長編21
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幽霊部員

 僕は高校時代、文芸部に所属していた。

 

文芸部といっても小説を書いたりすることはなく、みんなで寄り集まって漫画やラノベを読んでは気ままにダベるだけ、といった気楽な部活だった。

 創作もやりたければどうぞというスタンスで、ゆるい雰囲気が好きな連中のたまり場になっているような所だった。

 言ってしまえばオタクの集まり。

 文芸部であるにも関わらず、僕はその部で麻雀のルールを覚えたと言えば、そこがどんな雰囲気の部活か想像はつくと思う。

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 当時の母校の慣例として、文化部の部室は一番築年数の長い旧校舎に割り当てられていた。

 

 上級生の部員は「活動内容がしょぼいから僻地に追いやられてるんだ」なんて言って笑っていたけれど、それがわりと冗談とも思えないほど、条件の悪い立地だった。

 旧校舎は生徒たちから敬遠されていた。

 理由は単純。

「古くて、汚くて、気味が悪い」から。

 

 昭和後期に建てられた鉄筋コンクリート四階建ての建物で、外壁は流れ落ちたマスカラのように黒く汚れ、窓はくすみ、内装も薄汚れてホコリっぽい。

 そのうえなんとなくカビ臭い。

 全体的にどこかじっとりとした雰囲気があり、生徒から嫌われるのも当然という佇まい。

 好きこのんで立ち寄るのは文化部の部員だけだった。

 すでに学校の機能は完全に新校舎に移行しており、当時は一、二階の教室だけを部室として開放し、三、四階は完全に閉鎖されていた。

 

 三階から上は立ち入り禁止。

 

 上階へ上がる階段は黄色いロープで封鎖されており、赤いカラーコーンが置かれて、「立ち入り禁止」の張り紙もされていた。

 数年前、四階から屋上に出る階段で事故があり、生徒がひとり大怪我をして以来の措置だと聞いていた。

 あまり顔を見せない顧問の先生からは、「上の階でなにかトラブル起こしたら廃部だからな」と脅されていたこともあり、上階に上がろうとする生徒は誰もいなかった。

 文芸部の部室は、そんな旧校舎の二階にあった。

 一般教室の空き部屋が割り当てだった。

 

 そこに部員が勝手きままに集まり、漫画ラノベ好きのグループ、携帯ゲーム機で遊ぶグループ、僕たちのようにアナログ卓上ゲームで遊ぶグループにわかれて、めいめい楽しく「活動」していた。

 学校に部として認めてもらうための活動実績を作るため、年に四冊季刊の文集を製作していたけれど、それ以外は適当に遊んでいるだけだった。

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 僕は一年生の頃、そのアナログゲーム好きのグループで、Kという三年生の先輩と出会った。

 麻雀は彼から教わった。

 K先輩は、オタクばかりの部内では珍しく、どこか垢ぬけた雰囲気の人だった。彫りの深い整った顔立ちで、身長は180オーバー。

 着崩したブレザーの制服が似合う格好いい人だった。

 

 K先輩は部活にはあまり顔を出さなかったけれど、たまにふらりと現れては僕たちとモノポリーなどのボドゲで遊び、缶ジュースや菓子パンを賭けて麻雀やポーカーをやっては一人で帰っていく、「不真面目だけど楽しい先輩、悪い遊びの先生」として僕たち下級生からは慕われていた。

 

 ただし、なぜだか妙に同学年の三年生たちからは避けれられていて、それだけが少し不思議ではあった。

 

 しかし、

「あれだよ。同級生と折り合い悪くて、下級生とだけ仲良くする先輩ってどこの部活にもいるよ。あんま突っ込んだこと聞くと三年の先輩たち微妙な空気になっちゃうだろうし、黙っとけよ?」

 と、同じ一年生の友人が言うので、そういうものかと納得していた。

 

 見るからに派手なK先輩は、他の地味めの先輩たちとは微妙にソリが合わないのだろうなと。

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 そんなことを気にしつつ、適当に不真面目な部活動を楽しんでいたある日のこと。

 

 その日は部員の集まりが悪く、部室には僕を含む、同学年の友人TとMの三人だけだった。

 

 麻雀の面子もそろわず、他の部員が置いていった漫画も読み飽きて、少しでも文集の原稿を進めておこうという話になり、適当に古典の短編小説やライトノベルの短評なんかを書いて時間をつぶしていた。

