長編15
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数獲るー戮ー

「今から申し上げるのは、数獲るに纏わる文献の最後の譚である、“石封じの譚”についてに御座います。但し、このお話ですべてを語り伝える事は叶いません。伊藤様、これを」

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由奈は早苗に封書を手渡し、続ける。

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「この書は“時期”が来るまで読んではなりません。必ずこれから申し上げる計画のある段階で使用して下さいませ」

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早苗は由奈から封書を受け取り、訝しげにそれを見つめている。由奈は、前置きはここまでとし本題に入らせていただきますと言い、少し間を置いてから語り始める。

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「数獲るの文献に御座います、石封じの法を“戮(りく)”と申します。この戮とは殺すという意味の殺戮、協力し合うという戮力の二つの意味があり、怨塊を共闘し封じる法が記されております。

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これを実行するためには、松から怨塊を奪い取る事が必須であり、その手立てとして桂一様、阿部様、貴方がたに松から石を奪い取っていただきます」

作戦と呼ぶには余りに稚拙な内容に、桂一と阿部は困惑の色を隠せずにいる。

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「力任せ……ということですか? 桂一さんはともかく、僕は運動神経は良くないですし、果たして務まるでしょうか……? 」

阿部が不安を口にするが、桂一は平然としている。

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「力尽くというのは確かで御座いますが、怨塊を持つ今の松は禍鬼の力を色濃く宿し、常人であれば瞬く間に蹂躙されることでしょう。

しかし忌石を持つ者のみが、怨塊を所持する禍鬼に対峙すると鬼の力は発動されません。禍鬼になれない松は生身の老婆となり得るため、隙を見て怨塊を奪う事が可能となります。

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幸いなことに、早苗様が鈴木より忌石を回収していた事でこの計画が実行出来るのです。

但し、禍鬼の力は人知を超えたものに御座います。一寸先は闇、命を落とす確率も十分にあります。ご覚悟をもって臨んでいただきたく存じます」

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「俺と阿部君が数獲るの呪いにかかっている事と、二人が男という事で怨塊の奪取確率を上げつつ、全滅のリスクを下げる腹づもりだな? 」

由奈の話を冷静に聞いていた桂一が推察を口にする。

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「御名答。貴方がたが適任なのです。

松へは石封じの譚の在り処を偽り、町の外れにある廃墟へ行く様に便りを出しております。

残された時間はあと僅か。申し訳御座いませんが御決断をお待ちする時間も無いのです。明日の夕刻が決戦の時となります」

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桂一も阿部も無言で頷き、その瞳には覚悟が表れていた。迷う余地など無く、行動をして命を落とすか、何もせず死を待つかでは前者しか選択肢は無い。

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「アチシと由奈ちゃんは二人のバックアップをすればいいのね? もっと言えば二人が死んじゃったら、松から怨塊を奪う役がアチシたちに回って来るってことよね。

覚悟は出来てるわよ」

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縁起でもない事を力強く応える早苗に対し、不安の色を隠さず阿部が反応しているが、それを尻目に由奈は皆に対し深々とこうべを垂れ感謝を示す。

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「皆様、ありがとうございます。

石封じの譚である戮は、怨塊を手に入れた後に封を解きます。

戮の方法に従い、怨塊を封じる事が出来れば或いは……

それでは明日の夕刻に迫る“決行の時”に備え、英気を養っていただければと存じます。ささやかながら宴の準備もさせていただいております。どうぞごゆるりとお過ごし下さいませ」

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由奈は客間から出ると神社の拝殿へ向かい、独り座禅を組む。目を瞑り記憶を辿る静かな時間を由奈は何よりも好んでいた。

彼女はかつての家族についてを思い返す。

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「ネーネ、アソボ」

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弟のアタルが初めて発した言葉だった。

両親は神職の務めに身を捧げ、由奈はその姿に誇りを持っていた。将来は自分も父の様に装束に身を包み、町の神事に携わりたいと考え日々父の姿を追う。そんな由奈の後をついて歩く愛くるしい弟を、微笑ましく見つめる母親。

