18年12月怖話アワード受賞作品
長編9
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訪問販売

 

  激しい体の痛みと、喉の渇きで目が醒めた。昨晩の猛烈な雨がウソのように、カーテンの隙間から強い日差しが差し込んでいる。もう夏なのか。

昼が近いのだ……。暑い。

ぼんやりと思った。

 痛む頭をふらふらさせながら、起き上がる。

ダイニングテーブルには、飲みかけの焼酎のコップ。ひしゃげたアルミ缶。砕けた瓶の欠片。

足の踏み場もないほどに、荒れすさんでいた。夫の姿はすでになく、だらしなく横たわる私にタオルケット一枚かけてくれるでなく、職場に出かけてしまったのだろう。

愛情の消えてしまった女にはそれが当たり前。

繰り返す夫婦喧嘩。妻らしいことができなかった私にも原因はあるが、夫の浮気がトリガーとなった。ののしりあい。殴り合い。もう時間の問題に達している。破綻している。

私はアルコールに救いを求めた。私を柔らかい世界に、純粋な世界に導いてくれる。でも、それは隠していた恐ろしい感情を呼び覚まし、増幅させ、取り返しのつかない現実を招き寄せることになる。

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 霞がかかったような頭で記憶を手繰り寄せる。

「今日は10時待ち合わせの面接の日だ」

血の気が引き寒くなる。時計は11時を告げている。その辺に脱ぎ散らかした服を急いで身にまとい、鏡を見ることもせず、自転車に飛び乗り汗だくになりとばした。

 昭和時代の匂いが色濃く残る、駅前商店街だった。

スーパーマーケットの入り口のところに、待ち合わせ相手の女性所長は待っていた。

初対面の、しかも約束時間を守らない人間を、こうして待っていられるのか。一時間も遅れたのに。ありえない。

「待っていましたよ。鈴木さんね」笑顔なのだ。

「申し訳ありません。私はもうだめですよね」

「いえ。上出来よ。私は待つと言ったらなん時間でも待っていられるタイプなの。あなたみたいな人を待っていたのよ。あら、ひどい顔ね。説明はしなくていいのよ」

あっけにとられる私を、真向かいにあるマンションの一室に導く。彼女はエレベーターの6階のボタンを押した。

 玄関ドアを開けると段ボールの山に行く手を阻まれた。体を斜めにしながら中に入る。

「ごめんね。これぜーんぶ商品なの」

低い天井。小さな部屋が二つ。ミニキッチンにユニットバス。事務所兼住まいのようだ。

二畳ほどの座卓のあるスペースにたどり着いた。壁には営業事務所らしく、4人分の売り上げ棒グラフの紙が貼ってあった。

「ここで働いているメンバーよ。このトップの石黒さん、もうすぐ帰ってくるから紹介するわね」

私はもうすでに採用されたらしい。

化粧品の訪問販売員。

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 所長の名前は米田豊子(よねだとよこ)。 七十歳と本人は言っているが、もっといっているような気もする。見た目がとても若い。

長年、化粧品に関わっているせいかもしれない。ウェーブのかかった艶のある栗色のショートヘアはこの年齢では有り得ない。でも注意深く見ると、首筋のところが少し浮いている。やっぱりウィッグ(かつら)だ。納得。

