄りや弱き立場の人々に真摯に向き合い、支え続けるのが仕事なのでしょう。

そしてまた、蘇生者が人として歩む事を護り続けてきた。

私は、君達と言葉を交わせて、本当に良かった。」

そう言って、総理は頭を下げた。

そして、対談は終わる。

…新たな社会が、動き出す。

【エピローグ】

…ミッシングリンク。失われた繋がり。

主に生物学(古生物学)において「猿から二足歩行し始めた直後の人類」に代表される、あるふたつの種の間の欠けている変化を指す言葉。

通常ではあり得ない程の急激な変化。それは言わば進化の特異点。

その現象奇跡と呼んでも差し支えはないだろう。

原初の生物から哺乳類への進化。

猿から人へ進化。

そして人は進化の先で文明を持ち、科学を理解した。

奇跡を司る存在は次に人にどんな進化を齎すのだろうか?

蘇生化現象とは、ゾンビを生み出す悪魔の呪いではない。命の価値を変革する神の奇跡なのだ。

奇跡を司る存在は、次に命の形の進化を齎したのだ。

蘇生化現象という奇跡を、進化を人類が受け入れるには、様々な課題があった。

先の対談で、蘇生者保護を約束した内閣総理大臣は、新たな法整備に尽力した。

しかし、政治も一枚岩ではなく、個人的な感情を優先したと批判を受け、内閣不信任案も決議されかけるなど、法整備には多大な努力が必要だった。

しかし、時の内閣総理大臣は自分の在職中に新制度設立を成した。

関係者への根気のいる説得と根回し。時に汚い手段を用いる事もあったかもしれない。

しかし、総理はやり遂げた。約束を守ったのだ。

制定に至るまでには、甦生現象の若年化の兆候とそれを裏付ける研究機関の発表の後押しもあった。

社会が、蘇生者の保護を選択したのだ。

新たな制度の名は『蘇生者の保護に関する法律』。後の『蘇生者支援基本法』の雛形となる制度である。

その基本的な考えは、”命の価値の扱い方”であり”自分の命の最後をどう扱うか”である。

亡くなった後に甦生者となって甦るか?

それとも、そのまま甦らずに亡くなるか?

