長編12
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魔法の言葉

ぱちゃっ!

と、背後でジュースがこぼれる音がした。甘ったるい匂いが一気に部屋に充満する。

またか。

キーボードを叩くのをやめ、後ろを振り返る。

部屋の隅に設置した大きめのケージの中、レジャーマットを敷いた上に、顔と服をベチャベチャにしながら、キャッキャとジュースをおもちゃにする「生物」がいる。

背の高いケージの格子の隙間から、いたずらそうな表情が見えた。リンゴジュースの匂いと、お香の匂いが混ざって少し気持ちが悪くなる。

「もー、ルカくん!わっ!べっちゃべちゃ(笑)」

ひょいっと両手で持ち上げ、風呂場に移動して服を脱がす。シャワーを頭からザバザバかけて、身動きをとれないようにバスタオルで身体を包みながらオムツを履かせる。レジャーシートをゴミ箱に捨てて、ケージの中に300均でテキトーに買ったビーズクッションを何個か投げ入れる。

少しぐずりだしてきた。冷蔵庫から、別のジュースとスポイトを取り出す。

「ほらっ、魔法のジュースだよー」

身体を抑えて一滴。ぽかんと開いた口の中に垂らして、バスタオルに包んだままクッションの上に寝かせた。

私の甥子、ルカ。敬虔な聖者とは程遠いが、無邪気にこの世界を見初め出したばかりの2歳児。姉の子供だ。

ほんの2分程で、ルカは眠りについた。パステルカラーのハートやユニコーンの柄のビーズクッションに囲まれて眠る赤子。むせ返るくらいの可愛さに、うっとりした。

手を洗って、デスクに向かう。納品書の作成、途中までだった。

~~~

今から数年前。私は高校3年で、いよいよ進路を決めなければならない時期にいた。

家に進学のための経済的な余裕がないことは随分と前から知っていたから、4大なんて贅沢は言いたくはなかったし、特別これといった目標は無かったけれど、興味のあることはあったし、美術部にいたから美術の専門も良いかな、とか、ぼんやりとだけど将来への希望はあった。

しかし、それから2週間後、まさか担任の先生から、自分の進路を聞かされるなんで思ってもみなかった。短大の教育学部、しかも保育科を受験することになっていた。母親から担任に連絡があり、願書もすでに出されていた。

家に帰り、リビングでテレビを見ている母を問い詰め、短大は行かない。就職して家出るから、と自分でも情けないくらい怒鳴った。

しかし、無神経なおせっかいを悪気無くやってしまう母は、あらあらどうしたの?って感じで私を見て言った。

「いいじゃない、あなた小学校の卒業文集で、将来は可愛いお嫁さんになりたい、なんて書いてたじゃない。あの頃はまだ可愛かったわねえ。どこでひねくれちゃったのかしら。保育を学んでおけば、将来子供産んだ時にきっと楽よ~!ね。勝手に決めちゃったけど、あなたもはっきりしないから~、ね!ね!親孝行だと思って、受けてちょうだいよ!」

目を潤ませて母の顔が迫ってくる。気持ち悪い。

結局、美術の専門は落ち、試しに受けた企業からも「お祈り」され、私は短大に進んだ。

合格通知を見て、狂ったように大喜びしている母の隣で、父はまるで無関心で、ずっとタバコを吸いながら週刊誌を見ていた。

不本意ではあったけど、それでも入学当初は新歓のノリとか、席が近い子と仲良くなって講義どうするとか部活何にしようとか、どこにでもある「新入生」の感覚を楽しんでいた。が、その後は朝から夕方までみっちり講義、レポートも山盛りで、貴重な時間を使って遊びに行きたい気持ちはかなりあったけど、夜からはバイトで、毎日ヘトヘトになった。

半年が過ぎる頃だった。バイトから家に帰ると、母が玄関まで駆けてきた。

「ちょっと話があるから来てちょうだい!」と、いきなり私の手を引っ張り、リビングに連れていく。

「なんなの⁉やめてくれる?腕痛いんだけど・・・てか眠いんだよね」そう言いながら母の向かいに座る。母の方を向き、びっくりして数秒固まった。

母の隣には、アメリカにホームステイしているはずの姉が座っていた。

4大卒業後、「世界を見たい」だの「人生経験を積みたい」だのと言って、1年程前から、アメリカにホームステイに行っていたはずだ。両親と祖父母が全額負担した金で。

