中編6
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夢殺

「先生、わたし、思うんですの」

きちんとセットされたセミロングの髪を

触りながら、酒井信子は言った。

小さな会社の経理事務員のような

細面で神経質そうな顔をしており、

今年で40なのだが、

どう見ても10は老けて見える。

ただ、どことなく上品な所作や言葉遣いを

していた。

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「どんなことを、ですか?」

目の前に座ってる白衣姿の篠田が、

机の上で手を組み、上目遣いに信子を見た。

無造作に伸ばした真っ白い髪に、

銀縁の眼鏡を掛けている。

彼の右側はガラス張りになっており、

きちんと手入れされた庭園が

見えている。

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「全てが夢ではないのかしら、と」

信子はキッパリと言った。

「夢?」

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「そうです。

今朝、警察の方々に車に乗せられ、

先生のこのオフィスに連れてこられたこと、

それから今、先生とお話ししていること、

全てが夢ではないのか、と」

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「ほほう、ということは、私は現実の人間

ではなく、あなたの夢の中の登場人物だと

言うのですか?」

篠田は銀縁の眼鏡を外し、

子供のくだらない話を聞く親のように、

眉間を指で揉むと、大きく息を吐いた。

背後の本棚には、

心理学関連の物々しい学術書が

すき間無く並んでおり、

広い机の上には、タイトルが英語の

雑誌が無造作に積み上げられている。

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「そうです だから、もう少ししたら、

ここは突然、真っ暗になって、

先生もわたしも消えて、

わたしはいつものように、

いつものベッドで目覚めるのではいか、と」

そう言うと、信子は真剣な目で篠田を見た。

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「酒井さん、あなた、本気でそんなことを

言っているんですか?」

「はい、 

だって、そんな夢あるじゃないですか。

現実とほとんど変わらないのが……。

その中では、当たり前に「痛み」を感じるし、

「寒さ」や「暑さ」も感じる。

この間なんか、主人と娘と、

ステーキハウスに行った夢を見たんですよ。

その時も、目の前の鉄板で焼ける肉の音や、

香ばしい肉の香り。 

油が飛び散り、わたしの手の甲に当たり

凄く熱くて、やけどして。

それを見た主人と娘が大笑いして

その時も……」

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「酒井さん!」

話を遮るように、篠田は声を出す。

信子はビクッとして、話を止めた。

「残念だけど、あなたの前に座っている

私もあなたも夢ではなく、現実なんです。

そして、あなたが3カ月前に、

ご主人と15歳の一人娘を殺したのも、

厳然たる事実です」

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「夢なんです 夢に決まってます!

だって、わたし、前にもそんな夢を見た

ことがあるんです!」

「そんな夢というのは?」

「主人や子供を殺す夢です。 その時も

今回と同じように、包丁で刺したときの

手応えを感じましたし、顔に付いた

血の生温かい感触も、匂いもありました。

それで、わたし、なんて恐ろしいこと

したんだろう、と狼狽えて。

慌てて近くにあった新聞紙で

傷口を押さえたりして、

それはそれは全く現実そのものでした」

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「それはそうかもしれないが、

今回は間違いなく、

あなたが現実の世界でやったこと

なんです」

篠田は少し声を大きくして

断定するように言った。

「じゃあ、先生、今のこの状況を

夢ではないと、証明できます?」

信子は大きく目を見開く。

その目は白目がはっきり血走っていた。

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 信子がそう言った途端、彼女や篠田の姿は

テレビの画面が乱れるように、

一部が見え隠れしだすと、

周囲と同化するかのように、薄くなっていき、

やがて、辺りは暗闇が支配した。

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 どれくらい暗闇は続いただろう。

突然、ポツンと

遠いところにボンヤリと白い光が見えた。

それは徐々に大きくなっていく。

酒井信子はうなされながら目を開けた。

 いつも通りの

あみだくじのような白い天井が見えている。

彼女は額の汗を拭いながら、

ほっとため息をつき、起き上がる。

窓にはレースカーテン。

壁に掛けられた印象派の絵画。

いつもの寝室の光景だ。

まだ、動悸がしている……。

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―また、夢…… ここのところ、こんな

夢ばかり…… わたし、どうかしてる

のかしら……

そう思いながら、ふと、横を見ると、

夫がいない。

慌てて時計を見た。 9時。

―いけない!朝ごはん作らないと!

