中編7
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白河先生

「白河先生は何か変です」

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 クラス委員長の星野の唐突な言葉に、職員室の教師たちは、一斉に顔を上げた。

度の強そうな眼鏡を掛けたスポーツ刈りの真面目な感じの少年である。

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「お前、何言ってんだ?」

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三年一組担任の濱田は、傍らに真剣な表情で立つ、星野の顔を見上げながら、言った。

白髪混じりの髪を無造作に伸ばした、四十過ぎくらいのベテラン教師だ。

星野の隣には、副委員長の大森も並んで、立っていた。

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「白河先生だったら今朝、自宅に電話したら、ご主人がでて、体調良くないからもう少し休ませてほしい、と言ってたぞ」 

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濱田の前に座っているジャージ姿の体育教師権藤が、いつものように威圧的に言う。

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音楽教師の白河先生は今週に入り、いきなり続けて二日間休んでいた。

元々、病弱で休みがちではあったのだが、必ず前日の夕方には学校に、欠席の電話をしていた。

だが何故か今回は二日間も連絡がなかったので、今朝とうとう、学校の方から自宅に電話したのだ。

おかしなことに、その前の週の初めは、ご主人の方から、白河先生の体調が悪いからしばらく休ませて欲しいと、連絡があったのだが、前週はちゃんと先生は登校していたのだ。

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「でも……でも、おかしいんです」

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星野は少し困ったような顔で、下を向いた。

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「何がおかしいんだ?言ってみろ」

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濱田が上目遣いで尋ねる。

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「先週僕、白河先生と一緒に家に帰っていたんです。夕方のことでした。

先生本当に元気がなくて、歩いてるときも、ほとんどしゃべっていませんでした。

途中上り坂を並んで歩いていて、ふと前を見ると、影がなかったんです。先生の影だけが……」

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「そりゃあ、お前の見間違いだろう」

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と言って、体育教師の権藤が鼻で笑った。

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「違います!僕、よく友達と一緒に、あの上り坂を歩いて帰るんですけど、必ずいつも長い影が人数分並んでいるんです!

それと、その坂の途中に僕んちがあるんで、そこで先生と別れたんですけど、十㍍ほど先で、いきなり消えたんです」

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「消えた?」

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「そうです。家の門扉を開けてからもう一回上り坂の方を見たら、夕陽を背中に歩く先生の後ろ姿が徐々に透けていって、終いには周りの景色に溶けるように、消えていきました。

狭い一本道で、坂を登りきるまで、曲がり角はありません」

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担任の濱田は腕を組み、少し考えて言った。

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「いやあ、それだけじゃ、白河先生が死んでるという証拠にはならんぞ。

権藤先生が言うように、お前の見間違いということもあるかもしれんし……」

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すると、星野の隣に立っている、クラス副委員長の女子、大森がしゃべりだした。

薄い黄色のワンピースを着て、髪を後ろにまとめた気の強そうな感じだ。

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「実は、私もありました。これも先週のことなんですけど、金曜だったと思います。

音楽の授業のとき、リコーダーを吹いていると、指の押さえ方がおかしいって、私の指を触ったんです。

その時の先生の指が、なんというか、とても冷たくて……

生きている人間の感触じゃなかったんです。

それから授業中も、どこか虚ろで、遠くを見ているような感じで……」

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「それから、その日の放課後、帰ろうと思って、学校の廊下を歩いていたら、音楽室からピアノの音色が聞こえてきました。

私の好きなショパンの『別れの曲』でした。

ドアの隙間から覗くと、夕陽に染まる教室の中、ピアノの向こう側に、白河先生の頭が動いているのが見えました。

私思わず、「白河先生!」て言ったんです。そしたら、ぴたっと音が消えました。おかしいなあ、と、ピアノのところまで行ったんですけど、蓋は開いていたんですが、誰もいませんでした」

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「他の生徒がいたずらしていたんじゃないか?」

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「違います。あれは絶対に白河先生でした。」

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確かに白河先生は前週、様子がおかしかった。

職員室にいるときも、他の先生とほとんど話すことがなく、ただぼんやり、どこか虚ろな様子で座っていた。そして今週に入り二日間、連絡なく休んでいたので、とうとう今朝、権藤先生が自宅に電話したら、ご主人がでて、体調不良でしばらく休ませて欲しいということだった。

濱田は星野と大森の言葉も気掛かりだったし、様子見も兼ねて、自宅に行こうと思った。

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白河先生の家は学校から歩いて十分くらいのところにある公営住宅で、ご主人と二人暮らしだ。

