19年09月怖話アワード受賞作品
大長編74
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お隣さん

この話は残酷な描写、グロテスクな描写、非常に不快な表現を含んでいます。

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長閑な風景。

一台の軽トラックがガタガタと揺れながら田舎道を走る。

助手席の男が窓を開けると心地よい風が車内に流れ込んだ。

「おい。窓閉めろよ」

無精髭の男が運転しながら横目で嫌な顔をした。

「もうクーラー効いてるだろ。生暖かい風が入り込んでくるんだよ。早く閉めろよ」

助手席の男は無言で窓を閉めた。

「車内は涼しいけど…」

小声が聞こえた。

「いつも隣にいるのは、むさ苦しい髭面のおっさん。新鮮な空気が吸いたくなったん…、痛ぇ!」

右の脇腹を見ると、無精髭の男からグーパンチ。

「冗談だって!ほら、運転に集中集中!」

「…」

「…」

助手席の男がスマホを操作する。

【~♪~~♪~~~♪】

軽快な音楽が流れ始めたのと同時に、助手席の男は帽子を深くかぶり、腕を組み、瞼を閉じた。

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閑静な住宅街。

平日の昼間という事もあり、行き交う人もまばら。

対向車とギリギリすれ違える程度の道を徐行し、右往左往する。

軽トラックを停車すると助手席の男がドアを開け、軽快に車外へ飛び出す。

ペットボトル、空き缶、空き瓶、プラスチックゴミにダンボール等。

ゴミ集積所に分別された資源ゴミを慣れた手つきで荷台に積み込む。

吸血鬼の如く色白で、か細く折れそうな二本の腕。

デスクワークしか出来なさそうな優男、というのが第一印象だった。

今も体格はそれほど変わらず、この職に就きながらも肌は白い。

思い出したようにちらりと助手席のドアポケットを見ると白いプラスチック容器が立ててある。

日焼け止めだ。

一時間おきくらいに車内で塗りなおすのが彼のルーチンになっている。

他にも中性的な面が多く、美容男子とからかわれることもあるが、弱音も吐かず、淡々と力仕事をこなす為、社内での評価は非常に高い。

【バタンッ】

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助手席のドアが開いた。

「終わりました。次行きましょう」

首に巻いたタオルで汗をふきながら、助手席の男が戻ってきた。

エンジンを掛け、再び軽トラックを走らせる。

「あ~、次は例の所ですね」

ふと思い出したかのように助手席の男が口を開いた。

「ん?あぁ…」

「もう寄らなくて良いんじゃないですか?」

「そういう訳にもいかないだろ。もしかすると今日は…」

「じゃあ、賭けましょうよ!」

助手席の男は足元に置かれたバッグから財布を取り出すと、小銭を確認した。

「三百円賭けます!」

無邪気な子供のように満面の笑みを浮かべている。

「それじゃあ、俺も無い方に賭ける」

「え~…賭けになってないっすよ」

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【バタンッ】

真っ白な外壁に木調のベランダと玄関。

人工芝のある縁側付きの広い庭。

全く同じ造りの戸建てが並ぶ突き当り、屋根付き両開きのゴミ集積所の手前で軽トラックは停車した。

助手席の男は軽トラックを降り、ゴミ集積所に駆け寄り、中をじっと見る。

「…」

こちらに振り向き、両腕を交差させ、×マークをつくりながら軽トラックに戻ってきた。

「資源ゴミ、やっぱり無かったです!」

この一画、元々は雑木林だったのだが、数年前に宅地開発の対象となった。

ゴミ収集ルートに追加されて以来、担当しているが、一度も資源ゴミを見ていない。

ちらりと周囲を見ると二階で洗濯物を干している女性や、玄関前で遊んでいる小さな子供が見える。

誰も住んでいないという訳でもない。

その証拠に可燃ゴミの日は大量のゴミ袋で集積所が溢れかえる。

ゴミを分別せず、まとめて可燃ゴミとして捨てているのではないかと疑ったこともある。

何度かゴミ袋を開封し、中身も確認したが、きちんと可燃ゴミだけだった。

ゴミ集積所の入口にぶら下がっている看板にも<●曜日は資源ゴミ>と表記されている。

「みんな別のところでリサイクルしてるんじゃないですか?学校ではペットボトルのキャップ、スーパーでも牛乳パックとか色々回収してるじゃないですか」

確かにそうなのかも知れないが、さすがに空き缶一つ見たことないのは異常だと思いつつ、今日に至る。

【バンッ、バンッ、バンッ】

不意にリズムよく三度、運転席側のドアが叩かれた。

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「すみませ~ん。まだ間に合います?」

二十代後半、中肉中背、上下長袖パジャマ姿の女性が外に立っていた。

足元にはペットボトルと空き缶が分別されたゴミ袋が二つ置かれている。

「あ、間に合いますよ!」

【バタンッ】

助手席の男が外に駆け出す。

女性は嬉しそう微笑み、ゴミ袋を手渡すと安堵の表情を浮かべた。

「良かったぁ…二回目、間に合って…」

助手席の男は軽トラックの荷台に上がり、ゴミを積み込み始めた。

「すみません、お聞きしたいことがあるのですが…」

運転席の男は軽トラックの窓を開け、外にいる女性に話しかけた。

何故、資源ゴミが捨てられていなかったのかを確認するためだ。

「はい?なんでしょうか?」

不思議そうな表情で運転席の男を見つめる。

これは後日、その女性、Cさんが体験した話です。

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「いまだ!」

「ちがう、そこじゃない!」

「あ~、やられた!」

「もう一回やろう!」

「うん!」

Cさんが二階のベランダで洗濯物を干していると、お隣、Aさん宅の縁側に子供二人が並んで座り、ゲームで遊んでいるのが見えた。

二人は同級生で、この住宅街に一番初めに越してきたAさんの子供と、二番目に越してきたBさんの子供だ。

Bさん宅はAさん宅の真向かい、ゴミ集積所からみて右手に位置する。

「はい、ジュースとお菓子どうぞ」

「ありがとう!」

「ありがとうございます!」

縁側の後ろ、カーテンと掃き出し窓が開くと、コップ二つとスナック菓子の袋を一つ乗せたトレーが子供二人の間に置かれる。

AさんはCさんに気が付き、笑顔で会釈する。

Cさんも笑顔で会釈する。

Aさんはとても美人で、昔はモデルをやっていたような噂を聞いたことがある。

出産を機にモデルは辞め、毎日子育てブログを更新しているそうだ。

Aさんは掃き出し窓とカーテンを閉め、室内に戻っていった。

子供二人は仲良くお菓子を食べながら遊んでいた。

「平和だなぁ…」

Cさんは表情を元に戻すと、空になった洗濯かごを手に、室内に戻っていった。

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数ヶ月後。

Cさんが洗濯物を干そうと二階のベランダに出ると、お隣、Aさん宅の方から話し声が聞こえてきた。

Aさん宅の縁側にはBさんの子供とAさんの二人がいた。

Aさんの手元には数十枚の何かが書かれた白い紙の束、隣に座るBさんの子供も紙の束を覗き込んでいる。

「次のテストはどうかな?」

Aさんの手元にあるのはテストの答案用紙のようだ。

「偉い!Aくんまた百点!」

満面の笑みを浮かべながらAさんはBくんの頭を撫でまわす。

「…」

Bくんは無表情のまま、答案用紙を凝視する。

Aさんが手元の答案用紙をめくり、次の答案用紙を確認する。

「…」

Aさんは満面の笑みのまま、答案用紙の束を縁側に置いた。

「Aくん。八十五点ってどういうこと?」

Bくんは怯えた表情で縁側に座りながら、必死に上半身を上下左右に動かしている。

Aさん宅の縁側は幅十五センチ程の木の板が並べられた作りとなっており、木の板と板の間の隙間からロープのようなものが出ている。

そのロープが縁側に座るBくんの両太ももと両手首に巻き付けられていた。

Bくんは縁側に座っていたのではなく、固定されていた。

【ンー!ンー!ンー!】

Bくんは何かを言っているようだが、全く聞き取れない。

よく見ると口元にも何か巻き付いている。

「マイナス、十五点」

【ンー!ンー!ンー!】

Bくんの動きが先ほどよりも激しさを増す。

Aさんは背後に置かれた箱に手をかける。

どうやらクーラーボックスのようだ。

Aさんは周囲を見渡しながらクーラーボックスをゆっくりと開け、中から何かを取り出した。

その際、見つかってしまったかと思ったCさんは咄嗟にベランダの壁に背を向け、座り込んだ。

そのまま室内に逃げ込もうとも思ったが、経験したことのない恐怖から腰が抜けたのか、その場から動けない。

Cさんはズボンのポケットから携帯を取り出すと、ベランダの壁の隙間に設置し、Aさん宅の縁側を撮影し始めた。

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真っ赤な手袋のようなものが見えた。

Cさんはクーラーボックスから赤いミトンを取り出すと、両手にはめた。

次にクーラーボックスから白くて四角いものを取り出した。

保冷剤のようだ。

「痛いのは可哀そうだからね」

そう言いながら、Bくんの両頬に保冷剤を押し当てる。

「痛いのは可哀そうだからね。痛いのは可哀そうだからね。痛いのは可哀そうだからね」

同じ台詞を壊れた機械人形の如く繰り返し、一心不乱にBくんの両頬を冷やし続ける。

これから何が始まるのか、想像もつかないCさんは恐怖から吐き気を覚えたが、目を離すことができなかった。

Cさんは早く誰か気づいてくれと願ったが、Aさん宅は道路の突き当りであり、家の前を人を通ること自体が珍しい。

更に、AさんとBくんがいる縁側の手前は駐車スペースとなっており、一台の軽トラックが止まっている。

縁側はお向かいのBさん宅からでなければ見えない位置、死角だった。

Cさんは通報することも考えたが、未だ腰が抜けており、動けない。

もしも、話し声がAさんに聞こえてしまったら…と思い、躊躇していた。

結果、せめて証拠だけでも残そうと、今の行動に至る。

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「ねぇ?知ってる?」

AさんがBくんの両頬から手を離すと、保冷剤とミトンを片付けながら問いかけた。

「カマキリって脱皮するんだよ」

今度は突然、昆虫の話をし始めた。

「何度も、何度も、何度も、何度も脱皮して、立派なカマキリになるの」

そう話しながら、再びクーラーボックスから何かを取り出した。

銀色の何かは太陽の光に反射し、Cさんの位置からでははっきりとは見えない。

「Aくんが出来損ないなのは何でだと思う?」

【ンー!ンー!ンー!】

Aさんの手元を見たBくんの動きがより激しくなる。

どうにかしてその場から逃げ出そうと必死に身体をよじらせるが、ロープは全くほどけそうにない。

「答えは簡単だよ。脱皮してないからだよ。脱皮しようね。脱皮すれば百点だよ。百点。脱皮したいでしょ」

AさんはBくんの右頬を素手で触った。

「すごく冷たいね。もう感覚はないでしょう?これなら脱皮しても痛くないからね。痛いのは可哀そうだからね」

Aさんが手にしていたのはピーラーのような形状をした見たことのない刃物。

「安心してね。痛くないように上手に脱皮させてあげるからね」

Bくんの両目から涙が溢れ出る。

「もう。そんなに泣かないで。脱皮は素晴らしいんだよ。そうだこれを見れば安心できるかな」

Aさんは縁側に刃物をおくと、頭を抱えるような姿勢をとった。

そして、ゆっくりと頭髪を持ち上げる。

つるりとしたお坊さんのような綺麗な肌色のスキンヘッドが現れた。

Aさんはウィッグを外すと、Bくんの両太ももの上に置いた。

そして、満面の笑みのまま、再び、頭を抱えるような姿勢をとった。

「ぇ?!」

Cさんは思わず小さな悲鳴をあげた。

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Aさんは自身の頭皮をつかむと、そのままゆっくりと持ち上げた。

