長編9
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人を呪わば

「あ、オダ君、今日もお昼に缶コーヒー?好きだねー。昨日も飲んでたよねー」

「あぁ、はい。好きっすよ」

「え、なにその塩対応。もっと絡んでよー」

…あぁ、うんざりする。

こっちは1秒でも早く帰りたいがために昼飯返上で事務処理をしているのに。すっこんでろ糞が。

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上司相手に言い返せるわけもなく、日に日にストレスが溜まっていく。

空気を読んで上手い返しをするのも仕事のうちってか?

反吐が出る。

やることはやるから、もう、放っておいてもらいたい。

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溜め込むのも限界にきていたおれは、ストレスの発散方法を考えた。

だが、これといって趣味もない。

胡散臭い外国人に出会ったのは、そんないらいらを引きずって自宅へ向かっていた、ある仕事終わりの夜のことだ。

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「Hey,アナタ、オモイですね」

振り返ると、長身ごりごりのスキンヘッドの黒人男性がいた。タンクトップがよく似合っている。満面の笑みが眩しい。

「ぁあ?」

不信感をあらわにして返事したが、相手は全く気にとめない。重い、だと?見るからにてめぇの方が重そうじゃねーか。

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「カルく、したいですか?いいモノあるです。アナタ、ノートに書く、それだけ」

「なんだ、会員制ジムの勧誘か?」

「No!ワタシ、運動好きでない、ススめません」

そのナリでなんの冗談だよ。

「お前、貧弱な日本人相手だと思って舐めてんのか」

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「ワタシ、真面目。聞け」

スマイルが消え、急に凄まれた。流石にこの見た目だけあって、迫力がある。恥ずかしながら、縮み上がってしまった。

ついてこいと言うので、殴り合いになっても困ると思い、従うことにした。

案内されたのは、小さな、教会みたいな建物だった。

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「さっき、アナタに教えたこと、覚えてる?」

「えーっと、ノートに書くだけ、でしたっけ…?」

「Yeah!!このノートです」

ごりごりタンクトップが言うには、『ノートに溜まっている内側を吐き出して、軽くしてはどうか』ということだった。

もちろん、書くだけだから金もかからない、とのこと。

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なるほど、祭壇のような場所の上に、ペンとインクと、分厚いノートが置いてある。

宗教ならフィットネスの勧誘よりいくらかマシか。こんなのに声をかけられるなんて、よっぽど荒んだ顔だったんだろう。

なんてことを考えながら、言われるまま『上司がウザい』と、当たり障りないことを書いた。

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すると、どういう仕掛けなのか、書いた文字がノートに染み込むように薄くなり、やがて、もとの白紙に戻った。

「お、おお??」

素っ頓狂なおれの反応に、タンクトップが答えた。

「少し、カルくなりました」

まぁ、あまり気分の悪いものでない、かもしれない。こうして文字にすることで、若干だが、スッキリした気がする。何より、書いたものが残らないのも良い。

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説明によると、なんの勧誘でもなく、書きたいときに書きにこい、本当にそれだけのことらしい。必要なければ今後全く関わらなくていいし、寄付も求めない、ましてや、受け付けない、とまで言われた。

この行為になんの得があるのか全く不明だが、ひとまず何かの勧誘ではないことは分かった。

その日は本当にそれだけで終わったが、帰り際、

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「カルくし過ぎは、ウスくなる。気をつけて」

と、謎な言葉をかけてきた。

意味は分からなかったが、とりあえず無事に帰れたことにその日は安堵した。

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それから数日が経った。

そこに通う頻度はどんどん増えた。

最初は暇潰し程度だったが、いつしか、書き込んだ文字が染み込んで、消えていくのがやみつきになり、気がつけば毎日、その日の苛立ちをノートにぶち撒けるようになっていった。

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『○○の体臭がきつい』『あの客の喋り方が鼻につく』『またどやされた。チーフめ、死ね。てか、死ね』『ゴミばっかり。ほんと嫌になる』

証拠が残らないのをいいことに、内容はエスカレートし、個人への陰険な攻撃も、平気で書くようになっていた。匿名性というのは、本当に、行くところまで行くと手が付けられなくなる。全く恐ろしいものだ。

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最初に体の異変に気付いたのは、書込みを始めてから1ヶ月ほど経った頃だった。

