中編7
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蝕む

ああ、そうなの。お前にはこれが見えるんだね。

お前の視線を見ればわかるよ。別に隠さなくてもいい。

どうして俺が、こんなことになったのかを説明する前に、話さなくちゃならないことがある。

俺にはね、妹がいたんだ。

俺が小学四年生の頃、あいつはまだ幼稚園に通っていてさ。年が離れている妹は、それは可愛かったよ。いつも、お兄ちゃんお兄ちゃんって後をついて歩いたもんだよ。

妹がいたって、どうして過去形なのかって?

妹は俺が小学四年の夏休みに行方不明になったんだ。

家族で山へキャンプに出掛けてて、ちょっと目を離したすきに居なくなった。

家族でいくら探しても見つからない。両親は警察に連絡した。

そして、その日から大掛かりな捜索が始まった。

事故、事件の両方を想定しながら、山狩りは何日もかけて行われたが、妹は見つからなかった。十日も経った頃には絶望的な気分になった。

せめてどんな形でもいいから生きていて欲しいと願った。

妹はいくら探しても見つからなかった。歳月だけが空しく流れていく。

妹が居なくなった家は灯が消えたようだった。

母親は目を離した自分を責め泣き暮らし、父親もあの日以来笑った顔を見たことが無い。

おいおい、そんな顔するなよ。重い話になってすまない。

だけど、それとこれが何の関係があるのかって思うだろう?

まあ聞いてくれ。

こんなことを言って信じてもらえるだろうか。

あのな、その妹が、ある日ひょっこり帰ってきたんだよ。

十年ぶりにな。俺はすでに大学生で、故郷を離れていたけど、すぐに飛んで帰った。

両親から、妹が帰ってきたって聞いてから。

家に帰って驚いたよ。妹は、確かに帰ってきてたんだ。

ただし、当時の姿のままな。

つまり、幼児なんだ。あり得ないだろ?十年経ってるんだから、妹はすでに高校生の年になってるはず。でも、幼児のままなんだ。別のそっくりなよその子かとも思ったけど、忘れることなんて決してできない、紛いなく妹なんだ。服装も、居なくなった当時のまんま。

もちろん、両親も、違和感は拭えなかったさ。

時間は間違いなく十年経っているのに、幼児のままの妹が帰ってきたんだから。

最初は両親も、妹にそっくりな子供かと思って警察に届けようとした。

だけど、家族でしか知り得ないことを知っていたり、家に帰ってきて迷いもなく自分の部屋に行き、開口一番、お兄ちゃんはどこ?って言ったんだ。当時、俺と妹は同じ部屋に居たからね。

俺が駆け付けると、俺を見るなり、お兄ちゃんってしがみついてきた。でも、俺は当時小学四年生だったから、こんなに成長している俺を一目見て、すぐにお兄ちゃんってわかるか?

変だろう?だから、俺は戸惑った。

俺は、妹にいろいろ質問した。

すると、妹は俺達にしかわからない質問にスラスラと答えるんだよ。

俺の頭には、髪に隠れててわからないけど、大けがして縫った傷があって、そこだけ毛が生えていないとかさ。俺が、キュウリが嫌いで、海苔巻きからこっそりキュウリを抜いて捨ててたことが親にバレて怒られたとか。

間違いなく、それは妹なんだ。

両親も最初は、疑っていたけど、間違いなく妹だと確信したら、もう不条理だということも忘れて、泣いて喜んだよ。

でも、俺にはどうしても受け入れることができなかった。

常識的に考えて見ろよ。

十年前に居なくなった人間が、当時のままの姿っておかしいだろ?

人間は成長する。

可能性を考えるとすれば、妹はどこか別の次元に居た、という荒唐無稽な結論しか出てこない。だが、俺はそこまで非現実主義ではない。

だけど、両親は違った。

今までの妹の居なかった十年間を埋めるように、妹を溺愛したんだ。

俺は当時、大学生だったが、何かにつけて用事を作って家に帰った。

心配だったから。両親は、俺が帰るたびにやつれて行った。

妹が帰ってきて、幸せなはずなのに、どんどん痩せて行って顔色が悪くなった。

ついに母親が床に伏してしまったので、俺はしばらく休学して家に戻った。

父親も、母親を看病しようにも自分の体調がままならなくて、とてもできる状態じゃなかったからな。妹は元気だった。俺が帰るたびに、お兄ちゃんと言って飛びついてきて甘えて来た。