それを自分で選択する。

命の終わらせ方を、己の存在を、どう終わらせたいか。それを自分の意思で選べる社会の仕組みを構築する基本となる制度である。

中には甦生を忌避する者達もいた。死んでまで生きたくない、甦生者になりたくない者もいた。

安楽死の選択や生前のリビングウイルが重要な意味を持つようになった。

人類は、嫌が応にも自身の命の価値と向き合わねばならなくなったのだ。

死も、老いと同じく誰もに平等に舞い降りる。決して他人事ではないのだ。

もう、蘇生化をゾンビ化と公に言う者はいなくなった。迫害される事もない。

徐々に増える甦生者の受け入れと世話は介護施設と介護士が行った。

甦生者は、社会の日常になったのだ。

しかし、蘇生化という今までにない現象を取り扱うにあたり、諸問題もあった。

保険問題や遺産問題もあった。

金銭に関わるトラブルが相次いだが、これらのトラブルを未然に防止する法律も整備されていった。

問題が多くなる反面、法整備も整い始め、結果として死を迎える事への意識と姿勢は向上したと言える

しかし、課題は幾らでもある。

今まで扱ったことの無い奇跡という名の変化は、想像を超えた事態が発生するかも知れず、変化の予想は困難であろう。

しかし、新法制定時、時の総理はこう述べいる。

「戦後、失い、社会そのものが弱まった。

しかし、人は諦めなかった。

それでも生きて、命を紡ごう。そう決意した。

例え敗戦国として勝利国の思惑の基に創られた絶対平和主義国や憲法だとしても、国民はそれを遵守し、弱い人達を支え、守り続け、そして発展した今がある。

それを我ら政治家に思い出させてくれたのが、人が人として歩む事を支え続ける事を生業としてきた介護職の若者達だ。

そして新たに奇跡という現象に向き合い制度で応えるのが、私達、多くの者の人生の営みを支える責任ある立場の者の役割である。

そして現在。社会保障は、新たな局面を迎えた。

我々は、変化に屈しない。変化を諦めない。

今、社会は、新たに命の価値を問われている。

よってここに、新たな社会保障制度の創立を宣言する!」

<インタビュー:湯上晋也>

晋也「結果として、僕らがいたから社会が変わったわけじゃありません。ただ、変わるべき時期に、僕らが社会に疑問を投げかける機会があっただけです。

ですがもし、僕らが社会を変えれたのなら、それは立志の力だと思います。

立志を見ていて、僕は思いました。

嫌でも社会は変わる。

その変革の時に、黙ってゆっくり変化に埋没するか、

どこかで大破綻するか、

良い方向に変わる様に努力するか。

考えるべきは、避けられない転換の時に、広く視野を持ち、社会が支払う犠牲を最小に抑えながら、自分で考え、声を挙げ、積極的に社会を変える動きを活性化させられるか、

それが、『社会を変える』事に繋がるのだと思います。」

<インタビュー:古林奏>

奏「なんで社会を変えようと思ったか、ですか?

やっぱり、立志先輩が頑張っていたからだと思います。

立志先輩は、ちょっと抜けてるし、空気読まないし、頭悪いし…、

でも、優しいんです。真面目なんです。お人好しなんです。頑張り屋さんなんです。

…世の中の人は、真面目なお人好しは馬鹿を見る、と言います。

でも、世の中の為に、社会の為に、人の為に、真面目に頑張っている人が損をする社会は、絶対に間違っていると思います。

善人が報われない、

努力する者が報われない、

そんな世界は残酷過ぎます。

優しさで変わるものも有るんだと、信じたいんです。

だから私は、立志先輩の力になりたかったんだと思います。

少なくとも、私は先輩に救われて変わりました。」

<インタビュー:八代立志>

「あ、八代立志くんですね。ちょっとお話をお聞きしたいのですが…、」

立志「あ、今ちょっと忙しいんで無理っす! 新人の叶瀬(かなせ)を連れて、ジロウさんのサ担に参加しなきゃいけないんで! また今度!」

叶瀬「立志さ~ん! 待って下さ〜い!」

(※サ担(サービス担当者会議):介護サービスを行う際に合わせて行われる話し合い。他職種協同の基、より良い介護サービスの実現の為に行われる会議)

「遅くなりました!すんません、相楽(さがら)主任!」

立志と叶瀬が会議室に飛び込む。

「おう。立志、叶瀬。来たか。じゃあ、サ担を始めるぞ。」

「はい!」

介護主任兼担当介護支援専門員である相楽の司会でサ担が始まった。

参加者は担当介護職の立志・叶瀬の他、看護師やリハスタッフ、相談員、そして事務課長である。

「では、サカイジロウさんのサ担を開催致します。サカイジロウさんですが、自宅で転倒され骨折により入院。状態の改善に伴い在宅復帰の為に当老健へ入所となりました。手元のインテーク資料にある通り…、」