ずるずると皮膚が動き、首元から、徐々に肌の色が変化する。

肌色が消えていき、本来の姿が徐々に露わとなった。

目元と口元が空き、歪んだフルフェイスのラバーマスクをAさんは縁側に置いた。

きっと笑っているんだろうが、もはや表情を読み取ることは困難だった。

首から上、全ての皮膚が削ぎ落された赤黒い肌。

所々ピンク色で、剃刀で切れたような細長い傷跡と無数の瘡蓋が痛々しい。

ラバーマスクとの境界を無くすためのファンデーションだろうか、目元には若干の肌色が残っている。

眼球と歯の白さが異様に際立ち、もはや人間ではなく、悪魔のようにも見えた。

「ね?脱皮は素晴らしいでしょ?」

【ンー!ンー!ンー!】

Bくんの思考は限界を超えたのか、糸が切れた操り人形のように、全身をぐちゃぐちゃと激しく動かす。

それでも身体は自由になることはなく、ロープが食い込んだBくんの両手首と両太ももは変色し、血が滲み始めた。

Aさんは再びラバーマスクとウィッグを被り、元のAさんに戻る。

「それじゃあ、始めようね。脱皮。痛くないよ。だから泣かないでね。冷やしながらゆっくり、ゆっくりやるからね」

【ンー!ンー!ンー!】

刃物がBくんの頬に近づく。

「…」

「…」

「…」

【カラン!!カラン!カランッ…】

金属音が鳴り響いた。

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その少し前。

Bくんに対する罪悪感から生まれた無意識の行動だった。

腰が抜けて立ち上がれないCさんはベランダに設置されたエアコン室外機の上部に両手をついた。

そのまま、両腕に力を込め、腰を浮かせ、室外機の上に座る。

その状態で両腕を伸ばすと、かろうじて物干し竿に手が届いた。

Cさんは物干し竿を支えながら、ゆっくりとスライドさせていく。

Cさんの視界から物干し竿が消える。

「…」

「…」

「…」

【カラン!!カラン!カランッ…】

物干し竿はCさん宅の真下、Aさん宅に停められた軽トラック横のコンクリートに落下した。

満面の笑みを浮かべたAさんがCさんを見上げる。

「脱皮はまた後でね」

AさんはBくんの頭を優しく撫でる。

再度、Cさんに向けて満面の笑みを浮かべると、Bくんを残し、縁側から全速力で走りだした。

その直後。

【ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン】

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Cさん宅のインターホンが鳴った。

【ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン

 ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン】

鳴りやまない。

【ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン

 ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン

 ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン】

まだ、鳴りやまない。

【ピピピピピピピピピピピピピピピピピ

 ピピピピピピピピピピピピピピピピピ

 ピピピピピピピピピピピピピピピピピ

 ピピピピピピピピピピピピピピピピピ

 ピピピピピピピピピピピピピピピピピ】

今度は連打しているようだ。

頭の中が真っ白になったCさん、ふいに思い出してしまった。

「買い物から帰ってきて、玄関のカギ、開けっ放しだ…」

吐き気と頭痛、悪寒も止まらない。

気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

【ピ、ンポーン…】

「…」

インターホンが鳴りやんだ。

「…」

「…」

「…」

【ガチャリ】

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「お邪魔します」

ドアが開く音に続き、玄関からAさんの声が聞こえた。

【バタンッ】

ドアが閉まった。

Cさんはベランダで目を閉じ、ひたすら祈る。

捕まった時の事を想像すると涙が止まらない。

下の階では室内を歩き廻る音、バタバタと物音が聞こえる。

しかし、いつまで経っても二階に上がってくる様子は無い。

「お邪魔しました」

【ガチャリ】

【バタンッ】

AさんはCさん宅から出て行った。

「え?」

Cさんは拍子抜けするとともに、安堵した。

しばらくすると、立ち上がれるようになった。

「そうだ…警察に通報!」

思い出したかのようにベランダの壁の隙間に設置された携帯を掴もうとした時だった。

「痛っ!」

突然の出来事だった為、何が起きたのか把握するのに時間がかかった。

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物干し竿だ。

先程、Cさんが落とした物干し竿が、Cさんのいるベランダに投げ込まれた。

Cさんの右腕と頭頂部に鈍痛が走る。

「あ…」

ベランダの壁の隙間から携帯が消えている。

「そんな…」

Cさんはベランダから真下を覗き込む。

「ひっ…」

Cさんの目に入ってきたのは、Aさんだった。

首を左右に傾けながら満面の笑みを浮かべ、Cさんを見上げている。

Aさんは会釈すると、その場から立ち去った。

真下に落ちたはずの携帯は見当たらなかった。

そのまま視線を動かし、Aさん宅の縁側を見ると、ロープで縛られていたはずのBくんも姿を消していた。

「…」

【ピンポーン】

「…」

【ガチャリ】

「…」

「お邪魔します」

「おじゃまします」

「…」

【バタンッ】

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二人?

一人はAさんの声だったが、もう一人が誰だか分からない。

Cさんはベランダから室内に移動し、寝そべり、床に耳を当てた。

ガタゴトと何か物音がする。

話し声も聞こえるが、内容までは聞き取れない。

「…」

「…」

「…」

三十分くらい経った時だった。

「お邪魔しました」

【ガチャリ】

【バタンッ】

【ガチャ】

またしてもAさんは二階に来ることなく、Cさん宅を後にした。

静まり返る室内。

Aさんが出て行ったフリをして、まだCさん宅に潜んでいるのではないかと警戒したCさんは一段一段、ゆっくりと階段を下りた。

【ピンポーン】

一階廊下、リビングのドアを開けようとした時、インターホンが鳴った。

Cさんはドアノブから手を離すと、動きを止めた。

【ピンポーン】

「Cさんいますか?」

男性の声だ。

「警察です。開けてください」

Cさんはゆっくりと玄関ドアのドアスコープを覗く。

玄関前には二人の男性警官がいた。

助かった…。

誰かが気が付いて通報してくれたんだろう。

【ガチャ】

安堵したCさんは玄関ドアの鍵を開けた。

「ん?」

一瞬、違和感を感じたが、この時点では気付かなかった。

【ガチャリ】

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ドアを開けると二人の警官が険しい顔でCさんを見つめる。

睨みつけるという表現の方が適切かも知れない。

「Cさんですか?」

「はい、あの…」

Cさんがこれまでの経緯を話そうとした矢先、警官が先に話を切り出す。

「Aくんはどこに?」

「Aくん?」

Cさんは全く状況が分からず、困惑した表情を浮かべた。

「先程、保護者の方から通報がありましてね。お宅に遊びに行ったきり、一晩経っても帰って来ないと」

「え?来てませんけど?それよりAさ…」

「それにね、保護者の方が何度こちらに伺っても、あなたに居留守をされて、息子さんを返してくれないと」

「いやいや!本当にAさんの息子さんは来てませんよ!見かけたら挨拶する程度の間柄ですし!意味が分かりません!」

「どうしたんですか?そんなに大声を出して?随分、感情的になっているようですが」

警官の表情が更に険しくなる。

「そんなに疑うなら、どうぞ上がって好きなだけ見て行ってください!」

Cさんは玄関から少し下がり、警官を招き入れた。

「では、失礼します」

一人の警官がリビングのドアに手をかける。

もう一人の警官はCさんの背後に立ち、Cさんの様子をうかがっている。

リビングへと続くドアがゆっくりと開く。

「うっ…」

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警官が鼻と口を手で塞ぐ。

ドアが開くにつれ、強烈な臭いと熱気が玄関に流れ込む。

あまりの悪臭にCさんも鼻と口を手で塞いだ。

警官がドアを開けきり、真っ暗なリビングに入る。

Cさんも後ろに続き、リビングの照明スイッチを押した直後だった。

「きみ!大丈夫か!おい!その女、確保しろ!早く!!」

前にいる警官が振り向きながら背後にいる警官に指示した。

「え?なにこれ…?」

Cさんは眼前に広がる見たこともない光景に愕然とした。

後ろにいた警官は突然の指示に戸惑いながらも、Cさんを後ろ手に押さえ、身動きが取れないようにすると手錠をかけた。

真夏にも関わらず暖房が付いているリビング。

カウンターキッチンに隣接して置かれたダイニングテーブル。

四つ置かれたダイニングチェアの一つに座る、ピクリとも動かない小さな身体。

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扇風機がゆっくりと首を振りながら回っており、暖房から出る熱風と共にリビング内の臭いを循環させる。

非常に酸味のある臭いに加え、アンモニア臭や排泄物の臭いが混じりあう。

ダイニングテーブルの周辺にはゴミが散乱している。

一つのダイニングチェアに座る小さな身体は、身動きが取れないよう、ロープでぐるぐる巻きに縛られていた。

顔はうつむいており、表情は見えない。

頭頂部から上半身にかけて、赤や黄色、乳白色に黒、カラフルな液体にまみれており、ダイニングチェアの下には水溜まりができていた。

ここにいる誰もが見たことの無い、あまりにも凄惨な光景。

この光景を四字熟語で表現してくださいと問われたならば、誰もが【地獄絵図】と答えるだろう。

何度呼びかけるも反応がなく、警官も近づくのを躊躇っている。

「うっ、オェー…」

Cさんの背後から、別の酸味ある臭いが鼻をつく。

我慢しきれなくなった警官の一人が嘔吐した直後だった。

【スーッ…】

「え?」

思いもよらぬところから、鼻をすする音。

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【スーッ、スッ、スースッ】

その場にいた全員の視線が一点に集まる。

音の発生元はダイニングチェアに座る小さな身体。

頭がガクッと深くうつむいたかと思うと、元に戻る。

再び、ガクッと深くうつむいたかと思うと、すぐ元に戻る。

その動作を繰り返し始めた。

どうやら眠っているようだ。

「おい!生きてるぞ!」

「あ…」

カラフルな液体にまみれた子供が両目を開いた。

「大丈夫?!」

子供は首を縦に上下した。

「Aくんだね?」

子供は首を縦に上下した。

「良かった!今、ロープをほどくからね」

一瞬、制服が汚れるのを躊躇ったかのようにも見えたが、気にせずにロープをほどいた。

Aくんがダイニングチェアから立ち上がる。

「何処かケガしてないかな?痛むところはない?」

「大丈夫、だと思います」

「何があったのかな?」

Aくんは何かを探すように室内を見回し、警官の後ろにいるCさんを見つけると、怯えた表情をしながら話し始めた。

「そのおばさんにイジメられました」

Aくんは涙を流し始める。

「は?!ちょっと!嘘言わないでよ!」

今にも暴れだしそうなCさんを警官は後ろ手により強く押さえつける。

「手品をするって言われて、ロープでしばられました。何をするのか聞いたら、自分でロープをほどけと言われました」

Aくんは震えながら続けた。

「ほどけないと言うと、罰ゲームと言われ、頭から色々なものをかけられました。しょうゆにソースにお酢にマヨネーズにケチャップ。台所にあるものをたくさん頭にかけられました」

