【幻夢ノ館/Phantom Memories】 第三話 死者の輪舞曲 (中編)

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【幻夢ノ館/Phantom Memories】 第三話 死者の輪舞曲 (中編)

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§ 幻の時 §

 重い扉が閉まる音が背後に響いたすぐ後で、ランプを手にした女中が振り返る。

「さあ、過去を思い出させてあげましょう」

 女中の顔が間近に迫り、濡れたような瞳が私の瞳の奥を覗き込んだ。彼女の手が私の頬を撫で、首筋を辿り、そして──

「っ──!!」

 ぎりぎりと鉄のような力が喉元を締め上げてくる。呼吸が途絶え、視界が回る。

 目の前の女が気味の悪い微笑を湛え、奇妙な声を上げた。それは耳の奥にまで細い金属の糸を差し込まれるような、不快極まりない声だった。

「ぁ……が……!!」

 なぜ──なぜ、こんな──。

 混乱しながらも、必死に両手を振り回す。しかし華奢な腕は彼女の腕を振り払うことも、突き飛ばすことも出来なかった。最後に伸ばした指先が、彼女の銀色の髪に触れる。しかしその髪は私が触れた途端、インクが染み渡るように黒く変色して──。

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 濡れ烏の羽のような黒髪が揺蕩う中に、青白い顔が浮かび上がる。濁り切った眼球はそれぞれあらぬ方向にごろんと転がっていた。

 微かな悲鳴が喉の奥で鳴ったが、明瞭な声にはならなかった。女の紫の唇が開き、ずらりと並ぶ犬歯が覗いた。粘液に塗れたその口から、強烈な死臭が漂う。

 呼吸もままならず、涙が頬を伝う。しゃくり上げるような音が最後に喉を鳴らし、体が勢いよく痙攣する。窒息する寸前に意識をよぎったのは、ただ理不尽さへの嘆きだった。

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【幻夢ノ館/Phantom Memories】

第三話 死者の輪舞曲 (中編)

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§ 時の門 §

「お嬢様、どうなされたのですか?」

 女中の声が聞こえた。

 気が付けば、私は女中──確かシロカネといったか──彼女と二人きりで闇の中に佇んでいた。振り返れば、さっき通った鉄の扉が何百年もそうだったかの如く固く閉ざされていた。私は扉を抜けて、それから──。

「あなた、誰?」

 震える声で尋ねる。シロカネがやや首を傾げた。銀の髪が微かにふわりと流れ、アクアマリンのような瞳がまっすぐ私に向けられる。

「突然どうなされたのですか? 私が何者かなど、今ここでは重要ではありませんが……ああ、なるほど──」

 少し戸惑いを見せていた彼女は、何かを悟ったように微笑んだ。

「この館は、訪問者の記憶を揺さぶる為か、時に人心を惑わせる幻影を見せることがございます。お気になさらず、どうぞ先へ進みましょう。こんな寂しい場所では、心はおのずと魔物を生み出してしまいますから」

 彼女の言葉が正しいのなら、今しがた見たものは私の心が作り出した幻影……なのだろうか。それとも、やはりあの魔物のような女の正体こそこの女中なのだろうか? 

 改めて彼女の両眼を見つめる。確かに底知れぬ寂しさと凍り付いた感情を潜ませた瞳だが、牙を剥き出しにしたあの女とは違う気がする。

 だが一方で、彼女の導く先には許容し難い現実が待ち受けているように感じられて仕方がない。

「一つ、聞いてもよろしいでしょうか?」

 私の言葉に、シロカネは軽く膝を折って頭を下げた。

「何なりと」

「この先には、何があるのですか?」

「この先には──」

 その瞳に、ふっと透明な幕が降りたような気がした。

「あなた様のご記憶に至る物語が眠っておりましょう。本来知るはずのなかった事まで、目にすることになるでしょう。そして全ての因果が一つに繋がった時、あなた様は本来の輪廻へお帰りあそばすこととなるのです」

 その声は冷たくもなく、かと言って本気でこの身を案じているようにも思われなかった。それでも、彼女の言葉に偽りがあるとも思えなかった。結局、この女中に運命を委ねるしかないのだと悟る。

 私は──私は全てを思い出す義務がある。

「分かりました。連れて行って下さい。真実に至る道程へ」

 女中が頷き、そっと手を差し出した。その白い手に自分の手を重ねると、ひんやりした感触が伝わってくる。導かれるままに歩みを進める。突き当りのドアを開いた女中が、私を招き入れる。

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 そこはがらんとした室内で、窓一つないようだ。四方は飾り一つない石壁に閉ざされていた。

