中編5
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嫉妬と知的好奇心と

 閉じられた背の高いレースカーテンの

隙間から、朝の眩い光がチラチラと

差し込み始めている。

広々とした洋風の瀟洒なリビングの天井には、

豪華なシャンデリアが灯り、その真下の

アンティークな白いテーブルの上には、

空のワイングラス。

色鮮やかなイタリアン料理が並んでいる。

ネクタイを締め、きちんと正装した

中年の男が、背筋を伸ばして座っていた。

黒い部分が全くない銀髪をオールバックにし、

鋭角な輪郭の色白な顔に銀縁のメガネは、

どこか知的な雰囲気を醸し出している。

男の向かい側には、

白いブラウスに灰色のショールを

かけた美しい女が座っていた。

眠っているかのように目を閉じており、

透き通るような美しい肌をした顔は、

惚けたように俯いている。

男の前のテーブル上には、

一枚の大皿が置かれ、赤いソースをかけた

フォアグラのようなものが盛られていた。

男が満足げに微笑し、

スプーンでその一部をすくい、

口にしたそのときだった。

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「動くな!」

男の背後に、紺のスーツを着た男が

銃を構えて、立っている。

傍らには、

二名の制服姿の警官も立っていた。

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……それから二日後の午後二時三十分。

……F警察署五階 取調室

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 六畳ほどの殺風景な部屋の中央の事務机には、

向かい合わせで二人の年配の男性、

窓際の机には、ワイシャツ姿の若い男性が

座っている。

 F警察署刑事部長、梶原はブルーのネクタイを

片手で緩めて、ワイシャツの袖を捲る。

目の前には、

銀髪の上品な紳士風の正装した男性が

背筋を伸ばして座っていた。

梶原は大型の茶封筒から数枚の写真を出すと、

机の上に並べた。

そこには、

正面、左真横、右真横、真後ろ、と、

四枚、若い女性の肩から上の姿が映っていた。

女性の顔には何らの外傷は無く、

一見すると、ただの証明写真のようである。

ただ、一枚だけ、それは真後ろの写真だが、

明らかに普通ではなかった。

梶原はその一枚を、男性の前に置いた。

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「黒田さん、いや、黒田教授。

これは、あなたがやったんでしょう」

黒田は無表情でしばらくその写真を見ると、

ゆっくり頷いた。

「黒田信二。42歳。T大学医学部解剖学科 

教授。あなたのような地位も名誉もある人が、

何でこのようなことをしたんですか?」

黒田はかなりの長い時間、

無表情で目を瞑っていたが、

やがて、口を開いた。

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「刑事さん、

あなたは人を好きになったことは

ありますか?」

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 突拍子もない質問に梶原が

少し戸惑っていると、黒田は勝手に続ける。

「私はね実は二年前まで、ありませんでした。

学生時代から研究員になるまで、

ずっと学問や研究に没頭し続けてきて、

信じられないかもしれませんが、

生身の女性に対する興味が湧かなかった。

多分、知りたいという知的好奇心が

脳のあらゆる部分を占有していたのでしょう」

黒田の思わぬ告白に、梶原も、窓際に座る

若い刑事も、ただ呆然と話に耳を傾けていた。

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「そんな私の頑な研究人生に突然、

亜希子という女性が現れました。

彼女は、私のゼミの生徒でした。

とても真面目で熱心な子で、そして

なによりも美しかった。

どこか、亡くなった母に似ていました。

亜希子はまるで私の秘書のように、仕事の

サポートをしてくれました。それはそれは

細かいところまで。

そんな彼女の健気で献身的な姿に、

私は少しづつ、好感を持つように

なってきておりました。

ある日、彼女は私を食事に誘いました。

進路に関する相談という名目で。

彼女は将来も研究員として、

大学に残るつもりみたいだったようです。

私の自宅に、食材を持ち込み手料理を

作ってくれました。盛り付けも味も、

申し分ないものでした。

その日から、私の亜希子への想いは勢いを

増したように思います。」

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 狭い取調室は、

カチカチという柱時計の秒針の音と、 

若い刑事の供述調書を書き込むペンの音、

そして、

黒田の朗々とした低い声だけが響いていた。

「そして、ある晩、とうとう、私たちは

結ばれました。私の自宅の寝室でした。

もちろん私にとって彼女は、

初めての女性でした。ただ悲しいことに、

彼女にとって、

私は初めての男性ではなかった。

それが私には信じられなかった。

私は何度となく亜希子に、

かつての男性のことを聞きました。

でも彼女は静かに微笑するだけで、

教えてくれません」

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「ということは、あなたは嫉妬に駆られて、

やった、ということなんですか?」

梶原が上目遣いに黒田を見る。

「嫉妬?それもあったかもしれません。

しかし、それ以外の気持ちも大きかった。

私の42年間の人生には、彼女以外の女性は

いないというのに、亜希子の人生にはかつて、

そのような男性がいた。その男性はどんな

男なのか?彼女は教えてくれない。

……

でも、知りたい!どうしても知りたい!」

黒田の口調はだんだんと

大きくなってきていた。

「それで、まず私は一週間前、

大学の実習室から道具一式を、

自宅に持ち込みました。

そして一昨日の晩、夕食でもしようと、

彼女を私の自宅に呼び出しました。

シャンデリアの下には、その日の午後に

自宅に呼んで一流のシェフに作らせた

イタリアン料理が並んでいます。

ワインで乾杯した後、私たちは楽しく談笑

しておりました。

やがて、彼女はテーブルに顔をうつ伏せて

眠っていました。

あらかじめ入れておいた薬が効いたからです。

そして、彼女を別室に運び、マットの上に

寝かせると、実習室から持ち出した

電動ドリルで、まず後頭部上部の頭蓋骨に、

直径5㎝ほどの穴を開けると、

そこから、柔らかく暖かい彼女の脳味噌を

きれいに摘出しました。大学の実習とは

違うので、少々手間取りましたがね……」

「な……何のために?」

梶原が青ざめた顔で、尋ねました。

「何のために?決まってるじゃないですか!

食べるためですよ。そうすることで、

彼女と私は一体化し、

彼女の記憶の全ても私のものになるのです。

もちろんこれで私は、

彼女の過去の男を知ることができるのです」

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黒田の屋敷には普段、一人の小間使いの女性が

出入りしていた。掃除や洗濯などの、

黒田の私生活の家事的な部分をやっていた。

彼女はこの日、非番だったのだが、たまたま、

忘れ物があり、夜に立ち寄ったとき、偶然にも

今回の凶行を覗き見てしまい、警察に電話を

入れていたのである。

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 黒田の前には、後頭部にポッカリと

穴の空いた女性の写真が置かれていた。

梶原と壁際の若い刑事は、唖然とした表情で

この銀髪の紳士を見つめていた。

「それで、あんたは、彼女の過去の男を

知ることができたのか?」

壁際の若い刑事が初めて、口を開いた。

黒田はいかにも残念そうに首をふりながら、

言った。

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「ダメでした。なにせまだ、

一口しか口にしてなかったからですね」

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