中編7
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外国人労働者06

「…………」

思わず息を飲む。

改めて見るとやはり異様な光景だった。

ボロボロに傷つけられ首から血を流している女性の霊。

前後左右に小刻みに頭を揺らしながら「あ゛っ…あ゛っ…」と呟いている。

あ、と、だ、の中間のような「あ゛っ」という声に不快感と恐ろしさを覚える。

その言葉?声?の中に感情や意思が含まれていない、爬虫類あるいは昆虫のような、意思疎通の絶対不可能な断絶を感じる。

 

老師はお経を終えて女の霊を見る。

と同時に女の霊がまた、揺れながらリーさんの方へと歩き出す。

老師は動かない。

何事かを呟きながら机の上の方お札に何かを書き加えている。

女の霊がリーさんを覗き込む。

「う……ぐっ…く……ううう……」

リーさんが苦しそうに呻き始める。

老師はまだ何かを書き続けている。

数十秒、経っただろうか。

リーさんがいよいよヤバそうにビクンと身体を跳ねさせた。

と、ようやく老師が立ち上がった。

手には先ほどのお札を持っている。

リーさんを覗き込む女の霊の背後に回り、窓の方を向いて両手でお札を捧げ持って深く三度お辞儀をし、右手で印を結んでお札に何事かを書きつける動作をした。

そしてハオさんと同じように女の霊の背中にお札を貼り付けた。

リーさんの呻きが止まる。

女の霊がゆっくりと老師を振り向く。

これではハオさんの時と同じだ。

と思ったが女の霊の視線を受けても老師は動じることなく女の霊と向き合っている。

 

しばらくそうしていたが、またもや何の前触れもなくフッと女の霊が消えた。

老師は机に戻って座り、鈴を手に持ってチリーンと鳴らした。

その直後、バサッという音がした気がした。

その方を見ると女の霊がうつ伏せに倒れていた。

苦しそうに床に爪を立て、ガリガリと床を掻きむしっている。

背中を見ると、先ほど老師が張り付けたお札が黒焦げになっている。

線香の香りとは明らかに違う焦げ臭い匂いが部屋に立ち込める。

女の霊が悶えている間に、老師が机に戻りお札の準備をする。

老師から女の霊に目を戻すと、また女の霊が消えていた。

老師が立ちあがる。

今度はお札を3枚手に持っている。

左手にお札を持ち、右手でチリーンと鈴を鳴らす。

今度は何も起こらない。

お札を貼り付けておかないと、消えた女の霊を追えないのかもしれない。

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と、窓がカタカタと音を立て始めた。

音は部屋中に広がり、見回すと部屋の中にあるものが全てカタカタと震えている。

フワッと風が渦巻いたかと思ったら、次の瞬間、ゴウッと音を立てて部屋の中に嵐かと思うほどの暴風が吹き荒れた。

「…………!」

思わず体が風に持っていかれそうになり、身を低くして踏ん張る。

いつのまにか部屋の中は薄暗く、隣の伊賀野さんやハオさんはまだしも、老師や雪村君の姿は輪郭や影しか見えない。

窓の外に目を向けると明るい。

部屋の中だけが暗いのだ。

というより、部屋の中を薄暗くする何か、靄のようなものが渦巻いているのだ。

その靄は生臭く不快な悪臭をしているのだろう。

気分が悪くなりそうな悪臭が部屋に満ちている。

「うぇ……」

突風と悪臭に思わず顔をしかめる。

伊賀野さんも口にハンカチを当てて眉をひそめている。

老師が机に向かって何かをしているが、暗くてよく見えない。

風は轟々と吠え猛りながら部屋中を荒らしている。

備え付けの雑誌や新聞は吹き飛び、窓際のカーテンが羽ばたくようにはためいて千切れそうだ。

この部屋の中を嵐が吹き荒れている。

そんな中でかすかに「あ゛っ…あ゛っ…」という声が聞こえる。

時には遠く小さい音で、時に耳元や頭のすぐ後ろで「あ゛っ…」と声がする。

近くで声がするたびに怖気が走る。

今にも後ろからズブッと刃物が突き立てられそうな、そんな恐怖と緊張が連続する。

女の霊は部屋の中を荒れ狂い、その勢いは部屋にある全てを破壊せんとしているようだった。

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視界の端で雪村君の影が倒れるのが見えた。

何かされたのかもしれない。

身を低く、這うようにして雪村君の元へ急いで近寄る。

雪村君は口から白い泡を吹いて昏倒していた。

「雪村君!おい!……くそっ」

怨霊の撒き散らす邪気にあてられたのだろう。

これだけ部屋の中を怨念が渦巻いては仕方ない。

心配は心配だがこういう現場ではよくあることなので、顔を横に向けて静かに横たえる。

「笠根さん!」

伊賀野さんが声をかけてくる。

振り返り、輪郭のみ判別できる伊賀野さんに向かって大丈夫だと手を振る。

「違うわよ馬鹿!上!」

そう怒鳴り返されて顔を上げると、目の前に女の霊の顔だけが浮かんでいた。

 

