中編5
  • 表示切替
  • 使い方

人格補正

music:4

俺は今、大学の四年生、ただいま絶賛就活中だ。大学には真面目に通っていたし、単位もしっかり取っていた。後は卒業論文さえ通れば卒業はできる。卒業はできるのだが、就職ができるかどうかだ。

周りが次々と内定を貰っていく中、俺だけは一つも貰えず、面接先からお祈りメールが届く毎日。

その日も俺は大量のお祈りメールを削除しようと、スマホの画面をスクロールしていた。すると、メールの中に紛れ込んでいた広告メールに目がとまった。

差出人は「洋服の赤河」、件名は「新作スーツのご案内」だった。

普段なら気にも留めず開きもせず削除する、だが何しろ今は就活中で内定なしという状況だ。俺は、藁にもすがる思いでそのメールを開封した。そこには

〈このメールを受信された方限定!

新作スーツを半額でご提供させていただきます。絶対落とせない企業面接、大事な商談、この新作スーツがあれば大成功間違いありません!〉

というメッセージと一緒にQRコードが添付されていた。

separator

数日後、俺は自宅から一番近い洋服の赤河の店舗に訪れていた。もちろん、新作のスーツを購入するためだ。

「いらっしゃいませ。本日はどのような商品をお探しでしょうか?」

店内に入るやいなや、上等そうなスーツを着た小綺麗な身なりの中年男性が声をかけてきた。この店の店員だろう、店長かもしれない。ものすごい笑顔だ、営業スマイルというやつか。客が来た途端にこの笑顔をつくれるのは、正直、素直にすごいと思う。

「あの、この新作スーツというのが欲しいんですけど」

俺はそう言いながら、例のメールの画面を中年男性店員に見せる。

すると彼は、笑顔のまま

「かしこまりました。それでは、こちらへどうぞ」

と言って、俺を支払いレジの前にある席へと案内した。

彼は、俺の向かいに座ると、パンフレットを出し

「それではお客様、まずは新作スーツについて簡単にご説明させていただきます。このスーツは商品名を『人格補正スーツ』と言いまして、着用された方は他の方からは、まるで別人になったかのように感じられるという商品となっております。着用されたご本人の感覚としましては、自分に自信が湧いて来て何事にも自信を持って取り組めるというような感覚でございます。ですので、就職活動の企業面接や、大事な商談の際にこのスーツを着用して臨んでいただくと、成功率が格段に上がるのでございます」

と俺に新作スーツについて説明をした。はっきり言ってかなり胡散臭い話ではあったが、俺はもう後がない。次に内定を逃したら、ほぼ就職浪人確定だ。だから、俺は迷わず

「わかりました。それ、お願いします」

と答えた。

その答えを聞いた中年男性店員は、さらに笑顔になり

「かしこまりました。それでは試着室へどうぞ」

と言った。

その後俺は、スーツの試着やら裾上げ、契約書へのサインなどをして、人格補正スーツを購入したのだった。最後に中年男性店員は俺にこう言った。

「お買い上げ頂いた『人格補正スーツ』について、一つだけ注意事項がございます。そのスーツを着用する際は24時間を超えての連続着用だけは絶対にしないようにしてください」

separator

それからの俺の人生は一変した。あの「人格補正スーツ」のおかげで、俺は第一志望ではなかったものの、それなりの有名企業に就職することができた。入社してからも、大事な商談では必ずそのスーツを着行けば、全ての商談で取引成立。俺は同期の中でもトップの営業成績をあげた。あの中年男性店員が言っていたことは本当だった。あのスーツを着ると自分でも信じられないくらい自信が湧いてくるのが分かる。しかも、就活も商談も大成功だ。まさに、彼の説明通りだった。

separator

入社して三年目、俺は異例の早さでプロジェクトリーダーを任されていた。しかし、このところ体の調子がおかしい。記憶の一部すっぽりと抜け落ちたかのように思い出せないのだ。それも困ったことに、日中つまり仕事中が多い。プライベートでも交流がある同僚は、それになんとなく気づいてる奴もいるらしく

「あまり無理はすんなよ」

などと、気遣われる始末だ。

このままでは具合が悪い、もしこのことが、上層部に知られれば俺は間違いなくプロジェクトリーダーから外される。そうなれば俺のエリート街道が絶たれる。それだけは避けなければならない。

そして、もう一つ、これはもう誰にも言っていないが、最近は頭の中で声が聞こえる

(俺に変われ、万事うまくやってやるからよ)

(どうせお前には無理だ。エリートでいたいんだろ?俺に変われ)

と。

俺は、このスーツの説明をした中年男性店員ならどうにかできるのではないかと考え、洋服の赤河を訪れた。

「すみません。以前ここで人格補正スーツを買った美山ですが」

そう若い店員に尋ねると、その店員は事情を察したようで

「少々お待ちください」

と言って、あの時の中年男性店員を連れてきた。俺はすぐさま彼に自分の身に起こっている異変について話した。

すると、彼は考え込むようなそぶりを見せながら

「なるほど、失礼ですがお客様、当店でご購入されたそのスーツを、24時間を超えて連続着用したという覚えはございませんか?」

と俺に尋ねてきた。

「え?うーん……」

俺は懸命に記憶の糸を手繰り寄せる。すると、確かにあった、スーツを24時間以上着っぱなしだったことが。

それは俺が入社二年目のこと。その日は、大口の契約を取り付けたということで、部長たちと呑みに行っていた。そこで俺は大口の契約を取ったことで舞い上がっていて、気がつけば終電の時間をとうに過ぎていた。仕方なく俺は、会社の近くにある漫画喫茶で夜を明かすことになった。その時だ、その時にスーツをずっと着ていたのだ。

「思い出しました。確かにありました。一体僕に何が起こっているんですか?どうすればいいんですか?」

すると、中年男性店員は困ったような顔で

「記憶が曖昧になる程度なら、しばらくスーツを着ないようにすれば良いのですが、記憶が全く無くなるとなると、別人格がお客様の体に定着してしまっているので、専門機関を受診するしかないかと……」

と話した。

俺はそれを聞いて、絶望した。専門機関を受診しなければならないのなら、会社上層部に話が伝わらないわけがない。俺のエリート街道は絶たれたも同然だった。

その後俺は解離性同一性障害(多重人格)の診断を受け退職することになった、だが会社は俺のこれまでの業績を考慮して、治療が完了したら、平ではあるが俺の再雇用を約束してくれた。

separator

数年後、俺の治療はほぼ完了し、俺は元の職場で平社員として働いている。ただ、今でもたまに俺の別人格の声が聞こえる。

(今まで、俺のおかげでうまくいってたのに、今度は消えてくれってか?そりゃあ、虫が良すぎるぜ)

(このままで終わると思うなよ。俺が消えることはないからな)

と。

Concrete
コメント怖い
2
15
  • コメント
  • 作者の作品
  • タグ
表示
ネタバレ注意
返信
表示
ネタバレ注意
返信