中編5
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一人娘のフィアンセ

……私はどちらかというと、寛容な方だと思う。

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今、目の前に、神妙な顔をして正座している一人娘の「未来」が、多分私よりも年上であっただろう演歌歌手志望の初老の男を連れてきた時も、嫌み一つも言わなかった。

その数年前には、汚ならしく伸ばし放題の金髪の、黄色いスパッツを履いた中年のロックミュージシャンの時も。

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ただ、この男は……。

今、未来の隣に正座している、この男は……。

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白髪混じりの髪は、それなりに整えてはいるのだが、目は腐った魚のようで、精気というものがない。顔色が病的に悪く、頬は痩けている。

紺のジャケットを着ているが、撫で肩で、異様に痩せているようだ。

手首を見ると、かなり細く、折れそうだ。

年齢は……三十代にも、四十代にも見える。

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「あの……お仕事は、何をされているのですか?」

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最初に、この気まずい空気に、切り込んだのは、隣に座る妻だった。

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─そうだ。だいたい、この男は何をしているのだ?

未来に苦労させないくらいの甲斐性はあるのか?

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「あの……サトルさんはね」

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なぜだか未来が口を開いた。

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「プロの作家志望なの」

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「は?作家志望?

ということは……」

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「今は無職ということ!」

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未来から電話があったのは、昼過ぎのことだった。

思い詰めた様子で、会ってもらいたい人がいる、ということだった。

一人娘の未来は今年、四十歳。

これまでも何度となく、彼氏と呼ぶ男を連れてきたのだが、いわゆる普通の男だったことがない。

妻子ある男。

いい年をしているロックミュージシャン。

そして直近は、売れない演歌歌手。

……

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妻と二人。和室の座卓の前で正座しながら、緊張して待っていると、予定時刻を三十分遅れて、二人は入ってきた。

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「パパ、ママ、わたしね半年前、死のうと思っていたの。演歌歌手の元彼が今年も曲が売れなくて。

それで、アパートに行ったら、置き手紙があって……。もう、俺のこと、探さないで欲しいって。」

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未来の目は真っ赤に充血し、声は涙声になっている。

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「わたしにとっては、彼がすべてだった。

彼無しの人生なんかあり得なかった。

だから、だから……わたし。もういいかって。

それで」

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私と妻は、ただ、未来の話に集中していた。

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「去年買った白いワンピースを着て、海に行ったの。

シーズン前の浜辺は、誰もいなくて。

蜜柑色に染まった砂浜をしばらくさ迷った後、パンプスを脱いで、裸足になって、フラフラと水平線に向かって歩きだした。

どんどん進んで腰くらい漬かった時だった。

突然後ろの方から声がしたの。

おーい!おーい!って。

驚いて振り返ると、浜辺に黒いスーツを着た男の人が手を振っている。

まるで蜃気楼のように微かに揺れながら。

その声がとても優しくて心地よくて、なぜだかわたし、またゆっくり浜辺に向かって歩きだした。」

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「それから、サトルさんと二人、浜辺で体育座りして、夕陽を眺めながら、いろんなことを話したの」

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ここで初めて、男が口を開いた。

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「入水自殺なんか、決してきれいなもんじゃない。逝くまでは地獄の苦しみだし、その後の遺体も、パンパンに膨れあがっていて、酷い状態です、と未来さんに言ったんです」

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「何で、そんなに詳しいんですか?」

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私は男に尋ねた。

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「僕がそうだったから」

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「は?」

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「あの、僕自身が、同じような死に方をしたからです。」

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驚いた私は、隣の妻の方を見る。

妻も、呆気にとられたように、口を開けていた。

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「ということは、その……つまり……君は……」

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「はい。死んでいます」

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男はきっぱりと言った。

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「もう……わたし、絶えられない!」

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そう言うと、突然妻が立ち上がり、逃げるように部屋を出ていった。

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「な、何を言ってるんだ君は?

死んでいる、だと?

死んでいる人間が、何でここにいるんだ!?

何でこんなところで正座しているんだ?

そうか!分かったぞ。

お前たちは二人して、俺たち夫婦をからかっているんだろう!そうだろう。そうにちがいない。だったら、今すぐ帰ってくれ」

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私は興奮しながら、怒鳴った。

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「パパ、お願いだから、怒鳴らないで、彼の話を聞いて」

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「驚かしてすみません。

でも、本当なんです。

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僕、作家になるのが夢で、二十代の時から三十代まで正職にも就かず、毎年あちこちの雑誌社の新人賞に応募していました。

でも、全くダメで。

気がついたら、四十歳になっていました。

それで、いい加減けじめをつけようと、これが最後と必死に書いた作品を、ある雑誌社の新人賞に応募しました。

でも、結果は……落選。

で、もう、いいや、と思って、海に行って、崖から飛び降りました。

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どれくらいの時間が経った頃でしょうか。

気がついたら、僕はどこかの浜辺で目を覚ましたんです。

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─あれ?僕は死ねなかったのかな?

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最初は、そう考えました。

だけど、どうも、おかしい。

あの時、あれだけ水をいっぱい飲んで、もがき苦しみ、長いこと呼吸すらも出来なかったはずなのに、普通に手足が動く。

しかも、何日も水も食事もせずに、何ともない。

そして、やっと僕は分かったんです。

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僕は死んでいるんだと。

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それからは来る日も来る日も、僕は夢遊病者のように、フラフラ浜辺をさ迷っていました。

そしたら、ある日の夕暮れ時、海に漬かっていく未来さんを見つけました。

それで、つい、声をかけてしまって」

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そこまで言うと、サトルという男は下を向き、今度は未来がしゃべりだした。

「わたし、サトルさんと一緒にいると、なぜだか、すごく気持ちが癒されるの。この人とだったら、ずっと一緒にいれる。何度か会ううちに、いつの間にかそう思うようになった。

それと、ご飯を食べなくても平気みたいだから、面倒くさい料理もしなくていいし、絶対、わたしの方が先に死ぬから、悲しまなくても済むし」

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「でも、生活はどうするんだ?金もいるぞ」

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私は気になっていたことを聞いてみた。

サトルが顔を上げ、また、しゃべりだした。

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「僕が働きます。肉体労働でも何でもやるつもりです。もともと死んでいるんだから、どんな危険な仕事もできます。現に今、原子力発電所の作業員に応募しているところです。」

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そこまで言うと、未来とサトルという男は、一回だけ顔を見合せ、一緒に立ち上がると、部屋を出ていった。

Concrete
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珍味様
怖ポチ、コメント、ありがとうございます。

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