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暖かな家族の団欒の風景に、突然暗雲が立ち込めたのは由奈が六つの時であった。床に伏し一月も経たず命を失った父の死が、土地の掟を理由としたものであったと聞かされたのは、随分と経ってからだった。その頃には母親と弟が姿を消し、由奈は一人残され懇意にしていた土地の人間に引き取られる。

どうでも良かった。

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小さな町では直ぐに、母は男でも作り足枷となる自分を捨て弟を連れ立ったと噂が広まる。由奈は母を許せず、憎み、恨み、蔑んでいた。

ある日一通の手紙が届く。

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便箋を開くと母親からであったため、即座に破り棄てようとするが、“あなたがこの手紙を読む頃には”という文字が視界に入り踏み止まる。

皺で歪んだ手紙に再び目を落とす。

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“あなたがこの手紙を読む頃には、私はこの世にはいないわ。土地の掟は一族を断つ事まではしない。そういう決まりなの。だからこそ由奈、あなただけを残してアタルと町から姿を消した。アタルは安全な場所できちんと育てて貰うわ。これで土地の掟から逃れる事が出来るけど、もうあの頃には戻れない。辛いの、辛くて仕方がないの。

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だから死ぬわ。

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由奈、ごめんね。さようなら。”

何も感じなかった。

由奈はそんな自らに失望すら覚え、人としての“何か”が消えていくのを感じていた。

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「おい! お前さん、起きろ! 」

「ふぇ? はっ桂一さん! 今何時ですか? というか、どうしたんですか? 」

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境内の宿舎で桂一に起こされた阿部は、頭痛と共に重い身体を起こす。

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「もう昼過ぎだよ。昨日は盛り上がったなーハハハ! 夕方までまだ時間があるから、色々と準備をしておこうと思ってな。ちょっと付き合ってくれるか? 」

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由奈が用意した宴の席で、遠慮なく食べて呑む早苗と桂一に気圧され、阿部は勧められるままに酒を煽り泥酔していた。二日酔いによる後悔の念に苛まれながら支度をし、桂一と共に外へ出る。

町のホームセンターへ行き、工具類を物色する桂一を訝しむ阿部が声を掛ける。

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「あのー桂一さん。何を探しているんですか? 」

「え? 何って……まーアレだよ。武器だな。」

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「成る程……ってこんなところで化け物に対抗出来る武器なんて揃うんですか?! 」

「分からん! 俺も化け物とやり合った事なんて無いからな。無いよりはましだろ? ほら、お前さんもアレしろ」

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選べという事だなと阿部は察し、桂一と一緒に商品を物色する。桂一はロープとシャベル、懐中電灯を手にし、阿部は農業用の4本爪フォークを選んだ。

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「凄いの見つけたな。それで婆さんをひと突きか! プフフッ、まぁそういうアレも必要だな」

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阿部は桂一に馬鹿にされ、むくれながらも会計を済ませる。店を後にし、神社へ戻ると由奈と早苗が待っていた。

時刻は午後3時を回り、夕刻に少しずつ迫っているため、4人は町の外れにある廃墟へ向かう。皆終始無言で足取りは重く、これから起こり得る生死のやりとりに向け一歩ずつ進んでいた。

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目的地に到着する頃には日が暮れ始め、雑草が生い茂る中、ひっそりと佇むその廃工場を夕日が照らしていた。暫く皆無言で立ち竦んでいたが、由奈がさあ参りましょうと歩き出すのを合図に、各々が続いていく。

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工場の入り口から中を覗くと暗闇が広がっている。桂一が懐中電灯で中を照らすと、ガランとした工場内の中心に後ろ手を組む松が立っていた。