 遊びの面子が少ないこともあって作業は順調だった。

 

 部内ではわりと真面目な部類だった僕たちは、人が少ない今日のうちに、出来る限り原稿を進めておこうと話し合って、三人で黙々と作業していた。

 

 ぼちぼち窓の外が薄暗くなってきた頃、部室の扉が開いた。

 今ごろ誰だよ、と思ったら、やってきたのはK先輩だった。

「おっすお前ら……って、なに? 原稿書いてんの? うわぁ……どうしちゃったの、急に真面目になっちゃって、気持ち悪い」

 さすがにあんまりな言い方だったので、僕は先輩に抗弁した。

「なに言ってんすか。文集の原稿一年に丸投げしたの、あんたら三年でしょうが」

 こんな生意気な物言いにも、K先輩は笑みを崩さない。

 

 とにかく飄々として、些細なことは気にしない性格の人だった。

 僕たち仲の良い一年が多少砕けた態度をとっても、怒るようなことはなかった。

 先輩は朗らかに笑って言った。

「いやいや知らんし。ええ、じゃあなに、今日はマジ部活? 一局打つつもりで来たんだけど?」

「いや、ここ雀荘じゃないですから。いいから、あんたもなんか書けや。俺らはもうネタ出し尽くしたんで」

 

「んー、かったるい……まぁ、しゃーないね。書いたの見せてみ?……ラノベと小説の批評文……え、もうこれでよくない? まだなんか要る?」

「なんか、顧問から言われてるんすよ、『出来は問わないから、なんか創作も一本書いとけ』って。じゃないと教頭がうるさいとかなんとか。文集作るときの決まりだって聞いてますけど」

 Mが説明する。

 不真面目な先輩に代わり、顧問に指示をあおいだのは彼だった。

「ああ、あったね、そんな決まり。なに、お前ら、そんなの真面目に守ろうとしてんの?」

「え? 書かなくていいんすか?」

 Tが少し嬉しそうに聞いた。

 少し前から、創作なんてどうすんだと三人で悩んでいたのだ。 

 書かなくていいという言葉に、僕も少し喜色ばんだ。

「いや? 書かないと怒られるとは思うけど」

「いや、なら書かないと」

 Tと一緒にがっかりしつつ、先輩に面白くもないツッコミを入れる。

 先輩は首を横にふりながら、少し呆れたように言った。

「お前ら真面目な? 書かなくていいんだよ、そんなん。書かなくていいっつーか、考えなくていい。こんなの、適当になんか既存のお話パクッて一、二ページ埋めときゃいいんだよ」

「そんなんアリなんですか?」

「アリアリ。ていうか、みんなずっとそうしてきたんだと思うよ? いきなり小説書けとか言われても無理っしょ。絶対そう、みんな適当」

「ふーん……なら先輩、そういう感じで。一筆お願いします」

 私物のノートPCを差し出して、先輩に原稿を書くよう促した。

 しかし先輩はそれを僕に押し返し、にんまりと笑って言った。

「いや、ネタだけ提供するから。お前が書け」

「えぇ……まあ、いいですけど……」

 困っているのはネタ出しだけだったので、先輩の申し出を受け、そのまま僕が書くことになった。

 

 他のふたりの部員が、型落ちした備品のPCで原稿を書くタイプ音をバックに、先輩は話し始めた。

「この旧校舎の話だ」

 基本、いつもにやにやと薄笑いを絶やさない先輩だけれど、この時はなぜかすっと笑顔を引っ込めて、声のトーンを落として話し始めた。

 急にテンションを落とし、表情を消した先輩に困惑した。

 もう豹変といっていいほどの態度の変化に驚いて、思わず口を挟んだ。

「なんすか。怪談でも始めるつもりですか?」

「え、そうだけど?」

「は?」

 TとMのタイプ音が止んでいた。

 ふたりもこちらの話が気になったようで、作業を止めて先輩を見ていた。

 陽気で人好きのする先輩が、怖い話をするというのが意外だった。

 

 それまでこの面子で怪談なんて一度もしたことなかったし、そういう趣味がある人だと聞いたこともなかった。

 思わず先輩の顔をまじまじと見つめてしまった。

 そんな僕の視線を無視して、先輩は話を再開する。

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「この旧校舎の話だ。お前ら、ここの三階から上が閉鎖されてるのは知ってるよな?」