確かに、ダイニングテーブルの周辺に散らばっているゴミは調味料の空き容器だらけだった。

「そのまま、おやすみと言われて、お部屋が真っ暗になり、気が付いたら寝てました」

Aくんの話を聞いていた警官がちらりと振り返り、Cさんを見る。

子供相手に一体何をしているんだ?と、言いたげに呆れた表情を浮かべている。

「トイレにいきたくなって目を覚ました時もトイレに行かせてもらえませんでした。我慢したけどだめでした。早くシャワー浴びたい」

立ち上がったAくんの周囲、相変わらずの悪臭が鼻につく。

「お母さんを呼んでるから、もう少し待ってね」

無線で応援を呼んだのか、外が騒々しい。

「私は何もやってない!やってないの!知らない!分からない!」

Cさんが大声で喚き始めた。

「詳しい話は後でゆっくり聞かせてもらうから」

この場ではまったく聞く耳を持たないようだ。

せめて携帯さえあれば。

あの動画さえ見せることができれば。

Cさんは今後の生活を想像すると絶望し、口を閉ざした。

「…」

「…」

「…」

【~♪~~♪~~~♪】

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軽快な音楽が流れ始めた。

Cさんの眼に再び生気が宿った。

【~♪~~♪~~~♪】

音楽は鳴りやまない。

「おまわりさん!私の携帯!」

警官は何処で鳴っているのか音源を辿り、リビングから玄関に向かった。

携帯は玄関に置かれた女性物の黒いブーツの中にあった。

携帯の角にはヒビが入っている。

携帯を開くと液晶画面も割れていた。

【~♪~~♪~~~♪】

真っ白な背景に着信中の文字。

未登録番号からの着信のようで、相手の電話番号だけが表示されている。

警官は着信中の画面をCさんに見せた。

【~♪~~♪…】

着信は切れたが、Cさんにとってはどうでも良い事だった。

「おまわりさん!ムービーフォルダを確認して!」

「ん?」

怪訝そうな顔をする警官。

「お願いします!今日撮影した動画を見て!お願いします!」

何度も何度も懇願するCさんに見かねた警官は携帯を操作する。

「今日撮影された動画なんて入ってませんよ。ほら」

携帯の画面を確認すると、動画は入っていなかった。

他にも撮影した動画があったはずだが、全て消えている。

二階から落とした際に壊れてしまったのか。

それとも…。

Aさんの満面の笑みが脳裏をよぎる。

「消された…」

「ん?」

Cさんは小さな声でつぶやくと同時に、もう一つの可能性に気がついた。

「あ!そうだ!ゴミ箱フォルダ!」

写真や動画を間違えて削除してしまった時など、元に戻せるよう、削除したデータは一旦削除フォルダに移動される。

もしかしたらそこに残っているかも知れない。

Cさんは両目を瞑り、祈った。

再び携帯を操作する警官。

「削除フォルダは…、あ、ありました。動画と画像がいくつか入ってます」

心の中でCさんはガッツポーズをしたに違いない。

Aさんに負けず劣らずの満面の笑みを浮かべた。

「早く!動画を再生してください!それを見てもらえれば分かります!Aさんは異常なんです!」

警官は動画を再生した。

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場所はスーパーのようだ。

ショッピングカートを押しながら買い物する女性が映っている。

食料品と日用品を次々とカートの中に入れていく。

しばらく、店内を動き回る様子が続く。

左右の棚を見たり、しきりに背後を気にしている。

女性はレジに向かったかと思うと、レジの横を素通りし、出入り口に向かう。

買い物カゴから商品がパンパンに詰まったエコバッグを取り出し、肩にかける。

買い物カゴを片付けると、ショッピングカートを出入り口付近にいる警備員に受け渡す。

「ありがとうございました!」

警備員が挨拶をすると、女性は会釈してそのまま店外へ。

駐車場に向かうと、車に乗り込み、スーパーを去っていた。

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動画はそこで終わった。

警官が険しい顔をしながら、再度、動画を再生し始めると、途中で一時停止した。

「これ、あなたですよね?」

警官は携帯の画面をCさんに見せる。

そこには、ショッピングカートを押しながら背後を振り向くCさんが映っていた。

「そうですけど…」

Cさんは不思議そうな顔をした。

何故、全く身に覚えのない動画をCさんの携帯で警官が見ているのか。

「ちなみに、これはどちらのスーパーで?」

「え?えっと…」

急に口ごもるCさん。

「この動画、最後に万引きしているあなたが映ってます」

「なんで?なんで私の携帯にそんな動画が??」

「とにかく、あなたに問題があることはよく分かりました」

Cさんは何も否定することが出来ず、口を閉ざした。

誰にだって一つや二つ、人に言えない事があるものだ。

Cさんにとってはストレス発散の万引きがそれだ。

警官はCさんの携帯をカウンターキッチンの上に置くと、Cさんを連れて玄関へ。

【ガチャリ】

【バタンッ】

タイミングよく玄関が開いた。

「Aくん!良かった無事で!!」

別の警官と一緒に、バスタオルとウェットティッシュ、着替えを手にしたAさんだ。

「お母さん!怖かった!」

半べそになりながらAくんが返事する。

「とりあえず、ここで軽く綺麗にしていただいてから、ご自宅でお風呂に入れてあげてください。後ほどお話伺わせていただきますので」

「本当に、本当にありがとうございました」

Aさんは涙を流しながら警官に会釈し、Aくんの着替えを始めた。

「ほら、いくぞ」

外には数人の警官とパトカーが三台停まっていた。

もちろん、野次馬はもっと沢山いた。

しかし、Cさんが気になったのは外野の視線ではない。

Cさんは立ち止まり、ゆっくりと振り向く。

悪意に満ちた瓜二つの顔が並ぶ。

Aさん親子が直立不動でCさんのことを見つめる。

口角は上がり、目は見開き、満面の笑みを浮かべている。

「ん?どうした?」

警官も振り向くと、Cさんとその視線の先を見る。

Cさん宅の玄関の中、Aさん親子が抱き合いながら涙していた。

Cさんは深くうつむくと再び歩き始め、誘導されるがままにパトカーに乗り込んだ。

先程まで、悪臭立ち込める蒸し暑い環境にいたからか、冷房の効いたパトカーの中はひんやりと心地よかった。

「まさか、今日一番安心したのがパトカーの中だなんて」

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取り調べでは万引き以外、無罪を主張し続けたCさん。

見聞きしたAさんの行動を証明する証拠が何一つなく、状況を覆すことはできなかった。

まず、Aさんの非常に醜いあの容姿。

以前、何処かの治験に参加した際、精神的に異常をきたし、治験施設で自傷行為を行った過去があったそうだが、これはまた別のお話。

次に、縁側で縛られ、脱皮させられそうになっていたBくんについて、確かに手首と太腿に縛られたような跡は残っていたが、学校でイジメられていたとのこと。

Aさんには「何もされていない」と証言したそうだ。

Aくんについては、Cさん宅で保護された後、身体検査をしたが、何処にも異常はなかった。

幸い、身体には何一つ、傷も痣も無かった為、Aさんの罪も相当軽くなった。

更に、Cさんの予想に反し、あっさりと示談交渉も成立した。

示談金もCさん側の言い値のままで非常に安く上がった。

ただ、一つだけAさん側からの条件を守ることが条件だった。

要約すると【今後もご近所さんとして、仲良くお付き合いを続けて欲しい】とのこと。

Aさんはあの容姿から、あまり人付き合いが無かったようで、そんなAさんと親身に接してくれたCさんには感謝していたとのこと。

その条件にCさんは苦笑いを浮かべるが、すぐに了承し、示談書にサインした。

「会釈しかしたことないのに」

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【ピンポーン】

紙袋を片手にインターホンを鳴らす女性の後ろ姿。

【ガチャリ】

玄関ドアが開き、満面の笑みを浮かべる女性が出迎える。

「こんにちは」

「あ、はい。あのこれお口にあうかどうかわかりませんが」

Cさんは紙袋から小箱を取り出すと、Aさんに手渡す。

「わざわざありがとう。あの有名なワッフルのお店のでしょう?さあ上がって。一緒に食べましょう」

「はい…」

【バタンッ】

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釈放から数日後。

CさんはAさん宅にお呼ばれした。

「おじゃまします」

玄関に入ると足元には真っ白なスリッパが用意されていた。

掃除が行き届き、埃一つない綺麗な廊下。

靴を脱ぎながら、玄関右手に設置されたシューズボックスの上を見る。

大小様々なサイズの家族写真が綺麗なガラス製の写真立てに飾られている。

どれもスタジオで撮影されたもののようだ。

満面の笑みを浮かべるAさん親子。

二人とも実物と変わらず、非常に端正な顔立ち、すらりと伸びた手足、まるでモデルだ。

「…」

Cさんは急に寒気がした。

幸せそうな家族写真だと思ったが、よくよく見ると普通ではない。

どの写真もAくんを中央に、右側にAさん。

そして、左側におそらくご主人。

ご主人と思われる人物の顔は写真には写っていない。

全ての写真が、左側に写る長身の人物の首から上が見切れていた。

「良く撮れてるでしょう?」

「!?」

突然声をかけられたCさんは驚き、横を見る。

満面の笑みを浮かべたAさんの顔がすぐ近くにあった。

「Aくん、可愛いでしょう。本当に自慢の息子なの」

「そ、そうですね」

「ほら、早く上がって」

「あ、はい」

CさんはAさんに招かれるまま、リビングに入っていった。

そういえば、引っ越してきて以来、Aさんのご主人は見たことはない。

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「うわぁ…綺麗…」

Cさん宅と全く同じ間取りのリビングではあったが、置かれた家具、内装の違いで全くの別物、モデルルームのようだ。

ホームページに掲載されたイメージ図と言った方がピンとくるだろうか。

Cさんの声が聞こえていたのか、Aさんは満面の笑みを浮かべ続けている。

「どうぞ、おかけになって」

つるつるとした非常にきれいな白とグレーが交じり合う大理石のダイニングテーブル。

革製のダイニングチェアが白黒交互に四脚。

Cさんは手前の白いダイニングチェアに座った。

Aさんはキッチンとダイニングテーブルを何度も往復し、お菓子に飲み物、お酒のつまみにと様々な小料理を並べる。

最後に、キッチン奥にある小型の冷蔵庫くらいの大きさのワインセラーから一本のワインを取り出す。

「これで良いかしら?」

「あ!それ美味しいですよね!私好きなんですよ」

普段からCさんが晩酌で飲んでいる白ワインだった。

すっきりとしていて飲みやすく美味しいが、スーパーに売っている安物で非常にコストパフォーマンスが良かった。

AさんはCさんの目の前に置かれたワイングラスに白ワインを注ぐと、再びキッチン奥へ。

設置されたウォーターサーバーから天然水をワイングラスに注ぎ、Cさんの向かい、黒いダイニングチェアに座った。

「ワイン、飲まないんですか?」

「昨日、色々飲んでしまってね。ごめんなさいね。今日はお水で乾杯させてね」

「あ、はい」

「じゃあ、乾杯!」

「乾杯!」

グラスとグラスがぶつかり合い、心地良い音が響く。

長い夜が始まった。

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もう何本目だろう。

Cさんはカウンターキッチンに並ぶ空き瓶を数える。

Aさんとの飲みは正直、楽しくなかった。

まず、何を話せば良いか分からない。

本当はCさんが逮捕された日のことを話したかったが、とてもそんな話を切り出せる雰囲気ではなかった。

出された小料理とワインは美味しいので、ひたすら飲み食いして、早くお開きにならないかと願った。

しかし、予想以上にAさんはよく話す。

まるでお見合いかのように、Cさんの事を聞き出してくる。

しかし、Aさん自身のことは一切話そうとはしない。

Cさんが訪ねてもはぐらかされるだけで、すぐに別の話題を振られる。

警察署での取り調べより、しんどいかも知れないとCさんは思った。

Aさんは相変わらず満面の笑みを浮かべながら、Cさんのお皿が空になると小料理を取り分け、グラスが空になると白ワインを注いだ。

ただ、Aさんは何も口にしない。

唯一、口にするのは最初に注いだ天然水だが、数時間も経つのに、グラスの半分も減っていない。

「そうだ、ワッフル召し上がってください」

Cさんはダイニングテーブルの脇に置かれたワッフルの箱を見る。

「Aくんが好きだと思うので、持って行っても良いかしら?二階で勉強してるので」

「あ…はい」

Cさんは少し残念だったが、了承した。

Aさんはワッフルの箱を手に、リビングを出ると二階へ上がっていき、すぐに戻ってきた。

「Aくん、すごい喜んでましたよ」

満面の笑みを浮かべるAさん。

「どういたしまして」

作り笑顔を浮かべるCさん。

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時計の短針が十二に近づこうとしていた。

「Aさん?私と飲んで楽しいですか?」

だいぶ酔っぱらっているCさん、ついつい聞いてしまう。

「もちろん!Cさんとはいつも一緒に晩酌してるけど、今日は別格。本当に楽しいわ!」

気分を害するかと思ったが、Aさんは満面の笑みで答えた。

「いつも?」

CさんがAさんと飲むのはもちろん今日が初めてだ。

「そうだ、いつもは寝室で晩酌するんだけど、来てくれる?」

Aさんは立ち上がると、Cさんの手を引き、リビングを後にした。

二階へと続く階段はやけに肌寒く、Cさんは両腕を交差し、二の腕をさする。

「大丈夫?ちょっと待っててね」

Aさんはそう言うと、再びリビングに向かい、すぐに戻ってきた。

「これ、よかったら羽織ってね」

Aさんからピンク色のフリース生地のカーディガンを手渡された。

柔軟剤だろうか、とても良い匂いがする。

それにどこか懐かしい感じがした。

Aさんの後に続き階段を上る。

二階の廊下に出ると、ドアが三つ。

Cさん宅と同じであれば、左手にあるのがお手洗いだろう。

残り二つが子供部屋と寝室のようだ。

「あ…」

ぐちゃぐちゃになった箱とお菓子が廊下に散乱している。

先程、Aくんに渡したと言っていた手土産のワッフルだ。

Aさんはスリッパを履いた足で床に置かれたワッフルを踏みつぶしながら、何も気づいていないかのように寝室に向かう。

醜くゆがんだワッフルの中から、白と黄色が混ざり合ったクリームが溢れ出た。

「…」

Cさんはワッフルを踏まないよう、ゆっくりと上を跨ぎ、Aさんの後に続く。

「どうぞ、入って」

Aさんは寝室のドアを開け、振り向くと満面の笑みを浮かべた。

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「適当に座ってね」

CさんはAさんが何を言っているのか理解できなかった。

Aさんの寝室に座れるような場所はない。

入口から見て左奥に木製のテーブル、右奥にシングルサイズのベッドが置かれている。

床には大量の何かが入ったビニール袋が敷き詰められており、一階リビングとのギャップに驚きを隠せなかった。

