長編10
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首くくりの町 02

回覧板を手にした母が私と兄に気をつけなさいと言ってきました。

「山犬が活発になってるみたいだから、あんた達も注意しなさいね。街中にも出てきてるって」

困るわねーもー、と牛のようないななきを残して母は隣家に回覧板を回しに行きました。

当時私達の町を囲む山の中には野生化した野良犬が沢山いて、山菜を採りに山へ入るときは充分に注意するのが鉄則でした。

たまに猟友会が何匹か間引いたりもするのですが、山犬は一向に数が減らず、また昔から変わらぬ風土柄ということもあって、気にしながらも山犬とは共生していました。

山犬が町中に下りてくる。

今までもたまにありましたが、その度に保健所の人が対応に追われていました。

山犬だけでなく猿なんかもたまに街中に現れます。

学校帰りに捕獲用の大きな網を持った集団を見かけて、そのまま大捕物を野次馬するのは小さな町の大きなイベントでもありました。

いつも通り兄と神社に向かっていると、電信柱に『害獣注意!◯月◯日、この付近で山犬が目撃されました。危険ですので決して近づかないようお願いします。目撃情報は◯◯市役所 担当◯◯まで』という張り紙が貼ってありました。

家の近辺に危険な動物がいるかもしれないという若干の不安を胸の隅に抱えつつ、私達は神社へと急ぎました。

神社に着くと数名の大人が集まってワイワイやっていました。

お祭りの時にも似た大人達の喧騒が耳に入ってきます。

どうやら猟友会の人達が、これから山に入るために集まっているようでした。

神社は山に通じる山道の麓付近にあり、町から山へ入るには必然的に神社の前を通ります。

なので集合場所が神社になるのはいつも通りのことでした。

いつも通りに猟友会の人達が山へ入って山犬その他を駆除する。

たまに鹿なんか撃った日には興奮冷めやらぬ様子で大騒ぎしながら凱旋してきます。

そんないつも通りの光景が、これから始まる恐怖の幕開けでした。

本殿にお参りしてから猟友会の人達が山へと入って行きます。

それを見送った私達はいつも通りに神社の手伝いをして、目前に迫った盆踊りの準備をしていました。

櫓に使う木材を準備したり、提灯の灯りが着くか一つ一つ点検したり、大人に混じって私達も働いていました。

皐月は今年初めて舞う巫女舞の振り付けを必死になって練習していました。

教えているのはシズ婆さんです。

私と兄は巫女装束で神楽を舞う皐月を横目でチラチラ眺めながら働いていました。

盆踊りまであと3日。

その日、山に入った猟友会の人達は帰ってきませんでした。

夜になっても帰ってこず、翌日になっても誰一人戻らない。

暑い夏の日で、しかも勝手知ったる山の中です。

猟友会の人達が遭難するとは考えられません。

もし万が一遭難したとしてもこの気温で死ぬことはないでしょうが、なんらかの原因で事故にあった可能性も考えられました。

準備に追われる私達はそんな異常事態の最中にあっても、手を止めるわけにはいきません。

神社の境内で神主さんと駐在さん、それに猟友会の家族の人達が山の方を見ながら相談していました。

準備をしながら耳にした会話の内容は、火山ガスが……、山犬の群れかも……、転落した……といった感じで、皆不安そうに憶測を交わしていました。

結局、駐在さん他数名の大人が山に入ってみる、ということになりました。

大声で呼びかけながら駐在さん達が山へと入っていきます。

漠然とした不安が境内に立ち込めていました。

私達は準備に追われ、気がつけば日が傾き始めていました。

駐在さん達が山に入って数時間、山道の方を見ると先程山に入っていった大人達が這々の体で山道をこちらに走ってくるのが見えました。

「駐在さん達が戻ってきたよ!」

と大声で皆に伝え、神主さんを呼びに本殿に向かいました。

戻ってきた駐在さん達は皆顔面蒼白で、必死に走ってきたらしくゲエゲエとえずいている人もいました。

「どうでした?」

神主さんが駐在さんに問いかけます。

駐在さんは膝に手をついて肩で息をしていましたが、ゆっくりと顔を上げ、

「死んでた……首……吊っとった」

と言いました。

その後、◯◯県警察と書かれたパトカーと救急車が何台も境内に入ってきました。

その日のうちに再び山に入り、山の中腹で首を吊っていた猟友会の人達の遺体を降ろしてきました。

神主さんは正装して山に同行し、周囲をお祓いしながら皆を守るように山から降りてきました。

猟友会の人達は山道の両脇に並ぶようにして首を吊っていたといいます。

山犬を撃ちに山へ入った猟友会の人達が集団で自殺。

ご丁寧に真新しい縄まで用意して。

考えられません。

他殺の可能性が最も高いと判断されたらしく、山道に黄色いテープが貼られ山は封鎖されました。

盆踊り前日。

情報は隠されました。

猟友会の人達が集団で亡くなったのを知っているのは、昨日山に入った大人達と警察、町の医師達、役場の人達、遺族、そして境内にいた私達だけでした。

猟友会の人達を殺害した犯人が近辺をうろついているかもしれない中、果たして盆踊りを開催すべきかどうかが話し合われました。

夜遅くまで警察と役場の人と相談して、盆踊りを中止しないと決めた神主さんは、翌朝には目の下にクマを作っていました。

おそらく一睡もしなかったのだろうとわかりました。

朝から大人達が櫓を組み上げ、提灯を貼ります。

スピーカーやらゴミ箱やらを設置し終えると、私達のやることはなくなりました。

時刻は昼過ぎ、昨日までの準備が万端だったおかげか、盆踊り前日はとてもゆったりとした時間が流れていました。

といっても巫女舞を舞う皐月は鬼気迫る様子でシズ婆さんの前で神楽を練習しています。

私と兄は皐月の練習を初めて間近で見守りました。

私達が見ていることで少し恥ずかしそうにしていましたが、「明日は神様の前で踊るんだ。人間相手に竦んでる場合じゃないさね」とシズ婆さんに窘められていました。

山道の方を見ると警察の人達が山道の周囲を見聞しながら山に入っていきました。

明日は盆踊り本番。

亡くなった猟友会の人達。

相次ぐ山犬の目撃情報。

昨日は猿まで町に出たといいます。

山がおかしい。

そんな大きすぎて想像がつかない事態に対する不安は、想像がつかない故に差し迫る脅威と感じるわけでもなく、日常となんら変わらない時間の中で、まるでお腹を下した時のような不快感として体にまとわりついていました。

