怪奇!カタツムリ母さん!

中編5
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怪奇!カタツムリ母さん!

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ほんの一冊、

遺されたアルバムには、幼かった私の写真ばかり。

砂のお城を作ったり、湯船にヒヨコを浮かべたり、

けれどそのどれもが横顔で、そうして一様に笑顔だった。

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私がものごころつく前に父親は事故で亡くなり、

私がものごころついてすぐ母は命を絶った。

自宅での焼身自殺だった。

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ほんの一冊、

遺されたアルバムには、幼かった私の写真ばかり。

無理に私を振り向かせたり、笑顔を作らせたりせずに、

母の瞳の光の中の、私を写してくれていた。

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消防車が渋滞で間に合わず、すべてが燃えた頃に帰宅して、

焼け焦げた遺体の隣でハーモニカの練習をしていた夕暮れ、

やっぱり寂しくなってきて、

母の胸で奇跡的に焼けなかったその脂まみれのアルバムを私も胸に抱き、

独り交番へ歩いた。

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カタツムリみたいに丸くなって動かない母さんを、

誰かに元に戻してもらう必要があったからだ。

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……それから大人になるまでに、施設や親戚の人達にたくさん御世話になり、

ついに私はアパートの1DKを借りて一人暮らしを始めた。

小さな工場の事務職で、暮らしは苦しかったけれど、私には夢があった。

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幸せな家庭を築き、子供のために生きてみたかった。

母が途中で諦めてしまったことを、私は受け継いでそして、

それをいつか天国の母さんに報告したい。

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私の住む一階の部屋は、窓を開けるとすぐ裏庭で、

春になればたくさんの草花が晴々と陽に向かう。

当然、網戸を閉めていないと色んな虫が入ってきてしまう。

けれど涼しい風の渡るような休日は、窓枠に寄りかかって緑を眺めることも多い。

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そんな雨天の昼下がり、

「秘密にしてたことがあるんだけど…」

とても懐かしい声が聞こえた。

母さんだ!

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「母さん、どこにいるの?」

「大きくなったねえ…」

「どんなに会いたかったかわかる?

母さんが幽霊でも良いから、

たくさん話したいことあるんだよ!」

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「あのーちょっと恥ずかしいんだけど……

窓の近くで揺れてるアジサイの葉っぱあるよね」

「あーこれ? 母さんってアジサイ好きだっけ」

「いや違う違う。

そこに、いるんだけど……」

「……?

ギャー!

なんだこいつきめぇ!」

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……母さんはカタツムリになっていた。

正確にはアフリカマイマイという大型種で、

手の平に乗り切らないので30㎝ほどの体長なのが判る。

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「すぐ腕から先を消毒しないと駄目よ。

母さんには寄生虫が付いてることが非常に多いから、

広東住血線虫が伝染して好酸球性髄膜脳炎で死ぬから」

「マジかよ…そういうのは先に言っとけよ……」

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這った跡の粘液もヤバいらしいので

救急箱のオキシドールをカラにしたところで、

平底の洋皿に母さんを移した。

干からびると死ぬらしいので水道水で底を浸してあげた。

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見た目のキモさとは裏腹に、脳に響く母さんの声はとても優しかった。

詳しく聞いてみると、

カタツムリ信仰にハマった時期があるのだという。

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例えばキセルガイ(カタツムリの仲間。殻が細長い)などは「夜泣き貝」と言われ、

おもに熊本県などでは赤ん坊の枕の下に敷いていたらしい。

「それで夜泣きがぴったりやんだよ」と母が言うからには、

幼い頃の私の枕の下には巻貝が常に下敷きになっていたということになる。

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そしてなんと母さんと暮らした府中にも似た話があり、

大國魂(おおくにたま)神社のイチョウに棲むキセルガイを煎じて(!)飲むと母乳がよく出るとされ、

「それで困らなかったのよ」と母が言うからには、

幼い頃の私はキセルガイの栄養によって育てられた部分も無くはない。

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また、埼玉県のとある地方ではカタツムリは“だいろ神”と呼ばれ、祠まで存在している。

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その信仰の末に自殺したので、地獄で待ち構えていた“だいろ神”に怒られたらしい。

「ただでさえマイナーな神なのに、

お前みたいに信仰してた自殺者が出ると評判が良くない。

これから地上でカタツムリの素晴らしさを喧伝することが出来たら、

来世では人間として娘の近くに産まれさせてやろうではないか」

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つまり母さんは、生まれ変わっても私の近くにいたくて、

今こんな姿でカタツムリについて色んな人に説いてまわっているんだそうだ。

「ほんとはね、ルール違反かもしれないけど、

生まれ変わるまで待てなくて……」

「……いいんだって、母さん。

私にカタツムリのこと教えてくれるなら、きっとルール違反にならないよ!」

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とにかく質問してその魅力を知ることが、

母さんを救う鍵になる。

「よくデンデンムシって言うけど、カタツムリって虫なの?」

「カタツムリは陸生巻貝の通称で……!」

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あんなにも嬉々として皿の上で踊るアフリカマイマイを目撃したのは、

私が人類史上で初だろう。

母さんは意気揚々と、まずはカタツムリの分類学的な立場を述べ上げた。

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まず軟体動物門というものがあり、これにはイカやタコが含まれるのだが、

このグループの腹足綱(ふくそくこう)に類されるのが巻貝、

その内で陸がメインの有肺類(ゆうはいるい)にカタツムリが位置する。

ナメクジもこの仲間(例としては殻の退化したウミウシなども同じ)。

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……理解が非常に難しかった。

それからずいぶん、母さんとたくさんのことを話した。

水生物学などの自然科学はもちろん、

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母さんが居なくなってから私がどんなふうに楽しく暮らしていたか、

母さんが居なくなってからどんなに強く生きていたか、

それがどんなに面白く (寂しくて)、

それがどんなに幸せで (虚しくて)……

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アフリカマイマイの眼に涙を流すための構造は無かったけれど、

私は母さんが泣いているのがわかって、もう何も言えなかった。

母さんは決して「ごめん」とは言わなかった。

ただ頷いてくれていた。

言えば私の心が崩れるのがわかっていたのかもしれない。

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それからまた時が経ち、

幾つかの試験を終えて、

幾つかの研究所で認められ、

生物学という螺旋階段の踊り場にようやく辿り着き、

ようやく母さんとゆっくり話せたはずの夕暮れ、

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母さんは粘液だけを残して、

窓から抜け出していた。

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ありったけのエタノールを床に撒いて、

雑巾で拭きながら、

涙が止まらなかった。

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アフリカマイマイの寿命はそんなに長くない。

母さんは私に、

干からびた姿を見せたくなかったんだ。

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……それからまた時が経ち、

とある雨上がり、

アジサイの葉に垂れる水滴を、

光る瞳で射る少女を見かけた。

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おかえり、母さん。

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@珍味 様
アフリカマイマイにしたのは単に趣味ですw
今回いろいろ調べたところによると、カタツムリというのは魚類や甲殻類や両生類と違う独自の進化を遂げていて、
生物界の不思議を代表するような種類です。
魚じゃないし、虫じゃない。
調べすぎて深みにハマったのでほどほどで投稿しました。

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