長編8
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火を噴く心

今回のお話は就職二年目の夏に県外視察に行った時のお話です。

その視察はうちの会社も関わる新規事業に向けたもので、メンバーはうちの課長と黒川先輩、そして取引先と事業補助の関係で役所の担当者も同行していました。

県外の工場などを視察して回り、遠出となるので視察先の近くで宿を取っていました。

夕方には視察も無事終わり、僕達はホテルに入りました。

夕食の懇親会までは時間もあったので、ゆっくりと宿の温泉に入り、浴衣に着替えて宴会に入りました。

黒川先輩も湯上りの浴衣姿でいつもとちょっと違った雰囲気で、しかも胸元から少し素肌がのぞいているので色っぽくて興奮してしまいました。

しかし、それは他の男性陣も同じだったようで宴会が始まると黒川さんは料理にほとんど手を付ける暇がないくらいにお酌をして回っていました。

また、宴会も中盤に差し掛かると予約していたホテル内の別の無料ラウンジに移ってカラオケが始まり、黒川さんは二曲に一曲ぐらいのペースでデュエット曲に誘われていました。

驚いたのは選曲が演歌や古い歌謡曲も多かったのに、黒川さんがうまく歌っていることでした。

後で聞いてみると、宴会で歌う定番の曲はある程度決まっているらしく、何回も参加しているうちに自然と覚えていったそうでした。

そしてカラオケも二巡ぐらいしたところで取引先の担当者の一人が彼女に新たな要望を持ちかけました。

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「ねえ、噂で聞いたんだけど、黒川さんって幽霊とか視える人なんだよね」

どこで聞いたのかその問いかけに彼女は少し返答に困っていました。

「え、ええ、まあ……」

「俺、そういうのに結構興味あるんだよね、ここで視える黒川さんの怖い話を聞かせてもらえないかな」

彼女は確かに視える人でしたが、好んでそのたぐいの話をすることはむしろ避けている傾向がありました。

当然、話を向けられた彼女も困惑しているようなそぶりでしたが、会場の雰囲気が彼女の怪談を期待するような空気になっていたので、仕方なくカラオケのマイクを取ってゆっくりと話を始めました。

それは彼女が高校生の時のお話でした。

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「えっ、なんでこの栞だけこんなに安いんですか?」

アンティーク小物も置いてある行きつけの喫茶店で私は銀製の栞が新しく売り出されているのを発見しました。

銀製だけあってどれもなかなかの値段だったのですが、そのうちの一つだけ他の物の半額以下の値札が付いていました。

「ああ瑞季ちゃん、その栞はちょっと傷が入っていてね、まあいわゆる傷あり商品だよ」

マスターに説明されてよく見ると確かに栞の上部に四角く引っ掻いたような傷が入っていました。

さらに詳しく聞くとその栞セットは時々店にくるご婦人から仕入れたものらしく、彼女の旦那さんが浮気をしたため、その罰として旦那の蒐集物の一部を売りに来たということでした。