「さあ、ここに」

 女中に導かれた部屋の中央には、輪形の石門のようなものがあった。

「さあ、思い出して下さいまし。お嬢様の最期の時を──」

 ああ、私は──。

 さっき見た夢を思い出す。敵に追い詰められ、自害した父上を見て──。

 喉元から、ごぼりと温かいものが溢れ出す。それが首から胸元を、そして足元にまで伝い落ち──。

 何が起こっているのか尋ねようとして、しかし口中に溢れかえる鮮血に舌を取られ、喉からは空気が漏れ出ていくばかり。

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 女中は私の身体を支えながら呟いた。

「Plvs Vltra」

 異国の言葉であったろうそれを言い終えると、部屋中に光の線が走り、石の門に複雑な幾何学模様が浮かび上がる。その向こうには、星々のような光の渦──。

「お嬢様の血を以て、還るべき世界の位置座標、時間軸への通路が開かれました。ここから先はお一人でしばしの旅を。その果てに、因りて来る運命の門を抜け、隠され、失われた真実へ至らんことを──”殿下”」

 彼女の言葉の全ては理解しかねたが、それを考える間もなく、私の意識は石の門をくぐり抜け、遥か彼方に飛ばされていくのを感じた。

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§ Mireille §

「ああ、何という……」

 母上の声が聞こえる。

「これは呪われた子だ。お前には悪いが、ここに置いておく訳にはいかん。修道院に預けるのだ」

 父上の声。

「でも……まだ赤子です……」

「ならん」

 一言で母上の躊躇いを切り捨てる父。

「国の命運がかかっているやも知れぬ。あの魔女めの呪いを甘く見てはならぬ」

(魔女……呪い……二人とも、何を言っているの?)