急いでガウンを羽織り、

スリッパをはいて、寝室を出た。

奥の居間に行くまでに、一人娘の部屋の

ドアをノックする。

「起きなさい!遅刻するわよ!」

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 信子が居間のドアを開けたら、

いつもの朝のニュースキャスターの

元気な声が聞こえ、

食卓テーブルの前には、

既にワイシャツとネクタイの夫と

制服姿の娘が座っていた。

目映い朝の陽光が二人に当たっている。

「あらあら、ごめんなさい!

わたしが最後だったみたいね!

すぐご飯準備するから、ちょっと待って

ちょうだいね。

本当、わたしったら、最近

寝坊ばっかりして、変な夢は見るし……」

と一人ブツブツ言いながら、

バタバタと皿を準備し、

冷蔵庫を開けて、食材を出す。

そして、フライパンをガスレンジの

上に置いた。

「目玉焼きとパンでいいでしょう?

それくらいしかできないわよ!」

信子は食卓の二人に聞いた。

だが、返事はない。

「まったく、何か返事くらいしなさいよ…」

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 相変わらず二人は無言であった。

信子の夫はイスにもたれ掛かり、

焦点の合わない目で宙を見上げ、

ダラリと両手を垂らし、

口をポカンと開けている

娘はテーブルの上に

横向きに頭を乗せて目を閉じ、

両手は顔の横に置いている。

二人とも顔には生気が全くなく、

小バエが数匹、二人の肩や顔に

とまっては、離れている。

壁際の大型テレビでは、

若く元気な男性が今日の天気を

明るい調子で紹介していた。

テレビの前の絨毯の上には、

乾いた血の付いた包丁が落ちている。

周りには、何枚もの新聞紙が

くしゃくしゃになって散らばっていた。

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 やがて、食卓テーブルの上には、

朝食が並べられた。

いつもの目玉焼き、クロワッサン、

そして、コーヒー。

信子も一緒にイスに座る。

「さあ、早く食べないと、

間に合わないわよ」

目の前の二人は先ほどの姿勢のまま、

全く動かなかった。

.

.

「そう…そうよね…あなたたちは

いつもそうやって、わたしを

無視するのよね……。

分かりました!もう、会社にも

学校にも行かなければいいわ。

何時までもそうしていればいい。

わたしは知りませんからね!」

信子はそう言って立ち上がり、

テーブルの上にある熱いコーヒーを持つと、

目の前の夫に中身をぶちまけ、

カップを床に叩きつけた。

大きな音とともに、それは見事に割れ、

破片があちらこちらに飛び散った。

白いワイシャツは茶色に染まり、

湯気を上げている。

信子はテーブルの上に顔をうつぶせると、

大声で泣き出した。

だが、相変わらず夫は何の反応も

示さず、ただひたすら天井を見上げていた。

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 玄関の電話が鳴り続けている。

やがて、それは留守電に切り替わった。

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「もしもし、あの、酒井さんですか?

こちら、S社です。

ご主人が今日もまだ

出社されないんですけど

3日めです。 

折り返してご連絡お待ちしてます」

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 続いてまた、電話はしばらく鳴り続け、

留守電に切り替わった。

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「もしもし、1年3組担任の緒方です。

娘さん、今日も学校に来てませんが、

ご病気かなにかでしょうか?

お電話下さい」

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 食卓テーブルの前に座る

惚けた老人のように物言わぬ二人を

呆然と眺めながら、信子は思っていた。

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――きっと二人も、わたしも、

いつものように、

幻のように消えてしまい、

またいつものように、

わたしは目を覚ますはずだ、

そうに違いないわ、と……。

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@キャトラ 様
コメントありがとうございます
怖がっていただきまして、
なにより光栄です
今後も頑張って怖い話をあげていきます
ので、よろしくお願いします

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@ttttti 様
コメントありがとうございます
夢を題材とした話は、前々から
書きたかったものの一つです
今後もよろしくお願いします

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