そういう曰く付きの栞でしたが、猫の金装飾が施されたその可憐なデザインを気に入ってしまい、気が付くと財布からお金を払っていました。

それからは読書のたびにそのお気に入りの栞を使っていましたが、幾日か経ってふと栞の四角い傷の下にもう一つ四角い傷が出来ていることに気づきました。

同じような傷なので私が見逃していたのかなと無理やり納得したのですが、またしばらくして今度は横線に縦線二本の交わった魚の骨のような傷が付いていました。

流石に今度は見間違いのわけはなく、家族に栞を勝手に使ったのかと問い詰めたのですが、誰も覚えがないと答えました。

ちょっとこすれたぐらいではこんな鮮明な傷がつくわけはないので何か気味が悪くなってきました。

不審な気持ちは抱きながらも高価な栞なので、私も半ば意地になって使っていたのですが、数日後ついに四つ目の傷が付いていました。

その傷は縦線と斜め線の傷で明らかにカタカナの『レ』に見えました。

一つそういう風に読めてしまうと、単なる線の組み合わせに思えていた今までの傷も文字に見えてきました。

一つ目の傷から『コ』『ロ』『サ』と読めました……そして今回ついた『レ』の傷。

私はそこまで確認すると、栞をもう読まなくなった文庫本に挟み、納屋にある本棚の奥にしまい込みました。

高価な物なのでもったいなくて捨てられませんし、もちろん傷が増えた商品を返品するわけにもいきません。

あの栞の傷、『コ・ロ・サ・レ』に続く文字が『タ』であれば浮気をして奥さんを怒らせたおまえが悪いと思いましたし、もし『ル』であれば死ぬ気で奥さんに謝れと強く祈るしか私にはできません。

とにかく私には関係ないし、お小遣い返してよと憤らずにはいられませんでした。

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******************

黒川先輩の話が終っても宴会の会場は静まり返っていました。

誰も話さないでいると、彼女に話を振った当人が声を上げました。

「いや、さすがだね、怖かったよ」

彼女の怪談が終わったことにより場の雰囲気も自然とお開きのムードとなったので、その日の宴会はそこで終わりました。

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宴会を終えて、僕も疲れていたので、早く部屋に戻って寝ようと思いました。

しかし、黒川さんの方を見るとさきほど怪談を要望した取引先の担当者が近寄っていました。

何か嫌な感じがした僕は柱の陰に隠れながら、二人の後ろに近づいて聞き耳を立てました。

「ねえ、黒川さん、ちょっとこのあと俺の部屋で飲み直さない?」

「えっ、部屋でっていうのはちょっと……ホテルのバーもありますから、そちらにしませんか?」

黒川さんの提案に男はあまり反応を示さず、おもむろに黒川さんの肩を抱き寄せました。

「もう、鈍いなあ、そういう意味じゃなくて、俺の部屋に来ないかってこと」

その男は明らかに彼女を自分の部屋に連れ込もうとしているようでした。

しかし、少々酔っているとはいえ、いつもの彼女であれば当然お断りすると思われました。

「ねえ、今回の新規事業、黒川さんが一晩一緒に過ごしてくれるんだったら、僕の裁量で契約してあげるよ」

なんと、その男は契約を盾に彼女を口説こうとしていました。

「い、いえ、そういうお話をされても……」

「だいじょうぶ、今夜のことはふたりだけの秘密にするから、今回の契約の重要さはわかってるんだろ、それが君の手柄になるんだったら将来的にも大いにプラスになるんじゃないかな」