「ええ、なんか、上の階で事故があったとか……」

 僕が答えた。

 Tが補足する。

「屋上に上がる階段で、事故があったとかなんとか……」

 先輩は頷いて、話を続ける。

「まぁ、その話も間違っちゃいないんだが……正確には、階段じゃなくて、屋上に出る扉の前だな。

 上の階が閉鎖されてるのはな、あの扉のドアノブで、首を吊った生徒がいたからなんだよ」

「え、まじすか……?」

「マジだよ」

 先輩が無表情で答えた。声も真剣そのものだった。

 いつもより部員の少ない空き教室に、沈黙が降りる。

 僕たちの注目が集まっているのを確認するように間を置いて、先輩はまるで当事者の昔語りのように、話を続ける。

 

「いまから十年くらい前だな。その当時はまだ、新校舎が建って間もない頃で、旧校舎っていっても今ほどボロくなかったんだ。

 

 三階の旧音楽室はブラスバンド部が使ってた。四階の旧美術室も、部員が多かった美術部がサブの部室にしてた」

「へぇ……」

 妙に細かい情報が盛り込まれているせいか、話の先に期待してしまっていた。

 

 語るのがK先輩だから話半分といった態度で聞いていたけれど、これは案外出自の確かな話なのかもしれない。

「お前、ちゃんとメモ取れよ?」

 

 先輩に注意され、我にかえる。

「あ、はい」

 PCで、いま聞いたばかりの話をざっくりとメモしていく。

「ある日、四階で部活してた美術部員が階段の前を通りかかったとき、異常に気付いた。屋上に出る扉の前で、誰かが足を投げ出して座ってる。

 そんでピクリとも動かない。

 最初は誰かサボって寝てるのかとも思ったそうだが、下から丸見えの場所でってのもおかしい。

 

 なんか変だと思ったそいつは、階段を上がって男子生徒に声をかけようとして、悲鳴を上げた。

 

 男子生徒は死んでいたんだ。

 荷造り用のビニール紐で輪を作って、ドアノブに引っ掛けて、首を吊ってたんだな。こう……自分の体重を使って……」

 言いながら先輩は、ゆるく着けていたブレザーのネクタイの端を頭上に持ち上げ、パイプ椅子の上で腰をだらりとずらして見せた。

 

 どうも、首吊りの真似をしているらしかった。

 

 先輩の姿が、スティール製の扉で首を吊る男子生徒の姿を思い起こさせて、気分が悪くなる。

「うええ……」

 Mが呻いた。Tも顔をしかめている。

 僕もぞっとしていた。

 先輩の話が本当かどうかはわからないけれど、いま自分たちがいるわずか2フロア上の階段でそんなことがあったかと思うと、気色が悪かった。

 先輩の話は続く。

「お前らが聞いてる『階段の事故』ってのは、このとき発見者が驚いて階段から足を踏み外した事故のことなんだよ。

 自殺の件は本人の名誉のこともあるから学校側が伏せておいて、発見者の転落事故のほうを上階の閉鎖の理由にしたってわけ」

「なるほど……そんなことがあったんですね……」

 上階閉鎖の本当の理由……なるほど、それは真偽のほどに関わらず、文集の創作枠に怪談として載せるのも悪くないように思えた。

 少々ゴシップ記事めいてしまうので、ボツを喰らう可能性はあるけれど。

「うん。でな、それからだ」

「え」

 てっきりここで話は終わりだと思っていたので、小さく声が漏れた。

 先輩はそんな僕に構わず、話を続ける。

 相変わずの無表情で、淡々と。

「男子生徒が死んでしばらく……まあ、一ヵ月くらいのあいだ、三、四階の部室はそのまま使われてた。すぐに閉鎖されたわけじゃなかったんだな。

 

 気味悪がって四階の美術室の利用者は減ったそうだけど、ブラバンも美術部も部室は貴重だ。

 特に美術部は、二、三年が新校舎の美術室を優先で使っていたから、一年生たちは旧美術室を使わざるを得なかった。

 

 近場で自殺があったくらいじゃ、ひとけは完全に絶えなかったんだ」

 どうも、僕が思っていたより本格的な話のようだ。改めて、先輩の話に集中する。

 簡単な箇条書きで、話の展開をメモしていく。

 僕がメモする時間を作るためか、先輩はすぅと息を吐き、一拍間を置いた。

「男子生徒が死んでしばらくした頃、四階の美術部に、ひとりの男子生徒が出入りするようになった。

 

