短編2
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演歌

はじめてN美のアパートへ遊びにいったときのこと。

「あ、また聞こえる」

ビールを飲みながらベッドでイチャイチャしてたら、急に彼女が動きを止めて視線を宙へさまよわせた。

「ほら、聞こえるでしょ?」

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「え、何が?」

ぼくはテーブルの上に置いてあったリモコンを操作して、BGMがわりに流していた衛星放送のライブ映像をオフにした。

するとシンと静まった室内に、かすかだが男の歌うような声が聞こえはじめた。

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「毎晩この時間になると、ああやって鼻歌まじりの演歌が聞こえてくるんだよね」

たしかにそれは、中年男性が口ずさむ演歌のように聞こえなくもなかった。

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「酔っ払いかな?」

「分かんないけど」

ぼくは壁掛け時計に目をやった。

時刻は午前〇時を少し回ったところ。

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「こんな時間に歌をうたうなんて非常識なやつだね」

とぼくが言うと、彼女は目を伏せて「うん……」とうなずいた。

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「でもね、あの声なんだか死んだお父さんに似てるんだ」

N美の父親はトラックの運転手だったが、三年前に交通事故で亡くなっている。

「お父さんもよく外でお酒を飲んでは、ああやって上機嫌で鼻歌をうたいながら帰ってきたの」

彼女は懐かしそうに目を細めた。

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「ほら、あのコブシのまわし具合。ホントそっくりなのよ」

たしかに声の震わせかたが演歌でいうコブシに聞こえなくもない。

のだが……。

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次の日、ぼくは部屋へ戻るなりパソコンを立ちあげ、地元の事故物件に関する情報を片っ端から集めてみた。

「やっぱり――」

予想どおり、検索結果にはN美の暮らすアパートが含まれていた。

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どの部屋かは判らないが、むかしあのアパートで中年男性の惨殺事件があったらしい。

被害者は手足を縛られ、目隠しされたまま一週間も浴室に放置されていたという。

死因は凍死とのこと。

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演歌に聞こえたのは、たぶん寒さに震えながら泣き喚いていた声だったのだろう。

そう確信したが、世の中には知らないほうが良いこともある。

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けっきょくN美の心情をおもんばかって、そのことは話さず、今日に至る——。

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