簡潔に表現するのであれば、ゴミ屋敷だ。

ただ、悪臭は一切せず、とても良い匂いがする。

大量に焚かれたお香で臭いを誤魔化しているようだ。

Cさんは寝室の手前で立ち尽くす。

「ほら、どうぞ。あ、ごめんなさいね。今週分がまだ整理できてなくて。ベッドの上でくつろいでて」

Cさんは足元に散乱したビニール袋の隙間を探しながら、慎重にベッドへと向かい、スリッパを脱ぐと正座した。

「ちょっと待ってね。今、飲み物用意するからね」

Aさんは室内に置かれたビニール袋の一つを持ち上げると、ベッドの上、Aさんの隣に中身をぶちまける。

「え?」

ベッドの上に空き缶と空き瓶、雑誌等が散らばる。

Aさんが木製のテーブルの上からノートを一冊手にすると、ベッドの上に座った。

「じゃあ、晩酌始めましょうか。Cさんも手伝ってね」

「え?え?あ、はい…」

だいぶ酔いが回っているCさん、既にまともな判断力は無かった。

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ノートの表紙にはCさんの苗字。

パラパラとめくると中にはびっしりと文字と数字が書き込まれている。

空白のあるページを開くとAさんはペンを手にした。

空き缶を一つ手に取ると、ノートに『年月』『何週目』『種類』『商品名』を書き込む。

次に、空き缶を口にすると、首を上に向けた。

「あ~美味しい。オレンジのチューハイ」

Aさんは空き缶の底の残り汁を飲み始めた。

「はい、Cさんもどうぞ」

空き缶を手渡されたCさんは咄嗟に飲むふりをした。

「晩酌、美味しいね」

Aさんは満面の笑みを浮かべると、Cさんに何かを手渡す。

「じゃあ、これ貼って、ビニール袋に戻してね」

『済』と書かれた黄色い付箋だ。

Cさんは言われるがまま、空き缶に『済』の付箋を貼ると、ビニール袋に投げ込んだ。

「じゃあ、次…」

それからもAさんは一つ一つノートに記録し、空き缶の残り汁を飲み続ける。

Cさんは飲んだふりを続け、付箋を貼り続ける。

空き缶の晩酌が終わり、次は空き瓶。

「この白ワイン、美味しいよね」

Aさんの容姿からは想像もつかなかったが、空き瓶をラッパ飲みし、残り汁を楽しんでいる。

そして、手渡された空き瓶は先程までCさんがリビングで飲み続けていた白ワインと全く同じだ。

「もしかして…」

Cさんはずっと気になっていた違和感に気が付いた。

ベッドの上に置かれた空き缶も空き瓶も雑誌も、全て見覚えがある。

今週の資源ゴミの日、Cさんがゴミ集積所に捨てたゴミだ。

それに、今着ているピンクのカーディガン。

これも、春先に穴が開いて捨てたCさんのカーディガンだ。

右袖に開いていたはずの穴は上手に縫われ、塞がっていた。

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「Aさん。ちょっとテーブルの上のノートも見て良い?」

Cさんは思い切って聞いてみた。

「どうぞ。じゃあ、付箋は置いて行ってね」

Aさんは満面の笑みを浮かべると、再び晩酌を続けた。

Cさんはスリッパを履くと、ゴミ袋の隙間を探しながら、ゆっくりとテーブルに向かう。

途中で気が付いたが、ゴミ袋にはそれぞれ近隣住民の苗字が真っ黒なマジックペンで書かれていた。

また、ゴミ袋によってはその苗字が赤いマジックペンで丸く囲われているものや、取り消しされているものもあったが、意味は分からない。

テーブルまで辿り着くと、備え付けられた小さな椅子に腰かける。

テーブルの上に置かれた小さな本棚にはA4サイズのノートがびっしりと並ぶ。

Cさんは適当に一冊選び、手にする。

表紙にはCさんのお向かい、Dさんの苗字が書かれている。

パラパラとめくると、やはり週単位で捨てられた資源ゴミの内容が事細かに記録されていた。

ゴミ収集車が来る前に、他人の家の資源ゴミを回収し、記録する。

全く理解できないAさんの奇行を目の当たりにし、異様な室内の寒さも相まって、徐々に酔いが醒め始めたCさん。

ベッドを見ると、Aさんが寝転がりながら、Cさんが捨てた雑誌を読み始めていた。

「Aさん。お手洗い借りても良い?」

「どうぞ。廊下の突き当りね」

Cさんはゴミ袋の隙間を探しながら、ゆっくりと寝室を後にした。

廊下に出ると、お手洗いには向かわず、そのまま左手の階段に向かう。

「Cさん。そっちはトイレじゃないよ」

階段に一歩踏み出したところで、背後から声をかけられた。

振り向くとAくんが立っていた。

二つの小さな手がCさんの背中を押した。

「あっ…」

「バイバイ!」

Cさんが最後に見たのはAくんの満面の笑みだった。

Aくんは床に置かれたぐちゃぐちゃのワッフルを素手で拾うと、口元を汚しながら野生の動物のように貪った。

「ごちそうさまでした」

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周囲が騒がしい。

頭痛がする。

全身が痛い。熱い。痛い。熱い。痛い。熱い。

Cさんが目を覚ますと、視界には地面と木々と電灯が見える。

どうやらうつ伏せで何処かの公園に倒れているようだ。

「おい!誰か消防車!いや、救急車?わからないけど早く呼んで!」

近くで男性が怒鳴っている。

「ちょっと!大丈夫ですか!」

Cさんの視界に、ちらりと火が見えた。

「え?」

うつ伏せで倒れたCさんの上半身は炎に包まれていた。

男性がバッグに入れていたペットボトルのお茶をかけるも、炎の勢いは激しく、全く消える様子がない。

「すみません!火消すの手伝ってください!」

周囲から駆け寄る足音が聞こえたが、皆、どうすれば良いか分からず、立ち尽くしていた。

見る見るうちに炎は広がり、Cさんの頭髪も燃え始めた。

「おい!早く!仰向けにしろ!」

しかし、近付こうにも炎の勢いが激しく、誰もCさんに触れることができない。

「これ!使ってください!」

ランニング中のサングラスをかけた男性が、首に巻いていたタオルを水で濡らし、Cさんの傍にいた男性に手渡す。

男性は濡れたタオルを受け取ると、Cさんの背中あたりに広げ、そこからCさんを一気に転がし、仰向けにした。

炎の勢いは弱まり、直後に近くのマンション住人が持ってきた消火器で完全に鎮火した。

Cさんの背中と両腕、それに後頭部が醜く焼けただれ、赤黒く変色していた。

「痛い、熱い、助けて、助けてください」

遠くから、サイレンの音が聞こえる。

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真っ白い天井。

「こんにちは」

一命を取りとめたCさんが入院中のある日、誰かがお見舞いにきた。

足音は近づき、Cさんの顔を覗き込む。

見覚えのある顔。

満面の笑み。

Aさんだ。

「大丈夫?そんなに苦しんでたなんて、本当にごめんなさいね」

Aさんは満面の笑みを浮かべたまま、涙を流している。

近くにいた看護師がパイプ椅子をCさんのベッドの隣に置く。

「よかったらどうぞ」

「ありがとうございます」

看護師に勧められるまま、Aさんはパイプ椅子に腰かけた。

「でも、本当に良かった。助かって」

「…」

「火傷の具合は大丈夫?」

包帯でぐるぐる巻き、目元と鼻、口元しか開いていない、まるでミイラのようなCさんに向かい、満面の笑みを浮かべる。

「元気そうね」

「…」

「そうそう、Cさんが苦しんでた原因はこれでしょう」

AさんはA4サイズのノートをバッグから取り出した。

「…」

赤い付箋が付いたページをめくると、Cさんが見やすいよう、視線の先にかかげた。

「このあたりからでしょう。旦那さんが出て行ったの」

「え?」

「ほら、この週までは缶ビールを毎週平均十本くらい飲んでたけど、翌週からは缶ビールがゼロ本。その代わりに毎週平均二本だった白ワインが平均七本になってる」

「…」

「旦那さんがビール、Cさんがワインを飲んでたんでしょう?」

「…」

「旦那さんが出て行って、寂しかったのよね。お酒の量も増えるわよね」

「…」

「まぁ、旦那さんも出て行って正解だったのかも知れないけどね」

「…」

「そうだ、こんな記事も出てたのよ。それじゃ、おだいじにね。Aくんも楽しみにしてるから、早く退院してね」

Aさんは新聞の切り抜きをCさんに手渡すと、満面の笑みを浮かべ、病院を後にした。

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公園で焼身自殺未遂の女性、家庭内トラブルが原因か?

XX市にてdd日深夜、公園で上半身に火がついた状態の女性を近隣住民が発見し、通報。

救急車がかけつけた時点で、近隣住民により火は消し止められていたが、重度の火傷により、病院に搬送。命に別状はないとのこと。

夏場にも関わらず、燃えやすいフリース素材の長袖を着用し、ライターを手にしていたため、焼身自殺を図ったとみられている。

女性は夫と離婚協議中で、過去に万引きを繰り返していたとして、常習累犯窃盗罪での逮捕歴も有り、最近では未成年者略取誘拐罪にも問われていた。

警察は回復を待って、事情を聴く方針。

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賑やかな子供たちのはしゃぐ声。

遊具から少し離れたベンチに二人の男女。

一通りの話を終えた女性はベンチに置かれた缶コーヒーを一口飲み、ため息をつく。

「このままじゃ安心できないの。もう精神的に無理なの」

真剣な眼差しで男性を見つめる女性。

男性は空を仰ぎ見る。

ゴミ集積所に資源ゴミが捨てられていない理由なんて別にどうでも良かった。

単なる一目惚れ、話しかけるきっかけが欲しかっただけ。

それなのにまさかここまで重い内容を語られるとは思いもしなかった。

あまりにも闇が深すぎる。

半信半疑だったが、実際に両腕の火傷や新聞の切り抜きを見せられ、泣きながらに語る様子はとても嘘だとは思えなかった。

女性は男性の手を握る。

男性の心拍数が上がる。

「分かった。手伝うよ…どうすればいい?」

もう、やけくそだった。

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肌寒くなってきたある日の朝。

Cさんはいつも通り、資源ゴミの日に白ワインの瓶をゴミ集積所に捨てた。

自宅に戻ると、急いで二階に駆け上がり、ゴミ集積所が見える寝室に向かう。

「…」

しばらくするとビニール袋を手にしたAさんがゴミ集積所に現れた。

ゴミ集積所の両開きのドアを開け、中に入る。

そして、資源ゴミでパンパンになったビニール袋を手に、自宅へ戻って行った。

CさんはAさんがいつも通りに行動したこと確認し、そのまま眠りについた。

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資源ゴミ収集当日(水曜)

Aの子育てブログ

『昨日から、Aくんは勉強合宿!

 お母さんはAくんを応援してます!

 ファイト!Aくん!』

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資源ゴミ収集翌日(木曜)

Aの子育てブログ

『今日もAくん頑張ってるかなぁ?

 ファイト!Aくん!』

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資源ゴミ収集翌々日(金曜)

Aの子育てブログは更新されなかった。

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「お電話ありがとうございます。●●サービスです」

「すみません。出先で鍵を無くしてしまい、自宅に入れなくて」

「ご自宅の鍵開けのご依頼でよろしいでしょうか」

「はい。お願いします」

「ご依頼から当社スタッフの現地到着まで、状況にもよりますが十五分から三十分程度。そこからお見積りをして、ご承諾いただければ施工となります。施工は鍵の種類によりますが十五分から三十分程度かかります。よろしいでしょうか」

「はい。問題ありません」

「では、お名前とご住所、電話番号をお願いいたします」

「Cです。住所はXXXXX、電話番号はxxxxxです」

「C様。ありがとうございます。ご住所はXXXXX、電話番号はxxxxxでよろしいですね」

「はい」

「ご確認ありがとうござます。それではこれより当社のスタッフが向かいますので、しばらくお待ちください」

「よろしくお願いします」

オペレーターは電話を切ると、依頼主の住所に最も近いスタッフに連絡を入れる。

「お疲れ様です。ご自宅の鍵明けのご対応をお願いいたします。詳細はメールしましたのでご確認願います」

「承知いたしました」

鍵開けスタッフはメールを確認すると、現地に向かった。

「…」

十分後。

真っ白な外壁に木調のベランダと玄関。

人工芝のある縁側付きの広い庭。

全く同じ造りの戸建てが並ぶ突き当り、こちらに向かって手を振る女性の前でバイクは停車した。

「Cさんでよろしいでしょうか」

「はい」

鍵開けスタッフは依頼主の自宅表札と名前が一致していることを確認する。

「お手数ですが運転免許証をご提示いただけますでしょうか」

「はい」

女性はバッグから財布を取り出すと、運転免許証を手渡す。

鍵開けスタッフは運転免許証を確認する。

運転免許証の写真と依頼主の顔、一致。

運転免許証の記載住所と依頼主の住所、一致。

「ご提示ありがとうございます。では、査定に取り掛からせていただきます」

鍵開けスタッフは運転免許証を女性に返却すると、玄関ドアのカギを確認し始めた。

「これでしたら、税込み一万円となりますがいかがいたしましょうか」

「問題ありません。よろしくお願いいたします」

「割引クーポンはありますでしょうか」

女性はホームページに掲載されていた割引クーポンを提示した。

「ご提示ありがとうございます。施工料金一割引きとなりますので、九千円となります」

女性は一万円を手渡した。

「こちら、お釣りの千円となります。では、施工着手いたしますので、しばらくお待ちください」

「はい。よろしくお願いします」

「…」

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「本当にありがとうございました」

Cさんは深々と頭を下げた。

「いえいえ、お役に立てて幸いです。こちら、次回割引クーポンとなります」

鍵開けスタッフは名刺と割引クーポンをCさんに手渡すと、バイクにまたがり、来た道を戻っていった。

その後ろ姿を見続けるCさん。

バイクは曲がり、Cさんの視界から消えた。

CさんはAさん宅の表札に引っかけるかたちで被せておいたCさん宅の偽表札を外した。

同様に、Cさん宅の表札に引っかけるかたちで被せておいたAさん宅の偽表札も外した。

外した偽表札を手に一旦、自宅に戻ると、携帯電話を取り出した。

「もしもし。これから室内確認するから準備しておいて」

「了解…。というか、どうやって鍵手に入れたの?」

「秘密」

「そうですか…。じゃあ、連絡待ってます」

Cさんは用意しておいたリュックを背負い、再び、Aさん宅に向かう。

【ピンポーン、ピンポーン、ピピピンポーン、ピピンポーン】

「…」

念の為、インターホンを鳴らしてみたが、返事はない。

【ガチャリ】

「お邪魔します」

【バタンッ】

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Aさん宅に入ると、Cさんは真っ先に階段を上がり、ニ階へ向かう。

