長編6
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まりあさま

 僕は以前、山登りにはまっていた。

山登りといっても、本格的に道具を揃えて

やるようなものではなく、適当にその辺の

山道を歩くというもので、山登りというより

山歩きというほうが近いかもしれない。

目的なく車を走らせ、

めぼしい場所があったら、

車を停めて、山の中に入っていく……

そんな気まぐれなことをやっていた。

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 まだまだ暑さの残っている、

8月終わりの日曜日。

その日も、そんなことで車を走らせていた。

朝から晴天で、雲一つ無く

ドアウインドウを開けて、

心地よい風を感じながら、僕はひたすら、

走り続けていた。

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 蔦の絡まるアーチ型の

古いトンネルを抜けると、

急に道幅が狭くなり、辺りは薄暗くなった。

両側に切りたつ山肌が迫り、いくつかの木が

道路に覆いかぶさるようにしな垂れている。

しばらく走ると、左手に小さな滝があった。

ちょっと気になり、車を寄せて、停めてみる。

外に出ると、結構、山奥まで来たのか、

ひんやりとした空気が漂っていた。

それは滝というほどでもなく、

ただ、むき出しの苔だらけの岩肌から、

水がちょろちょろ

流れ出しているだけのものだった。

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 そんな小さな滝を何となく眺めていると、

横側に、山奥に続いていそうな、

けもの道があるのに気づいた。

手前に低い木が一本あり、

枝に段ボールの切れ端が

紐で結びつけられていて、

黒マジックで、

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まりあさま

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と、下手くそな字で大きく書かれている。

地元の人が書いたのだろうか……

――まりあさま?何だ?

僕は興味がそそられ、

そのけもの道から奥に分け入った。

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 人一人がやっと通れるくらいの道の

両側には腰の高さくらいの

草が生えており、

向こう側には木が鬱蒼と

立ち並んでいるのが見える。

なだらかな勾配の道を

ただひたすら歩いていると、

突然視界が開けて、

ちょっとした平地に出てきた。

木々に囲まれた円形の平地の中は

何もなく、ところどころに

雑草が生えているだけだ。

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 平地の真ん中に立ち、

軽く深呼吸をしてから、ハンカチで汗を拭った。

柔らかい陽の光が心地よく降り注いでいる。

静かだった。 

時折聞こえてくるのは、

カサカサと風で擦れる枝の音と、

鳥の声くらいだ。

少し歩いてみる。

すると片隅に、小さな古ぼけた木の小屋が

ひっそりと佇んでいるのに気がついた。

簡易トイレよりちょっと大きいくらいで、

今にも壊れそうである。

扉の真ん中に、赤いペンキのようなもので、

また、

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と大きく縦書きされている。

――まりあさま?またか……

僕は好奇心に駆られ、

壊れかけの木の扉をゆっくりと開けてみた。

午後の陽光が、

小屋の中をあからさまにしていく。

僕は思わず声を出した。

「何だこれは……」

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 小屋の一番奥には台があり、

白い布が被せられ、その上には、

高さ50㎝くらいの聖母マリア像があった。 

像の前には、色とりどりの花や果物、お菓子が

山のように積まれている。

像の背後の壁には、

「魂は永遠です。

神はいつも、あなたとともに」

と、先ほどと同じような赤いペンキで、

大きく書かれていた。

そして左右の壁には、

肖像画が何枚か貼られている。

見るとそれは、昔のキリスト教の

宣教師であった。 

皆、黒いマントを纏い、十字架を持ち、

祈るような目で遠くを見つめている。

それらの肖像画の周りに、

無数の短冊が、びっしり貼られていた。

そこには文字が書かれているのだが、

どれもこれも、

「魂は永遠です」と書かれている。 

字は様々で、全て違う人が

書いたもののようであったが、どれもこれも、

ひらがなやカタカナで書かれており、

あまり上手なものはなかった。

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 扉を開けたまま

しばらく小屋の中を見ていると、後ろの方から

何か射すような視線を感じ、思わず振り向いた。

小屋を出て、ぐるりと周囲を見渡してみる。

誰もいるような感じはない。

先ほどと同じで、時折、木の擦れる音と

鳥の鳴き声が聞こえるだけである。

時計を見ると、午後5時を過ぎており、

辺りは夕日で赤くなってきていた。

――そろそろ帰るか……そう思った時だ。

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 どこからか人の呼び声のようなものが、

聞こえたような気がした。

耳を澄ましてみるが、何も聞こえてこない。

――空耳か?

