長編7
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サイコパス3 ─責任能力

迫田源二郎 四十一歳は、乳幼児の殺害、担当刑事に対する傷害致死の罪で、逮捕、起訴された。

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警察においては、まだまだ余罪があると見て、捜査が続いている。

裁判の焦点は、彼の「責任能力」という点であり、検察と弁護人は鋭く対立していた。

責任能力あり、とする検察側に対して、当然弁護人は無しと主張し、最終的には被告人の精神鑑定ということになった。

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まだまだ午後の日差しに暖かさが残っている、秋の初めのこと。

紺色の囚人服の迫田源二郎を乗せたパトカーは、とある大学病院の広い敷地内をゆっくり走っていた。

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「なあ、ポリさんよ~。わし、ホンマしんどいわ。ゲーセン行きたいんやけど、ええ加減、勘弁してえなあ」

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後ろの座席で警察官二人の間に座るゲンちゃんは、いつもの調子で一人ぼやいている。

警察官は全く意に介さず、背筋を伸ばしてじっと前を向いていた。

車は、奥まったところにある建物の正面入り口で停まった。レンガ調の外壁には蔦がからまり、少々古びた感じで、三階建てくらいの建物だ。

ゲンちゃんは後ろ手に手錠を掛けられたまま、警察官二名に挟まれた状態で、パトカーを降りた。

自動ドアをくぐり、三名は並んで人気の無いエントランスを真っ直ぐに進み、突き当たりにあるエレベーターに乗り込むと、地下一階で降りた。

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「なんや、薄気味悪いところやなあ。お化けでも出てくるんちゃうか?」

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両側の二人は相変わらず、ゲンちゃんの言葉には全く無反応で、彼の腰に手を回し薄暗い廊下を真っ直ぐに歩いていく。

廊下の両側には、等間隔でドアが並んでいた。

すると、警察官の一人が一つのドアの前で立ち止まると、軽くノックをした。

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「どうぞ」

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中から、女性の声がする。

「入ります」

そう言ってドアを開けると、そこは、八畳くらいの殺風景な部屋だった。

リノリウムの白い床の中央に、ちょっと広めの事務机かあり、その前に白衣の女が座っている。

ショートカットにした明るいブラウンの髪に、エラの張った色白の顔。真っ赤なフレームの眼鏡をかけていて、年は四十前半くらいか。

A 4サイズのバインダーを開き、眼鏡をずらしながら真剣な表情で目を通している。

ゲンちゃんは警察官に引っ張られるようにしながら、女の正面に座らせられた。

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「私たちは廊下にいますので、何かありましたら、すぐにお呼びください」

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そう言って警察官二人は、部屋から出ていった。

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ゲンちゃんは落ち着きなく貧乏揺すりをしながら、キョロキョロしている。

女はしばらくすると、バインダーを閉じ、彼の顔を見据えながら、口を開いた。

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「迫田源二郎さん……私は、飯田。飯田真由美と言います。この大学で、心理学を教えているの。

よろしくね。」

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ゲンちゃんは飯田の顔をチラリと一瞥しただけで、

また、落ち着きなく貧乏揺すりを始めた。

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「今日はこれからあなたに、いろんなことを質問していくので、答えられる範囲でいいから、話して頂戴ね。きちんと答えられたら、これをご褒美としてあげる。」

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そう言うと飯田は、引き出しから一箱のタバコを出して、中から一本抜き取り、机の真ん中に置く。

ゲンちゃんの眉がピクリと動いた。

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「さてまず、幼い頃のことから教えてくれない?

あなたはどんな子供だった?」

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ゲンちゃんはしばらく無言で天井を見上げてから、おもむろに口を開いた。

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「……知らん。普通ちゃうか?」

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「普通……。普通ではよく分かりませんねえ。

おとなしい感じだったのか?活発な感じだったのか?」

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「だから、普通って言うとるやんけ!」

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少しイラついた様子で、答える。

飯田は苦笑しながら、質問を続けた。

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「分かりました。それでは、質問を変えましょうか。

あなたのお父さんは、どんな人だった?」

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「お父さん?ああ、おとんか?知らんわ」

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「知らん?あなたには、お父さんはいなかったの?」

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「よう、覚えとらんなあ。わしが物心ついたときには、おらんかったからなあ」

