中編7
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コインロッカーベイビー

正直、誰の子供かわからなかった。

 その頃の私は、複数の男性と付き合っていて、しかも普段からの生理不順もあり、妊娠に気付くのが遅すぎた。気付いた時には、まだ堕胎もできたのだが、堕胎する費用を捻出するのにも、誰に請求して良いのかもわからず、とうとう4か月というタイムリミットを過ぎてしまったのだ。

 私は死ぬほど後悔した。いろんな男性にチヤホヤされ、貢いでもらう生活が楽で働く気にもなれなかったから、定職にも就かず家でブラブラしている生活で、自分で堕胎の費用を捻出できるはずもなく、かと言って、親にも言えなかった。

 幸いと言っていいのか、悪いのか、私のお腹はさほど出ておらず、親も妊娠にすら気付かなかった。そして、ついに私は、一人でその子供を産んでしまった。男の子だった。

産んですぐ体は辛かったが、そんなことを言ってはいられない。

 どうしよう。とりあえず、隠さなくては。私は、産まれたばかりの子供をバスタオルで巻いて、バッグに押し込んで歩いて駅に向かった。確か、駅にはコインロッカーがあったはず。病院やどこかの施設に置き去りにしようかとも考えた。産んですぐの赤子は、普通なら泣き声をあげるはずだが、その子は泣き声すらあげなかった。

 もしかしたら死んでいるかもしれない。考えれば考えるほど、気が狂いそうになる。パニックになっていた。冷静に考えれば、コインロッカーに赤子を捨てても、すぐバレてしまうことくらいわかるだろう。その時には、そんな冷静な判断が出来なかった。

 コインロッカーにコインを投入し、鍵をかけた。去り際に、かすかにふぎゃあと小さな泣き声が聞えた。生きてる。良かった。そう思った瞬間、おっぱいがじんわりと滲んできたのがわかった。

 私は、泣きながらその場をすぐに離れた。私は、鬼だ。小さな命を見捨てたのだ。

その夜は、捨てて来た子供のことを考えると、一睡もできなかった。朝になる前には、もう意思が固まっていた。迎えに行こう。きっと、まだ生きている。

 誰の子かはわからないけど、やはり私は母親だ。親には土下座して謝ろう。許してはもらえないだろうけど、血はつながっているのだ。孫を捨てろとは言わないだろう。これからは地道に働いて、貧しいながらもあの子を育てよう。

 産んですぐの自転車は辛かったが、私は自転車にまたがると、駅へと急いだ。まだコインロッカーに捨てて4時間も経っていない。私は、急いで鍵を差し込むと、バッグを引き出し、トイレに駆け込んでその中の赤子を確認した。

「えっ?」

そのバッグの中に居るはずの赤子は、くるんだバスタオルごと消えていた。

嘘っ!なんで?鍵はちゃんとかかっていた。

もしかして、誰かが泣き声に気付いて・・・。

私に違う意味の後悔が押し寄せる。私は犯罪者になってしまった。

なんてバカなことをしたのだろう。産んで正直に両親にすぐ告白すればよかった。

家に帰ると、すぐにテレビをつけた。

コインロッカーに捨てられた子供のニュースが報道されてないかと、いろんな局をチェックしたが、それらしきニュースは報道されていない。

不思議だった。確かに、私はあの子を産んだのだ。消えるはずはない。

何日経っても、コインロッカーに赤子が捨てられたというニュースは無く、赤子はどこに消えたのかわからなかった。

 そのまま、一か月が経過してしまった。自分は本当にあの子を産んだのだろうか。そんな疑念さえ頭をよぎった。だが、確かにその子は存在したのだ。なぜなら、一か月が経過してもなお、私の胸からは産まれて来た赤子に与えるはずの母乳が出ているから。与える相手のない母乳は流れるほどで、パット無しでは過ごせないし、少しでも絞らないと、胸が痛くて仕方なかった。

 それも二か月もすれば収まり、何もないまま一年が経過した。

「あんたもそろそろ、落ち着いたらどうなの?」

30近くになっても嫁に行かず働かず家に居る娘に対して、母は苦言を呈した。実家は居辛いものになってきた。無理やり母親がどこからか持ってきたお見合いで、私は結婚することになった。相手は10も年上の頭髪が薄くなったオヤジで愛も何もない。苦渋の決断だった。生活のためでもあり、何よりここを離れたかった。良い思い出もほとんど無いこの街を離れたかった。そして、あの子のことも忘れてしまいたかったのだ。

