中編4
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水を見に行く

「ちょっと田んぼの水見てくるわ」

その日は台風接近で学校が休みになったため、私は同級生の家に遊びに来ていました。

雨が強くなる前に帰ろうとしていたその時、同級生のおじいさんが外に出て行こうとするのを他の家族が呆れたように引き留めていました。

どれだけ説得しても聞き入れないため、結局私を自宅に送っていくついでにということで折り合いが付いたようでした。

「皆、米なんて買った方が安いだろうとか言うが、そういうことじゃないんだ」

玄関に向かう際、おじいさんは不満を口にしていました。

「田んぼは治水にも役立っている、川の堤防を作るのに犠牲になった人もいる、水を見に行くというのはこの地域の安全を見に行くのと同じなんだ」

おじいさんの言葉にはその信念に基づく強い想いが感じ取れました。

しかし、電話のある棚から古ぼけた連絡簿を取り出しておじいさんが確認しているとき、その言葉は漏れ出ました。

「・・・今回もにえなみが見えなければいいが」

にえなみ、何のことでしょう、私は頭の中で煮、似、南、波などの言葉を反復してみましたが、どうにもうまく意味の通る字をあてることが出来ません。

何か気持ち悪い感覚を残しながらもその時はそれで考えるのを止めました。

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自宅に帰ってきて、雨の中で体が冷えていた私はすぐにお風呂に入りました。

湯船につかりながらも外からは強い風の嫌な唸りが耳に入ってきました。

農家ではありませんでしたが、その轟音に稲は大丈夫かなあと思っていたそのとき弟の優季が脱衣所から声をかけてきました。

「姉さん、携帯電話鳴ってるんだけど」

そう言って私の携帯電話をすりガラスの向こうに持ってきていました。

「う~ん、誰から?」

「千歳って出てるけど」

着信は先ほどまで遊びに行っていた同級生でした。

「お風呂から出たらかけ直すよ」

「それがさっきから何度も鳴ってるんだけど、急ぎの用事かもしれないから俺が出ようか?」

「あ~、いいよ、出るよ」

そう言ってさっと湯船から出ると、私はガラス戸を半分ほど開き、身を乗り出して電話を受け取ろうとしました。

「ちょっ、ちゃんと隠せよ」

弟は突然現れた私のバスタオルすらまとっていない姿に狼狽えているようでした。

「何よ、別にいいじゃない、姉弟なんだから」

恥ずかしそうに眼をそらす弟の姿を見てちょっといたずらっぽい気持ちが出てしまいました。

「あ~もう我が弟ながらかわいいなあ」

「うるせぇ、この変態ブラコン」

そんなたわいないふざけあいをしているうちに電話は切れていました。

「あ~、もう、切れてる、私まだお風呂の途中だし、もう一回かかってきたらやっぱり優季が用件聞いといて」

「ああ、わかったよ」

相変わらず視線をそらしている弟に腕を伸ばして携帯電話を返しました。

「でも、姉さん」

「何?」

不意に優季は神妙な面持ちで口を開きました。

「うまく言えないけど、この着信・・・何だかすごく嫌な感じがした」

「・・・どういうこと?」

「わかんないよ、言っただろ、上手く言えないって」

弟は私と同じく世間で言うところの霊感の強い人間でした。

それもかなり強い部類の・・・

その弟が『嫌な感じ』がしたというのは何か言いようのない不穏な空気が漂いました。

その後千歳からの電話はなく、こちらからかけ直してもずっと向こうの電源が切れたままでした。

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その日の夕方、台風の影響で町を流れる川の堤防が崩れて川の水が溢れだしました。

決壊した堤防近くの家々が床下浸水しましたが、幸い死者は出ませんでした。

しかし、数日後崩れた堤防から一番近い家で葬式が出ました。

その数日後、葬式が出た家の隣の家で葬式が出ました。

また数日後、その隣の家で・・・

まるで水が溢れた川から不吉な何かが家々を巡っているようだと集落の中で密かに囁かれるようになりました。

そして、千歳の家も浸水した地域にあったのですが、彼女とその家族は水が溢れる前に避難して親戚のところにいるということで学校には来ていませんでした。

近所の人の話によると奇妙なことに家具などのまだ使える荷物を台風から数日後に引っ越し業者が取りに来たそうです。

彼女の携帯電話はあれから電源が切れたままですし、引越先の電話番号などもわからず連絡手段がありません。

不安に思った私は浸水した地域のことを調べてみました。

すると同じように台風の日に出て行った一家がいました。その家の名前は私の記憶に残っていました。

「この家、千歳のおじいさんが手にしていたあの連絡簿に記されていた名前の一つ・・・」

単なる偶然かもしれませんが、あの情報を共有するための連絡網に載っている名前の家族が川の浸水地域から忽然と姿を消して引っ越しているのでした。

まるで今、集落を巡っている不吉な何かと縁を繋ぎたくないとでもいうように・・・

あのおじいさんはいったい何を見に行っていたのでしょうか?

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