小柄な体躯はややぽっちゃりとしている。華やいだ笑顔によくマッチしていて、人に安定感を与えていた。もちろんメイクアップも職業柄、限りなく白く濃いめに施されていた。

「さぁ、明日から働いてちょうだい。何よりまずは、その眼の下のクマを消すことね。今日はレクチャーだけよ」

座卓の上には様々なものが、ある一定のルールに従って置かれていた。一見、乱雑に見えるのだが。鉛筆、定規、そろばん。領収書の束。商品のブックレット。諸々。

こんなカオスのような事務所だけど、案外と几帳面な人なのかもしれない。

彼女はそれらをどかし、隅に寄せ、メイク道具を並べ、広げた。

座布団に横になるように言われ、所長の膝の上に頭をのせた。

むくんで、はれぼったくなった私の顔に所長の温かく、柔らかい手が滑りだす。

「かわいそうに。こんな顔になっちゃって。大丈夫よ。私が綺麗にしてあげる」

クレンジングから始まり、マッサージ。熱い蒸しタオルで包まれる。あまりの気持ちよさにウトウトとしてしまった。

中学の時に亡くなった母親のぬくもりを思い出してしまった。

懐かしさで胸が痛くなり、タオルの中で静かに泣いた。

「鈴木さん、女はね、幾つになっても女なの。諦めてなんかいないのよ」

私はしばらく眠っていたらしい。

「はい。出来上がり」その声ではっと目が覚めた。

差し出された手鏡に写った自分の顔は、まるで別人のようだった。

「これが私!?」

「そうよ。あなた顔立ちが悪くないからメイクばえするのよ。もったいないわよ。どう?少しは元気でた?」

「はい。本当にありがとうございます」

それにしても凄い。あれだけむくんでいた顔がシュッと引き締まり、ボサボサのムラのあった眉毛は整い、綺麗にブロウがひかれている。

睫毛も二倍ほどの長さになり、外に向かって大きく広がっているので、目が大きくなっている。こんなの初めて。まるで魔法のようだ。

その時、入口のドアが開く音がした。

「あ、おかえり。お疲れ様。今ね、新人さんが来ているのよ」

外回り営業から戻ってきた、石黒という女性だった。

「はじめまして。明日からお世話になります、鈴木です。よろしくお願いします」

「はあ、どうも」

目を合わせることなく、うつむきながら、ダンボール箱の隙間に座った。

黒いボブヘアーが顔の半分を覆い隠していた。

ファンデーションでは隠しきれない、青黒い大きなアザが、左側の髪の間から透けて見えた。

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 ―― 口紅をすすめる時はね、何色も見せてはダメよ。女の人はあれもこれも、みんな試したくなるの。着けては拭きしているうちに、唇が真っ赤になって本来の色がわからなくなってしまうのね。だから、せいぜい、三本に絞るのよ ――

―― まず、家の外側を見るのよ。庭が雑草だらけだったり、ゴミだらけの家よ。そういう家の主婦は、色々と不満だらけなの。だから化粧品を買うはずよ。

逆に綺麗に掃除されてるような家は、行っても無駄だからね。絶対に買わない ――

―― それからね、あまり強く勧めてはいけないのよ。弱々しい感じがいいの ――

所長の教え。なるほどなと思った。

私の訪問販売のお仕事がスタートした。

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 その日、私は住宅街の細い路地を、大きなセールスバッグをぶら下げ歩いていた。

再開発も進みそうもない、古い町並み。手付かず状態の町外れ。

所長の教えに従って、古くて汚い家を物色していた。

その家は、家と家の隙間にできた三角形の土地に建つ小さな家だった。これが家と呼べるのか。でも二階がある。つまり、六畳間が上と下に一つずつあるといった家だった。

空家ではないことは確かだった。

たった一つしかない窓枠の外にロープが張られ、ベージュ色の下着類が隙間なく干されていたからだ。

玄関の呼び鈴のボタンを押すと、ややあって、中から想像したとおりの老女が現れた。

半間ほどの玄関の正面には、二階に登る急勾配の細い階段があった。

梯子(はしご)といってもいいくらい。こんな階段をこの老女は上り下りできるのか?

老女は簡単に私を部屋に招き入れた。

慣れている様子だった。私の他にもこの家に、訪問販売員が訪ねてくるのだろうと予想できた。

「さあ、この私に何をしてくれるの?」

「はい。今日は奥様のお肌のお手入れをさせていただきたくて参りました」

「そう。それじゃあ、やってちょうだい」

所長にやってもらったとおりの手順をこなした。

最後はメイクアップ。少し黄色がかったファンデーションを選び、さらに油分の多いものを使うと、老女の深い皺にも、するりとはいかないまでもうまくのってくれた。

最後はピンクベージュのこっくりとしたトーンの口紅で仕上げた。

我ながら上出来だった。

変身を遂げた老女の喜び様は凄まじかった。

「十歳くらい若返った気分だよ。嬉しいね。ありがとうね」

私が使用した商品を全て買ってくれた。

「残りのお金は月末、来週でいいかい?」

私は納品書と伝票を切り、控えを渡す。来週の予約も取り付けた。

セールスバッグは、私の心のように軽くなった。

玄関を出ようとした時、一人の青年が私と入れ違いで家に入ってきた。

チラリと横目で見ながら、無言でそのままトントンと急な階段を登っていった。

「ああ、息子ですよ」

「そうなんですか」

息子さんと二人暮らしと聞き、なんとなくホットした。

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 所長に早く報告したくて、ほめてもらいたくて、事務所に急いだ。