 その後、夜に紛れて召使の一人が籠に入れられた私を運んで城の外に出ようとした。

「待て」

 仄暗い闇夜からぬっと現れたのは、顔に傷を負った壮年の騎士だった。

「国王陛下のご命令だ。その赤ん坊は私が預かる」

 召使は抗議しようとしたが、騎士が睨み付けると渋々籠を騎士に渡した。騎士は籠を抱えたまま城門を抜け、そして──

 ふわりと宙に浮かぶような感覚。すぐ側をひどく冷たい風が吹き荒んでいく。視界には、見慣れた城の影が月に照らされた姿。

 それらがぐんぐんと遠ざかっていくにつれ、ようやく私は谷に投げ捨てられたのだと悟る。

 そして訪れる激しい衝撃と共に、意識は混濁した。

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§ 

 「ああ、何という……」

 母上の声が聞こえる。

「またしてもか……。やむを得ぬ。これは呪われた子だ。お前には悪いが、ここに置いておく訳にはいかん。修道院に預けるのだ」

「最初の子は、健やかに育っているでしょうか」

「問題ない。報告は入っておる。元気に育っておるようだ。安心せい」

 その後、夜に紛れて召使の一人が籠に入れられた私を運んで城の外に出ようとした。

「待て」

 仄暗い闇夜からぬっと現れたのは、またしても顔に傷を負った、あの壮年の騎士だった。

「国王陛下のご命令だ。その赤ん坊は私が預かる」

 召使は再び抗議しようとしたが、騎士が睨み付けると無言で籠を騎士に渡した。騎士は籠を抱えたまま城門を抜け、そして──

 ふわりと宙に浮かぶような感覚。すぐ側をひどく冷たい風が吹き荒んでいく。視界には、見慣れた城の影が月に照らされた姿。

 それらがぐんぐんと遠ざかっていく。私は再び、谷に投げ捨てられたのだ。

 そして訪れる激しい衝撃と共に、意識は混濁した。

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§ 

「ああ、何という……」

 母上の声が聞こえる。

「またしてもか……。やむを得ぬ。これは呪われた子だ。お前には悪いが、ここに置いておく訳にはいかん。修道院に預けるのだ」

「二人の子は、健やかに育っているでしょうか」

「問題ない。報告は入っておる。元気に育っておるようだ。安心せい」

 その後、夜に紛れて召使の一人が籠に入れられた私を運んで城の外に出ようとした。

「待て」

 仄暗い闇夜からぬっと現れたのは、またしても顔に傷を負った、あの壮年の騎士だった。

「国王陛下のご命令だ。その赤ん坊は私が預かる」

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§

「ああ、何という……」

 母上の声が聞こえる。

「またしても……。これは呪われた子だ。お前には悪いが、ここに置いておく訳にはいかん。修道院に預けるのだ」

「三人の子は、健やかに育っているでしょうか」

「問題ない。報告は入っておる。元気に育っておるようだ。安心せい」

 その後、夜に紛れて召使の一人が籠に入れられた私を運んで城の外に出ようとした。

「待て」

 仄暗い闇夜からぬっと現れたのは、またしても顔に傷を負った、あの壮年の騎士だった。

「陛下のご命令だ。その赤ん坊は私が預かる」

 ──この後に起こることは、全て予測できた。そして、全てが予測通りに進んだ。過去に起きたことを、そのままに繰り返して。

 次に目覚めた時も、やはり同じことが起こった。その次も、その次も。

 六度それを繰り返し、七度目に至ってようやく──。

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§ 再びの運命 §

「ああ、何という……」

 母上の声が聞こえる。だが、今までに聞いた悲痛な声ではなく、それは歓喜に満ちていて──。

「でかしたぞ……。ようやく呪いは解けたのだ。これこそ神に祝福された子だ。ここに置いて大事に育てようぞ」

「六人の子らは、健やかに育っているでしょうか」

「問題ない。報告は入っておる。皆元気に育っておるようだ。安心せい」

 それからの十七年間、私はかつての記憶通りに、ただ幸福に身を任せて過ごした。

 ただ、母上は時折私を恐れているように感じることがあった。思うに切っ掛けは、五つばかりの時分、幼い私が発した一言だったろう。

 あれは午後の茶会を楽しんでいる最中だった。ちょうど二人きりとなった折に、私は何という考えもなしに尋ねたのだ。

「母上、どうして今度は私を殺さないの?」

 母上はきょとんとした後、青ざめた顔をして黙りこくった。ティーカップを持つ手が震えてソーサとぶつかり合う音が聞こえた。そのまま顔を背けた母上は、何も言わずその場を後にしたのだった。

 まずいこと聞いてしまったかな、などと幼心に思ったものだ。

 そして、その生活の終わりも過たず記憶通りに訪れ──

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§ 終焉の時に §

 城内に転がる兵士たちの惨たらしい死体、炎と煙に燻り出され、強姦される侍女達の金切り声、父上の惨めな最後、死に際の母上の物凄い形相──。それらを見て、何かが私の中に湧き上がってきた。それを一度解放してしまえば二度と元には戻れないという予感があった。

 何という気もなく、私は父の手から滑り落ちた短剣を拾い上げる。その拍子に父の血が指先に付着した。それがなぜだかおかしくて、辺りを憚らぬ笑い声が漏れた。

 先ほどからの危険で甘みのある予感に身を任せたのはこの時だった。その瞬間、私の頭の中で何かが弾けた。

 黒煙の立ち込める玉座の間で、私は無意識のうちに踊り出していた。

「あっははははは!!!!」

 世界の秩序が、私の中の理性が崩壊していく。楽しいのか、悲しいのか、それすら分からない。あらゆる感情がないまぜになったまま、激しい奔流となって私の中を暴れまわった。

 言葉が頭の中で縺れ、意味不明な記号に置き換わっていく。身の回りの全てが理解不能な、そこにあるものとしてしか認識できなくなっていく。

 そんな私を、“私”はただ眺めていた。若い侍女の一人がおろおろしながらも私の腕を取り、地下に匿ってくれた。怯える侍女が不安そうに蹲るその横で、私は呆けたまま座っていた。

 その時──。

『ねえ、見ているんでしょう? あなた』

 突然、底冷えのする声が聞こえた。咄嗟のことに、私は言葉を返せなかった。その声は私の頭の中に直接に語り掛けてきたのだ。

 もう一人の私──狂った私も、その声に反応しているようだった。だが、恐らく意味は汲み取れていないようだった。

『誰?』

 問い返すと、それはくぐもった笑い声を漏らした。

『誰? さあ、誰でしょうね……知りたければ、その体を離れるしかないわ……』

『体を離れる? どうやって?』

 再びの忍び笑いの後、それは答えた。

『簡単なことよ。その体が死ねば、あなたは肉体の束縛から解放される』

『その後は?』

『その後は、ご覧に入れてあげましょう。あなたが何故六度も死ななくてはならなかったのか。そして、七度目の生の意味を──』

 その声は、今にも消え入りそうな儚い揺らぎを持っていた。まるで冷気の中に震える蝋燭の炎のように──。

 この声の導く場所は一体どこなのか。だが、危険を感じつつも私は何故かその声の主に惹かれていた。どこか懐かしいものを感じたのだ。母上でも、親類の誰でもなく、確かに見知った者の声のような気がする。

『分かった。全てを見せて』

 そう答えたのち、私は短剣を──父上の形見であり、その命を奪ったその刃を、我が喉に突き立てた。

 血飛沫が上がる中、侍女の悲鳴とは別に、さざ波の様な笑い声が聞こえてきた。視界が暗黒に閉ざされる直前に目にしたのは、頭の砕けた六人の乙女が私を取り囲む光景だった。

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§ 誘う者 §

 気が付いた時、私はぼんやりとランプの照らす暗い場所にいた。どうやら深い森の中のようだ。目の前には、褐色のローブに身を包む何者かの姿。そのフードの陰から嘲笑を含んだ声が漏れる。

『さあ、お望みの真実を、ミシェル殿下──』

 事ここに至っては、私は差し出された手を取ることしかできなかった。

Concrete
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