状況を読めないでいると、母が言った。

「恵那(私)、急にびっくりするわよね~、梨々花(姉)が帰ってきて・・・お姉ちゃん、子供ができちゃったのよ。それでね、もうホームステイは続けられなくなっちゃって・・・」

子供?妊娠?

姉がお世話になっていたホストファミリーのいる地域は、日本人が多く住んでいる町でもあった。自然と日本人同士仲良くなり、クラブとかレストランに何人かで遊びに行くようになったらしい。そして、その遊び仲間の一人の男と恋仲になった。

アメリカに来て半年経った頃、姉と男は酒の勢いもあってそのままモーテルに行った。その後、体調不良で部屋で寝込むことが増え、ホストファミリーの人達もさすがに心配になり、病院に連れて行ったところ、妊娠していることが判明し、これでは家に置くことは出来ないということになり、帰国したのだ。

父親となる男は、まだ向こうの大学に在学していて、卒業するまで待ってほしい、責任は取るから、と言っており、一方私の父は、「堕ろすか、産んでここを出ていくかどちらか選べ」と言い、自室に籠りきりだそうだ。父が自室に籠るのは本気で怒っている証拠だ。

母「何もあんな言い方しなくても良いじゃないの…いつか孫がみたいって、お父さんも言ってた癖に。確かにお姉ちゃん無責任だけど、相手も相手よねぇ」

姉「お父さんが怒るのは無理無いって。私が説得するから。とにかく私産みたいし、浩介さんと結婚するね!」

母「まさかこんな展開で孫が見れるなんてねぇ…嬉しいわ~、あっ、ほらそれに、恵那ちゃん今保育学んでるから、将来保育士の免許取ったら一緒にお世話してもらいましょうよ~!ね、恵那ちゃん!」

私は何も言わず自室に戻り、ベッドに寝そべってぼんやりとしていたが、ふと気づいた。

半年前?私が短大に行くって事になったのも半年前だ。てことは、母はああ言ってたけど、ほんとはもう少し前から知っていたんじゃないのか?姉の妊娠を。

その頃世間では、「保育園落ちた」が取り沙汰され始めていた。それに、ふと目に入った姉のお腹は、膨らみがわかるくらいになっていた。

もしかして、姉の妊娠と保育園の問題を知ってて、私を無理矢理保育科に入れようとした?

だとしたら、今までの私は、一体なんだったのか?

絶望と眠気で一気に力尽きた。夢は見なかった。

姉の夫である浩介さんを初めて見たのは、それから約1年後の事だ。浩介さんは日本の大学を卒業後、しばらく働いた後アメリカで学び直していた、まあまあのエリートだった。

姉は私が短大の2年の前期が終わる頃と同時期にルカを出産し、そのまま実家に帰って母と私とで世話を手伝った。

浩介さんは、一悶着も二悶着もしてやっと結婚の許可を貰い、実家の近くに家を借りたものの、一向に新居に来る気配の無い妻を待ち続ける羽目になっていた。実家に赴けば、育児のイライラをぶつける姉に辟易し、話し合いをすれば、ホルモンバランスがどーのこーの、産後の新妻を責めるのか!と、姉と母から口撃され、仕舞いには

「やっぱ実家は落ち着くな~!夫なしでも、恵那がいるから子育て出来るかも(笑)てか、ここに居るとお母さんの料理がいつでも食べれるからな~♪もうハワイに新婚旅行中ずっと恋しくて~♪」

「も~何言っちゃってんのよほんとに♪」

と、夫、父親としての存在価値を2人に蔑ろにされていた。

父は、単身赴任で姉と母の全ての生活費を賄っていた。

私はそれから半年後短大を卒業し、保育士の資格を持った。そして「保育施設」への「就職」が決まり、1人暮らしを始めて、「保育施設」でルカの子守りをすることになった。検診日や、実家の家族とのおでかけ以外の朝から夕方まで、私が面倒を見ることにした。

朝、実家にお迎えに行き、チャリで職場に向かう。

ご飯は砕いたお菓子とジュース。「おもちゃ」を転がしとけば勝手に遊ぶ。

でも部屋を歩き回るのは危ないから、大型ペット用のケージを用意して、そこにルカを入れておく。

絵本は読まない。天気が良い日はベビーカーで近所を一周するだけ。そして、ぐずったらご褒美の「魔法のジュース」を一滴飲ませ、チャリに載せて実家に返す。

母と姉は子育ての面倒なことから無事逃れ、「お膳立て」されたあとのルカを、まるで猫のように可愛い可愛いと目を細めるだけだ。ルカの生活を全く知らない。