 背が高くて、ちょい東南アジアっぽい彫りの深い顔立ちで、いつもブレザーを着崩してる奴だった。

 

 そいつは不真面目だけど、旧美術室を使ってた一年とは仲が良くて、麻雀やポーカーをしてよく遊んでいたらしい」

「……え」

 Tが声を漏らした。

 おそらくMも、僕も、三人とも考えていることは同じだったろう。

 その男子生徒の特徴が、その話を語る先輩本人にあまりにも……。

 僕たちの反応を見て、先輩は一瞬、ふっと笑った。

 

 そして話を続ける。

「そんなある日、美術部の三年が、旧校舎の一年の様子を見に来て、そいつと一年生たちがカードゲームをして遊んでいるのを見た。

 三年は慌てて一年たちを美術室から連れ出して、真っ青な顔で言ったんだと。

 

 『あいつと二度と口を聞くな。旧美術室にも入っちゃだめだって』って。

 

 一年たちは先輩の目を盗んで遊んでいたことを責められてるんだと思ったらしい。

 旧美術室の使用禁止だけは避けたかったから、平身低頭、平謝りに謝った。

 けど、三年は『違う』と。『遊んでいたことを怒ってるんじゃない』と。

 じゃあ何が問題なんですかと一年は聞いた。

 三年は青い顔のまま言った。

 『あいつは少し前に自殺した男子生徒だ。化けて出たんだ。二度とあいつと遊んだりするな』……ってな」

 先輩が口を閉ざす。

 少し間をおいて、

「うへぇ……幽霊が、部活しに戻ってきてたわけですか」

 と、Mが言う。先輩は頷いて、答えた。

「そういうことだな」

「それから、どうなったんですか?」

  僕は続きを促した。

「それから、旧美術室は閉鎖された。

 あまりにも目撃者が多かったから自殺者の霊の話は学校側にも伝わって、坊さんを呼んで供養したりもした。

 

 四階はその時点で閉鎖されて、三階のブラスバンド部の連中も、噂を聞いて旧校舎に寄りつかなくなった。

 

 三階から上に上がる階段が封鎖されたのはこのときだ。

 もう使う奴はいないし、階段付近で自殺者の霊を見たって奴も大勢いたからだ。

 

 一、二階では誰も幽霊を見なかったから、そのまま部室不足に悩んでる文化部に使わせておいて、上はやばいから閉鎖って、そういうわけだったんだな」

「へぇ……」

 なんとか話の概要をメモし終える。

 

 あとはこれをもとに先輩の話を思い出して書けば、それらしい怪談が出来上がるだろう。

「よくそんな話知ってましたね……」

「まあ、三年のあいだじゃ有名だからな。『首吊りした男子生徒が、旧校舎の部室に遊びに来る』って怪談。お前らも学年が上がるまでには、どっかで誰かから聞くと思うぜ。ちょうど今みたいにな」

「ふぅん……」

 生返事で、忘れないように話の要点をまとめ直す。

 キーボードを叩きながら、僕は先輩の話の内容に引っかかりを覚えていた。

 

 それはもちろん、『部室に遊びに来る幽霊』の特徴が、K先輩とよく似ている点だった。

 それは他の一年ふたりも同様だったのだろう。

 

 気まずさに耐えかねたように、Tが口を開いた。

「つーか、あれっすよね? その幽霊と先輩が似てるのは、Kさんがハナシ盛ってるんですよね? 俺らをビビらせるために……」

 横にいるMも、ぎこちない笑みを作ってK先輩のほうを見た。

 僕もTと同じ考えだった。今日に限って、らしくもなく怪談など始めたのが怪しすぎた。

 どう考えても、K先輩は僕たちを担いで遊ぼうとしている。

 先輩は口元にだけ笑みを浮かべ、僕らの視線を受け止めた。

 そしてぽつりと呟いた。

「いやさ。寂しいじゃん。だって」

「は?」

「ちょ~っと家のほうで色々あって、クソ親父のせいで学校辞めることになって、もうなんもかんも嫌になって自殺したのにさ、いざ死んでも成仏とかそういうの出来なくて。

 それなら仕方ない、下の階の連中と遊んでようか……って、ただそれだけだったのにさ……」

「ちょいちょい、先輩……?」

「二度と口きくな、は傷ついたよ。そいつとはそこそこ仲良くやってるつもりだったし。

 坊さん呼ばれたのもショックだったな。まるで人を化け物みたいにさ。ほんと、酷い話だよな?」

 先輩はMに同意を求めるように視線を送った。

「え、いや……え?」

「挙句の果てには俺を避けて三、四階閉鎖とか……やりすぎでしょ。別に取って食ったりしないっつうの……。

 そりゃ、ひとりやふたりこっちに引きずり込んで、仲間を作るのもいいかもなって思ったことはあるけどさ。

 ふっひひひ」

 先輩がさも可笑しそうに笑った。

 『こっちに引きずり込む』『仲間を作る』……?

