中編5
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悪夢処理職人の夜

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潰えた夢の骸の影の、残り香をだけ掻き集め、

それらを悪夢噴霧器で、武蔵野の夜へ撒き散らす。

先週から当番組では、

昨今まで存在さえ隠されていた悪夢処理職人の仕事場へ潜入している。

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“人は何故、悪夢に襲われるのか?”

もう半世紀以上もこの使命に携わっているという、芥川さんに密着取材。

必要な材料は心霊写真や殺人現場の遺物など怨念の籠もったナマモノだという。

行きつけの蕎麦屋で日本酒に身を清め、多摩川沿いを重く歩く彼に、

素材を選ぶ際の注意点を訊ねた。

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「若い人の魂はね、そりゃあ役に立つよ。

恨みも恐れも何もかも、愛別離苦の真剣が若者にはあって、これは、

しぼんじまった心から取り出すことはまず無理ってもんだ。

でもそれだけじゃいけねえ。

年寄りの歪みってのは欠かせねえんだ。

どう混ぜるかってのがいちばんのカナメでね、

ヒトってなぁアクが抜けるなんてことは無ぇんだよ、実際は。

沈んで澱んで隠れるだけで、積まれたものは崩れやしない。

ひとつの時代の醜さと、ひとつの刹那の鮮やかさ、

これを絞って俺達は、夜と夜に夢をバラ撒いてんだ」

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実際の作業現場へ取材陣が訪れるのは世界初のことである。

多摩川の高架下で芥川さんが無線連絡を取ると、なんと土堤の一部が変形して地下へ通じる階段が現れた。

といっても、ほんの13段で玄関に到達する。

厚い赤色の扉は、誰が思いついたのか“地獄の門”と通称されているらしい。

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疲れ切った建築家が焼鯖定食なら買える程度のギャラで設計したようなほとんどただの箱の狭い部屋には、

21インチのVHSデッキ一体型のテレビデオが2台、16ポンドほどの鉄球と、

五右衛門風呂には小さい気がするドラム缶があるだけだった。

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今回の素材は心霊写真が49枚、マイクロSDに複写したメキシコ発の斬首映像が108秒、錆びた血の垢が2グラムと、

腐った鳩の死体ひとつ、喫茶店の脇で割られていた「フン捨てたら殺す」の看板に、

クスリの過剰摂取で死んだストーカーが被害者から窃盗していたというレギンス、姉が弟の十二指腸を刺した包丁、

これらのナマモノが揃っていてこれだけでじゅうぶんらしいのだが、

他の悪夢処理職人が加えない要素としては、芥川さんは必ず、

過去の名作映画のフィルムを追加する。

今回のチョイスは戦前に公開された『怒りの葡萄』

オリジナルの未編集フィルムの一部である。

入手経路を明かすことは決して出来ない、とのことだった。

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午後11時、地下の2台のテレビデオには、

武蔵野地域一帯の住人の姿が映っていた。

そこに映し出されていたのは、彼らが逃げたい彼らの姿。

受験に失敗する少年、儚く失恋する少女、

轢かれて脚の潰れた陸上競技者、客に胸を切り取られる風俗嬢、

強盗に刺される男とトイレで堕胎する女、

孤独に老いる独身者と、裏切られ続ける専業主婦、

指を噛み千切る猫、脳が路上に散った犬。

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深夜2時、数本目のVHSテープが録画を止めて、自動の巻き戻しに移った。

今夜キャッチ出来た悪夢はテープに4本、溜まった。

薄く電波が流れ込んだものまで含めるとおよそ12万人分の

“第一次悪夢”が拾得できた。

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通常ヒトは、目覚める直前に経験したイメージだけを「夢」として認識している。

