中編6
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一部屋分の世界

今日も寒いな。

また新しい1日がはじまった。なんだかとっても、眠い。

どれくらいこうしているのだろう。

私の世界の全てはこの一部屋。もう随分と前から私の世界はこの一部屋。

それと言うのも…

「エリちゃーん、起きてますかー?おはよーーー」

こいつだ。

この男だ。

見上げるほど大きな身体、やたらと長い脚。この部屋の主であるらしいこの男に合わせてか、部屋もそれに相応しく高く、大きい。

私はこの部屋に閉じ込められている。たった一人。男と私の他に誰もいない。

男は気味の悪い言葉を吐きながら、ニタニタと笑っている、ように見える。

何を考えているのか、さっぱりわからない。わかりたくもない。

おもむろに男は長い脚を私に伸ばす。

やばい!また捕まる!

寝起きの身体を奮い立たせ、広い部屋を逃げ惑う。

幸いにも男の動きは遅い、が、それがまたかえって不気味に映った。

「あらあらー、ご機嫌ななめですねー」

わけのわからないことを…私は一目散に駆け出し、部屋の壁際へと逃げ、静かに泣いた。

そんな私を見て男は嬉しそうに顔を緩ませた。そしてくるりと背を向け、部屋を後にした。

がちゃ、ばたん。がちゃり。

よかった。今朝はなんとか無事に済んだ。

ひどい時は執拗に私を追いかけ、私の身体を蹂躙する。

声も出ないほどに怯える私を、おぞましい笑み?を浮かべながら、いやらしく撫で回す。

あの男にとって、私は愛玩物なのだ。

いつからこうしているのだろう。

このところ考えることもしなくなってきた。

新しい1日がまたはじまる。

それにしても、寒い。

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エリ、僕のかわいいエリ

今日も一段とかわいいよ

欲しいものがあったらなんでも買ってあげる

おもちゃがいいかな

それともおいしいものの方が喜ぶかな

欲しいものがあったらなんでも買ってあげる

だから

逃げようとしないでね

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何度も何度もこの部屋からの脱出を試みたが、うまくいかない。

すぐにあの男に見つかるか、しっかりと閉じられた扉を開けることができない。

何度も失敗を繰り返しているうちに徐々に気力は薄れていく。

かつては隙さえあれば、それこそ男が扉を開ける瞬間に飛び出そうとしたものだが、悉く捕まってしまった。

長い手足、強い膂力、私にはなすすべもない。

力の限り叫んだこともあった。でも誰も助けに来なかった。

男に捕まる度、私の身体は蹂躙されるのだ。

逃げ出したい気持ちは大きかったが、捕まるのも嫌だった。

なので最近はこの広い部屋を逃げ回ることが多くなった。でも、外を諦めたわけじゃない。

外に…

自由に…なりたい。

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エリ、僕のかわいいエリ

ごめんね、狭い部屋に閉じ込めて

でもね、君のためなんだ

君が逃げようとするから…

さて、戸締りはちゃんとしないとね

ばたん、がちゃり

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男が、出て行った。

何もせずに過ぎていく1日。

念のため、ドアが開かないか試してみる。

がちゃがちゃ

がりがり

やっぱりね、そうだよね。

ふぅ。ため息をひとつつく。

落ち込んでなどいない。いつものことだから。

ふぅ。

あきらめてすごすいちにち。

なんにもないいちにち。

たいくつないちにち。

なーんにもないいちにち。

そとにでたいなあ。

ねむいなあ。

さむいなあ。

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がちゃり、ばたん。

「ただいまー」

男がまた現れた。

あれから何日たった?1日?2日?もっと?