放課後、濱田は学校を出ると、歩いて向かった。

途中星野の家の前の坂を登る。

確かに道には長い影がはっきり伸びている。

百㍍ほど登りきり、少し下ると、大きな四つ角がある。

そこを左に曲がったところに、県が計画的に建てた、同じような造りの公営住宅が立ち並んでいた。

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先生の家は、その中の一軒だった。

こじんまりとした二階建てだ。

微かに金木犀の香りがしている。

濱田は門扉を開けて玄関のポーチまで歩き、呼び鈴を押してみた。……返事はない。

もう一度押す。……返事はない。

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「白河先生!」

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大きな声を出しながら、ドアを叩いてみた。

……返事はない。

しょうがないから試しに、ステンレスの開き戸の引き手に手を掛け、力を込めると、扉はガラリと簡単に開いた。

どうやら、鍵はかかってなかったようだ。

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「白河先生……」と言いながら、濱田は中を覗いた。

女性用のパンプスが一足と、サンダルが一足、それと、男ものの黒のビジネスシューズがきちんと並んでいる。

玄関を上がってすぐ右側には階段があり、左側には奥まで廊下が続いている。

廊下の両脇にいくつか扉があった。

家の中はシンと静まり返り、人の気配はない。

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「白河先生!」

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再び濱田は、呼びかけてみる。

やはり、返事はない。

何故か言い知れぬ不安感が、胸の中を渦巻いた。

いけないことかもしれないが、彼は靴を脱いで、廊下に上がった。

一階は、洋室二間、和室一間、あと少し広めの居間と台所があり、あとはバストイレ、洗面所だった。

全てを覗いてみたが、誰もいない。

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次に濱田は、玄関右側の階段を上がった。

上がりきるとすぐ板張りの踊り場があって、左右に襖がある。二間あるようだ。

まず、右側の襖の引き戸をそっと開けてみる。

するといきなり目の前に、何か黒い大きなものがあった。

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「え?」

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見るとそれは、黒いトレーナー姿の男の背中だ。

瞬間、濱田の背中に冷たいものが走った。

その男は入口襖の上の鴨居にロープを通して、首を吊っていた。

心拍数が急激に上がるのを、感じる。

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「あわわわ……」

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彼はあまりの驚きで、廊下に尻もちをついた。

それは、でっぷりと肥えた角刈りの男だった。

首を傾げて後ろ向きに、ブランと宙で微かに揺れている。

失禁しているのだろう。アンモニア臭で

臭かった。

濱田は息を整え、何とか立ち上がると、男の背中越しに、恐々室内を覗いてみた。

そして、さらに、大きな衝撃を受けた。

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八畳くらいの畳部屋の真ん中に、布団が敷かれており、

そこには、白いブラウスに紺のスカートの女性が

仰向けになっていた。

彼は急いで室内に入り、女性の傍らに立つ。

それは、やはり白河先生だった。

顔の血の気はなくなっており、首には、絞められたようなどす黒いアザがある。

腕や足の下部分には、紫色の鬱血が見られ、死後、かなりの時間が経過しているのが、素人目にも分かった。

小蝿が数匹、亡骸の上を飛び回っていた。

そして、濱田が立つ後ろ側にある窓の横に、人くらいのサイズの白いモヤが蜻蛉のように揺れ動いていた。

……

濱田はすぐ、携帯で警察に電話した。

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後日、濱田が警察から聞いた話によると、首を吊っていたのは、白河先生の旦那だったそうだ。

先生に手を掛けたのもそうで、旦那の書斎からは遺書が見つかっており、それによると、

白河先生はSNSで知り合った既婚男性と不倫していたようで、それに気づいた失業中の旦那が逆上して

先生の首を絞めて殺害し、自らも命を絶とうと思ったのだが死にきれず、結局、殺害後だいぶ経って、恐らく濱田が家を尋ねた日に、首を吊って自殺したようなのだ。

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ただ、おかしなことがいくつかある。

まず、解剖によって判明した、白河先生の死亡推定時刻は少なくとも、発見時から遡る十日前だったらしい。

アリバイ工作のために旦那が学校に掛けた電話もそれくらいだったから、この推定は間違いないと思われる。

一方、旦那の解剖結果によると、死亡推定時刻は、濱田が家を訪ねた日、つまり白河先生を殺害後十日ほど経ってから首を吊っている。

権藤先生からの電話に応対しているから、この推定時刻も間違いない、と思われる。

ということは、旦那は、十日もの間、奥さんの遺体と一つ屋根の下で、逃げもせず暮らしていたということになる。

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それからもう一つ。これが一番奇妙な点なのだが、

濱田が遺体を発見する前週まで、白河先生は学校に来ていたのだ。

だが、先生の死亡推定時刻から考えると、それはあり得ないことだ。では、発見された前の週に学校に来ていたのは、誰だったのだろう?

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濱田は、クラス委員長の星野と大森が職員室で言っていたことを思い出していた。

 

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@岩坂トオル 様
怖ポチ、コメントありがとうございます。
そうですね。いろいろな想像できますね。
そういう風に考えたりするのが、楽しいですね。

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@珍味 様
怖ポチ、コメントありがとうございます。
お褒めに預かり、光栄です。客観的な描写は正確な表現が出来るのですが、どうしても、表現が平板になりがちですから、出来るだけ時々、アクセントを入れるようにしてます。

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