怪談会 第1話『空と幼児の不思議な話』

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怪談会 第1話『空と幼児の不思議な話』

語り手 吉野さん29歳

専業主婦

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私達家族は、巨大マンションの12階に住んでいます。

その日もいつもと同じ、出勤する主人を笑顔で送り出した後、3歳の息子に朝ごはんを食べさせ、洗濯物を干しにベランダに出ました。

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カラカラとガラス戸を開けて外に出るまで頭の中で、

今日はあの用事を片付けてしまおう…

冷蔵庫に入ってるアレが賞味期限近いから夕飯にしよう…

ああ、マンションの住民集会何時だったかしら…

等と取り纏めのない事を考えていたんです。

しかし、洗濯物を広げようと仕切りの向こうに目を向けた時、私は考えていた事の全てを忘れました。

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それは生まれて初めて見る、深い深い真っ青な空でした。

今まで見てきた空とは、全く違う。

本当に美しい…表現出来ないほど深く輝く様な青…。

あまりの素晴らしさに、涙が溢れたほどです。

「ママ~」

背後の室内から私を呼ぶ息子の声がしましたが、スーパーの店内放送の様に右から左に抜けていきました。

私は完全に、あの美しい空に心を奪われていたのです。

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どれほど時間が経ったでしょう…。

空っぽだった私の頭に、唐突にある考えが浮かんできました。

 

……よし、死のう。

何の脈略も無い考えでしたが、気持ちはどんどん高揚していきました。

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そうだ!こんな日は、死ぬに限る。

この真っ青な空に飛び降りたら、きっと楽しいに違いない!

あ~!!死ぬ!今日は死ぬ!絶対に死ぬ!死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい………

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「ねぇ、ママ~」

…あの時の私は、壊れていたのだと思います。

幾度、息子に呼び掛けられても気にならず、このままでは胸まである柵を越えられないと思い、ダイニングの椅子をベランダに運び出してその上に立つと、鼻唄まじりに柵に片足をかけました。

高層マンションの12階から見下ろす街は小さくて、地上には今から落ちてくる私に気付いている人などおりません。

それが可笑しくて、クスクスと笑いながら尚も身を乗りだそうとした、その時です。

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shake

「おい、ゴラァッ!!!」

斜め後ろ…室内へと続くガラス戸の所から、ビリリッと体を震わせる、凄まじい怒声が響き渡りました。

事態が飲み込めず、茫然と振り返るとそこには…まだ3歳になったばかりの私の息子が、見たことの無い憤怒の表情で立っていたのです。

愛らしい筈の幼児の顔には無数の深い皺が刻まれ、その皺という皺が中央の鼻頭に向けて、漫画の集中線みたいに集まっていました。

初めて見る我が子の表情に、私の喉から「ひっ…」という掠れた悲鳴が漏れたのを覚えています。

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shake

「おどぉれ、なにしとんじゃいっ!!」

shake

「さっさともどらんかぁっ!!!このあほんだらぁあっ!!!!」

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絶対に幼児ではでない、ドスの効いたダミ声と巻き舌……。

それが私に、

「己は何をしてるんだ、早く戻れアホ!」

と言っているのだと気付くが速いか、体が勝手に椅子から降りてベランダの床に正座していました。

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唖然としたまま目の前の小さな顔を見詰めていると、恐ろしい人相がみるみる元の愛らしい表情に戻っていき、更にはクシャクシャと別の歪みを見せ、大きな声で泣きながら私にしがみ着いてきます。

その体を受け止めながら今しがたの自分の行為に、ジワジワと恐怖して心底震え始めた私は、ガタガタと歯を打ち鳴らしながら、息子の背中を何度も何度も擦り続けていました…。

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私と息子が漸く落ち着いたのは、昼に差し掛かる頃です。

その頃には息子は泣き疲れて眠ってしまいましたし、私自身もどうしてあんな恐ろしい考えが浮かんだのか、分からなくなっていました。

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すやすやと寝息をたてる息子をソファーに寝かせ、タオルケットを取りに行こうと身を離した時、

「…これで産んでくれた恩は返したけぇのぉ…」

可愛い寝顔のまま、ドスを効かせた巻き舌で、息子が寝言を言ったのでした……。

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以上が私のした、唯一の不思議体験です。

あれ以来、私にも息子にも変わった事は起きていません。

ご静聴、有難うございました…。

第1話 了

Concrete
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