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「いなかった……。では、お母さんは?」

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「ああ、おかんか。

おかんは、飲んだくれやったな。

日曜なんか朝からウィスキーをロックでくらっとったしな。」

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「飲んだくれ。

酒に溺れていたの?」

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「溺れて……。

あんた、かっこええ言葉使いよるなあ。

さすが、大学の先生はちゃうなあ。

そうやな。酒に溺れとったな」

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「学生時代は、どんな生徒だったの?」

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「学生時代?学校か。

ほとんど行っとらんから覚えとらんわ。

もしかしたら、ゲーセンい行っとったときの方が長かったかもしれんな。

ハハハハ……」

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そう言って、ゲンちゃんはさも嬉しそうに高らかに笑った。

そして手錠を掛けた両手で、器用に机の上のタバコを取ると、口に咥える。

飯田はしぶしぶライターで、それに火をつけた。

ゲンちゃんは肺全体に行き渡るかのように思い切り吸いこむと、わざと飯田の顔にかかるように大げさに煙を吐いた。

彼女は煙たげにうつむき、一つ大きくため息をつくと、眼鏡を外して眉間を揉みながら、しばらく考えこんでいた。

そしてまた、質問を続けた。

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「迫田さん。

現在あなたは二つの罪で裁判にかけられている。

殺人罪と傷害致死罪。

両方とも、かなり重い罪ね。

しかも、この二つの犯罪には、何の繋がりもない。

今までさんざん質問されてきたでしょうが、敢えてもう一度聞きたいの。

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なぜ、あなたは、あのようなことをしたの?」

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ゲンちゃんは天井を向いて一つ大きく煙を吐くと、再び飯田の方に向き直り、言った。

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「また、それかいな。まったくどいつもこいつも。まあ聞きたいんやったら、何度でも教えたるわ。

わしが人間を殺すのは、つまるところ、

白い煙とエクスタシーちゅう奴や。」

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「白い煙とエクスタシー。

それだけでは分からないから、一つ一つ説明してくれない?」

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「はあ!?せつめー?めんどいのお。

でもまあ、あんた、ちょっとええ女やから、特別に教えたるわ。

まず白い煙からやけど、あんた、人が死ぬとき、立ち会ったことあるか?」

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「まあ、何度かは……」

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「ほんなら、白い煙見たことあるやろ。」

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「白い煙?残念ながら、ないわ」

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「あかんなあ。まだまだ修行が足らんなあ。

白い煙は、人が死んだら口から出てくるやつや」

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「それは、その……いわゆる、霊魂ということ?」

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「分からん。ただ、それが何であっても、わしにとってはどうでもええんや」

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「どうだっていいもの?……じゃあ、どうして、あなたは、そんなものに興味があるの?」

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「白い煙は人によって、大きさも形も、色合いも違っててな。それがおもろいんや」

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「面白い……。ただそれだけの理由で、あなたは……」

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「まあ、それもあるけど、それでは、まだ弱い。

そこで、エクスタシーの登場ということや。

先生、あんた、エクスタシーを味わったことあるか?」

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ゲンちゃんのいきなりの質問に、飯田は少し赤い顔になり、動揺した。

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「お、ちょっと赤い顔になりおったな。

まあ、あんたくらいの年齢になると、男に抱かれて、悶え狂ったりすることもあるやろ。

ただ、わしは違うんや。

わしはエッチなんかしても、何もおもろいことあらへん。全く何も感じへんのや。

かといって、旨いもん食っても、きれいな絵を観ても、何も感じへん。

わしが最高のエクスタシーを感じるのは……」

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「人を殺したとき……」

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「そのとおり!さすがは大学の先生。

まず、この二つの手で目の前のやつの喉元を掴んでな、ぐぐーっと力を込めるんや」

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ゲンちゃんの声は徐々に高くなり、それに合わせるように顔がピンク色になり、大きな二つの目は泳いでいて、血走っていた。

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「ほならな、必死にわしの手を外そうとして、バタバタそりゃあ暴れよる暴れよる。

エサを欲しがる鯉みたいに口をパクパクしながらな。

それを無視してさらにぐいぐいやると、やがて、少しずつ力が抜けてきよる」

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「ここや!この命が離れていく瞬間。

この瞬間が最高なんや」

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ここでいきなり立ち上がると、白い天井を見上げ、手錠をはめた両手を力強く掲げた。

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「脳ミソの奥に、ドバーっと、気持ちいいのが溢れてくるんや」

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そこまで言うと、苦労の末にようやくメダルを獲得したオリンピック選手のように目をつむって余韻を味わいながら、しばらくの間、動かなかった。

そして最後に、飯田の顔を見ながら、こう言った。

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「わし自慢やないけど、これで何度も射精したことあるんやでえ」

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迫田源二郎と警察が帰り、誰もいなくなった部屋で、飯田は一人机に座り、迫田とのやりとりを思い返していた。

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─「責任能力」というのが、事の良し悪しを判別できるだけの知的能力と考えると、迫田源二郎には、「責任能力」は無いとしか、言い様がない。

彼には、人間として一番大事な何かが、完全に欠如している。

もちろんこのまま、そのような結論の鑑定結果をレポートにまとめるのも簡単であろう。

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だが、それでいいのだろうか。

もし今回、彼が責任能力なしとして裁判で無罪となり、再びこの一般社会に戻ってくるなんてことになってしまったら……」

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飯田は、誰もいない部屋で一人、白い天井をいつまでも眺めていた。

Concrete
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