中編6
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夜来たる

ホテルにチェックインしたのは確か14時だった。

「よし! なっちゃん、とりあえず観光だな! 」

また始まった。幾ら上司とは言えこの須藤という男、どうしようもなく適当だ。奈知(ナチ)という私の変わった苗字をそのままあだ名にするのも気にくわない。

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「須藤さん、宜しいですか? 出張であることをお忘れなく」

「おいおい! 仕事はさっきの新幹線の中でした打ち合わせで十分だろー 」

「あれは打ち合わせとは言いません。雑談です。荷物を置いたらラウンジで打ち合わせをしましょう」

私達は15分後にラウンジで落ち合うこととなりそれぞれの部屋へ入る。

私はスーツケースを開き、化粧ポーチを出すと何気なく窓の外の景色を見た。当然の様に存在する山、川、森の溜息が出る程の田舎風景がある。私の溜息は決していい意味ではない。何故会社の上層部はビジネスの新規開拓地として此処を選んだのか。そしてそのプロジェクトチームのメンバーに私が選ばれたのが一番解せない。

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『完璧を求めるのがなっちゃんの悪い癖だなー 』

須藤… 適当な癖に私の事を見透かした様な発言が一々胸に刺さる。

気を取り直しラウンジに向かうと、須藤が既にソファに腰掛け誰かと話していた。

「おー! なっちゃん、こっちこっち! 」

須藤が話していたのはビジネスホテルには似つかわしくない風体の男。短く刈り上げた白髪混じりの頭髪で作業着を着こなす中年の男は、愛想なく微かに頭を動かし挨拶をする。

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「こちらは近隣で林業の経営をされている古川さん。古川さん! この娘なっちゃんって言います」

「初めまして奈知と申します。宜しくお願い致します」

おお、と返事とも取りづらいリアクション。これで経営者と呼べるのだろうか、会話の成り立ち辛い職人気質というものだろうと、戸惑いつつも須藤の隣に腰を下ろす。

「それでねなっちゃん、この方から興味深い地元の温泉、じゃなくて地元の伝承の話を聞いていたんだ」

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「はあ… 伝承ですか」

私は二人に表情を気取られない様に返答する。実はオカルト的な話が大好きな私は、前のめりになるのを抑えるのに必死だった。

「この季節になると来るんだ… 奴が。獣だかなんだかわからねえが、決まって夜に来るんだ」

季節は秋。冬眠前の熊を真っ先に想像したが、古川は狸が化けて出たのかと口籠もりながら続ける。

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「奴は先ず声だけで呼びかけて来るんだ。その声に応えちゃ上手くねえ。次は姿を現わす。そこでそいつと目を合わせちまうと… 終わりだ」

「終わり… とは? 」

つい私から質問をしてしまい、隣でニヤニヤと須藤が水を指す。

「ね? なっちゃん。面白いだろ? 興味あるでしょ」

須藤は放っておこう。私は咳払いをし古川へ続きを促した。

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「終わりってのは、まあ、“奴になる”ってことだわな」

奴になる… 古川の放ったおぞましい言葉が耳に残る。

「昔から『声を聞かず、見ずしてこれを退く』という言い伝えはこの地で知らない者はいねえ」

「古川さん! この地域、毎年失踪者が10名は下らない。その年齢層が10代から30代のみに限定されていますよね? 」

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鼻息荒く古川に質問する須藤もこの手の話には興味がある様だ。地域の事前調査の過程で、確かにその様な情報があった。須藤の質問に対し古川がゆっくりと頷く。

「そうだ。ただ、若え奴の中でも言い伝えを守れない奴が上手くねえんだ」

「もしかして10代から30代の“言い伝えを守れない人”、即ち何らかの知的、精神障害がある者が対象となっていませんか」

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私は一つの可能性を口にする。言い伝えを守る事が出来る人間は、その事象を退けることが出来るからだ。

「そうだ。お姉ちゃん賢いんだな。加えて奴は声も姿も身近な人を真似て現れる。だから妊婦や病人、そんであんちゃんや姉ちゃんみたいな余所者が上手くねえんだ」

携帯の着信音が鳴り響く。部長からだ。明日の商談について報告をしなければならないのだった。

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「須藤さん、部長から電話ですので話して来ます。後は宜しくお願い致します。古川さん、一度失礼を致します」