寝室のドアは閉まっていたが、手前にある子供部屋のドアが少し開いている。

Cさんは足音を立てないよう、子供部屋に近づき、ドアノブに手をかけ、ゆっくりと開ける。

「…」

部屋の中には誰もいない。

整理整頓が行き届き、ゴミ一つ無い綺麗な部屋。

ドアを開けた正面にはシングルサイズのベッド、右側に勉強机と本棚が置かれている。

本棚には参考書や難しそうな本が並ぶ。

子供部屋というより、大人の書斎という表現の方がしっくりくる。

「そういえば、子供部屋なのに、おもちゃとかゲームが見当たらないような…まぁどうでもいいか」

Cさんは部屋を出ると、寝室へ向かった。

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寝室のドアを開けると、以前と違い、強烈な悪臭が鼻をつく。

Cさんは左手で鼻と口を押える。

相変わらず、床はゴミ袋だらけ。

冷房が付けっぱなしの、冷え切った室内。

昼間ではあるが、カーテンは閉まっており、薄暗い。

テーブルに置かれた照明と、ベッドのヘッドボードライトがオレンジ色に周囲を照らしている。

そして、ベッドの上には横たわる人影。

Cさんは寝室の照明スイッチを押した。

露わになる室内の状況。

ベッドの上には大量の空き瓶。

Cさんが今週捨てた白ワインの空き瓶だ。

A4のノートも置かれており、Aさんが晩酌をしていたのは明らかだった。

「うっ…」

ベッドの上、白いネグリジェ姿の女性が横たわっている。

「Aさん?」

呼びかけるも反応は無い。

満面の笑みは浮かべていない。

白目をむき、苦悶の表情を浮かべ、息絶えている。

白いネグリジェの下部とベッドは糞尿で焦げ茶色に染まっていた。

お香が焚かれていた痕跡も残っていたが、既に火は消えており、吐瀉物と糞尿、それに資源ゴミの混ざりあった悪臭が充満していた。

Cさんは笑いが止まらなかった。

資源ゴミの日、Cさんは白ワインの空き瓶全てに、毒物を入れた。

そうすれば、Aさんが晩酌で確実に口にすると踏んだからだ。

残すは後片付けだ。

Cさんは携帯を取り出すと、リダイヤルした。

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Cさんはベッドに横たわる女性に近づくと、ウィッグを外し、テーブルの上に投げた。

次に首元にあるラバーマスクの端を両手で掴むと、ゆっくりと引き上げる。

苦悶の表情を浮かべ、所々に肌色の肉片が残る赤黒い顔。

白いネグリジェ姿も相まって、より異様さが際立つ。

「うわー、ゾンビみたい。あー気持ち悪い。あー不愉快。こっち見ないでくれる」

Cさんは足元のゴミ袋を拾い上げると、女性の頭から被せて、首元で縛り上げた。

「あー笑える。まさか自分がゴミになるとは思わなかったでしょ?」

リュックからウェットティッシュを取り出すと、ラバーマスクの表面に付着した吐瀉物と血を拭き取る。

内側も全体的に血が付着していたが、裏も表も思いのほか、汚れは綺麗に拭き取れた。

ラバーマスクに鼻を近付ける。

「くさい…」

Cさんはラバーマスクを手に、一階の浴室に向かった。

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「浴室もこんなに綺麗。ほんとむかつく…」

水垢一つない綺麗な浴室。

見たことのない、高級感漂うシャンプーやトリートメントが並ぶ。

Cさんはボディーソープと書かれたボトルのポンプを押す。

良い匂いが広がる。

ポンプを何度も押し、泡だらけになったラバーマスクを優しく手洗いし、シャワーで流した。

再度、ラバーマスクに鼻を近づける。

「うん。合格」

満足したCさんは、再び寝室に向かい、後片付けを始めた。

住民毎に分別された全てのゴミ袋から中身を出し、資源ゴミの種類毎に再分別する。

【ピンポーン】

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Cさんはゆっくりと玄関ドアのドアスコープを覗く。

ゴミ収集業者の男性が見えた。

【ガチャリ】

「こんにちは」

玄関ドアを開け、満面の笑みを浮かべるCさん。

「え?!あ、あの?どなたですか?」

困惑の表情を浮かべる男性。

【バタンッ】

玄関ドアを閉めると、おもむろにCさんはウィッグとラバーマスクを脱いだ。

「どう?びっくりした?」

無邪気に笑うCさん。

「死ぬかと思ったよ…」

「ごめんごめん。二階で資源ゴミまとめてるから、終わったのから順番に軽トラックに積んで」

「あ、うん。あのさ…」

男性は渋い顔をした。

「死体があるんだよね?」

「うん」

「出来ればあまり見たくないんだけど…」

「一番最後は見ることになるけど…とりあえず、まとめ終わった資源ゴミは二階の廊下に置いてくから、寝室には入らなくて良いよ」

男性は少しだけ安堵した。

「あと、頼んでたアレ持ってきてくれた?」

「あ、うん。軽トラックに積んできたよ。ゴミ収集車用の消臭剤。水で薄めるタイプ」

「生ゴミとは比べ物にならない悪臭だから、薄めないでそのまま撒こう」

「…うん」

以前会った時とはまるで別人のように生き生きとしたCさんを見て、男性は安心したが、少し怖くなった。

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「これで最後かな?」

「うん。ありがとう。そしたら、資源ゴミはゴミ処理場に運んで」

「了解。その後は軽トラックじゃなくて徒歩でまたここに来れば良いんだよね?」

「うん。次はAさんの軽トラックで移動するから」

「ゴミ処理場から自転車で自宅に帰って着替えて、それから電車乗って、駅から歩きだから、ここに戻ってくるのは二時間後くらいになりそうだよ。あと、軽トラックの鍵はあったの?」

Cさんはポケットからキーケースを取り出すと男性に見せた。

「テーブルの上に置いてあったよ」

「問題無さそうだね。じゃあ、また後で。何かあったら連絡してね」

「うん。よろしくね」

男性を見送り、Cさんは再び寝室に向かった。

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資源ゴミが無くなったAさんの寝室はとても広々としていた。

Cさんはテーブルに備え付けられた小さな椅子に腰かけ、室内を見渡す。

ベッドの上には、頭からゴミ袋をかけられた人間だったものが横たわっている。

テーブルの上にはA4ノートが数十冊。

これも資源ゴミとして処理するか悩んだが、万が一、Aさんの資源ゴミ回収癖が第三者にバレてしまうと、そこからCさんまで辿り着く人が現れるかも知れないと危惧し、自分で燃やしてしまうのが一番安心と考えた。

Cさんは一冊一冊、手に取り、紙袋に詰め込んでいく。

「あれ?これは?」

表紙に数字だけ書かれたA4ノートが何冊か混ざっていた。

パラパラとめくると、中身はAさんの日記のようだった。

「長距離ドライブになりそうだし、これは良い時間潰しになりそう」

Cさんは笑みを浮かべると、Aさんの日記を全てリュックに入れた。

「後は…」

優先順位は低く、見つからなくてもたいした問題では無かったが、Aさんの携帯電話が見つからない。

一階も二階も一通り探したが、見つからない。

資源ゴミの袋に紛れているのではないかとも思ったが、再分別した際も見つからなかった。

小さな椅子に座り、再び周囲を見渡すCさん。

「あれ?」

Cさんは違和感に気が付いた。

室内で窓に面しているのは寝室の入り口から見て正面と右側の二か所で、カーテンは閉じたまま。

しかし、Cさんが座っている椅子の背後、入り口から見て左側は窓に面していないのに、カーテンがあった。

Cさんは椅子から立ち上がるとゆっくりとカーテンを開いた。

やはり、そこに窓は無かった。

間仕切りとしてたまに見かける、折り畳み式のパネルドアがカーテンの裏に隠れていた。

「鍵?」

Cさんはドアを開けようとしたが鍵がかかっていた。

キーケースにパネルドアの鍵が無いか、一本一本、鍵穴に差し込んでみる。

【カチャリ】

開いた。

Cさんは横幅二メートル程のパネルドアを右から左へゆっくりと開いた。

「なぁんだ」

予想はしていたが、パネルドアの奥はウォークインクローゼットだった。

とても広く、Aさんの私服と思われる衣類が大量にハンガーにかけられている。

「うわ、ブランド物ばっかり!」

Cさんはハンガーを右から左にスライドさせ、物色した。

「Aさんもう着れないよね?」

「「うん、死んでるから」」

「もらって良いかな?」

「「どうぞ。Cさんならきっと似合うよ」」

「ありがとう!」

CさんはAさんの声を真似て一人二役で会話すると、気に入った衣類はハンガーごと、テーブルの上に置いていった。

「え?」

ウォークインクローゼットの左奥、ここにあるべきではないものがCさんの視界に入った。

「なんでここに?」

衣類の奥のスペースに設置されていたのは、冷蔵庫だった。

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電源は入っているようで、耳をすますと機械音がする。

色はシルバー、横幅一メートル、高さ二メートル程度。

業務用冷蔵庫だろうか、左から手前に向かって開く一枚扉のタイプで、細長いドアハンドルが一つ。

冷蔵庫の正面にはAさんの家族写真がマグネットで無数に貼られている。

Cさんは開けてみたい好奇心にかられ、ドアハンドルに手を伸ばす。

「あれ?」

鍵が掛かっており、ドアハンドルはびくともしない。

Cさんはキーケースを取り出すと、ドアハンドルの鍵穴に一つ一つ近づけてみるが、どれもサイズが違う。

「もう少し、小さい鍵みたいだけど、無いなぁ…」

【ピンポーン】

インターホンの音が聞こえた。

携帯電話を開き、時間を確認する。

「あ、もうこんな時間か」

Cさんは後ろ髪を引かれる思いで、ウォークインクローゼットから出ると、鍵をかけ、カーテンを閉めた。

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寝室の床に毛布を広げ、頭からゴミ袋を被せられた女性の遺体を置き、端から転がして包み込んだ。

その上から荷造りロープでしっかりと結び、Cさんは男性と二人ががかりで寝室から運び出す。

二人がかりでも持ち上げながら階段を下りるのは困難だった為、二階から突き落とすことにした。

【グキリッ】

何かが折れる鈍い音がした。

毛布に包まれている状態でも一目瞭然だった。

中身の首がへし折れたようだ。

「これ、もう中身は見ないよね?」

「うん」

男性が脚側、Cさんが頭側を再び持ち上げる。

「あ、手が滑った」

Cさんが笑顔で両手を離すと、毛布が勢いよく廊下に落ちた。

【ボキッ】

また何処か折れたようだ。

「ごめんごめん」

笑いながらCさんは謝罪する。

「絶対、わざとでしょ?」

Cさんは満面の笑みを浮かべている。

そんな調子でリビングまで運び出すと、カーテンと掃き出し窓を開け、毛布を縁側に置いた。

男性はCさんからキーケースを受け取ると、玄関を出て、Aさん宅の駐車スペースに停められた軽トラックへ向かう。

運転席のドアを開け、エンジンをかけ、縁側の目の前までバックした。

男性はトラックの荷台に毛布の頭側を立てかけ、軽トラックの荷台に上がると、一気に引っ張り上げた。

その後、A4ノートが詰め込まれた紙袋、物色した衣類、寝室内の汚れた枕やシーツをまとめて積み込むと、最後に荷台が見えなくなるよう幌を被せた。

Cさんはリビングに戻ると、ラバーマスクとウィッグを被り、Aさんに。

そのまま玄関を出て鍵をかけ、軽トラックの助手席に乗り込んだ。

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「目的地は?」

「●●県。祖父母が住んでた家の裏に山林があるから、そこで穴掘って燃やして埋めよう」

「大丈夫なの?見つからない?」

Cさんが心配そうな顔をする。

「うん。普段は誰も入れないようになってるし、所有権も親族が持ってるから、他人が足を踏み入れることはまずないよ」

「それなら、良いんだけど…」

Cさんは不安に思いつつも、廃棄先は男性に委ねた。

「長距離運転になるけど、よろしくね」

ここから●●県まで下道で半日以上。

「うん…」

Cさんと男性のドライブデート?が始まった。

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【~♪~~♪~~~♪】

カーオーディオから流れる懐かしいメロディ。

車内での会話はほとんど無かった。

男性の隣にはすやすやと眠るAさん、に変装したCさん。

朝からの重労働でよほど疲れが溜まっていたのか、出発してからすぐに寝てしまった。

男性は無言のまま、ハンドルを握り続けて数時間経った。

「あ、ごめん眠ってた…。今どの辺り?」

「あ、おはよう。▲▲県に入ったとこだよ」

「まだまだ掛かるね~」

Cさんは足元のリュックからA4ノートを取り出した。

「何それ?」

「Aさんの日記みたい。後でこれも一緒に燃やすけど、暇つぶしに読もうかと思って」

暇なら会話してくれても良いのに、と男性は思ったが、心の中に留め、再び運転に集中する。

CさんはAさんの日記を読み始めた。

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非常に達筆で綺麗な字が、びっしりとA4ノート内を埋め尽くしていた。