「!!………」

切り落とされた生首のような、虚ろな目と半分開いた口。

異様なのは長い黒髪が四方八方に広がり、オーラのように波打っている様子だ。

目は合っていない。

だが確実に見ている。

至近距離で俺のことを見て、恐らくはこの後なにかを…………。

 

どくん。

 

大きく心臓が鼓動を打つ。

強烈な痛みを胸に受けて思わず右手で胸を抑える。

掻き毟るように心臓のあたりをギュッと握るが、その痛みでも誤魔化せないほどに胸の痛みが強い。

「う……く……あが……!」

口から呻きが漏れる。

歯を食いしばって痛みに耐える。

呼吸をしていないことに気づいて大きく息をつく。

はずだったが、息が吐けない。

無意識でもできるはずの深呼吸が、意識してもできない。

口から息が出ていかないのだ。

「あ……う…」

かろうじて呻き声だけが漏れる。

呼吸ができない辛さをかき消すほどに胸の痛みは酷い。

頭が回らない。

どうなっているのだ。

胸が痛い。

息ができない。

何かしなければ。

体の感覚がない。

やばい。

息が……できない…………………。

視界が………………暗……く…………………。

 

…………。

 

……。

 

「呀啊啊!!(ヤァァ!!)」

 

気合いとともに、目の前を何かが通り過ぎた。

女の霊が消え、呼吸が戻ってくる。

「ブハッ!………はっ…はっ……げほっ!……う……げぇっ……はっ……はっ……う……はああ……」

大きく荒く息をする。

いきなり流れ込んだ大量の酸素に目の前がチカチカする。

 

「呀啊!嗬啊!(ヤァ!ハァ!)」

 

なおも続く気合いの声に目を向けると、ハオさんが空中に向かって蹴りを入れていた。

「…………」

助けてくれた、のだろう。

女の霊に効果があるかないかわからないが、ハオさんが蹴りつけてくれなかったら、あのまま俺は……。

「笠根さん!」

伊賀野さんと吉冨さんが近寄って声をかけてくる。

「はっ……はっ……はあ……いやあ……やばかった……」

なおも荒い呼吸をしつつ、伊賀野さん達に軽く手をあげる。

「どうしたの?何をされたの?」

伊賀野さんが聞いてくる。

「わかりません。が、心臓を掴まれたみたいに胸が痛くなって、息も出来なくなって、危うくそのままやられるところでした」

周りを見回しながら言う。

女の霊は見えない。

ハオさんは相変わらず滅茶苦茶に飛び上がっては蹴りを放っている。

カンフーだ。

演舞みたいだ。

蹴りが当たる様子はない。

女の霊は消えたままだ。

だが警戒はやめられない。

あんなのは二度とごめんだ。

「くそ」

思わず悪態が口を突いて出てくる。

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チリーンと鈴が鳴る音が聞こえる。

その音にハオさんが動きを止めて控えるように老師の後ろに立つ。

老師を見ると、全身を煙が覆うほど多くの線香に火をつけ、口にも両端から煙をたなびかせる線香を咥えている。

線香を咥えたまま、器用にお経のようなものを唱え、手に持った鈴を鳴らす。

チリーン……チリーン……。

やがて鈴の音が早くなっていく。

チリンチリンチリンチリンチリンチリン。

早く激しく鈴を鳴らしつつお経を唱える。

ややもすると部屋に渦巻いている暴風が収まっていく。

黒い靄が薄まっていき、やがて何もない正常な部屋に戻った。

チリンチリンチリンチリンチリンチリン。

老師は相変わらず鈴を鳴らし続けている。

そのまま部屋の中を歩き回る。

部屋の隅々まで線香の煙を行き渡らせ、大きくチリーンと鈴を鳴らしてまた別の場所へ移動する。

部屋の中を清めているかのようなその様子を黙って眺める。

当然警戒は怠らない。

伊賀野さん吉冨さんと共に、横たわる雪村君を守る形で周りに目を光らせる。

 

「◯◯◯、□△△◯◯」

老師が何事かを呟く。

「◯◯◯、□△△◯◯」

チリーンと鈴を鳴らして、また同じことを呟く。

「◯◯◯、□△△◯◯」

口に咥えた線香を、真ん中から折って二本の短い線香にし、線香立てに刺して立てる。

「◯◯◯、□△△◯◯!」

老師の声が険しくなる。

「◯◯◯、□△△◯◯!◯◯◯、□△△◯◯!」

同じことを何度も繰り返している。

出てこい、みたいなことを言ってるのだろうか。

 

しばらくそうした後、やはり何の前触れもなく唐突に、女の霊が部屋の中に立っていた。

 

すいませんもうちょっとだけ続きます。

次で最後の予定です。

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