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「早苗ちゃん、由奈ちゃん、外に出ていろ! 」

桂一が松から視線を逸らさずに二人に指示する。由奈は阿部にこれをと言い、忌石を握らせ早苗と共にその場から走り去る。

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懐中電灯の明かりに照らされた松はニカッと嗤い、次の瞬間禍々しい唸り声と異様な四肢の動きで、見る見るうちに禍鬼へと変貌を遂げた。

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「イシよコせェ〜……ハァハァ……こロス! 」

赤黒い巨躯の化け物の、鋭い牙から滴る涎が10メートル先に立ち竦む阿部達の目からもよく見えた。

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「よ……よう、お前さん。脚は動くか? この状態で奴が怯まないってことは、忌石は視界に入る位置で相手に翳す(かざす)事までしないと効果を発揮しないみたいだな」

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阿部は桂一の話に耳を傾けながらも、禍鬼から目が離せず、震える下肢を殴りつけながら答える。

「痛っ、大丈夫です! 次に禍鬼が動いた時、目の前に忌石を突き出します。話に聞く限りでは、しくじったら僕ら一瞬で命を刈り取られるみたいですからね……」

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「そうだな。チャンスは一回きりだ。おっ動くぞ」

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具(つぶさ)に状態を観察していた桂一がそう言うと、禍鬼は状態を低くしまるで獣の様に四足歩行となり、その巨躯を最大限に屈めタメを作っている。

フッと突然禍鬼の姿が消える。その刹那、阿部は咄嗟に忌石を持つ右手を前に突き出していた。

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ブワァ! という風圧と同時に目の前に禍鬼が現れ、その鋭い爪が阿部の頭部を貫かんとする寸前に動きを止める。互いに時が止まった様に硬直し、禍鬼は忌石の力により、阿部と桂一は禍鬼のあまりの速さと、後一瞬遅れていたら死んでいたという恐怖心から動く事が出来ない。

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幾ばくかの時が過ぎても禍鬼が微動だにしないのを確認すると、桂一が口を開く。

「はっ、ははは! よし、動きを止めたぞ! 」

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自らを鼓舞する様に大声で叫ぶ桂一に対し、阿部は目を閉じ大きく深呼吸をする。そのまま動くなよ? と阿部に命じた桂一は、手際よくロープで禍鬼を縛り、長く伸ばしたロープの先を工場内の二本の柱へ厳重に括り付けた。その様子を見て、同じ格好のままの阿部は疑問を口にする。

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「これからどうすれば? いや、それよりも由奈さんが語った禍鬼に対しての忌石の効果が気になるんです。

由奈さんの話では、禍鬼に忌石を持つ者が対峙するするだけで、禍鬼は松の姿に戻るとの事でした。しかしどうでしょう? 今目の前にいるのは紛れも無い禍鬼そのものです。数獲るの伝承の解釈に誤りがあるんじゃ……」

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「あぁ、それは俺も感じていたよ。んっ、これでよしっ! お前さんはそのままで少し待っていてくれ。俺は由奈ちゃんと早苗ちゃんを読んで来る。“戮”とやらがわかれば、これからすべき事も自ずと分かるだろう? 」

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桂一は念のためもう一回り、厳重にロープで禍鬼を縛り付けながら話すと、阿部の肩を叩き工場から出て行く。

阿部は不安に駆られながらも、改めて眼前の禍鬼を見上げる。恨めしそうな顔で阿部を睨みつけるその化け物の禍々しさに、阿部は思わず目を逸らす。

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「アハァ! ヤット……」

へ? と間の抜けた声で再び禍鬼に視線を戻すと、先程見た身体の向きから傾き片脚を上げている。その顔は嗤い、上げた脚の鋭い爪からは赤い液体が滴り落ちていた。

「この時を待っていたよ。ウデはモラッタヨ」

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(動けないはず……あ、忌石は? )