~~~

「恵那っち!ね~バイブの電源入ってるよ~!」

司の声で我に帰る。司は私の同僚だ。

「あ~ごめん、どうもさっきから気になるとは思ってたんだ」

「あ、もしかして僕が来ない間に使ってた?ね、使い心地どう?」

「使ってないよ、納品書と梱包で手が空きませーん、これ、あとで出しといて、今日の分の注文」

「はーい!あっ、ルーカくーん!可愛いなあ~」

「もう爆睡してるから起きないよ」

「はぁ~子供の寝顔って天使だよね!僕も子供産んでみたいなあ~、今日か明日って、なんとか流星群が来るんだって!流れ星に、早く男も子供が産める世界がやって来ますように~って願おーっと!」

「(笑)それはBLの設定であって、現実になったらちょっと怖いわ!」

「そんな腐女子の萌え要素だけで終わるなんてやだなー!あ、それよりこの新作ビデオ、今日中に観てレビューをアップしないと。恵那ちゃんも観て書いといてね!」

これが私の仕事。通販のみのアダルトグッズ販売。そしてここがルカの「保育施設」。

自宅のアパートから徒歩で3分の所にあるマンションの一室がこの職場で、オーナーが買い付けてきたアダルトグッズを、私がネットからの注文を受ける。そして梱包して配送する。

実際にバイブを使った感想や、扱っているアダルトビデオのレビューを書くのも仕事だ。

アダルトビデオから際どいSMグッズまで、幅広く売ってるから客層も色んな意味で広い。

短大への進学が母の企みだと気づいて、学業にも当時のバイトにも気力を失っていた時期、保育科の同期の子から紹介され、気分転換に始めたのがきっかけだ。その子は地元の保育園に就職が決まって辞めてしまったが、私はそれを引き継いで続けた。給料もまあまあくれるし。

「てかさ、ルカ君預かってもう結構経つよね?お金どうしてるの?」

DVDプレーヤーの電源を入れながら司が言った。

「月謝もらってるよ。てか”勤めてる”保育園で預かってる、ってことにしてあるからね。でもそろそろ潮時かな。絵本とか読んでないから、言葉もあんまし話せてないし。気づかれるかも。」