なんというか、異常に、体が軽い。

上手い表現が思いつかないが、地に足がつかないというか、妙に浮ついている気がする。気のせいで片付けられない気持ち悪さがあった。

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それと、食事がとれなくなった。

食べたくないとかではなく、物理的に体が受け付けない。無理に摂取すると、気分が悪くなって全部吐き出してしまう。でも何故か、腹も全く空かなくなった。

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さすがに何かの病気かもしれないと思い、病院に行った。だが、ひと通り検査を受けても、何も見つからない。

ただ、レントゲンの検査だけ、ちょっと妙だった。

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「おかしいですね、何も、写らない」

「あの、何も写らないなら異常ないってことでは?」

「いえ、それがね、

胃や腸があるはずの場所に、どういうわけか何も写らないんですよ」

故障かなぁ、と医者はぼやいていた。

結局レントゲン以外はとくに何もなかったので、何かの薬を貰い、症状が変わらなかったらまた受診するよう案内を受けただけになった。

しかし、薬を飲もうにも、やはり体が拒絶するので、飲めなかった。

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全く食事しなくなって、さらに1週間が経った。

食事以外の生活は、とくに代わり映えない。

だが、この辺りで、また別の異変に気付いた。

人から話しかけれる回数が、だんだん減ってきている…?

会社の人間から絡まれなくなるのは好都合だが、こちらから呼びかけても、1回ではまともに気付いてもらえなくなっていた。

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そんなに、おれから誰かに話すこともないが、呼んでもしばらくきょろきょろされ、「あ、そこにいたの」なんて言われると、また別種のイライラが募る。ノートにペンを走らせる材料には困らなかった。

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それからまた1ヶ月ほど経った。

まあまあな頻度で教会を訪れているが、おれ以外の客というか、訪問者には誰も会わなかった。あの外国人も見かけていない。

ある日、久々に外国人と再会した。相変わらずタンクトップだ。

おれを見るなり、こう声をかけてきた。

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「アナタ、少し、書きすぎ。気をつけて」

「え?」

「ウスくなってる、前より」

「それって、どういう意味だよ?」

質問には答えず、彼はおもむろにナイフを向けてきた。

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「ちょ、ちょっと待て、なんのつもりだ!!」

「こうすれば、意味、わかる」

言うが早いか、ほぼ体制を変えず、絶妙なスナップを効かせてナイフを放った。

次に見つけたとき、それはおれの上半身に根元までしっかり収まっていた。

「うぐ……あれ?」

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痛みがない。

これまでモノが身体に刺さる経験はないが、全く痛みがないだけでなく、異物感もなければ、一滴の血も出ない。明らかに変だ。オモチャなのか?

恐る恐るナイフを抜く。

やはり、なんともない。ただ、ナイフがあった場所は、シャツにしっかり穴が空いている。

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反射的に、ナイフが刺さった辺りを触った。

ある、穴がちゃんと、体に空いている…

キン、と、取り落としたナイフが足元で鳴いた。

「なんだ…これ…」

「アナタ、中身、ウスくなった。だから、血でない、痛くない」

「これ、ノートに書いたせいなのか?」

「maybe…他のヒト、ここまで、こんなに書くことない。途中で来なくなる」

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彼によれば、他にもたくさんノートを使った人間はいるが、何かしらの異変に気付くのか、それともスッキリしたのか、1週間ほどで来なくなったらしい。

約2ヶ月も毒を吐き続けた者に出会うのは、これが初めてだ、とのことだった。

「おい…これ、戻せるのか?」

「分からない。戻すは、したこと、ない」

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「こんな体、いやだ!なんとかしてくれ!!」

彼は、難しい顔のままだったが、できることはやってみる、と言ってくれた。そして、おれたちは教会に行った。

しかし、今起きていることを整理すると、おれの『中身』つまり、血や神経などが、薄くなっていて、あるべき場所にないわけだが…ノートに文字を書いただけで、何故こんなことになるのか、全く理解できない。

呪いとか、そういうオカルトの類いか?