相楽主任の司会でサ担は進む。

そして、暫くの話し合いの後、

「では、ジロウさんのリハビリは週三回の実施としま…」

「ちょっと待ちたまえ。」

席に座る事務課長が口を挟む。

「…なんでしょうか、事務課長?」

「もっとリハビリの回数を増やせないのかね?」

「は?」

「 リハビリを多く実施したほうが、そのジロウという利用者の為ではないかね? それに老健はリハビリの回数を増やせば、利用料も増えて金になる。」

「は、はぁ…。」

「 そもそも、さっさと家に返さなければ、在宅復帰加算が取れないでは無いか!」

会議室に事務課長の唾が飛ぶ。

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

新人介護職の叶瀬が声を挙げた。

「資料の介護記録にある通り、ジロウさんはリハビリが嫌いです。認知症も患ってますし、無理強いすればジロウさんの気持ちを追い詰める事になります…。」

叶瀬がおずおずと意見を述べると、

「なんだと! 新人介護職の分際で! 施設経営はどうでもいいと言うのかね? 介護サービスだって商売なんだぞ! 経営を軽んじるな!」

事務課長は声を荒たげる。

「いえ、そんな事は…、」

首をすくめる叶瀬。そこへ、

「…事務長のおっしゃる事はごもっともな部分もあります。しかし、急性期の患者と違い、老健に入所する高齢者に、過剰なリハビリは逆効果になる事もあります。」

と、リハビリスタッフが意見を述べる。

「しかしだね、老健は在宅復帰施設としての役割を望まれている。それが国の方針だ。ガンガンとリハビリをやって、さっさと家に戻さねば、施設経営は成り立たないのだ!」

事務課長は意見を曲げない。

その時。

「はい! 一つ宜しいでしょうか!」

立志が声をあげる。

「なんだい、立志? 意見か?」

相楽主任は立志の言葉の先を促した。

「はい! 俺達介護職は、ジロウさんの一番身近な立場でケアにあたっています。」

「うん。」

「で、ジロウさんも、早く家に帰りたいと言っています。」

「ああ。」

「けれど、認知症による混乱や、入院による筋力低下で、今、ジロウさんは投げやりな気持ちになってしまっています。

だから、今、リハビリの無理強いはできない。まず、その気持ちを理解して寄り添う必要があると思います。

そして、ジロウさんの想いに寄り添いながら、日常生活の中で少しずつ、無理のない範囲で機能訓練を行い、自信を付けさせていく。

気持ちへの配慮と日常生活の中での機能訓練は介護職が行います。

で、自信がついて訓練に慣れた所で、専門的なリハビリをリハビリスタッフが実施する。

どうでしょうか?」

立志の提案に相楽主任が頷く。

「いい手段だ。

その間に、在宅サービスや住宅改修をしていく余裕もできる。

時間は掛かるが、結果として、ジロウさん本人や家族の為になるだろう。」

「よし!」

立志がガッツポーズをとる。

「宜しいですね、事務長?」

相楽主任が事務課長に確認する。

「しかしだね…、」

「国の政策や施設経営ももちろん大切ですが、私達の相手は人間です。金勘定だけでは測れません。その事を、老健施設の管理者なら、どうかご理解下さい。」

「なぁ、立志。」

サ担の後、相楽主任が立志を呼び止めた。

「なんすか? 相楽さん。」

「変わったな、お前。」

「そおっすかね?」

部署に戻る最中、叶瀬が立志に礼を述べる。

「ありがとうございます、立志さん。でも、大丈夫でしょうか…。うちのチームも今忙しいのに、日常での訓練なんて…。」

「ジロウさんの気持ちと日常生活を支えるのは、俺達介護職チームの役割だ。それは、俺達介護職しかできない事だぞ。

それにな、叶瀬。介護職をやってる奴らに悪い奴なんていない! 話せば絶対に解ってくれる!」

「はぁ…。立志さんは気楽だなぁ。古林さんの言った通りですね…。」

「なーに、俺達だって社会を変えれるんだ。組織やチームを変えるぐらい、何てことはない!」

(そうだろ、みんな)

立志はそう言って、未来への道を歩き出す。

~終~

Concrete
閲覧数コメント怖い
4235
10
  • コメント
  • 作者の作品
  • タグ
表示
ネタバレ注意
返信
表示
ネタバレ注意
返信

(´・ω・`)映画化して欲しいな。
(´・ω・`)僕は本をよく読みます、いい本だと頭に映像が浮かぶんですよ、これ読んでて頭に映像が浮かびました。

返信
表示
ネタバレ注意
返信
表示
ネタバレ注意
返信