中編6
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事故物件の記憶

「実はね、繭、ここ事故物件なんだよ」

先輩のマンションに遊びに来た際、不意に告げられました。

私は先日前の職場を辞めて、転職しました。

それからしばらくして個人的にも良く面倒を見てくれていた先輩から慰労会と部屋に誘われました。

私は前の職場の寮を出た後、次の勤め先から紹介された下宿先にお世話になっていたのですが、母子家庭で育ったうえ、仕事でいつも忙しそうにしていた母は家にいないことが多く、下宿先家族との人生初めての共同生活に少々私は戸惑っていました。

事故物件というのは、そんな私がマンションでの一人暮らしをうらやましがっていたときに彼女が声を潜めて教えてくれたことでした。

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「えっ、そうなんですか?」

「そう、だから、1万円も安いのよ」

「何があったかは教えてくれたんですか?」

「えっとね、中年男性の心臓発作だって」

「孤独死ってやつですか、腐敗が進んでたとか?」

「ううん、すぐに見つかったらしいよ。心臓発作が起きた時に不動産屋さんに電話がかかってきたみたい」

「えっ、不動産屋に・・・でも助からなかったんですね」

「うん、担当の不動産屋さんが駆け付けた時にはもう息がなかったみたい」

「へえ、そうなんですね、でも確かにちょっと怖いですけど、ここもうほとんど普通の物件ですよね、ようするに病死ですし」

「あっ、うん、そうよね、幽霊とか変なことも今のところ起きてないし、あっ晩御飯も食べてくでしょ、何がいい?」

私の住まわせてもらっている下宿では基本的に煮物などの和食ばかりでしたので、パスタとか唐揚げが食べたいというと先輩は近くのスーパーに食材を買い出しに行ってくれました。

留守番をしている間に冷蔵庫にある野菜でサラダを作っておいてと言われたので、台所で野菜を切っているとリビングの方から突然女の子のすすり泣く声が聞こえてきました。

女の子がマンションの外で泣いてるのかなと思い、リビングの窓の方に顔を向けると、その声は窓の外から聞こえてきたのではありませんでした。

リビングの中程で小学生ぐらいの女の子が両手で顔を覆いながら泣いていました。

玄関の扉が開いたり、台所を誰かが通りすぎていった感覚はなかったので、私は突如現れた女の子に驚きましたが、私が気づかないうちにマンションの中で迷子になって部屋を間違えて入った可能性も考え、女の子のもとに歩み寄りました。

「どうしたの、迷子にでもなっちゃったの?」

私は恐る恐る女の子に問いかけました。

すると女の子は小さくごめんなさいと呟きました。

意味が分からなかったので、私は再度女の子に尋ねました。

「どういうこと、ここはあなたの部屋じゃないのよ」

私は努めて優しく語りかけましたが、女の子はやはりごめんなさいとばかり繰り返します。

「もう、どうして私の言うことを聞いてくれないの!」

埒が開かない状況が続き、私はだんだんと苛立ってきました。

その煩わしさが募るとともに私はその少女の存在がとてつもなく邪魔なものに思えてくるようになりました。

気が付くと私はその女の子の首を両手で掴んでゆっくりと締め上げていました。

「あなたが、あなたがいなければ!」

苦しそうに女の子は私の腕を握り締めていましたが、やがてその腕は力をなくしてだらりと垂れ下がりました。

私はそのときになって慌てて女の子の首を離しました。

ごとりと女の子の体は頭から床に落ちましたが、その衝撃にも女の子の体はぴくりとも反応しませんでした。

「えっ、う、うそ、や、わ、わた、ひと、ころし」

がくがくと震えながら、とにかくその女の子の死体から後ずさりしながら玄関の方に這っていくと、扉が開き買い物を終えた先輩が入ってきました。

「あっ、せ、せんぱい、わた、わたし、ひとをころ・・・」

先輩の姿を確認した私はすがるように彼女に抱きつこうとしました。

「えっ、繭、どうしたの?」

「おんな、おんなのこを・・・」

「女の子、どこに女の子がいるの?」

先輩の放心したような返答に違和感があった私はすぐにリビングの方を振り返りました。

しかし、ありません。

私が殺してしまったであろう女の子の姿はどこにもありませんでした。

「えっ、ど、どういうこと」

一瞬、すべて幻覚だったのかと思いましたが、私の両手にはあの女の子の首を絞めた生々しい感触が確かに残っていました。

「何があったの?」

心配そうに尋ねてくる先輩に今あったことを説明しようとしたそのときでした。

私は今度こそ信じられないものを目撃しました。

彼女の顔の下半分がまるで白黒のモンタージュ写真のように別の人間のものに置き換わっていたのです。

その目の動きから変わらず彼女は私に心配の声を投げかけてくれているようでしたが、そんな彼女の意思とはまるで切り離されたかのようにその灰色の口と顎はゆっくりと私に言葉を吐き出しました。

「い・え・ば・こ・ろ・す!」

それはまるで1文字1文字が数枚の写真をつなぎ合わせたかのようにゆっくりと歯をむき出して紡がれました。

たった6文字の言葉でしたが、それは明らかにあの女の子のことをしゃべるなという脅しでした。

そしてその脅しには本当に人を殺すほどの強い怨念を私は感じてしまいました。

先ほどの女の子は自分が殺された光景を私に見せてきたのでしょうか?

そして、同じく女の子を殺した誰かは私に対して口止めの念を送ってきていました。

私は金縛りにあったように体を硬直させていましたが、先輩に体を揺さぶられるとはっと覚醒しました。

すでに先輩の顔からあの灰色の口と顎は消えていました。

しかし、女の子のことを言えば私はどうなってしまうのか・・・

次の瞬間、私は先ほどの先輩の言葉を思い出しました。

「せ、せんぱい、この部屋、男の人が心臓発作で亡くなったって・・・」

「・・・うん、そうよ」

「不動産屋に電話がかかってきたんですよね・・・」

「・・・ええ」

その男の人は見たのかもしれない、私と同じ女の子の最期の瞬間を・・・

そして、それを不動産屋に告げようとして・・・

最初になんで救急車じゃなくて不動産屋だったのかは疑問に思っていたのですが、順番は逆だったのかもしれませんでした。

不動産屋に女の子のことを話そうとしたから、心臓発作を起こした・・・

いや、呪い殺された・・・

「先輩、ここやばいです、お願いです、引っ越しましょう」

「ちょっと、繭、何言ってるの、なにがあったのここで?」

「すいません、説明することはできないんです、でも信じてください、ここにいると先輩が死んじゃう」

結局、私は何も彼女に話すことはできませんでしたが、家賃と引越しのお金、何十万払っても構わないからと必死で説得し続けた結果、彼女もやはり何かおかしいと察してくれたのか、その部屋を引き払うことを承諾してくれました。

その後、私は新聞記事やインターネットであの部屋で起こった事件のことを調べてみましたが、特に女の子が殺されたとかいう記事は発見することができませんでした。

あの口止めを強要してきた灰色の口はいったい何だったのか、女の子の母親だったのか、父親だったのか、それとも誘拐犯なのか、女の子の死体はどうなったのか、すべては闇の中でした。

先輩は何とか助けることはできましたが、今もあの部屋には誰かが住んでいるのでしょうか。

もしかしたら、またこれからもあの灰色の口の被害者が出るのかもしれませんでしたが、私自身口止めの呪いがかけられている以上できることは何もありませんでした。

大勢の人々が気づかれることもなく行方知れずになっているこの社会で、せめて身近な人間をたまたま救うこと・・・

そのぐらいしか私なんかにできることはないのですから・・・

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