【妖刀伝】 其一 ~瀧~

中編6
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【妖刀伝】 其一 ~瀧~

 茜色に染まる峠道を、一人の女が足早に通り過ぎていった。女は白麻地に流水模様、さらに鮮やか牡丹が刺繍された小袖を纏っていた。しかしその小奇麗な衣装も、既に砂塵を浴びて色がくすんでしまっていた。

 凹凸の多い山道は女の足には厳しいのだろう。一本の松の木が黒々とした枝を広げる峠の頂で、女はついに力尽きて膝をついた。その背後から、幾つかの足音が迫る。見れば、乞食と見まがう風体の三人の浪人だった。

「観念したか、女」

「もう諦めよ」

 浪人の一人が袴の帯を解き始め、他の二人が女を拘束して小袖を脱がしに掛かった。

「お止めください!!」

 女の悲鳴を聞くと、浪人たちは却って猛り狂ったように女の体をまさぐり始めた。

「やかましいのう…………落ち着いて寝ることもできぬ」

 不意に聞こえた別の声に、そこにいた一同は動きを止めた。

「感心せぬのう。嫌がるおなごを無理やりとは」

 松の木の裏から一人の男が現れた。夕日を背に、ぶっさき羽織に編笠姿の黒いシルエットが浮かび上がる。三人の浪人は慌てて女から離れ、刀の柄に手を掛けた。女が着物の前を合わせながらそこから逃げるように離れた。

「このまま立ち去るなら、見逃してやろう」

 編笠の男が浪人たちに告げたが、それに答えるように三人は同時に刀を抜いた。そのまま、短い沈黙の時が流れ──。

 風が枯葉を舞い上がらせたその刹那、三人の浪人たちは一斉に編み笠の男に襲い掛かった。

「ああ!!」

 離れた場所から事の成り行きを見ていた女は思わず声を上げた。悲鳴ではなく、感嘆の声を。

 編笠の男が抜き放った刀は、鮮やかに左端の浪人の拳を切り落とし、中央の浪人の背後から一刀を浴びせ、最後に残った一人の切り下ろしを受け流してこれも拳を切り落とした。全てが一瞬の内に終わり、気が付けば三人の浪人は苦悶に顔を歪ませて地に転がっている。

「ぐぅうううっ!!」

「お、おのれぇぇえっ!!」

 恨み節の浪人を尻目に、編笠の男は袂から布切れを取り出して血をぬぐい取り、納刀してそ彼らに背を向けた。

「お待ちください!!」

 坂を下りかけた所で、木立に隠れていた女が編笠に走り寄る。

「この先の古寺に用がございます。どうかそこまで送っては頂けませぬか」

 編笠は少し黙っていたが、いいでしょうと頷いた。

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 やがて辿り着いた山寺は、無人となって久しいのが目に見える有様であった。山門は崩れ落ち、屋根は穴が開き放題、至る所に蜘蛛の巣が張り、床下からは鼠の走り回る音が聞こえる。

「困りました。このような事になっているとは存じませんで」

 女が申し訳なさそうに言ったが、編み笠の男はさも気にしていない風に見えた。

「いや、なに。いずれ一夜を明かすには十分でござる。明日明るくなってからご先祖の墓を探せばよかろう」

 そう言ってさっさと適当な小部屋に腰を落ち着けてしまった。女は寝に入る前に男の元を訪れた。編笠を外した男はまだ若年と見える。剣の腕から想像したよりも遥かに若いことに女は驚いたようであったが、それでも素直に感謝を口にした。

「先のことは真に、どうお礼を申し上げればよろしいやら…………」

「なあに、耳障りなのを黙らせたのみ。気に召されるな」

「ところで、お侍様。お名を伺っても?」

「おお、忘れておった。拙者はや────」

 男はそこで言い淀み、気まずさを紛らわすようにふと庭先に目を遣った。男の目は蝋燭の炎が辛うじて届く所に、桐の若木が生えているのを認めた。

「桐生────桐生十兵衛と申す」

 もし彼の父親がその場にいたならば、そのわざとらしい誤魔化し方に顔を覆ったであろう。幸いにも、女は疑う様子も見せなかった。

「桐生様────私は瀧と申します。どうぞ、よしなに」

「うむ……」

 瀧は頭を下げて出て行った。ほどなく、桐生の部屋から軽い寝息が聞こえ始めた。

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 そして夜半、既に黒い夜の帳が廃寺に降り、木枯らしの奏でる調べのみが寂しく響き渡っていた。