ともかく長い時間放置された私は扉の音と男の声で飛び起き…いや、気だるく起きた。

広いとはいえ、部屋の中だけで過ごしていて元気になどなれるわけがない。いつものことだ。

そんな私とは対照的に機嫌が良さそうな男。

こういう声の時は決まって…

「エリちゃーん、いいこにしてたーーー?」

ほらきた。

のそり、のそりと近づいてくる男。

必死で逃げようとする気持ちに反して動いてくれない私の体。

「やめて!」

この言葉が何の意味もなさないことを私は知っている。でも叫ばずにはいられない。

そしていくら叫んでも、いや、声を上げればあげるほど、男の笑みは一層いやらしさを増す。満面の笑み、というやつなのだろう。

ゆっくりと男の手が私の身体を抑える。

ゆっくりと男の手が私の身体を弄ぶ。

幾度となく繰り返されてきたこの時間。

恥と、苦痛と、かすかな快感の入り混じる時間。

ダメ、いまは、なにもかんがえ…ない…

ああ、あたたかい。

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エリ

愛しのエリ

僕には君だけなんだ

君こそが僕の心を満たしてくれる

明日は会えないけれど、いいこにしているんだよ

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がちゃ、ばたん。かちゃり。

扉の閉まる音で目を覚ました。

がらんとした部屋にひとり。

今日も、寒い。

またいつもどおりの一日がはじまった。

が、

少しだけ違っていた。

朝日の眩しい1日が過ぎ、あたたかい昼下がりの2日が終わり、3日目の夜の帳が降りても、そして漆黒の4日目を迎えても、男は現れなかった。

男が来るのは毎日ではなかった。

2日おき、早ければ1日おき、時には3日4日ずっと部屋にいることもある。

それでも、今まで3日以上は空くことはなかった。

それが…

…この部屋に私ひとり。

私…

私は…

…さび、しい?

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エリ

愛しのエリ

今なにしてるかな?

僕のこと少しでも思ってくれてるかな?

ふふ

すぐ帰るからね

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男が、なかなか現れない。

もうすでに6日は過ぎていると思う。

もっとだろうか。なんだかよくわからない。

わたしのことなど、わすれてしまったのだろうか。

さむいな。

おなかすいたな。

まってるんだけどな。

まってる?だれを?だれだっけ?

なにを?

がちゃり

「ただいまーエリちゃーん」

誰?誰か入ってきた?

男?誰?

「昨日は帰ってこれなくてごめんねー、寂しかったかい?」

ニコニコとした、笑顔で、こちらに、くる、こわい…こわく、ない?

怯える私に男は手をかざす。慣れた手つきで頬から耳の後ろへ指を這わせる。

恐怖からだろうか、空腹からだろうか、体が動かない。

なんだろう、この感じ。

たしかに恐怖も嫌悪もある。だけど…

この男の手を、私は知っている。

ずっと前から、知っている気がする。

そうか…私はこの男を待っていたのだ…

この男は、私のキモチイイところを、知っている。

あたたかい。

そうか…私は、嫌いではないのだ。

恍惚。

私は、男の腕の中でうっとりと目を閉じた。

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「エリちゃん、いい子にしているんだよ」

朝だ。

男がまた出て行く。愛しの男が。

ばたん。

寂しい。なぜそばにいてくれないの。さむいよ。

またいつものいちにちがはじまる。ふつかだろうか、みっかだろうか。

わたしは部屋のドアに手を伸ばす。

これが、部屋に残された私のルーティーン。

!!!

キィ。

開いた!

扉が、開いた!

今まで見せることのなかった隙間を前に、私の心の中は喜びより困惑が勝っていた。

どうしよう?!

外…出れるの?

出て、いいの?

私の世界は、この一部屋…

あの男と私の、この一部屋…

でも、すぐそこに…

外がある…自由がある!

私は少しだけ開いたドアを全身の力を使って押し開けた。

外だ。憧れた、外だ。

諦めていたのだ。ずっとずっと。諦めていた。

いつぶりなのだろう、10年?20年?外にいた時のことなど、もう覚えていない。

まるで生まれて初めて吸う外の空気は、あの部屋の中と全然違う。

正直、いい匂いではない。いろんな匂いがする。でも、自由だ。

気がつくと、私は駆け出していた。本能がそうさせた。頭で考えるより先に4本の足が動いていた。

鼻先が風を切っているのがわかる。戸惑いはあれど、体は喜んでいた。外だ。自由だ。

「エリ!!!!!」

突然の声に私は立ち止まった。

声だ!あの男の声だ!どこ?わたしはここだよ!

振り返って声の方に顔を向ける。愛しの男が長い脚を懸命に動かしてこちらに向かっていた。しかし、その顔に笑みはなかった。

刹那、私はこの世で最も大好きな、安らぎの匂いに包まれて空を飛んだ。青い空に白い雲。部屋から見るより広い空。

固い地面に打ち付けられる体。思わず声が出る。

見上げると、男がいた。横になったまま、薄眼を開けて私を見ている。

男は私を見て微笑んでいるようにも見えた。

私は愛しくて愛しくて、男に口づけをした。

何度も。何度も。何度も。何度も。

私の体は自分で起き上がることができなかった。

私は男に尋ねた。

ねえ。寝るの?ここ外だよ?お部屋にいこうよ?ねえ。からだ、いたいよ。なでて。いつもみたいに。さむいんだ。

ねえ。

私の口から、力なく声が漏れた。

薄れゆく意識の中、私は男の体からあふれるあたたかいものが、私の身体と溶け合っていくのを感じていた。

「にゃあ…」

Concrete
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