 それってつまり……?

「いやいやいやいや……」

 Tが席を立つ。

 まだ冗談なのか本気なの測りかね、僕とMに「どうする? 逃げる?」と視線で問うているようだった。

 Mも僕とTを交互に見て、そわそわしていた。明らかに先輩を怖がっていた。

 僕は動悸が早くなるのを感じながら、席に座って先輩を見ていた。

 

 先輩はうつむき、肩を震わせて小さく笑っている。

 十中八九、冗談だ。

 僕たちは先輩にからかわれている。

 そうとわかっていても、心のどこかで先輩の話を信じてしまっている自分もいた。

 まさかこの人は、本当に十年前に自殺した彼なのでは――などと、馬鹿げた妄想が頭から消えてくれない。

 俯いていた先輩が顔を上げる。

 僕と目が合う。

 先輩の目は、笑っていなかった。

 口元だけが、にんまりと歪んでいる。

 そして――

「――ぷっ」

 ――吹き出した。

 瞬間、いつもの先輩の笑顔に戻っていた。

「ぶふっ……! Tーッ!」

「ひっ!」

 吹き出しながら、大声を出す先輩。

 びくりと体を震わせたTを見て、先輩はぶははと笑った。

「お前なんだよ、え、なに? 信じた? 俺が幽霊だと思って逃げようとした感じ?」

 先輩は立ち上がったTを見て、あははと爆笑していた。

「あ――」

 顔を赤くして、着席するT。

 

 Mも「やられた」という顔で苦笑し、僕もこっそりと安堵のため息をついていた。

「あはははは! お前ら期待以上のリアクションだわ! いや、いいもん見してもらった! ははは!」

「いや……きっついすよ、先輩。なんかもう、マジで出たのかと思いましたよ……」

    

 Tは恥ずかしそうにしながらも、ドッキリであったことに心底安心しているようだった。

 

 僕も「わかってましたけどね」なんて言いながら、本心はTと同感だった。

 

 夕暮れ時の旧校舎で、いつもより人の少ない部室というシチュエーションのせいで、先輩の話に真に迫るものがあるような気がしていた。

「ぶふふっ……とにかくすまん、ほら、さっさと原稿書いて、今日はもう上がりな? ほらT、怒るな、睨むなよ。今度なんか奢ってやるから」

 おかしくて仕方ないという態度で、Tを宥める先輩。

 

 そんないつもの先輩に安堵しながら、適当に『部室に遊びに来る幽霊』の話を書き上げて、その日は解散となった。

  

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 それから数か月が過ぎ、夏休みが終わって九月が訪れ、文化祭が終わった。

 その間、K先輩は相変わらず僕ら一、二年とだけ仲良く遊び、三年とは没交渉のまま、引退の時期を迎えた。

 いいかげんな部活ではあったけれど、引退したOBが部に顔を出すことはなかった。

 あくまで「現役の遊び場」というのが、部の暗黙の了解になっていたからだ。

 文化祭が終わって数日が過ぎた頃、三年生の送別会が開かれた。

 しかし、その会に、K先輩の姿はなかった。

 僕は引退する五人の三年生に、K先輩について訊ねた。

「いや……ごめん。正直、俺、Kが何組かも知らない」

 一人の三年生が申し訳なさそうに言った。

 別の三年生が言った。

「いや、実は俺も。話したことなかったし、ぶっちゃけ三年のフロアで会ったこともないわ」

「そうなん? 実は俺も……」

 と、いった具合に、五人の三年生たちは全員、K先輩と話したことはおろか、クラスさえ知らないと打ち明け始めた。

 それどころか、三年生のクラスがあるフロアで、顔を見たことすらないと、全員が口をそろえていた。

 五人の三年生のうち、三人が同じA組、残りの二人がそれぞれB組とD組で、K先輩は五クラスあるうちのC組かE組の生徒なのだろうと。

「そもそもあいつ、入部してきたの今年に入ってからだろ。一、二年の頃にはいなかったよな?」

「だと思う。在籍してただけで、幽霊部員だったって可能性はあるけど」

「なんか、あれこんな奴いたっけって感じで、俺らとはあんま話したくなさそうだったし、正直あいつリア充タイプっぽいから合わないだろうなって、勝手に壁つくってたんだよね」