  「あなた、あの家に行ったでしょう?」

所長は怖い顔を私に向けた。

「あの家?」

「そう。あのお婆さんの家よ。あなたに言っておけばよかったわね」

「どういう事ですか」

「あそこはねぇ、他のみんなもやられるのよ。入りやすいからね。それで商品は置いてきたの?」

もらったお金と伝票をバッグから出そうとしたが、無いのだ。

私が台所でお湯を使わせてもらっている時、一旦は出したお金を盗ったに違いない。

あのお婆さんったら……。

「あっ、ちょっと待って」

所長の声を背中で聞いて、私は外に飛び出し、あの家に向かった。

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 先程、行ったばかりの家に着くと、老女は私がやって来るのを知っていたかのように笑っていた。

「忘れて置いてあったよ。これでしょ?」一万円札をヒラヒラさせて見せた。

私は力が抜けて、上がり框に崩れ落ちてしまった。

「あなたにちょっとお願いがあるんですよ。こんなに綺麗にお化粧してもらったけど、まだなんだか慣れなくてね、もったいないと思うのだけども、この化粧、落としてもらえないだろうか?このままじゃ眠れなくて」

こうして会う回数を増やし、世間話に時間を使うのも、次の営業に有利になる。

打算的な気持ちで上がらせてもらった。

老女の顔をクレンジングクリームでマッサージをし、ガーゼで柔らかく拭き取ってからトーニングケアをするのだ。

ドロドロに溶けた顔料が、老女の顔面上で混じり合い、まるで崩れたデコレーションケーキのようだ。

スルスルと白いガーゼで額から拭き取っていく。

両目の付近から頬にさしかかった時だった。

手にやや強い抵抗を感じた。

「あれっ?」と思い手にしたガーゼを見た。

ヌルヌルとした粘液の中に、取れたばかりの血の滲んだ眼球があった。

「わぁー」

ガーゼを放り投げた。

「どうしたの?」

老女が上体を起こした。

顔半分が焼けただれたケロイドになり、空っぽの黒い眼窩の下の皮膚がピンク色の肉となり、裏返しになってぶら下がっているのだ。

腰が抜けるとはこんな状態をいうのだろう。動けないのだ。

やっと玄関の框に辿り着いた。

這いつくばった老女がクネクネと、蛇のような動きをしながら近づいてくる。

「置いていかないでください……」

私の耳元でしわがれた声がささやいた。

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 どこをどう走って事務所に着いたのか覚えていない。

私が連れてきてしまったあの老女の息子の霊を、塩と酒を撒き取り払ってくれた。

只、記憶に残っているのは、ガチガチと震える私の体をギュッと強く抱きしめてくれたこと。その時のぬくもりと、ふわりと立ち込めたオーデコロンの香りが、幼い頃に嗅いだ母の香りと同じだったこと。

所長の話によると、あの家は戦時中の大空襲で焼き払われた時に、逃げ惑うあの親子だけが、避難先の防空壕に入れてもらえず、

それを恨みに思い、今でもずっとあの土地に霊として残ってしまったということだった。

 その後、私はこの仕事で様々なものを見てしまった。

独居老人の孤独死。女子大生のアパートでの首吊り。幼い子を道連れにした無理心中。

訪問販売の仕事は、見なくてもいいものまでも見えてしまう。

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 辞めてしばらく経ったある日、懐かしさもあり、あの商店街に行ってみた。

スーパーに出入りしている客は、ほとんどが老人だ。

あの日、所長はここで私を待っていてくれたのだ。

真向かいにあった6階建てのマンションは跡形もなく姿を消していた。

マンションのあったその場所は、ずっと以前から駐輪場であり、金属製のフェンスの片隅には小さな石碑が建立されていた。

花やお菓子が供えられている。

「大空襲犠牲者の碑」と刻まれていた。

「そういうことね……」

ふーっ。とため息をつき、私は今来た道を引き返した。

 『7時のニュースです。

昨日午前8時頃、東京都○○区△△町のアパートの一室で男女の腐乱した遺体が発見されました。警察によりますと、近隣住民から異臭がするとの通報を受け調べたところ、このアパートに住む鈴木○○さん宅で、遺体は死後3ヶ月以上経っており、この二人と連絡が取れないことから、身元の確認を急ぐとともに事故と事件の両方で調べております。住民の話によりますと、近所との付き合いはなく、大声で怒鳴りあう声が時々聞こえてきたと…………』

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このお話を読んで何故かアジカンの「リライト」が頭の中でリフレインしています。

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@あんみつ姫 さま(*˘︶˘*).。.:*♡
ご無沙汰してました。お変りありませんか?
嬉しいです。今年もあとわずかですね。寒い日ばかりですが、お風邪など引かれませんように。ありがとうございました(^o^)

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