阿部が忌石を握り禍鬼に向かい翳していた右腕を見ると、右の肘から先が無くなっている。

「は? え? ヤバッ! 僕の右腕は? ……ウッ……」

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阿部は状況が飲み込めず、単純に無くなった腕を探そうとするが、大量の出血に気を失い前のめりに倒れ込んだ。絶望を感じながらも、尚希望を見い出そうとする人間の性を目の当たりにしながら、その化け物はえも言われぬ悦に浸っていた。

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「ククク……憐レナ。今ラクにシてヤル」

禍鬼はクルッと回り糸をちぎる様に、縛られていたロープを断ち切る。同時にそれが工場内の柱に括ってあったロープに作用し、柱がひしゃげ、朽ちた廃工場は倒壊を始めた。

放っておいても阿部は死ぬと、禍鬼は余裕を持ち彼の死後にじっくりと忌石を頂こうと考えていた。瓦礫が落ちて来るのも構わず蹲る阿部を見下ろし続ける。

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崩れ行く廃屋を早苗、桂一、は途方に暮れ見届けていた。

「あれ? 由奈ちゃんは? まさか……工場内に飛び込んだのか!? 」

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桂一はそれに気づくが現状を見守ることしか出来ず、早苗は唖然として立ち尽くしている。ガラガラッ……ズズーンという音を最後に、雑草の生い茂る中佇んでいた廃墟が見事に崩れ去っていた。

桂一と早苗は全壊した廃屋の中心部に禍鬼の姿を捉え、意を決してその場へと駆けて行く。禍鬼の足元には阿部がうつ伏せに倒れ、禍鬼の腕に由奈がしがみつく様に立っていた。

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「由奈ちゃん! しんちゃんは? ウッ!? 」

禍鬼の間近に駆けつけた早苗が由奈に視線を送ると、腕にしがみついていた様に見えていたのは、禍鬼の爪が由奈の腹部を貫いていたからであった。彼女の腹部を貫通した爪を禍鬼が引き抜こうとしているが、それをさせまいと由奈は必死で食らいつき離さない。

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「これで終わりだ! アタルはワタクシが守り抜きます」

由奈は右手に、禍鬼に切り取られ忌石を握った阿部の腕を掴み、震えながら“阿部の腕”を禍鬼の身体へ押し付けた。

「やメロぉオォー……」

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弱々しく鳴く化け物は、徐々に巨躯を縮めて行き、やがて“松”がその姿を晒した。

しめた! と桂一が弾かれた様に松に駆け寄り、腕を捻り上げると松の手から石が転がり落ちた。松が“怨塊”を手放した瞬間、シュー……と黒い煙と共に松自身が姿を消失させた。

早苗は倒れている阿部の元へ駆け寄る。

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「しんちゃん!? 良かった、まだ息がある! 由奈ちゃんは? 」

桂一は膝をつき由奈の安否を確認するが、腹部の傷により、既に生気の無い由奈を見て首を横に振る。

「桂一さん、後はアチシとアンタで何とかするわよ! いいわね? 」

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月明かりに照らされた早苗と桂一の眼は力強く、“戮”の実行だけを見据えていた。

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目を開けると天井が見える。

真っ白い清潔な個室に阿部は独り横たわっていた。ハッとして右腕を確認すると、今が現実であることがわかり、紛れも無い事実として右腕は……無い。

呆然とする阿部は現状を認識するための材料を探すため、病室内に視界を巡らせる。ベッド脇のサイドテーブルに置いてある封筒が視界に入り、身体を反転させ手を伸ばした。

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(確か“戮”が記されている書だな……? 封が開いている。石封じが成功したんだな……)

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どのくらい眠っていたのか、自らの意識が断たれている間、何が起こっていたのか。朦朧としながら戮の書を広げると、旧書体で読みにくいが、大まかな内容は理解することが出来た。

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1、数獲るを完全に終わらせるためには、神職の血筋の力が必要である。

2、神職の血族は二人必要であり、一人は身体の一部、もう一人は魂を神社の境内のある場所へ納める。

3、怨塊と一緒に数獲るが九十九となる迄にこの行程を実行する。

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(血族? 二人? 数獲るの声は聞こえない……この方法、どうやって……? )

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封筒にはもう一通手紙が入っている。その手紙を開くと“阿部様”と宛名が書かれており、それは由奈が阿部に宛てた手紙である事がわかった。

阿部は口元を緩ませ、由奈さん……と呟き手紙を読み始める。

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(え……?)