「わかる。なんか知らんけど、すげー話しづらいっていうか。まあ、あれだよ。そういうわけだから、Kに挨拶したいなら自分で探して訪ねてみてよ」

「は、はい……わかりました」

 そう言われては、従うしかない。

 僕は送別会が終わったあと、K先輩と特に仲のよかったTとMに声をかけ、後日三年生のクラスを訪ねようと提案した。

 しかし、

「俺は……やめとくよ」

 Tが、青い顔で言った。

 Mが咎めるように聞く。

「なんで? 卒業までまだ時間あるけどさ、引退時期だし一言くらい……」

「いや、俺さ。ちょっと気持ち悪くて、あの先輩。ごめん、上手く言えないんだけど。ほんとごめん、こんなん言ったらさ、頭おかしいみたいで嫌なんだけど……」

「なによ?」

「あの先輩、ほんとに幽霊だったんじゃないかなって」

「はぁ?」

 僕は呆れて軽く笑った。

 しかしTは真剣そのものといった様子で、クスリとも笑わない。

「いや。C組行っても、E組行っても先輩がいなかったらやだな、って……。

 ちょっとそんなこと考えちゃって……そしたら気持ち悪くなって。ごめんマジで。

 変なこと言ってるのはわかってんだけど。Kさん探すならお前らだけで行って、俺行かない」

「お前、夏前の怪談のことまだ気にしてるのか? あれはKさんの冗談で……」

「わかってるよ。わかってる……でもさ、おかしくない? 同じ学年で半年すごして、一度も三年のフロアで会ったことないとか」

「いやでもさ、じゃあお前、同じ学年の奴の顔、全員憶えてる? 俺は普通に知らない奴もいるぞ」

「そりゃ俺だってそうだけど。Kさんイケメンだろ。背もたっかいし目立つだろ。180あってあの顔とか、同じ階にいたら普通目につくって。それを見たこともないとか……」

 そう言われれば、もっともだった。

 確かに、K先輩のルックスは大勢の中でも目立つだろう。

 毎日同じフロアで生活していれば、一度くらいは目にしているのが自然だ。

 それを「一度も見たことがない」というのは、確かにTの言う通り、変だった。

 Mも、Tに同調し始めた。

「まあ、たしかに……あの人、ちょっと変なところあったけどな」

 Mは続ける。

「お前ら気づいてた? 引退時期が近づいてから、あの人いっさい部活来なくなったんだよな。

 それにさ、Kさんが部室くるときってさ、絶対に顧問がいないときなんだよな。

 いや、顧問が部室来ることのほうが珍しかったけど、それにしたって100パー回避は不自然だわ」

「だろ? やっぱなんかおかしいって、あの人。とにかく、俺は行かないから」

 

「んー……俺も、やめとこうかな」

 Mまで、Tの妄想に毒されてしまった。

 二人の言い分に、ある程度筋が通っていることはわかっていた。

 けれど、だからといってK先輩が幽霊だという結論に至るのは、いくらなんでも飛躍しすぎ、妄想しすぎで、正直僕はついていけなかった。

 僕は呆れて、二人を突き放すように言った。

「ならいいよ、もう。一人で先輩のところ行ってくるから」

 二人は申し訳なさそうにしながらも、解放されてどこかほっとしているようだった。

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 その後、送別会が終わり、僕は三年生に簡単な送辞を述べにきた顧問を、廊下で呼び止めた。