部屋へ戻りノートパソコンを立ち上げ、電話打ち合わせをする。結局電話は2時間程かかってしまい、終わる頃には窓の外の陽がすっかり落ちていた。須藤から温泉に行ってくるとショートメールが入っている。

また勝手な事を… 須藤へ電話をするが出ない。私も外で夕食を取ろうと思っていると、部屋をノックする音。

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「おーい、開けてくれー 」

「須藤さん? はい、今開けます」

部屋のドアに掛けた手が止まる。さっきの話が頭をよぎり、身体が動かない。

馬鹿馬鹿しい、まさか、もしかしたらと思考が目まぐるしく回っていく。

「おい! 疑ってるのか? 奴が来たんだ。なっちゃん、君を守りたいんだ」

「え… ? 」

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目が合わなければまだ大丈夫、目を伏せていれば本物かの確認は出来るはずだ。私は思い切ってドアを開ける。

「うっ! 」

扉が開き、ドアの隙間から廊下が見えた刹那、須藤の顔、いや須藤の顔らしきものが視界に飛び込んで来る。

私の俯いた視線の中に。

反射的に目を閉じたため、辛うじて目は合わなかった。踊り狂う自らの鼓動を感じながら、手に掛けたドアを閉めようとするが動かない。ドアノブから手を離し、一歩下がりながらクソ、やばい、怖いという言葉が頭の中で一杯となり、手足は震え閉じた視界が余計に頭を混乱させる。

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「はあ、はあ、はふー 無駄だ。あいつは終わった。後はお前だけだ」

今度は耳元に生暖かく生臭い息遣いと共に、男とも女ともとれない声。

須藤はもう? もう私も駄目なのか。そう諦めかけた時、再び部屋をノックする音が聞こえる。

「お客様? 大丈夫ですか! 返事を出来ますかー? 」

「はい! ドアは開いています。中に入って来て下さい」

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ホテルの男性スタッフの声に対し必死に答えると、耳元で息づいていた“何か”は舌打ちをし気配を消す。

スタッフが遠慮がちに部屋のドアを開け入る音がする。

「大丈夫ですか!? ご一緒に受付をされた男性から連絡がありまして、お客様が目に怪我をして困っているからと訪室の依頼がありまして」

「あの、この部屋に他に誰かいますか? 」

「いいえ。お客様と私だけですが」

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恐る恐る目を開けると、目の前には困った顔のホテルスタッフが立ち尽くしていた。

安堵の吐息を吐きつつ、もう大丈夫と伝える。スタッフが部屋を出て直ぐに携帯電話が鳴った。須藤だ。

「なっちゃん! 大丈夫か? 」

「須藤さん… ですよね? 大丈夫じゃありません」

安心して自然と弱音と涙が溢れる。

「今から行くから。もう大丈夫だよ」

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須藤とは直ぐに私の部屋で合流し、事の顛末を2人話し合う。須藤へも“奴”は来ていて、古川の話を思い出し、外にいた事もあり声に反応すらせず退けた。

「だって、温泉の男子更衣室の暖簾の外から女性の声で自分の名前呼ばれるのって、変でしょ」

確かに。その後、須藤は私の身を案じホテルへ連絡を入れてスタッフを送った。私の状況も須藤に話すと彼は自らも体験してるだけに真剣に耳を傾けてくれる。

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「なっちゃん大変だったなー あ、そう言えばあの後古川さんが面白いこと言ってたよ」

「え? 何ですか? 」

「現れる“奴”って自分の身近な存在であり、自分の大切な存在なんだって。なっちゃんに来た奴は誰だったの? 」

「は? いや、プライベートですから! 言えません」

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「そっかー 部屋の中にまで入れちゃうんだからなー 気になるなー 」

「しつこいです! 言えません。言えるわけ無いじゃないですか。そして須藤さんはもう出て行って下さい! 」

須藤を部屋から追い出すと私は、須藤に声をかけてきた女性が誰かが気になりつつも、シャワーを浴びて気持ちを切り替えることにした。

今しがたの気持ち悪い体験と、さっきから感じる窓の外からの視線を忘れるために。

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