内容はAさんが引っ越して来てからの日常、ご近所付き合いや、Aくんのことがメインだ。

ほとんどが一行日記で終わっているが、日によっては丸々一ページ近く書き綴っている日もある。

Cさんは日記の日付を確認しつつ、飛ばし飛ばし読み進めた。

何冊目かで、Cさんが確認したかった日の日記を見つけた。

「私が逮捕された日…」

「ん?」

先程までとは違い、真剣な眼差しで食い入るように日記を読むCさんを横目に、男性はハンドルを握り続ける。

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●月●日(水)晴れ。今日は資源ゴミの日。

いつものように資源ゴミを回収し、中身を確

認していると、Bさんの雑紙をまとめた、紙

袋から、何故か、Aくんのテストの答案用紙

が出てきた。

勿論、全て百点だと思っていたのに、百点以

外のテストが何枚も出てきた。私の育て方が

間違っていたのだろうか。いやそんな事は無

い。きっといつもBくんとゲームなんかで遊

んでいるから、Bくんの出来損ないが移った

に違いない。Aくんを怒ることは私には出来

ない。出来ない。出来ない。出来ない。

Aくんの代わりにBくんを怒ることにした。

Bくんには新しいゲームがあるんだけど、見

に来ないかと誘ったら、すぐについてきた。

本当に馬鹿な子供だ。何故、Aくんのテスト

がBくんの家のゴミに入っていたのか尋ねた

ら、Aくんに「お母さんに怒られるから、B

くんちに隠しておいて」と頼まれたそうだ。

Aくんがそんな事を言うはずがない。きっと

Bくんが嘘をついているに違いないと思い、

二度とBくんが嘘をつかないよう、きつく脅

かすことにした。人様の家の子供に躾をする

のはおかしいので、BくんをAくんという事

にして、脅かすことにした。

脱皮させると刃物を見せて驚かしていると、

お隣のCさんに見られてしまった。

きっと私がBくんを虐待していると勘違いし

てしまったに違いない。Cさんはよほど驚い

たのか、ベランダから物干し竿を落としてし

まった。私はCさんを驚かしてしまい、誤解

を解こうとCさん宅に伺ったが、玄関は開い

ているのにCさんは出てきてくれなかったの

で、仕方なく帰ることにした。そういえば、

物干し竿を返し忘れたので、下から投げ入れ

た。Cさん、驚かしてしまってごめんなさい

ね。その後、Cさんがやっと顔を出してくれ

たので、私は怒っていないことを伝えようと

精一杯の笑顔で伝えたけど、伝わったかな。

そしたら二階からAく●●●●●●●●●●

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●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

本当にごめんなさい。本当にごめんなさい。

本当にごめんなさい。本当にごめんなさい。

本当にごめんなさい。本当にごめんなさい。

本当にごめんなさい。本当にごめんなさい。

本当にごめんなさい。本当にごめんなさい。

本当にごめんなさい。本当にごめんなさい。

本当にごめんなさい。本当にごめんなさい。

本当にごめんなさい。本当にごめんなさい。

本当にごめんなさい。本当にごめんなさい。

本当にごめんなさい。本当にごめんなさい。

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鉛筆で書かれた日記の途中、消しゴムで消された痕跡があり、その上からボールペンで真っ黒に塗りつぶされていた。