そう思い、再び帰ろうとしたら、

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まりあさまああ……

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 今度はさっきよりもはっきりと聞こえた。

しかも、それは一人ではなく、数人だ。

僕は耳を澄まして、声のする方向を確認した。

それは、あの小屋の後ろの方から、

聞こえているようだった。

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まりあさまああ...

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そこは、木が鬱蒼と続いているだけだ。

だが、なぜか僕は引っ張られるように、

小屋の向こう側の立ち並ぶ木の中に、

入っていった。

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 どこまでも立ち並ぶ木々の間を、

何度もくぐりながら、

声のする方へひたすら歩いた。

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まりあさまああ……

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 どうやら徐々に声は大きくなって

きているようだ。 

僕は何かに取り憑かれたように、

ひたすら歩いた。

声を出している人たちに、ただ

会いたい、そんな気持ちいっぱいで。

声はさらに大きくなり、すぐそばで聞こえて

くるようになっていた。

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まりあさまああ!……

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 僕も呼応するように、お~い!と叫びながら、

歩を速める。

ようし、あと少しだ。そう思った時だった。

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 あれほど聞こえていた声がピタリと止んだ。

――え!?

耳を澄ましてみるが、何も聞こえない。

「そんな……」

僕は木にもたれかかりヘナヘナと

座り込んだ。

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 いったいどれくらい歩いただろうか。

あれほど聞こえていた人の声が

全く止んでしまった。

木の根元に座りこみ、

うなだれて呆然と地面を見ていると、

目の前の影がゆっくり

動いているのに気がついた。

不思議に思い見上げると、

目の前の大きな木の枝に、何かがぶら下がり、

微かに揺れ動いている。

何だろう、と目をこらした瞬間、

僕の背中を冷たい戦慄が走った。

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 それはもんぺ姿の女性だった。

沈み行く夕日を背に受けながら、

白いタオルで首を吊ったもんぺ姿の女性が、

首を斜めにして、ゆらゆらと揺れている!

よく見ると、顔も手足も干からびていた。

額には、

「魂は永遠です」と書いた紙を貼り付けていた。

それだけではない。ここにも!あそこにも!

青い作業着の男の人!

割烹着の女の人!

甚平姿の男の子!

皆、額に

「魂は永遠です」という紙を貼り付け、

あちらこちらの木の枝に吊り下がっており、

微かに風に揺れていた。

まるで、僕を歓迎するかのように。

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 呆然と立ち尽くしていると、

夕日で赤く染まった空は、さらに赤くなり、

終いにはどす黒い赤に変容し、

あの宙に揺れる干からびた骸たちを

不気味に浮かび上がらせ始めている。

そして再び、あのすがるような、呻くような声が

あちらこちらから、聞こえてきた。

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まりあさまああ!

まりあさまあ!

.

まりあさまあああ!

.

.

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 僕は必死に、来た道を走っていた。

日は暮れており、辺りは暗い。

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まりあさまああ...

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走っている間も、あの声は

ずっと聞こえてくる。

何度となく、木にぶつかりながら、

手足を傷だらけ、泥だらけにし、

鼻血を出しながら、ただ、ひたすら走った。

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まりあさまああ……

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 いつまで経っても、あの小屋は見えてこない。

――しまった、迷ったのか?

僕は立ち止まり、激しく息をはきながら、

ゆっくり周囲を見渡した。

周囲は暗闇が包んでおり、ぼんやり

立ち並ぶ木が見えるだけだ。

――ダメか……

そう思った時だった。

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 暗闇の中に一点ポツンと、

微かに赤い光が揺れているのが見えた。

――あれだ!

なぜか分からないのだが、とにかく、

僕は光に向かって走った。

徐々に赤い光は大きくなってきた。

もう、あの声は聞こえてこなくなっていた。

光はあの小屋の窓からのものだった。

ほっと一息つくと、入口の前に回り、

扉を開ける。

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 そこには先ほどのマリア像の周りに、

誰が置いたのか、

たくさんの赤いロウソクが置かれ、

その全てに、火が点されている。

そして、像は神々しい光を放っていた。

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 僕はその場に座りこみ、静かに手を合わせた。

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@岩坂トオル 様
コメントありがとうございます
きちんと読んでいただき、感謝申し上げます
現在のように、情報インフラが整備されていない
昔は、このような独自の信教が地方では、結構
あったのでは、と思います

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ネタバレ注意
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僕は、キリスト教の宣教師を描いた肖像画が
怖いです 昔、歴史の教科書とかにも載って
ましたが、あの頃からずっと、怖いです
あの、あっけらかんとした目、ぎこちない
手の組み方、変な髪型、とにかく、怖いです
そんなことで、書きました
以上!

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