テレビの電源を入れると、昨日見っぱなしにしてたホラー映画のシーンが再生されたので、司は後ろにひっくり返った。

「もー!びっくりするから出しといてよ!」

「ごめん(笑)ちょっと実験」

「実験?ホラー映画観ながらイケるかどうか的な?」

「違う、ちょっとね」

ディスクを司から貰う。エクソシスト映画だ。赤ん坊が悪魔に憑りつかれ、神父がそれと戦う、という内容だ。ルカは興味津々で画面に食いついていた。

一週間前、姉からメールが来た。長いこと入院をしている祖父のお見舞いにルカを連れて行くというのだ。その日は親戚も何名かやってくるので、ルカのお披露目もするという。 

仕事を終えて、実家に向かう。チャイムを鳴らすと姉がドアを開けた。

「お疲れぇ~♪ルカ~!」

「ぐっすりだから起こさないであげて、あとこれ、洗濯した着替えと、連絡帳ね」

あくまでも私は保育士のふりをする。

「ねぇ!今度おじいちゃんとこ行くじゃん?恵那も来るよね!やっぱ私とお母さんだけじゃ不安で~」

「ごめん!ここのところ忙しくてさ、入園希望の子も結構いてね、説明会とかもしないといけなくて」

「え~っそうなの!?恵那がいてくれないと困るよ」

「育児雑誌買ってるんでしょ?マニュアルも書いたんだし、見た通りにやれば大丈夫!保育士の私が言うんだから。ルカのママなんだから自信もって!」

「うん…ありがとー!やっぱ恵那は子供の頃からしっかり者ね!お母さんもね、最近恵那はひねくれずに可愛く大人しくなった~って、褒めてたよ~♪」

「ふーん、そう。所で、浩介さんとはどうなの?新居には行ってるの?」

「え、浩介さん?あー、うん、んふっ、大丈夫だから!恵那がそこまで心配しなくていーのっ!じゃ、明日もよろしくね!」

バタン、とドアが閉まる。

実家で私が使っていた部屋は、ルカの物専用の物置になった。姉と母が買ってきた大量の服やおもちゃ、親戚や浩介さんとその家族がくれたお祝いの品で埋まっている。

そして、浩介さんが実は風俗に通いつめ、妻と子供の事など、もうどうでもよくなっているのを、私は知っていた。街に買い物に出たときに、浩介さんが風俗店から出てくる姿を何回も見たからだ。

自宅のアパートに戻り、ベッドに横になる。ベッド脇のラック入っているホラー系DVDをなぞる。子供の頃、近所にいた少し大人びた友達に、「大人」な言葉を教えてもらったことがある。子供は染まりやすい。それがたとえ残虐なものだとしても。

次の日、いつものようにルカをを預かり、職場に向かう。今日は司は来ない。

入れっぱなしのAVを取り出し、自宅から持ってきた「悪魔祓いシリーズ」をひたすら流した。

ルカはこれがお気に召したらしく、子供用のボーロを食べながら釘付けになっていた。

「ルカくん、今日はさ、魔法の言葉を教えてあげる。頑張って覚えたら、これあげるねっ♪」

大好物のチョコレートを見せると、キャッキャと喜んだ。

ケージから出して、テレビの前に座らせる。画面には、悪魔祓いの神父役の、年老いた男性がアップで映り、赤ん坊に憑りついた悪魔が神父を汚い言葉で罵る。巻き戻しては再生し、ルカに言葉を教えた。たどたどしくも、ルカは少しずつ上手く発音ができるようになる。繰り返し繰り返し発音させ、上手くいったらご褒美のチョコを与える。上手くいったら次のシーンに移り、また別の言葉を覚えさせる。反復するたびに、ルカはチョコがべったりついた小さな口をほころばせながらはしゃいだ。

「これはね、魔法の言葉なんだよ。これを言ったらね、みーんな嬉しくなっちゃうんだよ~!ルカ君大好きーって!」

私はルカを抱きしめる。もうすぐ会えなくなる。

~~~

ガラガラ、と病室のドアが開くと同時に、小さな歓声が上がった。ベッドから上半身を起こした祖父と、母方の叔父叔母達が見えた。母と姉が、ベビーカーに座るルカを持ち上げて立たせた。私も物好きだ。ベビーカーに、小さな録画カメラを仕込んでおいた。スマホでルカの様子が見れるように。イヤホンをして、映像を確認する。

よちよち歩きながら、キョトンとした表情のルカが映る。

あれ、私泣いてる?自分の子でもないのに。これが母性ってやつ?

「205便、那覇行きをご利用の皆様にお知らせします。只今より搭乗手続きをーーーー」

アナウンスが聞こえた。私が乗る便だ。

司の親戚がリゾートホテルを離島で経営していて、毎年人手が足りないと聞いていたから、その話に乗ったのだ。アダルトグッズをずっと売り続ける自信も無かったし、「新しい世界」を見てみようと思ったから。

連絡先も住所も、司にだけ知らせて、全て変えた。ルカに会えないのが、正直寂しくなってた。けど、もう、家族にも会うことは無いし、会う気もない。

「ルカちゃん♡じいじに、ご挨拶して~」

「も~可愛い~!梨々花ちゃんに似てるわねえ~」

「おお。そうだなあ、ばあさん、カメラで撮ってくれ」

「おじいちゃん、あんまり体動かさないで~」

「ルカ~、ご挨拶だよ♡あっ、じいじに指さしてる~!わかるのかな?」

「じっ・くに・・ちろっ」

「え?」

「じごくにおちろーーーーーっ!!!!!!」

ルカ、そんな声だったっけ?

イヤホンから、まるで老人の声にノイズをかけたような声が響いた。

「本日も○○航空をご利用いただき、ありがとうございます。間もなく離陸体制に入ります。

電子機器は機内モードに設定の上ーーーーー」

Concrete
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