 私は、結婚を機に隣町に引っ越し、結婚一年と経たずに、夫の転勤と共に他県に引っ越した。夫との間に男の子も産まれ、それなりに平凡だが幸せな日々を過ごしていた。そんなある日、夫に辞令が降り、本社のある実家近くに帰ることになった。あまり気が進まなかったが、栄転であり、夫の収入も増えるのだ。悪い話ではない。子供も幼稚園に上がる。地元の有名幼稚園に入園させるのも悪くない。

 実家近くに家を建てて、私の生活は順風満帆かに思えた。あの公園に行くまでは。

親子で公園へ出向き、私は、息子を公園で遊ばせていると、男の子が近づいてきて、一緒に遊んでいるのを微笑ましく見ていた。たぶん、息子より少し年上だろうか。幼稚園の年長さんくらいには見えた。私は、その子に近づいて話しかけた。

「僕、この近所の子かな?お名前は?」

そう問いかけると、その男の子は振り向いた。私は、はっと息をのんだ。

その男の子があまりに私に似ていたからだ。

「ママ?」

その男の子が私を見て、そうつぶやいた。

「違うわよ。僕のママは、どこに行っちゃったのかな?」

その男の子は、まっすぐに私を指さした。

「ママ、ママ!」

そう言いながら男の子は、私の足にまとわりついてきた。

「困ったなあ。私は、僕のママじゃないよ?」

「ママ、ママ、ママァ~。ウワァアアアン。」

その子は泣いてしがみついて離れようとしない。

まったくこの子の親はどこで何をしているのか。

ずっとその状態が続いたので、仕方なく私はその子を連れて交番へ向かった。

「この子、迷子なんです。」

そう私が言うと、二人の警官はポカンとした顔になった。

「迷子って、その子、あなたの子供じゃないの?」

「違いますよ。」

「だって、あなたにそっくりじゃない。」

「他人の空似です。私の子供は、この子一人ですから。」

そう言って私は、自分の本当の息子を指した。

その間も、その子は、私にママ、ママとしがみついて離れなかった。

全く信じてもらえなかったので、仕方なく私は母を呼んだ。

「ええ、確かに、こちらがうちの孫です。しかし、他人の空似とは言え、本当にうちの娘によく似ているわあ。まるでうちの娘の小さい頃を見ているようだわ。」

ようやく信じてもらえた私から、ママと泣き叫ぶ子供を無理やり引き離すと、一層大きな声で泣き始め、二人の警官は困り果てていた。

ようやく解放されたものの、私の心の奥底にしこりが残った。

あの子が生きていれば、ちょうどあれくらいだ。

私の脳裏に、あの不思議な出来事がよみがえった。

まさかね。

ところが、そのあくる日も次の日も、その男の子は家の前に居て、私が出てくるまで、ママ、ママと泣き続けた。何度警察に届けて、施設に預けても、私の家に戻ってくるのだ。施設からは、バスでないと来れない距離だ。警察の方も捜索願が出ていないか、あらゆる捜査をしてもその子の身元はわからなかったそうだ。

「お前、隠し子なんじゃないのか?」

あまりに私によく似ていて、執念とも言えるその男の子の言動に、夫はだんだんと疑念の目を私に向けるようになり、私達家族はだんだんと疲弊して行き、私はノイローゼ寸前まで追い込まれた。

そして、ついに、その男の子はどうやって入ってきたのか知らないが、我が家に侵入してきたのだ。

二階の寝室で寝ていて、あの男の子の姿を寝室で見つけた時には心臓が止まりそうなほど驚いた。

「ママ、ママ!」

その日、夫はまだ家に帰ってきていなかった。

夫は帰宅がだんだん遅くなっていて、午前様もざらになっていた。

「もう!どこから入ってきたのよ!このガキ!あんたのおかげで、私の家庭はめちゃくちゃよ!出てって!私はあんたのママじゃないって言ってるでしょ?」

私はヒステリックに叫んでその子を突き飛ばした。すると、その男の子はバランスを崩して、階段から転がり落ちてしまった。

私は、全身の血の気が引いた。大変なことをしてしまった。

私は慌てて、階段の下に駆け下りたが、その小さな体はピクリとも動かなくて、首はおかしな方向に曲がっている。

「し、死んだの?」

私は、恐る恐る、うつ伏せになったその子を抱き上げた。

「う、嘘っ!」

グラリとあらぬ方向に首が揺らいで、仰向けになったその体は、紛れもない自分の本当の息子のほうだったのだ。

「たっくん!たっくん!しっかりして!」

私は泣きながら半狂乱になり、すぐに救急車を呼んだ。

助からなかった。息子は即死状態、首の骨が折れていた。

夫は一人息子を死なせた私を非難罵倒し、私たちは離婚した。

私は、実家に出戻ることになった。

「おかえり、ママ。やっと僕のママになったね。」

その子は、玄関先で待っていた。

ああ、やっぱりあなたは・・・。

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