このA4ノートの日記はここで終わっており、次のA4ノートが最後のようだ。

Cさんは読み疲れたのか、もうひと眠りすることにした。

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静まり返る車内。

Cさんが目を開く。

助手席から見える外の風景は真っ暗闇の中、ぽつりぽつりと電灯が見えるが、いずれも動いておらず、停車しているようだ。

「今どこ?」

Cさんは運転席を見た。

「…?!ひっ!」

Cさんは悲鳴を上げた。

運転席に男性の姿は無かった。

軽トラックの荷台に乗せていたはずの、毛布が座り、シートベルトをしていた。

「ちょっと、いいかげんにしてよ!!」

悪ふざけにも程がある。

運転席の窓から、少し遠くに明るい光。

コンビニが見えた。

きっと男性はコンビニでトイレ休憩でもしているに違いない。

そう思ったCさんは助手席のドアを開け、明かりの元へと向かって行った。

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「~♪~♪~♪」

自動ドアが開くと同時に、聞き覚えのある入店音がした。

「んんっんんんん~」

「?!」

Cさんは悲鳴を上げそうになったが咄嗟に口を手で塞ぐ。

明るい店内には商品が所狭しと陳列されており、何の変哲もないコンビニそのものだ。

店内にいる人を除いて。

レジに立つ店員、服装はコンビニ店員そのものだが、首から上が異様だった。

頭からレジ袋を被っており、首元で縛られている。

レジ袋の中は真っ赤に染まっており、表情は全く見えない。

呼吸はしているようで、口元は凹んだり膨らんだりを繰り返している。

先程もおそらく「いらっしゃいませ~」と言っていたんだろう。

異様なのは店員だけではなかった。

入り口から左手に見える雑誌コーナーでは、レジ袋を頭から被った客が、雑誌を立ち読みしている。

店員と同様にレジ袋の中は真っ赤に染まっているので、雑誌は読めていないはずだ。

Cさんはそのまま後ろ歩きでコンビニから出ることにした。

「え?」

背後に固いものが当たり、振り返ると入り口の自動ドアだった。

自動ドアが反応せず、全く開こうとしない。

Cさんは自動ドアの僅かな隙間に指を入れ、力任せに開こうとするが、自動ドアは微動だにしない。

「んんんんん、んんんんんんんんんん?」

レジに立つ店員が何か話しかけてきたようだが、レジ袋越しでは何を言っているのか分からなかった。

Cさんは仕方なく、他の出口がないか、人目につかないよう、店内を歩き始めた。

「んんっんんんん~」

店内にはもう一人の店員がおり、しゃがみこみながら、商品を陳列していた。

もちろん、レジ袋を頭から被っている。

見えていないはずなのに、手にした商品を綺麗に陳列している。

Cさんは店員の背後をゆっくりと進み突き当りへ。

<STAFF ONLY>と書かれた開き戸の前に立ち、開き戸を押した。

「こっちも…」

開き戸は微動だにせず、開くことは無かった。

その時、近くから水が流れる音。

<ご自由にお使いください>と書かれた開き戸、お手洗いだ。

コンビニのトイレは防犯上の理由で窓が無く、外に出ることは不可能と知っていた為、見て見ぬふりをしていたが、もしかしたらと思い、中を確認することにした。

お手洗いの開き戸が開くと、そこには先ほどまで運転席にいた男性がいた。

頭にはレジ袋を被っていない。

「Cさん?何やってるの?」

男性が不思議そうな顔でCさんを見つめる。

「ん?」

Cさんはお手洗いの入り口に備え付けられた手洗い場の鏡を見た。

「ん!?」

レジ袋を頭から被ったCさんの姿が鏡に映った。

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Cさんはレジ袋を取ろうと必死にもがくが、全く取れない。

爪を立てて破ろうにも破れない。

ただ、これまで見てきたものと違い、Cさんの被るレジ袋の内側は無色透明。

真っ赤では無かった。

「んんんん~!」

必死に助けを求めるも、男性はきょとんとした顔でCさんを見つめ、首をかしげる。

「~♪~♪~♪」

「いらっしゃいませ~」

レジの方から、入店音とともに、店員の声。

少しずつ、少しずつ、何かが近づいてくる気配を感じた。

「ん!?」

お手洗いから見て正面の通路、陳列棚を曲がってきたのは、白いネグリジェ姿の女性、だろうか。

白いネグリジェは汚れ一つなく、二本のすらりとした脚が伸びる。

靴は履いておらず、裸足。

両腕はだらりと下に向かって伸びており、歩みを進めるたび、ぶらんぶらんと同時に前後する。

顔は、曲がってくる際に一瞬だけちらりと見えた。

首が真後ろに折れ曲がっており、頭部はだらりと背中側に垂れていた。

正面から見ると、首無しだ。

「んっ!?」

声が出ない。

身体も動かない。

白いネグリジェ姿のナニカはゆっくりとCさんに近づく。

あと十歩、九歩、八歩、七歩、六歩、五歩、四歩、三歩、二歩、一歩、…。

Cさんの目の前に白いネグリジェ姿のナニカがたどり着くと、ゆっくりと後ろを向いた。

Cさんの目線より少し下、白いネグリジェの背中上部には真後ろに折れ曲がった人の頭が見えた。

Cさんの見覚えある人物だが、はっきりとは思い出せない。

「どうして、どうして、わたしなの?」

白いネグリジェ姿のナニカはだらりと下に伸びていた両腕を高く上げた。

「どうして、どうして、わたしなの?」

次の瞬間、振り下ろされた両腕がCさんの頭部に叩きつけられた。

膝から崩れ落ちるCさん。

「どうして、どうして、わたしなの?」

白いネグリジェ姿のナニカは何度も何度も両腕をCさんの頭部に叩きつける。

「…」

「…」

「…」

Cさんの頭部は叩き潰され、頭から被せられたレジ袋の中身は真っ赤な鮮血と肉片まみれとなった。

床にだらりと伸びた両腕、両足はピクリピクリと痙攣し、しばらく動き続けていた。

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「うわっ!」

「えっ?!どうしたの?」

突然の助手席からの大声。

真っすぐな通りを運転していた男性は驚いてハンドルを少し切ってしまい、ガードレールにぶつかりそうになった。

「危なかった~」

男性は安堵し、再び運転に集中する。

「ごめん。変な夢見てたみたい」

「変な夢?」

「あ、うん。もう大丈夫」

Cさんも安堵した。

「そろそろ、小腹空かない?そこのコンビニでお弁当でも買おうか?」

男性は次の信号の先に見えるコンビニを指さす。

「あ…。車で待ってるから、買ってきてくれる?肉って気分じゃないから、お茶とおにぎりお願い」

Cさんは財布から千円札を取り出し、男性に渡そうとしたが、受け取ってもらえなかった。

「いいよいいよ。俺が出すから。あと、さっきからちょっとお腹痛いから、少し待たせちゃうかも」

「あ…。うん。大丈夫だよ。ごゆっくり」

男性は軽トラックをコンビニの駐車場に止めると、車を降りてコンビニへと入っていった。

Cさんは待っている間、Aさんの最後の日記を読むことにした。

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●月●日(木)晴れ。Aくんが合宿で不在中

の為、丁度良い機会だと思い、Bくんが余計

なことを話していないか確認する為、お向か

いのBさんを家に招いた。リビングで軽く飲

みながらBくんのことを聞いてみると、「い

つもBがお世話なってます。この前もケーキ

をご馳走になったり、新しいゲームで遊ばせ

てもらったみたいで、とても喜んでて」と、

申し訳なさそうに話すBさんを見て、Bくん

もきちんとやれば出来る子だと感心した。

私はBくんを疑ってしまった自分自身が許せ

なくなり、謝罪の意を込めて、Bさんを晩酌

に誘ってみた。Bさんはとても喜び、一緒に

寝室で晩酌をしてくれた。初めは戸惑ってい

たようだけど、徐々に私を理解してくれたよ

うで、嬉しかった。ただ、リビングで飲み過

ぎていたのか、途中、私のベッドの上で嘔吐

されたのには驚いたが、私がBくんにした事

に比べれば、大したことではないので、服を

汚してしまったBさんにネグリジェを貸して

あげた。その少し後だった。Bさんが晩酌で

Cさんの白ワインの何本目かを口にした時、

突然苦しそうに悶えたかと思うと、ベッドに

寝転がり、口から吐血し、ごぼごぼと泡を吐

いて動かなくなった。目の前で人が死ぬの見

るのは、あの治験に参加した時以来だ。私は

Cさんの白ワインの瓶の中の臭いを嗅いだ。

白ワインの香りに混じり、何か別の臭いがし

た。おそらく毒だろう。Cさんは私との晩酌

を嫌がっていたし、途中で逃げ出した。きっ

と、私を殺すつもりだったのだろう。Cさん

ありがとう。本当にありがとう。やっと、こ

の生活から解放されるきっかけを作ってくれ

てありがとう。私はBさんの顔と頭の皮を全

て剥ぎ、タオルで止血した後、私のマスクを

被せました。明日から、新しい人生を始めら

れる。本当にありがとうCさん。Cさん大好

き。ありがとう。ありがとう。ありがとう。

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●月●日(金)曇り。Cさん、この日記読ん

でくれるかな?きっと、白ワインの空き瓶と

私の死体、じゃなくて、私は助かったから、

Bさんの死体を処理しに来ると信じます。後

片付けはよろしくお願いしました。本当にあ

りがとう。短い間でしたが、お世話になりま

した。二度と会うことはありませんが、Cさ

んの事は忘れません。本当にありがとう。

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「え?」

これが日記の最終ページ。

次のページ以降は真っ白。

Cさんの頭の中も真っ白。

「え?冗談でしょ?」

【コンコン】

Cさんが混乱していると、助手席のドアが叩かれた。

外を見ると、買い出しに行っていた男性がビニール袋を片手に立っていた。

「どうしたの?」

助手席の窓を開け、話しかける。

「あのさ、これ聞こえる?」

「車のエンジン音しか聞こえないけど?」

Cさんは首をかしげた。

男性は運転席に戻り、軽トラックのエンジンを切ると、Cさんに車から降りるよう促す。

「これなら聞こえるでしょ?」

Cさんは耳を澄ました。

【~♪~~♪~~~♪】

軽快な音楽、携帯電話の着信音のようだ。

「何処で鳴ってるの?」

Cさんが尋ねると、男性は無言で指さした。

軽トラックの荷台を。

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荷台の幌を上げ、音の発生元を確認した。

「嘘…でしょ?」

着信音は毛布の中から聞こえた。

「ちょっと待って。毛布に包む前に確認したけど、携帯電話は身に着けて無かったよね」

「うん…。あ、もしかして」

「もしかして?」

男性は言いにくそうにCさんを見つめる。

「何?」

「身に着けてたんじゃなくて、体内に入ってたんじゃないの?」

「…」

「…」

「…」

「あ、それってまずいんじゃない?」

「え?」

「携帯のGPS機能で、最後に何処で電話したとか、何処の電波を受信してたとかで、バレちゃうんじゃ…」

「確かに…」

目的地へ辿り着く前に、体内から携帯電話を取り出し、壊すか電源を切る必要が出てきた。

Cさんと男性の間、非常に重たい空気が流れる。

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「ここはどう?」

軽トラックの社内、運転席と助手席の間に広げた地図を男性が指さす。

「ここのキャンプ場、素泊まりOKで、コテージの真横に車を停められるから、軽トラックから毛布を下ろして、コテージ内で作業出来そうだよ」

Cさんは無言で頷く。

意気消沈しているようで、先程からずっと心ここにあらずといった感じだ。

男性はエンジンをかけると、コンビニの駐車場を後にした。

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数時間後。

キャンプ場に到着した。

男性が受付を済まし、コテージの鍵を受け取る。

受付からコテージまでは車で数分だった。

周囲のコテージは電気が付いているが、冬場という事もあり、バーベキューをするような家族もおらず、誰も外にいない。

Cさんと男性にとっては好都合な状況だ。

「大丈夫?」

具合が悪そうなCさんを見て、男性は心配し続けていた。

「うん。ただの車酔いかも。少し休めばたぶん治るよ」

そんな状態のCさんに毛布を運ぶのを手伝わせるのは酷ではあったが、仕方がなかった。

なんとか、二人がかりで誰にも見つからず、コテージ内に毛布を運び込むことができた。

「あとは俺がやっておくから、Cさんは寝てていいよ」

「え?大丈夫?」

「うん。任せて」

「ありがとう。じゃあ、先に寝るね」

Cさんはコテージの入り口正面にある二段ベッドの下段に寝転がり、頭まで布団をかけた。

「…」

「よし、やるか…」

【~♪~~♪~~~♪】

鳴り続ける着信音が鳴りやんだのは、それから三十分後だった。

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コテージ内に差し込む眩しい朝日。

Cさんは目を覚ますと、コテージの入り口付近に置かれたテーブルの上に目をやる。

携帯電話が置かれていた。

Cさんは携帯電話を手に取ると、中身を確認する。

待ち受け画像がAくんの満面の笑み。

Aさんの携帯電話で間違いないようだ。

左上には飛行機マーク。

機内モードになっている。

「携帯電話、大丈夫だったよ」

テーブルの傍らに置かれたソファに横になりながら、男性が声をかけた。

「ありがとう」

「お臍の下あたりに真一文字の切り傷があったから、そこから手を入れて開いてみたらビニール袋に入った携帯が出てきてさ」

「…」

「携帯電話、取り出した時点で既に機内モードだったよ。ずっと鳴ってたのは、着信音じゃなくて、アラーム」

既に毛布は昨夜の状態に戻っていたが、男性の話した内容を想像したCさんは気分が悪くなり、そのままお手洗いへ。

「ぅぉぇ…」

嘔吐した音は、お手洗いの外にいる男性にも僅かに聞こえた。

「…」

Cさんと男性は毛布を軽トラックに積みなおし、コテージ内にゴミ収集車用の消臭剤をまくと、キャンプ場を後にした。

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長閑な風景。

一台の軽トラックがガタガタと揺れながら田舎道を走る。

「もう着くよ。ほら、あそこ」

指差した先には木造の母屋と平屋がL字型に繋がった立派な日本家屋があった。

男性は庭先に軽トラックを停めると、財布から鍵を取り出し、母屋の玄関引き戸を開けた。

【ガラガラ】

「今は誰も住んでないけど、水も電気も通ってるから、好きに使って寛いでてね」

「うん。ありがとう」

定期的に掃除しに来ているそうで、屋内は綺麗に片付いているが、家屋が古いから、少しカビ臭い。

子供の頃に祖父母の家で嗅いだことのある、懐かしい感じがした。

「裏に見える山林、手前は鉄のフェンスで囲ってあって、車がギリギリ出入りできる入り口は鍵とチェーンがかけてあるんだ」

男性はそう言うと、鍵を取りに母屋の二階へ上がっていった。

Cさんはその間、母屋の中を散策した。

木の囲炉裏がある部屋、仏壇がある部屋、歴代の家主と思われるモノクロ写真が横並びに飾られた部屋、まさに田舎にある祖父母の家という雰囲気だ。

お手洗い、厠の戸も開けてみる。

「え?」

予想に反して、白く真っ白な陶器製の洋式トイレだった。

「綺麗でしょ?」

突然の背後からの声に驚くCさん。

振り向くと手に鍵を持った笑顔の男性がいた。

「昔は汲み取り式のボットン便所だったんだけど、流石にね…。何年か前にリフォームしたんだ」

「そうなんだ」

Cさんは少し安堵した。

「お手洗い借ります」

「どうぞ。スコップとか灯油とか用意して軽トラックに積んでるね」

男性はそう言って母屋を後にした。

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山林へと続く砂利道。

幸いにも天気が良かったので、木々の間から光が差す。

男性は砂利道の突き当り、フェンスの手前で軽トラックを停めた。

「ちょっと待っててね」

男性は車を降りると、フェンスに巻き付けられたチェーンと鍵を慣れた手つきで外すと、軽トラックの荷台に投げ込む。

「よし、行こう」

Cさんと男性は山林の中へ入って行った。

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木々が生い茂り、これ以上は車で進めないところまで来ると、軽トラックは停車した。

「この辺りで良いかな」

「うん」

「これ使って」

男性から手渡されたビニール袋にはタオル、長靴、レインコート、手袋が入っていた。

「汚れないようにね。あと虫が多いからこれも」

虫よけスプレーも手渡された。

「ありがとう」

「それじゃ、着替えたら行こうか」

Cさんと男性は準備を終えると、軽トラックから降りた。

「まずは埋める場所を探して穴を掘ろう」

「うん」

軽トラックの周囲を歩き回り、木々が開けた場所を探す。

「ここはどうかな?」

「良いね。ここにしよう」

男性は小走りで軽トラックに戻ると、荷台から二本のスコップを手に戻ってきた。

「横ニメートル、幅五十センチ、高さ一メートルくらいで掘ろうか」

男性は足元に落ちていた石を四つ、目印代わりに地面に置いた。

「疲れたらすぐに休んでね。軽トラックで待ってても良いけど」

「ううん。大丈夫」

一人きりになるのだけは避けたかったCさんは穴を掘ることを選んだ。

二人は黙々と穴を掘り続けた。

穴を掘る最中、Cさんは気になっていた事を口にした。

「そういえば、この辺り、粗大ごみが沢山捨てられてるみたいだけど、本当に見つからないの?」

Cさんは横目に粗大ゴミの山を見る。

「ん?あぁ、大丈夫だよ。あれ、全部俺が捨てたやつだから」

「そうなの?」

「うん。今、勤めてる会社、民間企業だから、個人からの依頼も請け負ってるんだ」

「へぇ」

「それで、公には捨てられないようなゴミ処理の依頼も結構あってね。そういうのは個人的にここまで運んできて棄ててるんだ。お金も良いしね」

Cさんはそれなら問題ないかと安堵したが、もう一つだけ確認することにした。

「死体も棄てたこと、ある?」

「…」

男性はスコップで穴を掘りながら、しばし口を閉ざした。

何かを考えているようだ。

「たぶん、無い、かな?分からない」

「分からない?」

Cさんは怪訝そうな顔をした。

「うん。鍵のかかったやたらと重いロッカーとか、開かないように溶接された冷蔵庫を棄てたこともあるけど、中身までは確認してないから」

「なるほど…」

「気になるなら確認してみる、あの辺りにあるよ」

男性は木々の合間から見える粗大ゴミの山を指差す。

「遠慮しておくよ」

「だよね」

「…」

「…」

それからしばらくして、二人は穴を掘り終えた。

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二人がかりで軽トラックの荷台から毛布を運び、掘り終えたばかりの穴に中に落とす。

全体に灯油をかけ、火を付けたマッチを穴の中に投げ込んだ。

毛布は瞬く間に炎に包まれた。

男性はその場から離れ、一旦、軽トラックへと戻る。

Cさんはその場で両手を合わせると目を瞑った。

「本当にごめんなさい」

目を開き、穴の中を見ると、既に毛布は焼け落ち、中身が露わになっていた。

人間だったものが、炎に包まれている。

肌の表面は溶け、全身が赤黒く焼けただれている。

肉が焼け焦げる悪臭が鼻をつく。

「…」

「…」

「…」

真っ黒に炭化した身体は触れると粉々に崩れ落ちてしまいそうだった。

Cさんは軽トラックに向かうと、荷台からAさんの寝室から持って来たシーツや汚れた枕を穴の中に入れ、再び灯油を巻いた。

再び勢いよく燃え上がる炎。

最後に、リュックからAさんの日記を取り出すと、燃え盛る炎の中に一冊ずつ投げ込んだ。

気が付くとCさんの隣には男性の姿。

「ねぇ、バツイチでも良ければ…」

「え?」

「結婚しない?」

男性は無言で頷くと、Cさんを抱きしめた。

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Cさんはそれから毎日、新聞記事やニュース番組を確認するのが日課となっていた。