数行読み進める内に、阿部は驚愕をしていた。

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“阿部様

お手紙にて失礼仕ります。もう戮はお読みになられたかと存じます。この度は数々の御苦労、深く感謝致します。

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このお手紙を貴方様がお読みになられる頃には、ワタクシの魂はこの世には存在しません。何故ならば、戮の法により魂を捧げるべき神職の血族がワタクシであるからで御座います。では、身体の一部を捧げる血族は誰か? 貴方がたへご紹介申し上げた神職の血族はワタクシ一人に御座いますが、もう一人だけ、血族がおりました。

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それはワタクシの弟に御座います。

そしてその弟とは、阿部様、貴方様なのです。養護施設へ預けられ、養子縁組にて阿部 真(アベ シン)という名となっていた事は、松から聞かされました。彼等の本当の狙いが貴方様であり、親族の血筋がワタクシと貴方様だけしかいない事で、時間を掛け脅されておりました。

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貴方の名は佐久間 真(サクマ アタル)、紛れも無くワタクシの弟です。

貴方の名を母親は、漢字だけをメモに残し施設に預けたのでしょう。

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貴方の事をワタクシは愛くるしく大切に思っておりました。父が贄の対象となり命を落とし、母親が過去の家族を惜しみ自ら命を断ち、ワタクシに残された家族は貴方しかいなかった。片時も貴方の事を忘れた事などありませんでした。

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貴方と再会した時、ワタクシの心の奥底にしまってあった、人を愛するという気持ちが溢れ出し、必死にそれを押し殺していました。今更のこのこと家族の顔をして貴方の前に出て行く事が、貴方にとってどれ程の憤りと悲しみを生んでしまうか、そう考えるとこの手紙すら筆が進みませんでした。

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貴方がこの手紙を読んでいて、無事にすべてが終わっている事を願い、その上で貴方にどう思われても良いから、最後にこの言葉を送らせて下さいね。

真、弟として貴方を本当に愛しているからね。人生をしっかりと歩んで、絶対に幸せになってね。何も出来ない姉でゴメン。

本当に大好きだよ!

さようなら”

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コンコン!

阿部がハッと病室のドアに目をやると、視界がぼやけ自らの頬を伝う涙に気付き、袖で顔を擦りながら、なんとかどうぞと声を絞り出した。

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「しん……阿部ちゃん! 良かった! 目が醒めたのね。物凄く心配したわよー」

いつもより静かで大人しい早苗は、桂一と交代で阿部が意識を取り戻すまでの一週間、毎日病室へ面会に来てくれていた。阿部はきっと看病に疲れて元気がないのかなと思いながら答える。

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「早苗さん、ありがとうございます。身体も何とも無いですよ。それよりも、あの……由奈さんはやはり……?」

阿部は分かりきった事と知りながら、事実としての確認と僅かな期待をかけながら早苗に尋ねる。早苗は阿部の右腕を見ながら、沈んだ表情で答えた。

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「阿部ちゃん、ごめんね。アチシ何も出来なかった。アンタの身体もこんなにならずに済んだのかも知れないのに……由奈ちゃんは無事に生きているわよ」

「えっ!? ちょっ、そうなんですか? えっ? ああ、良かったー! うぅ……よかった……」

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由奈が生きている。期待はしていたがおよそ思いもよらない早苗の返答に、阿部は歓喜と戸惑いが混在した反応を示した。阿部が溢れる涙を抑えられずにいると、早苗は微笑みながら、しかし哀しげな表情でハンカチを渡し、話の続きを口にする。