 なにもわざわざ、三年生のクラスを訪ねるまでもない。

 顧問にK先輩が部に所属しているのか訊けばよいと気づいたのだ。

 先生に一言質問するだけで、先ほどのTとMの馬鹿な妄想を否定できる――

 そう、思っていたのだけれど。

「K? いや、うちの部の三年は、さっき送別会に参加してた五人だけだぞ?」

 顧問は首をかしげ、あっさりと言った。

「え? たしかですか?」

 背筋に悪寒を感じながら、もう一度問う。

「間違いないな。途中入部もなし。あの年の一年の入部はあの五人きりだった。今年は不作だって、当時の二、三年と話してたから、間違いないぞ」

「そんな……あの、名簿に名前だけあるとか……そういうことは?」

「ないはずだけどなぁ……そんなに気になるなら、確認しとくか? 職員室行けば、すぐ見られるぞ」

「あ、いえ……」

――C組行っても、E組行っても、先輩いなかったらって、ちょっと考えちゃって……。

「やめておきます」

 Tの言葉を思い出し、僕も名簿の閲覧はしないことにした。

「おうそうか? 気になることあるなら、いつでも聞いていいからな?」

「はい……失礼します」

 慌てて一礼し、旧校舎から急いで出る。

 新校舎に辿りついて、背中にいやな汗をかいていることに気づいた。

 僕はそれ以上、K先輩のことを調べないことにした。

 Tの気持ちが、そのときになってようやく理解できた。

 もし、三年のクラスを訪ねて、「K? そんな奴いないよ?」とでも言われてしまったら……。

 もし、さらに深くK先輩について調べて、最終的に『十年前に自殺した男子生徒』に行きついてしまったら……。

 そう考えると、背筋が冷えるようだった。

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 後日、僕は顧問に退部届を出した。

 二度と旧校舎に近づかないためだ。

 

 TとMもそれでなにかを察したようで、すぐに僕に続いて部を辞めた。

 そして二年と数か月がすぎ、僕たちはあの高校を卒業した。

 

 退部して以降、一度もK先輩に会うことはなかった。

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 高校を卒業して数年後、僕は大学に進学し、夏休みに里帰りをしていた。

 盆休みを実家で、親戚たちと過ごすことになっていた。

 夜の宴会を終えて、家族麻雀をやろうという流れになり、マットを敷いて手積みで打っていた。

 すると、今年高校に入ったばかりの従弟のUが、

「あ、麻雀! 俺もやる!」

 と混ざってきた。

「お、U、お前打てるのか、入れ入れ」

 

 Uが入学した高校は、僕が卒業したあの高校だった。

 母校の後輩ということもあって、僕は従弟を可愛がっていた。

 別の親戚が、酒で赤らんだ顔で言った。

「いまどき高校生で麻雀打てるんか。珍しいなぁ」

「部活の先輩に教わった。麻雀やらポーカー教えてくれる先輩がいるから、点数計算だってできる」

 どこかで聞いたような話だな、と思いながら、深くは考えないように聞き流した。

「お前、悪い先輩と付き合ってるんじゃないだろうな?」

 Uの父親の叔父がキツイ口調で聞く。

 確かに、高校の部活で麻雀にポーカーとくれば、そういう心配もするだろう。

「大丈夫だって。部活っていっても文芸部の先輩だし――」 

 

 今度は聞き流すことはできなかった。

 すっと血の気が引く。

「顔はめっちゃイケメンだし、ガタイもいいけど、ヤンキーとかじゃないから。その人」

 動悸がして、呼吸が浅くなっていくのを自覚した。

「ほーん、そんなに男前なんか」

 また、酒飲みの親戚が聞く。

「うん。なんつーの? 友達は『アジア系のイケメン』って言ってた。ほら、すごい彫りが深い顔してて……」

「ああ、なるほどなるほど、なんとなく想像つくな」

 などと会話する従弟と親戚のやり取りが、どこか遠くに聞こえていた。

 単なる偶然の一致だ。

 

 あのK先輩と特徴の一致する人物が、たまたまUの上級生にいて……。

 そう考えて、気持ちを落ち着けようとしていた、そのとき、Uが言った。

「そうだ。その先輩に言われたんだった。

 兄ちゃん、K先輩のこと知ってるんでしょ?」

「――は?」

 心臓を鷲掴みにされるような気分だった。

 

 Uは、なんの気なしといった様子で、その名を口にした。

「Kさん、兄ちゃんに『よろしく言っておいて』って。

 『またいつか麻雀でも』だってさ」

 どこで知り合ったの――などと訊いてくるUに返事もせず、僕はその場に固まっていた。

 

 

 真夏だというのに、身体は完全に冷えていた。

 

 

 我に返り、とにかくUに、すぐに部を辞めるようにと説得した。

 

 『そりゃ、ひとりやふたりこっちに引きずり込んで、仲間にするのもいいかもなって思ったことはあるけどさ』

 

 という、数年前のK先輩の言葉を、思い出していた。

                      

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