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「コッチ、暗いから、気をつけて」

彼は祭壇の向かって右手にあるドアを開けた。

電気はついておらず、ところどころにロウソクが灯されており、いかにも、そういう雰囲気だ。

そして、かなりの数、布が被せられた何かが置かれていた。

「アナタのは、コレ」

彼は言いながら、その中のひとつを選び、布を剥ぎ取った。

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布の下にあったのは、絵のようだ。理科の教科書に出てきそうな、臓器と血管だけの絵。こういう場所で見ると、ちょっと気持ち悪い。頭からつま先まで、ヒトのそれと分かる形をしている。

ん、いや、ちょっとまて。

「アナタのは、て、どういう意味だ?」

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「コレ、アナタの中身。ここまではっきり出たの、初めて」

目の前にある絵が、この2ヶ月ちょっとでおれが吐き出した『中身』だという。そんな馬鹿な。

だって、医者じゃないから詳しく分かるわけでないが、たぶん、ほとんど主要な器官が、この絵の中にあるのに、そうだとしたら…

「か、返してくれ」

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「たぶん、できる。でも、イイの?」

「いいよ、これまで吐いたのが一気に返ってくるとか、そういうことだろ?大丈夫だから、早くやってくれ」

彼はまだ何か言いたそうだったが、この状況を1秒でも早くなんとかしたかった。彼は、「OK.戻すよ」と、近くの棚からハケと缶を取った。

…今、ちょっと笑ったように見えたのは気のせいか?

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缶の中身は白いペンキのような物だった。フタを開けて、缶にハケを突っ込み、おれの『中身』のスケッチを白く塗り潰した。

程なく、『中身』が収まっていた額縁は、白一色に埋め尽くされた。

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胸の辺りに温かさを感じたのは、絵が塗り潰されたのとほぼ同時だった。

生ぬるい感触は、すぐに激痛に変わった。

「い…いたたたたたた!!!!」

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戻ってきたのは、これまでの鬱憤でなく、ナイフのダメージだった。

刺さった場所がまずかったようで、空いた穴からおびただしい血が次々と体の外へこぼれていく。

血が足りない…

視界がぼやけ、意識が薄れていく…

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「やっぱり、こうなった。先に、フサぐの、言おうとしたのに。アナタ、急げと、言った」

刺したのはお前だろうが、筋肉野郎。

こいつ、こうなることをたぶん予測してやがった。恨みも悪態も言葉にならず、代わりにゴボゴボと、血液混じりの吐息が出るだけだった。

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………

「あ、親父?今日、サークルの飲み会で遅くなるから」

「分かった、飲み過ぎるなよ。それと…」

「分かってるよ!知らない人間、とくに、外国人に声かけられても関わるな、だろ?」

「そうだ。それと、悩みごとがあれば、いつでも言ってこい」

「大丈夫だよ、父さんほんと昔から心配性だな。ちゃんと終わったら連絡するから、な?」

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大学生になった息子との電話を終え、妻に伝える。

あの件からもう数十年が経つ。家庭を築いた今でも、傷跡と、白塗りの額縁はここにある。

額縁の方は見るのも気色悪いので、押入れの奥深くに閉まってある。

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知らない外国人には絶対に関わるな。

息子が物心ついたときから、これだけはしつこく言い聞かせている。

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今や、ネットが爆発的に普及し、その気になればアレが何だったのか、調べることも出来るかもしれない。だが、もうこれ以上関わって、良いことは恐らく何一つないだろう。

また、掲示板やSNSなるものも充実し、自分の身分を伏せて、特定個人を非難するツールが手軽に手に入る時代になった。

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何かで読んだが、大昔、呪いが使える奴らは、相手を呪い殺す際に、自分の墓穴も用意した、という話があった。

頭で思うのは勝手だが、あの経験から、文字にして晒すなど、思いを形に変えるのは『呪い』と同じなのではないか、と思ってしまう。

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時代の波には逆らえず、息子はスマホを持っているが、出来ればそんな物騒なことはしてほしくない。

生きるうえで、悪口を言いたくなるような相手がいるのは仕方ない、それはおれも分かっている。

ただ、ある日、思いもしない形でその『呪い』が跳ね返ってくることが、あるかもしれないのだ。

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………

「ったく。ほんっとめんどくせー親だわ」

「オダちゃん、愛されてるよねー。今どき『知らない人には気をつけましょう!』なんて、暗黙の了解だけどね、このご時世」

「だろ?毎回毎回、出かける度にこれだから。マジでだるい」

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「あ、では、そんなプチストレス解消に、いいモノ紹介しちゃいまーす」

「うん?なによ?」

「コレでーす!なんかね、近所の教会らへんで配ってたの」

「『貴方の内にあるものを吐き出し、軽くなりましょう。私達がお手伝いします』…なにこのメッセージカード?」

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「コレがね、ここに字を書くと…」

「え、すご!吸い込まれた!」

「不思議っしょ?で、ここにイライラぶちまけましょーって、おもちゃみたいなんすよ」

「おもしろ!じゃあ早速お借りして…

『親父の小言が毎回ウザい!!』と…」

Concrete
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