中編7
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すなおな生命保険

今回のお話は就職2年目の春のお話です。

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「こちらがですね、おすすめの設計内容になるんですが」

なぜ自分はこんなところにいるのだろうと頭の中で自問していました。

確か職場の先輩の黒川さんに昼ごはんを誘われて、喜んで付いて行ったはずでした。

彼女の機嫌がやけによさそうだったので、理由を聞いてみると先日交通事故で左手を負傷して手術した際の保険金が結構な額でおりてきたそうでした。

保険にきっちり入っている黒川先輩はすごいなあと感じたのですが、黒川先輩は逆に保険に全く入っていない私の方が信じられないと驚いて、いい機会だからと保険の営業をしている知り合いに連絡を入れたのでした。

黒川さんの高校時代に所属していた茶道部の先輩だというその彼女は連絡を受けるとすぐに飛んできました。

そして今、黒川先輩がランチを食べる横で私は保険の説明を受けさせられていました。

これってもしかしてコンビで嵌められたんじゃないかと思うほどの展開でした。

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「あ、あの、すいません、僕、生命保険に入るつもりはないんですが・・・」

「だいじょうぶですよ、お話を聞いていただくだけですから損はないと思いますよ」

黒川先輩から砂緒先輩と呼ばれた彼女は断りかけた私に対してできるだけ警戒心と解こうとしてか、むしろ芝居がかった営業スマイルを浮かべました。

「話を聞いたぐらいじゃ、気持ちは変わらないと思いますよ、そりゃあ、貴方みたいな綺麗な人に言い寄られたら心が動く人もいるでしょうけど」

保険の勧誘を受けたのは初めてのことでしたが、黒川先輩の先輩だけあって大人の色気は彼女より上でしたが、いくら綺麗なお姉さんが上手に説明してきたとしても全く心が動かない自信がありました。

「あら、ありがとうございます、でもごめんなさい、わたし今日こんな服装してますけど実は男なんです」

「えっ、男?」

砂緒さんはすっと立ち上がり、自分のスカートの裾をそっとめくるような動作をしました。

「確かめてみます?」

「えっ、いいんですか?」

私がそう答えた瞬間に黒川先輩から思いっきり頭をはたかれました。

「おまえ、もうホントにちょろすぎるな!」

彼女のセリフですぐに砂緒さんにからかわれたことに気が付きました。

「砂緒先輩もうちのかわいい後輩をいじめないでください」

「ごめん、ごめん、まあ緊張しないで話を聞いてもらうための軽いジョークとでも思ってくださいね」

この彼女、砂緒さんのつかみどころのなさは少なくとも自分の周りにはいないタイプの女性でした。

とはいえ、このお姉さんの保険の説明をある程度聞かないと解放されないことを悟った私は観念して大人しく聞くことにしました。

砂緒さんはすでに私の生年月日まで黒川さんから仕入れていたのか、私専用の保険の設計書を出して解説してくれました。

「お勧めはですね、万一の時に3千万、病気や事故の時は倍の6千万おりるやつで」

万一の時とは死亡時のことをソフトに表現したフレーズのようでした。

「いや、そんなに高額の保証いらないですよ」

「えっ、でも突然何かあったときに奥さんやお子さんが独立するまでの資金としてはこのぐらいは必要ですよ」

「う~ん、それなら結婚して子供が出来たらでいいです」

「よくそういう考えの方がいらっしゃいますけど、その間に大病を患ってしまうともう保険には入れなくなりますし、若い時の方が掛け金も安いですから、今のうちに入っておいた方がいいですよ?」

「でも、その間に何もなかったらその分の掛け金は無駄になるわけですよね」

「安心を買ったと思っていただけると嬉しいですし、それに・・・」

砂緒さんが一拍説明を止めて再び口を開きました。

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「あなたが万一のことになる確率って、どのくらいだと思いますか?」

唐突な質問でしたが、あらためて考えてみるとどのくらいなのか想像が簡単にはできません。

5%・・・いやもっと低いでしょうか?

