19年01月怖話アワード受賞作品
長編7
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インターホン

 最初に感じた妙な予感があたってしまいました。

やっぱり三年はもちませんでした。

三人姉妹の長女のせいもあり、息子の嫁はとてもしっかりとした人で、安心していたのですが……。

息子夫婦になにが起きていたのか、いくら我が子といえども詳しく理由は訊ねませんでしたし、聴きたくもありませんでした。

「性格の不一致」

テレビで芸能人が、離婚理由を言う時によく使われる、あのフレーズでくくってしまっても構わないと思うようにしています。

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 「母さん、○○子が離婚届けを出したあと、ぼくを道連れに、電車に飛び込んで死ぬって言っているんだ。どうしょう」

午後のロードショウをゆっくりと観ようとしていた矢先の電話でした。

「どうもこうもないんだ。ぼくだってどうしていいのかわからないよ。母さん助けて」

息子のガチガチ震える姿が、受話器の向こうに見えてくるのです。

あまりにも唐突な内容に、体は冷えてかたまり、胃がせり上がってくるのを感じました。

この夏頃から、そんな兆候は少しありました。

息子が度々、暗くやつれた姿で我が家に来るようになり、どうしたのかと尋ねても、あいまいにはぐらかしてしまうのでした。

「そういうことだったのね」

納得するのと同時に、ヘリコプターのプロペラのように、頭が猛スピードで回りだしました。

――死ぬ、死ぬという人に死ぬ人はいない

と言うが、それはウソです。

「死ぬ死ぬ」と言う人のそれは、「助けて」という最後の叫びなのです。

過去に私は「死ぬ死ぬ」と言っていた友人を見殺しにしてしまった経験があるのです。

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 嫁は離婚届けを手に、区役所に向かっていて、今頃は電車に乗っているはず。

その後、息子と待ち合わせ、帰りの駅のホームから二人で飛び込む予定でいるとのことでした。もし、息子が来なければ嫁一人で死ぬつもり。

息子の言葉を聴いているうちに、段々と怒りがこみ上げてきました。

熱く熱せられた硬い塊のようなものが、胃から喉のあたりを行ったり来たりしています。

「二人とも絶対に死なせないからね。私の息子をあなたの好きなようにはさせないわ」

スマホで場所を確認してから、化粧もせずに外に飛び出しました。

嫁の母親の勤め先に何度も連絡を入れましたが、私にひどい暴言を吐き、責め立てるばかりで、全く話を聞いてくれません。

自分の娘さんが今、生きるか死ぬかの瀬戸際なのに、なんてひどいの。それでも母親なの?

――こうなれば私一人であの子達を守るしかない

十月の夕暮れは早いです。

日が落ちると、体も心も寒くなります。

半袖の夏服のままで飛び出して来てしまった自分の迂闊(うかつ)さを恨みました。

区役所の窓口は終わっていたので、地下にある小さな窓口が受付場所になるとのことでした。正式な受理は明日になると、息子から連絡がありました。

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 一度割れてしまったグラスは、もう二度と元には戻れず、使い道がないのと同じように、

