中編2
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記憶喪失の幽霊

wallpaper:814

懐かしいばかり。

優しい陽と雲のやわらかさ。

冬空の、戦慄するほどの広がり。

風に凍てついて寂しがる私の耳、欄干の鉄の冷たさに拗ねた指、

眼球を、最期に射貫いた世の光。

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橋から投身、河川敷に破裂。

頭蓋が砕けた刹那、前頭葉から海馬、小脳に次いで脊椎の破壊と共に走馬燈から解放され、

私は幽霊になっていた。

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死体の確認も出来ない。

河川敷に浮遊するわけでもなく、いきなり公園のベンチに座っていた。

せっかく現世から自由になったにも関わらず、私には残念ながら、

私が誰なのかわからなくなっていた。

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意識へ僅かに残るのは、

鉄橋から飛び降りて脳が破壊されるまでの一瞬の出来事と、

そして、この世界への印象の断片。

走馬燈は夢に似ていて、それがあったことは判るのに、

幽霊として目覚めた時にはもう私から抜き去られていた。

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公園のトイレの鏡で確認したが、やはり姿が映らないため手がかりも無く、

ベンチに戻り、しばらく座ったまま、砂場で遊ぶ母と子を眺めていた。

すごく脆くてとても小さな、けれどひどく愛らしい砂の城を、

幼い男の子が懸命に造形していた。

ふいにその子が顔を上げ、私へ向けて手を振った。

母親は誰も居ないベンチとその行動とを交互に眺め、不思議そうにしていた。

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彼には私がどう見えたのだろう?

警戒されていなかったから、たぶん怖い見た目じゃないんだろう。

爽やかなお兄さんだろうか?

綺麗な女性だろうか?

優しそうな老人かもしれないし、

あるいは元々の姿がどこかユーモラスなのかもしれない。

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少なくとも彼へ向けて私は、笑顔を贈れていたはずだ。

幽霊になったのに子供には怖がられていない、というのは、

なんだか大きな救いに感じられた。

ということは私の生前は、子供好きだったのかもしれない。

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私は子供を育てていたのだろうか?

けれどそれなら、その子を放置して先に死ぬなんて選択肢を採用するだろうか?

子育てを終えてのち、老いてから病気か何かを理由に自殺したとも考えられるし、

あるいは不妊治療のノイローゼ? これは可能性が低いだろう。

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考える間に夜も更け、そして朝焼けを迎えた。

このまま公園のベンチに座り続けるといわゆる地縛霊というやつになる気がして、

それでは退屈すぎるので取り敢えず歩き出すことにした。

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懐かしいばかり。

優しい陽と雲のやわらかさ。

冬空の、戦慄するほどの広がり。

風に凍てついて寂しがる私の耳、欄干の鉄の冷たさに拗ねた指、

眼球を、最期に射貫いた世の光。

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まさか死後でさえこのように、

幽霊にさえこんなにも、

夜明けの空が清々しいと、

誰が想像できたろう?

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またひとつ解ったことがある。

同時に新たな疑問も生まれた。

というのもどうやら私はわりと、

この世界が好きだったらしいのだ。

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@いも 様
まさかの高島礼子!
自分も色んなものを見て回るでしょうね。
霊体だし空も飛べちゃうかも

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僕なら日本中の旧家を訪れて蔵の中の美術品を見て回りたい。
高島礼子か!

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