しかし、その質問が出た途端、黒川さんが横から割り込んできました。

「もう、砂緒先輩、そんな使い古されたペテンみたいな質問やめてくださいよ」

私は彼女が言った使い古されたペテンという言葉を受けて、万一のことになる確率はすごく低いと思っていましたが、実際は違うのかもしれないと考えました。

「自分は5%もないと思ってたんですけど、意外に10%ぐらいあるんでしょうか?」

私の返答に黒川さんは軽く息を吐き出して答えました。

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「人が死ぬ確率は100%よ」

あっと思いました。

人は必ず死ぬんです。

当たり前の真理を指摘されて普段忘れかけていた事実を思い起こされました。

けど、やっぱりこの二人グルなんじゃないでしょうか・・・

何だか埒が開かなくなってきたので、私は少し話の方向を変えてみようと思いました。

「そう言えば、黒川さんも砂緒さんの勧めで保険に入ったんですよね、きっかけは何だったんですか?」

私の問いかけに黒川さんはちらっと砂緒さんの方を見て言っていいと確認しました。

「じゃあ、ここからは私のプライベートな話で恐縮ですが・・・」

砂緒さんの表情が営業の顔から真剣な表情に変わって私の方が少しどきりとしました。

「瑞季の時は私が高校を卒業してすぐに保険に入ってくれてね」

「えっ、高校を卒業してすぐですか?」

砂緒さんが高校を卒業してすぐということになると、黒川さんは高校2年生のはずです。

いえ、それ以前に砂緒さんは大学には進学せずに高卒で就職したことになります。

その疑問に彼女はすぐ答えてくれました。

「私のお父さんが高校の卒業直前に事故で死んじゃって、それで大学をあきらめて今の会社に高卒採用枠で入ったの」

砂緒さんの話によると、彼女の父親は車の保険のようなものにしか入っておらず、父親の事故死によってお金に余裕がなくなり、彼女は大学受験をあきらめたようでした。

「まあ、元々貧乏ってわけじゃなかったんだけど、さすがに唯一の稼ぎ手のお父さんがいなくなるといろいろと大変でね」

それは彼女の大学受験だけではないようでした。

「お母さんはそれまで専業主婦だったけど、人生で初めて働きに出なきゃならなくなったし、妹と弟は習い事をやめなくちゃならなくなったし、おじいちゃんは退職金と老後の貯金をあてにされるのが嫌だったのか、明らかにうちの家族と距離を取り出したし・・・まあ、細かく挙げればきりがないけど、とにかくあの時はうちの家族に余裕がなくなって荒んじゃってねえ」

「そんなときに砂緒先輩が高校の後輩のつてで私のところに保険を薦めに来たの」

「いや、あのときはノルマが全然達成できてなくて自分でも焦ってたと思うよ、本当に自分の交友関係を金に換えようとしてたからね」

確かに普通に考えると高校生だった黒川さんでは仮に保険に入ろうと思っても自分ではお金を稼いでいないので親に掛け金を払ってもらうことになります。

かなり強引な勧誘に見えると思いました。

「でも、その時瑞季がね、自分の貯金を崩してもいいから私の保険に入るって言ってくれてね」

「どうしてですか?」

私の質問に黒川さんはバツが悪そうに答えました。

「だって、ねえ、砂緒先輩の後ろに彼女のお父さんが憑いてたから・・・それ見ちゃうとね」

黒川さんの話によると砂緒さんの背後にいた彼女の父親は自分の娘が苦労をしていることに苦悶しているようでした。

「瑞季がね、私が保険に入って少しでも先輩が楽になるんだったらそれでいいです、早くお父さんをあの世に行かせてあげてくださいって言ってくれてね、それ聞いて私その場で号泣しちゃったよ」

自分のことよりも自分の身内のことを大事に考える黒川さんらしいとお話でした。

そして、私は空気が読めないといわれるかもしれませんが、どうしても聞いておきたいことが生まれました。

「・・・だとすると、砂緒さんもお父さんみたいに保険に入らない人は許せないですよね」

彼女の父親がちゃんと保険に入っていれば、彼女の家族は父親の死後少なくともお金に関する苦労はしなくて済んだはずでした。

私は当然彼女はそんな無責任な父親のことを今の立場からしてもよくは思っていないと感じました。

「・・・いや、そうでもないね」

砂緒さんの答えは私の予想とは全く違いました。

「人は『万一の事態』になって初めて後悔するものだから」

「えっ?」

「体に悪いとわかっていても、暴飲暴食がやめられない。

家庭が崩壊するかもしれないのに、浮気をする。

今死んだら残された家族は困るのに、十分な生命保険に入らない」

その複雑な感情を映した彼女の瞳に私は息を呑みました。

「みんなおんなじ、それが人間なんじゃないかな。

だから、そんな人たちに少しでも保険の大切さをわかってもらう、それが私の仕事なのだよ」

そういうと砂緒さんはあっけらかんとした表情で明るく微笑みました。

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