盆踊り当日。

私達は朝から境内に集まって最後のチェックをしていました。

何をするわけでもなくアレはどうだコレはどうしたと右往左往するだけですが。

大人達も浮き足立っているのがわかりました。

露天商の人達が気だるそうに屋台を組み立て、日が傾き始めると、盆踊りの開催を告げる花火が打ち上げられました。

お堂の縁側に座って休憩していたら皐月がやってきました。

既に巫女装束を着ていましたが頭だけまだ結っていないストレートの状態でした。

今でこそコスプレ感満載と感じられますが、当時の私達は皐月の巫女姿に見とれるばかりで「あー」とか「おー」としか言えませんでした。

「うううー……緊張するよー……」

皐月はソワソワしてウロウロしてオロオロしていました。

動物園の熊のように行ったり来たり。

まあ落ち着けよ、と何度も言いましたが、落ち着けるわけないのは私も兄もわかっていました。

私達も皐月の晴れ舞台に緊張していたのです。

夕方になりお囃子が始まる頃には、町の人達が境内に集まり始めました。

浴衣を着た婦人会のおばさん達が早速踊りの輪を作っています。

集まってきた人達も踊りの輪に加わっていき、やがて見慣れた盆踊りの景色が出来上がりました。

「アキオ。ケイタ。よおく働いてくれたねえ」

後ろからシズ婆さんが声をかけてきました。

「あとは大人に任せて、あんた達はお祭りを楽しんできな」

そう言って私達にお小遣いをくれました。

中学生と小学生にはかなりの金額だったので、私達は大喜びで屋台を端から回りました。

駐在さんら警察の人達が私服姿で境内を巡回していました。

私は一瞬不安を感じましたが、周りには見知った大人達の顔があふれていたので、すぐに気を取り直して屋台巡りを続けました。

いよいよ皐月の出番となりました。

盆踊りのレコードが一旦止められて、神楽殿で巫女舞が奉納されることが告げられます。

本殿の横にある神楽殿の一番前に陣取っていた私達は、皐月の登場を待ちました。

やがて雅楽の音色と共に皐月が静々と神楽殿に現れました。

先ほどまでの緊張の面持ちはなく、少し顎を上げ凛とした透き通るような表情で前を向いています。

手に持った稲穂のようなものを振りながら、鈴を鳴らしながら、扇をヒラヒラと振りながら、皐月は優雅に舞います。

その時私は、皐月に初めて踊りを見せてもらったあの光景を思い出していました。

暗闇の中に浮かび上がる皐月の姿。

とても幻想的で脳裏に焼き付いているその姿が今、神楽殿で舞っている皐月の姿に重なりました。

皐月は神様になっちゃった。

なぜかそう感じました。

シャン……と鈴の音が鳴り、皐月が踊りを終えました。

拍手をしようと手を叩いたら、後ろから頭をペチンとはたかれました。

後ろを見ると家の近所のおじさんでした。

「周りを見ろ。誰も拍手してねーだろ?皐月ちゃんは俺達のためじゃなくて神様のために踊ってるんだから、俺達が拍手するもんじゃねんだよ」

なるほど、と納得して皐月を見上げました。

再び舞い始めた皐月は視線を遠く伸ばしています。

距離的に考えて私達のいるあたりを見ていないことがわかりました。

神様に踊りをお見せしているのかと思いましたが、どうにも先ほどの感覚、皐月自身が神様となって舞っているのだという印象が消えませんでした。

やがて女性の神楽面をつけた皐月が舞い始めた時、そこにいるのは確実に皐月であるはずなのに、どうしても私には皐月に見えませんでした。