けれど実際には、睡眠から覚醒までに何度も繰り返し違った夢を見ている。

悪夢処理職人の目的は、覚醒直前の夢の

“演出”である。

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「じゃ今回は3万くらいか……」

呟いて芥川さんは、録画テープと共に素材をすべてドラム缶に投げ込み、

ガソリンを注いで燃やした。

この部屋の天井には巨大な換気扇が設置されていて、黒く臭う煙を吸い上げて行く。

煙は地上の“ある場所”から排気され(極秘扱いで回答が得られなかった)、この噴霧によって彼の担当地域での仕事は終わる。

どれだけのデータが集まっても、彼が実際に演出できる人数はそれほど多くないという。

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悪夢処理職人の仕事とは、

「現実を避けるための悪夢」を演出する職人技である。

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腸の飛び出たモナリザ、脚が6本のサラリーマン、

眼球の無いラクダ、鼻の無い象、

ショートケーキにトッピングされた死にかけのカマキリ、

下着の内で蠢くゴキブリ、脳を這うナメクジ、

パイナップルの皮のようなアカギレの手、

おにぎりの米粒のように泡立った親指の爪、

都庁の代わりに佇んでいる巨大な老婆、

東京湾を泳ぐ東京タワー……

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おぞましいイメージからコミカルなシンボルまで、

ドラム缶から噴霧された煙は、様々なヒトに作用して色々な夢を見せる。

そしてその悪夢によって人々は、ほんとうの悪夢を忘れることが出来るのだ。

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“ほんとうの悪夢”とは?

悪夢処理業界のマニュアルを我々が入手することは出来ないが、

芥川さんに次のような説明を受けた。

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「何が怖いかってね、

そりゃ幸せな夢を見れたらそれがいいような気がするけどよ、

ここが厄介でさ、

たとえば昔の恋人と未来を語り合う夢を見て、

目が覚めて、部屋に独りで、

ああ今日もただ仕事して帰ってくるんだな、なんて考えながら歯を磨いてる時よ、

そんなのそっちのほうが絶望じゃねえか。

幸福な夢の後でさえそれなのに、

こういう失敗をもしもやっちまったらとか、もし誰かが死んじまったらとか、

夢の中でまで現実のゴタゴタとかそれに伴う恐怖とかにつきまとわれるってなぁ、

そんなの夢じゃあねえんだよ。

夢を夢にするために、

いちばん大切なものが悪夢なんだ。

俺達は悪夢によって救われていて、

悪夢のおかげで今日を喜べるはずなんだ。

想像力が無い人は悪夢でさえ不自由で現実に喰われ、

いちにちがずっと終わらずに、

永遠の徒労に殺されちまうことがある。

夢を創り出すことが何よりも大切で、

それが無理ってんなら俺達みてぇな職人の出番だよ」

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太陽が昇り、取材の契約も終わる頃、

芥川さんはまだ眠るつもりが無いらしく、そのまま次の素材の仕込みへ向かうつもりらしかった。

スタッフは最後に、ひとつの疑問をぶつけてみた。

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Q.芥川さんはいつお休みに?

A.生きてる今でじゅうぶんだよ、悪夢はね。

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@珍味 様
毎度!
確かリンチ監督作の『イレイザー・ヘッド』なんかは自分の見た悪夢をそのまま映画にしたとかいう話でした。何度も観たくなる非常に楽しい作品です。
もちろん映画の場合は芸術家としての才能や技術があってこその完成度ですが、やはり興味深い悪夢というのは心の疲弊というよりは暴れるような創造性に支えられているように思います。
いっぽうではラース・フォン・トリアーの映画も悪夢みたいですが、あれは現実世界に似ているぶん悪質で、けれどやっぱり面白い。リアリティが現実を超えているという不思議な作家ですね。
ドストエフスキーなんてほとんど全部が悪夢みたいな小説なのに、やっぱり読むと安らぎます。
このコワバナも勿論ですが、悪夢をバラ撒く文芸はなんだか癒やしになるもので、
幾つかの落語や数多くの漫画、友川カズキなどのアヴァンギャルドにも僕は随分救われてきたように思います。
僕にとっては彼らこそが悪夢処理職人そのものです。

上質な夢を提供しようという点で芥川さんはお酒の職人にも似ていますね!
僕なんか暇な時は基本的に呑んでますw

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@車猫次郎 様
どうもありがとうございやす!

夢について考えると人間の脳みそってのは面白いなぁと思いますね。
慣れない頃はかなり悩まされたんですがいつ頃からか、あまりにキテレツな悪夢に襲われるとワクワクしてしまいます。
僕の場合は、眩しい光が音の唸りと共に迫ってきて、それが意識のどこかにぶつかって弾けてイメージが拡散する、というのがだいたいのパターンです。印象から印象へ、うねうねと変形していく感じ。それがどれだけ怖ろしいイメージになるかについてはやや没入度をコントロールできるんですが、普通の状態では想像もできない光景が脳内を巡るので敢えて突っ込んでいくこともあります。あまりに妙な世界なので未だに言葉で表現できていません。

ほんとうに怖いのはやはり物語があるやや現実的な悪夢ですね。
眠っている自分の耳元で誰かが何か呟いたり足を引っ張ったりというタイプの夢…
夢だと思ってはいますが……キャー!

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