「も、もちろん、今回の事業のことは十分わかっていますが……」

彼女は動揺しているように見えました。

男は巧みに誘惑しながら、ゆっくりと自分の部屋へ向かって移動しています。

もう見ていられなくなった僕は情けないことに自分の部屋へと駆け込み、自分のベッドに倒れこみました。

このときほど一緒に来ていた課長と二人部屋でなくてよかったと思いましたが、黒川先輩のことを思い、やりきれない思いのままベッドの上でゴロゴロし続けました。

彼女の白い柔肌があんな奴に……

今頃二人は行為の真っ最中だろうかと考えると、もういてもたってもいられず、涙ぐんだまま廊下に飛び出しました。

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すると……いました、彼女が……

「あれ、黒川さん? なんで、ここに?」

「お、ちょうどいいところに、料理ほとんど食べられなかったから、私お腹すいちゃったんだ、ホテルの居酒屋にラーメンでも食べに行きましょう」

彼女のお誘いにきつねにでもつままれたようなふわふわした気持ちでついていきました。

ホテルの廊下を移動する途中で彼女にさっきのことを聞きたかったのですが、怖くて別の話を振ってしまいました。

「今日はお疲れさまでした、でも何だか理不尽ですね」

「何が?」

「だって今回のメンバーで女性は黒川さん一人で宴会ではまるでホステスみたいに接待役をやらされてたじゃないですか」

「まあ、もちろんね、女というだけで不本意ではあるけど……」

僕の意見に同意をしつつも彼女は続けました。

「今回の視察は観光じゃなくて全面的に仕事だったわけだし、役所の人間もいるからおおっぴらにお金のかかるコンパニオンとかを呼ぶわけにはいかないでしょ」

「……まあ、そうですね」

「そんなときに同じメンバーの私が接待役に回れば、無理なく場の雰囲気も華やぐじゃない」

「確かにおっさんだけで飲む宴席は暗くなりそうですよね」

「それぐらいの事情は理解してるつもりよ、それにちゃんと対策もしてるしね」

彼女は浴衣の胸元から何かを取ろうとしていました。

「……それは?」

「安全ピン、必要以上に浴衣がはだけないように」

しっかりしてるなあと感心しているとピンを取った拍子に彼女の浴衣がはだけて下着のキャミソールが見えてしまいました。

僕は顔がかっと熱くなってなぜか恥ずかしくなり、反射的に顔を背けました。

「うふふ、うぶだねえ、おっさんたちよりあんたのそういう反応を見る方がお姉さんの清涼剤になるわあ」

にやにやしながらそう言うと彼女は十二時までやっているホテルの居酒屋に入っていきました。

そして二人ともおすすめメニューの潮騒ラーメンを頼みました。

「あの、なんでここにいるんですか、部屋に誘われてませんでしたっけ?」

どうしても気になった僕は聞いてしまいました。

「うおっ、見てたの、恥ずかしいなあ、ちゃんときっぱりと断ったよ」

彼女はバツが悪そうに答えました。

「というか、先輩の女性が連れ込まれそうになってるんだから、お前が助けろよ」

全くの正論で恥ずかしい限りでした。

「す、すいません、でも契約のことを持ち出してるようだったので……」

言い訳にもなりませんでしたが、一応言ってみました。

「ああ、あれはだめよ、契約のことなんか」

「どういうことですか、少なくとも黒川さんの成績にはなるんじゃないですか?」

「あの男ああは言ってたけど、絶対に私とやったあと、自分の功名みたいに彼女を食ったぜとか言いふらすにきまってるんだから」

確かに男のさがとしてとして、そういう自慢をすることは考えられました。

「そうなると私は枕で契約を取ったことになって余計に仕事がやりづらくなるじゃない」

彼女の話によく考えてるなあと思っていると、彼女はちょっと真剣な表情をしました。

「それにあの男、後ろに鬼女達が憑いてたしね」

感情を欠いた平板な声で言葉を継ぎました。

鬼女……唐突にではありましたが、彼女がそのたぐいの話題を出すとひどく酷薄な空気が漂い始めるのはいつものことでした。

「鬼女って、あの鬼? 妖怪か何かですか?」

「いや、たぶん女達の生霊、おまけに彼女達の肉が焼け焦げてたし、あれは心が火を噴いているみたいな感じだったし、だいぶ派手にやり散らかしてるんじゃないかな」

心が火を噴く、彼女が囁いたその言葉は表現とは裏腹にドライアイスの温度を帯びていました。

「それってやばいんですよね」

「命にかかわるんじゃないかなあ、私もあんなにえぐい生霊久しぶりに見たし」

吐き捨てる彼女の言葉に人の姿を保っていない生霊のひどさが感じ取れました。

「命にかかわるって……何かしなくていいんでしょうか?」

黒川さんの雰囲気で答えは何となくわかっていましたが一応聞いてみました。

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「女のことを自分の欲を満たすモノとしか思っていないやつのことは私も人間じゃなくてモノとしか思えないなあ」

先ほどまで接していた人間の軽薄さを哀れむようなことすらなく、彼女は無表情で絶品のラーメンをすすっていました。

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