 だが能々耳の利く者ならば、断続的に床板の軋む音に気が付いたであろう。やがてそれは桐生の眠る部屋の前にまで辿り着いた。スス、と破れかけの障子が開いていく。白地の小袖を纏った女が、眠る桐生に覆い被さった。

「桐生殿────」

「───────」

 女の白い指が桐生の胸の合わせ目に侵入し、その胸筋を露わにしていく。女の赤い蕾のような唇がそっと男の肌に押し当てられ、ぬめる唾液が蛭の這った跡のように月光に照り輝いている。

「ああ、桐生殿────精を下され」

 既に目を覚ましていた桐生の目が、闇夜に分かるほど冷たい光を女に向けていた。

「瀧殿……今宵はいつになく刀が鳴くと思えば、やはり主であったか」

 女は桐生の言葉に構わず、その肌に舌を這わせた。

「お主…………あの男どもを食らう所存であったろう」

「────いいえ。さようなことは」

「ならば何故、その目は赤かがちの如く赤いのじゃ」

「それは桐生殿を思うあまりに御座ります」

「ならば何故、蛇のごとき牙が生えておるのじゃ」

「これは桐生殿の血肉を味わうために御座ります」

「なればその大きく開いた口は拙者を呑み込むためか」

「愛しく思えばこそに御座ります」

「言うたな化け物」

 がばっと跳ね起きた桐生は枕元の刀を手に、裏庭に飛び出した。対する女は今や身の丈十尺はあろうかという大蛇に姿を変え、桐生を追い鎌首を擡げ、噛みつかんとする。

「さあ、奴の血を啜るがよい。格好の獲物ぞ」

 その言葉と共に、桐生が刀を引き抜く。直後、その白刃がキイン、と高く鳴り始めた。切りかける桐生、それを躱しとぐろを巻いて反撃する大蛇。数合の打ち合わせの後、いつの間に斬ったか、大蛇の身から赤黒い液体が随所から滴り始める。

 そして桐生の手にした刀──そこに刻まれた竜の模様が赤く輝き、意思を持つかの如くに刀身に刻まれたその身をくねらせていた。その禍々しき刀は更なる流血を求めるが如く、高い音を鳴らし続けた。刀そのものから、大蛇の瘴気すら押し返す殺気が迸っていた。

 手にする桐生の身からもまた妖しき冷気が流れ出すようで、大蛇はかつてない強敵に傷を負わされ続けていた。体力も底を尽きかけた頃、とどめとばかりに放った桐生の一閃が走る。

 己が血に塗れた大蛇はしかし、桐生の予想に反して刀を避けようとはせず、胴を切り裂かれながらも彼の背後の藪に突っ込んでいった。そこから立て続けに二つの悲鳴が上がる。

 異常を察知した桐生は直後に、ひゅっと空を切って飛来する矢を切り落とし、すかさずその方向に棒手裏剣を放つ。すると杉の樹上から、どさりと何かが落ちる音が響いた。

「────」

 桐生はやや毒気を抜かれたように己が刀を見つめ、先刻まで戦っていた大蛇に歩み寄った。身を投げ出したまま息も絶え絶えの大蛇に、桐生は問いかける。

「何故拙者を助けた?」

「────」

「今ここで殺してくれようか」

「────」

 大蛇は観念したように目を閉じた。やや沈黙した後、桐生が再び尋ねる。

「────ならば問おう。拙者に仕える気はあるか」

「────」

 大蛇は答えはしなかったが、しかし一度だけ瞬きをして見せた。

「それは同意したと見てよいな? ならば我が血をくれてやろう」

 桐生は刀を軽く掌に当て、引き切った。一条の鮮血が鋼を伝い落ち、真下に向けられた切っ先から零れ落ちたそれが、大きく開いた蛇の口に吸いこまれていった。

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 夜が明け、桐生が寺の裏庭を検めると、昨夕出会った浪人たちが無様な屍を晒していた。

「行くぞ、瀧」

「はい。旦那様」

 女は桐生のそれとそっくりの編み笠を拵え、自らそれを被り彼の後に従った。峠を行く者には、二つの編み笠が仲良く並んでいるように見えたことであろう。

 とある大命を帯びた桐生と瀧の旅はまだ始まったばかりである。

Concrete
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