離婚はもう止めることはできないのだと思いました。

暗い地下駐車場のタクシー乗り場の硬いベンチに腰掛け、小さな窓口をじっと見つめて待っていますと、体がガチガチと震えてきました。

寒いせいもありますが、それだけでもありませんでした。

自分の両腕を強く抱きしめると、亡くなった母親のことを思い出してしまいました。

私にはもう心配してくれたり、守ってくれる母親はいないのです。

このありえない現実を、たったひとりで乗り切らなければいけないのです。

 赤いパーカーを着た嫁が向こうから、ぽつぽつと歩いてやって来るのが見えました。

柱の陰に身を隠し、見つからないようにしました。

つい三年ほど前でした。あの嫁はお色直しの時に、バラ色のお姫様のようなドレスを身にまとっていました。その頬は桜色に輝いていたはずなのに、今は土気色の顔。

艶の無い長い髪をゴムでひとつに結わえた疲れ果てた姿。

胸が締め付けられ、痛くなりました。

この間まで、私を「おかあさん」と呼んでくれたのに。

それなのに、この哀れな姿はなんなのでしょうか。

私がこの嫁の本当の母親だったなら、急いで駆け寄り、泣きながら、強く思いっきり抱きしめたことでしょう。

そんな衝動をグッと抑えるのでした。

なぜなら……

この嫁は、息子を道連れに死のうと考えている――

恐ろしい狂気を手にした死神なのだ――

パーカーの赤い色が、毒々しい血の色に見えてしまうのです。

 手続きを終えた嫁は放心したかのように、ふらふらと建物を離れ、アスファルトの道路を歩き始めました。

私は追いかけ、呼び止めました。

「あっ、お義母さん、どうしてここに?」

「息子から聞いてね、心配になったから来たのよ。とにかく寒いからどこかに入ってお話しましょ」

「いえ、いいんです。これから○○君と待ち合わせて、一緒に……」

――死ぬつもりでしょ。そうはさせない。絶対に、絶対に。

すぐ近くにあった喫茶店に嫌がる嫁を強引に引っ張り込み、着座させました。

温まるからと言って、嫁にホットココアと彼女の大好きなモンブランを注文しました。

よほどお腹が空いていたらしく、ガツガツと小さなフォークを動かし食べ始めました。

これから死のうとする人間が、こんな食べ方をするかしら?と思いましたが、これが若さなのでしょう。

私のかけた電話で、息子が間もなく店に到着しました。

隣に座る嫁が、ねっとりとした視線を絡め

「○○君、これから私と一緒に電車に飛び込んで死んでくれるんだものねぇ――」

息子の腰に手をまわしながら、囁くのです。

息子は何も言えず、うつむいてばかりいます。

正直、私は吐き気をもよおしました。「おぇーーーーーっ」って感じです。

駅のホームで飛び込んだらどんな悲惨なことになるか、どれほど人に迷惑をかけてしまうか、切々と彼女に言って聞かせながら、次の作戦を考え続けるのでした。

このまま二人を電車で帰らせてはいけない。

二人にしてはいけない。

店の前でタクシーを呼び、抵抗する嫁をねじ伏せ、シートに押し込みました。嫁の実家に連れて行くのです。

タクシーの中で、嫁は狂ったように大声で泣き叫ぶものですから、運転手さんはひどく迷惑な顔をしていました。

申し訳ありませんと、私は何度もお詫びしました。

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 ―― その後、どうなったか? 早く知りたいですよね。

 結局、あれは嫁のお芝居でした。

しかもストーリーは、嫁の母親のいれ知恵であることもわかりました。

息子や私を困らせるための嫌がらせだったのです。

もう離婚届けは受理されましたから、あの方たちとは他人になりました。紙切れ一枚で結ばれたご縁なんて紙切れ一枚で終わってしまうのです。

なんて軽いものなのでしょうか。案外、人の世とはそんな風にできているのかもしれませんね。

 でも、それからが大変でした。

別れたはずの嫁が、毎晩夜中に我が家にやって来ては、エントランスのインターホンを狂ったように鳴らしまくるのです。

「○○くん。どうして私のところに帰ってきてくれないのぉ……」

とても悲しげな声で泣くのです。泣きながら、とても恐ろしい顔でモニターをにらむものですからたまりません。

もう、私と息子は、彼女がインターホンを鳴らすたびに、部屋の灯りを全て消して、ブルブル震えながら、居留守をつかうのでした。

彼女は本当に狂ってしまったのかもしれません。

よほど、警察に助けてもらおうかとも考えましたが、彼女の将来を思うとできませんでした。

そのうちに、毎日、毎日インターホンの録画画像と音声を消去するのが日課となりました。慣れてしまうのですね。

でもある日、いくらボタンを押しても、何をしても消去できなくなったのです。

彼女のおぞましい、見たくも聞きたくもない画像と音声が全く消去できなくなってしまったのです。

ほかの来客があった時でも、来客の顔は映らずに、彼女のあの顔が貼りついているので

す。

――もしかしたら、彼女は本当に亡くなってしまったのかもしれない……

ふと、そんな思いもよぎりましたが、あえて考えないことにしました。

それよりも、これからの未来を、前向きに進んでいかなくてはなりません。

ですので、新しいインターホンを買い替え、設置工事をしてもらいました。

最新タイプのものは、機能も充実していて、とても便利でした。

迷惑な訪問客は自動音声でブロックしてくれるのです。

久しぶりに、ゆっくりと床につくことができました。

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 一年が過ぎ、このお正月に息子は新しい彼女を連れて、我が家を訪れました。

前の嫁とは全く違ったタイプの女性でした。

年齢は息子よりも少し上でしたが、とても可愛らしく、息子を大切にしてくれそうな人でした。

心ばかりの手料理でおもてなしをしていた時でした。

急にリビングのインターホンが鳴ったのです。

「○○くん。なんで私のところに戻ってきてはくれないのぉォォォォォーーっ」

げっそりと痩せてやつれた女の顔が、この世のものとは思えない女の顔が、モニターに

へばりついていました。

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小夜子様のコメントを見てまさかほぼほぼ実話の作品だったとは!Σ(×_×;)!血の気が引きました。。。
この三年の間に二人の間に何があったのか、それを想像するだけでもぞっとしました。
今はご家族平穏に暮らしていらっしゃると良いのですが………

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