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「でもね、彼女記憶が無いのよ。幼児期の家族が皆一緒だった頃の記憶までしか無いみたい。カウンセリングの結果だと、6歳以降の21年間の記憶がすっかり消えているそうなの。

多分、戮にあった“一人は魂を納める”という部分がこれに当たるんじゃないかしら……」

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(よかった! 記憶など命に比べれば……生きている……とにかくよかった! )

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暫く俯き、ハンカチで眼を覆う阿部を、早苗は優しく見守っていた。阿部はこれまでの人生の中での様々な想いや、つい今しがた読んだ手紙での濃密な経験が、錯綜した思考によりまとまりのつかない状態であった。

漸く気持ちが落ち着き、早苗に向き直り再び質問をする頃には、いつもの冷静な阿部に戻っていた。

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「僕が意識を失った後の事、教えてくれませんか? 」

早苗は頷き、大変だったわよ……と話し始めた。

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1週間前ー

「桂一さん、後はアチシとアンタで何とかするわよ! いいわね? 」

「おお! ここからが正念場だな。阿部君も由奈ちゃんも絶対助ける! そんでもって戮によって数獲るも終わらせる! だろ? 」

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早苗は力強く頷き、持っていた石封じの譚の封を切り、戮の内容を紐解いていく。

戮の書と手紙の他に、札と小さなメモが同封されている。

メモには“阿部様の身体の一部を神社の境内、本殿の地下の所定の場所へ怨塊、忌石と共に埋め、この札を板に貼り付け封印の地に刺す”と記されていた。

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「うん! わかったよ、由奈ちゃん!

さぁ桂一さん、アンタはこれから救急車と警察に連絡する! この状況の説明は任せた! アチシはここに書かれている戮の方法通り、石封じのため阿部ちゃんの腕と石を持って神社の境内に走るわ。いいわね? 」

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よし! 任せとけ! という桂一の声を背に早苗は必死に走った。

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「まぁ、桂一さんは元から口八丁には自信があったみたいで、警察には色々と説明をしたけど結局3日間勾留されて何とか釈放されたらしいわ。突拍子のない事件? なのは確かだから、阿部ちゃんへも警察が面会に来ると思うよ。大変だけど上手くやってね? 」

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阿部は早苗と桂一の苦労を考え、ありがとうございますという単純な感謝の言葉しか出ない自分に、不甲斐なさを感じながらもまた涙が溢れる。

「グスッ、本当に早苗さんと桂一さんが一緒で良かったです。もうヤバイ……涙止まらない……」

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「阿部ちゃん、アンタが一番辛かったよね……良く頑張ったよ。こちらこそありがとう。全部終わったんだから、ゆっくり身体直してまた一緒に掃除の仕事しようよ! 」

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阿部の退院日には、早苗や桂一の他、初めて会う桂二も祝い、手伝いに駆けつける。

由奈は傷が順調に回復し、阿部よりも先に退院をしていた。

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早苗が阿部の退院手続きを手伝い、桂一と桂二が荷物を車に乗せて待っている。桂二が阿部の退院に合わせ自家用車を出した事に、阿部は終始恐縮をしていた。

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退院手続きが終わると、早苗は飲み物を買うと言い、阿部に一人で桂二達の待つ車へ行くように伝える。阿部が病院の正面玄関から外に出ると、空は晴れ渡り、澄んだ風が吹き抜けて来た。眩しい陽射しに目を細めている阿部の前に、一人の女性が歩いて来る。

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「アタル! 退院おめでとう。はい、どうぞ。」

由奈が笑顔で花束を持って現れ、阿部にそれを渡す。

記憶が無いにも関わらず、自身が置かれている状況に戸惑う姿を微塵も見せず、姉として弟の快気を祝う姿に、阿部の眼から止めどなく涙が溢れる。

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「うぅ……姉ちゃん、ありがとう! 」

早苗や桂一も遠くでその様子に瞳を潤ませている。

吹き抜ける風はどこか爽やかな、春を予感させる微かな匂いがしていた。

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