見も知らぬ誰かが皐月のフリをして踊っているような、そんな不思議な光景として私は踊りを眺めていました。

やがてすべての舞を終えた皐月が静々と神楽殿の裏手に消えていきます。

その時、ザアッと一陣の風が境内に吹き渡りました。

木々を揺らしたその風は皆の体を撫でて山へと渡っていきました。

皆がほうっと息を吐き、奉納神楽の終了を告げるアナウンスがなされて、再び盆踊りのレコードがかけられました。

その夜、高熱を出してうなされる皐月が寝かされた布団の脇で、私と兄は看病をしていました。

神楽を舞った後の皐月は疲労こそあったものの元気にニカッと笑っていましたが、次第にフラフラとし始めて、やがてうずくまってウンウンとうなされるようになりました。

私達は大慌てでシズ婆さんを呼びにいきました。

私達に手を引かれながらやってきたシズ婆さんは皐月を見て心配いらないと言いました。

「神懸かりした時はたまにこうして熱が出る。私も経験があるから大丈夫さね」

皐月のために布団を敷きながらシズ婆さんは皐月と私達に説明してくれました。

「それにしても皐月、あんたは特別な才能を授かっているんだねえ。本家の養子になったらきっと神様があんたを助けてくれるだろうよ」

「え……いやだ……お母さん…」

皐月は荒い息でそう答えました。

「ふふふ、もちろん皐月がそうしたいと思ったらの話さね」

シズ婆さんはニコニコと微笑んで、布団に横になった皐月の頭を撫でています。

「さあさ、今日はもうお休み。ここに泊まることはお母さんに電話しておくから。あんた達もお祭りの準備ご苦労様でしたよ。皐月はすぐに良くなるから今日は帰って休みな」

そう言って私達に帰宅を促しました。

家に帰る途中、私はシズ婆さんの言葉を思い返していました。

神懸かり。

あの時皐月は神様に取り憑かれていたのかもしれない。

特に最も別人だという印象が強かった神楽面をつけていた時。

皐月は間違いなく神様に乗っ取られていたんだ。

乗っ取られていた、とは穏やかな表現ではないですが、当時の私はそう感じていました。

さして何事も起こらず無事に終わった盆踊りの翌日、私達は後片付けのために朝から神社に行きました。

最も片付けなどなくても皐月が心配だったので朝食を終えると同時に家を飛び出しました。

神社に着くと既に神職さん達が櫓を解体しているところでした。

神職さん達に挨拶をしながら横を駆け抜け、私達はシズ婆さんの家に行きました。

呼び鈴を押すと皐月が出てきました。

昨日の高熱が嘘のように元気いっぱいの皐月はニカッと笑って、

「もう大丈夫!ご心配おかけしました!」

とVサインを突き出しました。

そして私達は片付けをしながら、昨日の皐月は凄かっただの、シズ婆さんからお小遣いをもらってまだ余ってるだの、今日はどこへ行こうかだのと、昨日の興奮を思い返したように語り合いました。

片付けもひと段落という時に、一台の車が境内へと入ってきました。

フロントガラスの内側に赤いランプが置いてあるので覆面パトカーだとわかりました。

当時の私達には知る由もありませんでしたが、後々調べてわかったことや、怨霊によって知ることとなったこの町の歴史と恐るべき所業の数々、そして私が知る範囲での事件の真相を踏まえて、時系列に沿って書いていきます。

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