AさんとBさんの事が取り上げられないか、気が気ではなかったからだ。

ただ、日本における行方不明者は毎年何万人もいる。

それを全て取り上げていたら、ニュース番組は行方不明者の話題しかなくなってしまうが、実際そんなことはない。

事件性が無ければ、一般家出人として扱われ、警察が動き出すこともなく、ニュースに取り上げられることもないからだ。

Aさんの寝室はCさんが後片付けし、衣類も持ち去っている為、家出したように見えたのだろう。

軽トラックも、山林の中で解体済み。

誰にも見つかることはない。

Bさんについても、家庭内トラブルで鬱気味だったらしく、「一人になりたい」と愚痴っていたようで、こちらも家出扱いだろう。

結果的にCさんが疑われることはなかったが、Cさんには一生付きまとう悩みの種が植え付けられた。

Aさんの存在だ。

Aさんはまだ何処かで生きている。

Aさんの陰に怯えながら、Cさんは生きていかなければならない。

ただ、今はもう一人じゃない。

隣にはゴミ収集業者だった男性。

仕事を辞め、Cさんの隣で寄り添う農家の夫がいる。

「それじゃ、畑行ってくるね」

「うん。いってらっしゃい!」

Cさんは畑仕事に向かう夫を送り出すと、山林を見つめた。

そこには、美しい風景が広がっていた。

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長閑な風景。

一台の軽トラックがガタガタと揺れながら田舎道を走る。

「あとどれくらいですか?」

助手席の男が欠伸をしながら無精髭の男に尋ねた。

「あと十分くらいかな」

「は~い。あっ…」

助手席の男は座席の下にスマホを落としてしまい、手探りでスマホを探す。

「ん?」

スマホではないものが手に触れた。

助手席の男は手に触れたものを掴み、拾い上げた。

「これ、いつの写真ですか?」

お座敷の宴会場で楽しそうに飲みながら笑う男女が五人写っていた。

無精髭の男が横目で写真を見る。

「十年前くらいかな。懐かしいな」

「へぇ~。この三人はまだ会社にいますよね。でもこっちの二人は見たこと無いっすね…痛ぇ!」

右の脇腹を見ると、無精髭の男からグーパンチ。

「急に何すか?暴力はダメですよ?労基ですよ?」

「一番右は俺の先輩だった人で、その翌年に辞めてるよ。隣にいるのが俺」

「え?」

助手席の男は写真を再確認した。

右から二番目に写っているのは、吸血鬼の如く色白で、か細く折れそうな腕で乾杯している、髭一つ無い容姿端麗な男だった。

再び、運転席に座る男も再確認した。

日焼けして色黒で、腕は筋肉で膨れ上がり、無精髭で中年太りの男だ。

でも、確かに目元と鼻は一致する。

「見る影も無いとは、まさにこういう時に使うんですね。勉強になりま…痛ぇ!」

右の脇腹を見ると、無精髭の男からグーパンチ。

心なしか、いつもよりも脇腹に深くめり込んでいるような気がした。

「ほら、いいから返せって」

無精髭の男は写真を取り上げた。

「目的地はその先輩が住んでる家なんだよ」

「へぇ~。そうなんすか~」

助手席の男はスマホをいじりながら、適当に相槌をした。

「たぶん、あれだな」

木造の立派な日本家屋が見えてきた。

庭先では畑仕事をしていた男性がこちらに気が付いたのか、手を振る。

無精髭の男は庭先に軽トラックを停めた。

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「先輩お久しぶりです」

「ん?誰?初めましてですよね」

「ちょっと、いい加減にして下さいよ」

久々の再会。

昔は先輩が運転席、無精髭の男が助手席に座り、一緒に仕事をしていた。

「見る影も無いとは正にこの事だな。あんなに男前だったのに勿体ない」

先輩は無精髭の男の腹をパンパンと軽く叩いた。

「随分立派になって」

「もう、やめてくださいよ。先輩はあまりお変わりないようで」

「妻に嫌われたくなくてな。太らないように食事制限と筋トレの毎日さ。こんな田舎じゃ、畑仕事以外、やる事も無いからな。それで、助手席の彼は?」

先輩は軽トラックの助手席に座る男を横目で見ながら言った。

「会社に住み込みで働いてる新人バイトです。性格は今どきと言うか、何というか、少し問題ありますが、仕事そのものに対する姿勢と働きっぷりは社内でも評価されてます。近々、正社員登用すると社長が言ってました」

「昔のお前みたいだな」

「一緒にしないで下さいよ」

先輩の表情が急に険しくなった。

「で、この副業の詳細は社長から聞いてると思うけど、他言無用、詮索はしない、良いな?前任者は…」

「はい…。勿論です。あ、これ」

無精髭の男性は茶封筒を先輩に手渡す。

先輩は無言で中身を確認し、頷く。

「預かってきたのは金庫二つで間違いないな?」

「はい。金庫二つです」

「それじゃあ行くか。ちょっと待ってて」

先輩は鍵を取りに日本家屋へ。

無精髭の男は軽トラックの運転席に戻った。

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「はじめまして。あ、私が荷台に乗るんで、どうぞ」

新人バイトは助手席を降りると、荷台に乗り込んだ。

運転席には無精髭の男、助手席には先輩が座り、軽トラックは山林へと続く砂利道を走り出した。

「新人バイト、確かに話し方は難ありだが、雰囲気は良いな。好印象なところは昔のお前に似てるよ」

「そう、ですかね?」

それから無精髭の男と先輩は山林の入り口に辿り着くまでの間、昔話に花を咲かせた。

しばらく走り、砂利道の突き当り、フェンスの手前で軽トラックは停車した。

先輩は助手席から降りると、フェンスに巻き付けられたチェーンと鍵を慣れた手つきで外し、軽トラックの荷台の幌を上げ、新人に手渡した。

先輩が助手席に戻ると、軽トラックは再び走り出す。

しばらく走り、木々が生い茂り、これ以上は車で進めないところまで来ると、軽トラックは再び停車。

無精髭の男が周囲を見渡すと辺り一面、粗大ゴミだらけだった。

先輩と無精髭の男性は軽トラックから降りると、金庫を下ろす為、荷台の幌を上げた。

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【トントントントントントントントン】

台所でリズムよく野菜を切る女性。

【ドンッドンッドンッドンッ】

玄関引き戸を叩く音。

「は~い」

夫が帰って来たのだろう。

女性は小走りで玄関へ向かい引き戸を開ける。

「おかえりなさ…」

玄関前に立っていたのは夫ではなかった。

作業服に身を包み、作業帽を目深に被った男性がいた。

おそらく、夫が話していた前職の同僚だろう。

「あ、はじめましてですね。今日は遠くまでお疲れ様でした」

男性は作業帽を取ると、目の前の女性に会釈した。

女性も会釈し、顔を上げた時だった。

「えっ!?」

見覚えのある表情、忘れもしない顔が目の前にあった。

容姿端麗な男性が満面の笑みを浮かべている。

側頭部への激痛と共に、女性は意識を失った。

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頭が割れるように痛い。

目隠しをされているようで何も見えない。

「ん、ん、ん」

口も縛られているようで声を出すことも出来ない。

椅子に座らされているが、手足がきつく縛られており、身動きも取れない。

「気が付いたかな?」

中性的な若い男性の声がした。

「やっと見つけた。十年ぶりかな?僕のこと覚えてる?」

「…」

「あ、声出せないよね。イエスなら首を縦に、ノーなら首を横に振って。ちゃんと答えてくれたら解放するから」

女性は首を縦に振った。

「覚えてくれていてありがとう。じゃあ、次の質問ね。私の母親は死んだ?」

女性は首を縦に振った。

「そっか、死んだんだ。Cさんが殺したの?」

Cさんは首を横に振った。

「誰が殺したか知ってる?」

Cさんは首を横に振った。

「そっか。知らないんだ」

【カチッカチッ、ウィーーーーーーン】

「これが何の音か分かる?」

Cさんは首を横に振った。

「電動ドリルでした。じゃあ、何に使うか分かる?」

Cさんは首を横に激しく振った。

「分からないの?穴を開けるんよ」

Cさんは首を横に激しく振り続ける。

「僕の母親は脱皮させると良い子になるとか言ってたけど、そんなのは嘘。表面の皮を剥いだところで何も変わらないよ」

Cさんは首を横に激しく振り続ける。

「でもね、脳みそに穴を開けると良い子になるのは本当だよ。ロボトミー手術って知ってる?」

Cさんは首を横に激しく振り続ける。

「知らないの?頭蓋骨に穴を開けて、前頭葉を切除するんだよ。前頭葉は脳みその一部だよ。興味ある?」

Cさんは首を横に激しく振り続ける。

「じゃあ、もう一回、最初からね。僕のこと覚えてる?」

Cさんは首を縦に何度も振った。

「僕の母親は死んでる?」

Cさんは首を横に何度も振った。

「あれ、さっきと答えが違うね。やっぱり生きてるんだ。じゃあ、僕の母親が何処にいるか知ってる?」

Cさんは首を横に何度も振った。

「やっぱり知らないかぁ。うん。ありがとう。それじゃあ最後の質問ね。僕も嘘ついてたんだけど、どれが嘘だったかわかる?」

Cさんは首を横に激しく何度も振った。

「分からないの?正解は全部でした。脱皮させても良い子にならないのは嘘だよ。人間は恐怖を与えられると正直になるからね。今のCさんみたいに」

Cさんは首を横に激しく振り続ける。

「あと、ロボトミー手術で良い子になるのも嘘だよ。あれは廃人になって、おとなしくなるだけ」

Cさんは首を横に激しく振り続ける。

「ごめんね。解放するのも嘘だよ」

Cさんは首を横に激しく振り続ける。

AくんはCさんの目隠しを外した。

Cさんの目の前には所々透明で全体的に真っ赤なレインコートを着たAくん。

満面の笑みを浮かべ、右手に電動ドリルを持っている。

電動ドリルには穴あけ用の二十センチ程の長さのドリル刃が取り付けられている。

Aくんはビニール袋をCさんの頭に被せた。

「それじゃ、旦那さんによろしく」

【ウィーーーーーーン】

Aさんの頭頂部にドリル刃が突き立てられる。

銀色のドリル刃は頭蓋骨、脳内と突き進み、最後は根元まで見えなくなった。

Cさんは全身が痙攣している。

Aくんはビニール袋をめくり、Cさんの口を開き、中を見る。

ドリル刃は口腔内まで達していた。

Aくんは電動ドリルを再び動かし、ドリル刃を徐々に引き抜いていく。

ドリル刃を引き抜き終えると同時に、頭頂部から噴き出す血が飛び散らないよう、素早く新しいビニール袋を被せ、首元で一気に縛る。

しばらくして、Aくんは工具箱の中から銀色のネジ受けを取り出すと、電動ドリルでCさんの頭頂部の穴に埋め込んだ。

再び、工具箱を開き、ネジ式のハンガーの取っ手を取り出すと、Cさんの頭頂部のネジ受けにクルクルと回して取り付けた。

そして、Cさんの腹部を真一文字に切り開き、中からズルズルと引き出した臓物をバケツに入れていく。

「これでだいぶ軽くなったかな?」

AくんはCさんのロープを解くと、室内のカーテンを開いた。

カーテンの奥にはハンガーラックがいくつも並べられている。

Aくんはオムツ姿のCさんを抱きかかえると、空いているハンガーラックにCさんを吊るし、腹部にビニール袋を入れた。

ハンガーラックの下部は受け皿になっており、したたり落ちる血が床を汚さないようになっていた。

「う~ん。何入れにしようかな?」

Aくんは室内を見渡す。

「取り合えず、これでいいか」

AくんはCさんの腹部、ビニール袋の中へ、工具箱に入っていたネジを入れた。

ガムテープに油性マジックで<ネジ>と書くと、Cさんの頭部に貼り付ける。

「はい。出来上がり」

Aくんは時計を確認した。

もうすぐ午後三時。

Aくんはハンガーラックから、目当てのハンガーを見つけると、ハンガーの腹部に手を入れた。

ハンガーには<お菓子>と書かれたガムテープが貼られてる。

「一仕事した後はチョコレートに限るね。うん」

チョコレートを口に頬張り、満面の笑みを浮かべるAくんは、作業場を後にした。

「シャワー浴びてこよ」

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住宅二棟が全焼、住民が行方不明

●●市にてdd日夜、母屋と隣接する平屋が全焼する火事があった。

火事があったのは、●●市に住むご夫婦の住宅で、近隣住民から林が燃えていると消防に通報。

林の近くにあった住宅二棟の火事はおよそ二時間後に消し止められたが、いずれも全焼。住民は不在だった。

全焼した住宅は、ご夫婦の二人暮らしだったが、火事の後、連絡が取れないことから、警察は、何らかの事件に巻き込まれたとみて、捜査している。

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「で?このニュースがどうしたの?さっきから色々見せられてるけど、意味がわからない」

様々なニュース番組のキャプチャー画像を印刷した紙がテーブルの上に並べられている。

「いい?この事件ではここの壁、この事件ではここの床、この事件ではここの窓ガラス、この事件では…」

それぞれの画像に赤丸を付け始めた。

「で、最後に見せたニュース動画は、この軽トラック」

スマホで軽トラックの側面を拡大した。

「うわ、よく見つけたね…。どれも関連性の無い別々の事件かと思ったけど、同一犯の可能性か…」

スマホには拡大表示された文字。

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【ぼくの、おかあさん、どこ?】

Concrete
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長かったけど、凄く怖かったです。Aさんの家族って、ナルシストですか!?もはや、人間じゃありません。モンスターです。

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19年09月怖話アワード受賞作品に選ばれました。
大長編にも関わらず読んで下さった方々、本当にありがとうございました。

また先週、お祝いパーティーを開いて下さった皆々様、
再三ではございますが、ありがとうございました。
まさか、私の怖話アイコンのケーキが出てくるとは思いもしませんでした;;
私からのサプライズで朗読させていただきました新作につきましては、
加筆修正の上、11月上旬に投稿いたしますので、もうしばらくお待ちください。

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すみません。
コメントに誤りがありました。
良質なラインではなく、ワインです。
いやはや、良質なワインと高級なフランス料理、血も滴るステーキのような さとる様の作品に、真昼間から酔わされてしまいましたね。
洒落になりません。
大変申し訳ございませんでした。

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@カイト 様
コメントありがとうございます。
今後もドキドキしていただけるようなお話を投稿できるよう精進いたします。

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ホラー映画を観ているようで、とてもドキドキしました。

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