両親があんな状態だから満足にかまってもらえない妹を不憫に思った。

それと同時に、家で何が起こっているのか知りたかった。

そして、俺はある日、妹の異常な姿を目撃することになった。

眠っている両親の横に、夜中、電気もつけずに暗闇の中ちょこんと座って、耳元で何か呟いているんだよ。耳を澄ましてみても、なんて言っているのかわからなかった。

妹の口から出てくる言葉は、まるで異国の言葉のようで、俺には理解できなかった。

だから、俺は毎夜、両親の耳元で何事か呟いている妹の声を録音して、大学の友人に聞かせてみたんだ。そしたら、その友人いわく、それはサンスクリット語だって言うんだよ。

しかも、それは呪いのマントラだって。

俄かには信じられなくて、俺もインターネットでいろいろ検索してみたんだが。

やはり、妹が呟いていたのは、マントラらしいことがわかった。

だから、あれは妹ではないことを俺は確信したんだ。

妹に化けたナニカから両親を守らなくてはと思った。

そんな時に、両親から頼まれて、妹を近所の神社の祭りに連れて行くように頼まれた。

どうしても妹が行きたいと言って聞かない。自分たちは体調が悪いので、連れて行ってくれと。俺は得体の知れない妹を気味悪く思いながらも、仕方なく連れて行った。

そこで、妹はまた迷子になった。

捜し歩く俺の目の前に、卵しか置いていない不思議な屋台が見えて来たんだ。

そこには、凄く綺麗な女の人が、暑いのにちょっと派手なタマムシ色みたいな変な色の巫女装束みたいなのを身に着けていて、汗一つかかずに涼しい顔で俺を手招いた。

「すみません、5歳か6歳くらいの女の子、見ませんでしたか?服装はピンクのワンピースで、髪を両サイドで二つ結びにした」

俺は、その女性に向かって、身振り手振りで妹の特徴を示した。

「妹を探しているのかい?じゃあ、これを持ってお行き」

何だか古臭い言い回しに戸惑いながらも、今はそれどころではないことを説明した。

女の子と伝えただけで、妹とは言っていないことにも引っかかった。

「これはね、願いを叶える卵だよ。お代はいらないから、持ってお行き」

話にならないと思った。面倒くさいので、卵を受け取った。時間の無駄だと思ったから。

背を向ける俺に、その女は言ったんだ。

「ただし、タダではないけどね?」

お代はいらないと言っておきながら、タダではないとはどういうことなんだ。

この女は頭がおかしいのだろうか。

ますます関わってはいられない。

そんなことを考えて立ち止まっている俺の足に何かがぶつかってきた。

「お兄ちゃん」

そう言いながら、妹が俺の足にしがみついてきた。

「もう、どこに行ってたんだよ。探したぞ」

そう言いながら、妹の頭をくしゃくしゃと撫でると、妹は上目遣いに笑った。

俺はその笑顔にぞっとした。

家に帰って、何気なく持って帰ってしまった卵を机の上に置いて、あの不思議な卵の屋台の女が言った言葉を思い出していた。

願いが叶うのなら、本当の妹を返して欲しい。

あれは俺の妹ではない。

妹の皮を被ったナニカだ。

隣に眠る妹の寝顔は天使のようだった。だが、俺の眠ったのを見計らって、今夜も両親の枕元へと向かうのだろう。布団の中で眠るふりをして、今日こそこいつの正体を暴いてやろうと思った。

そうは思いながらも、睡魔に勝てず、俺は布団の中でついウトウトしてしまったんだ。

うめき声で目が覚めた。

妹だろうか?隣でうめいている声はとても、幼女の物とは思えない物だった。

暗がりの中、俺は立ち上がって電気を点けようとリモコンを探した。

カーテンの隙間から漏れる月明かりにそいつは照らされた。

机の上で、何故か卵は真っ二つに割れていて、そこから黒い物が流れ出し、妹の体の半分を覆っていたのだ。黒い物に半身の自由を奪われた妹は、獣のような声でうめいて体をよじっていた。やはりあれは妹ではない。では、あの黒い物はなんだ?俺が固まっていると、その黒い物は妹をどんどん飲み込んで行って、ついに妹はその黒い物に全て取り込まれてしまった。

あっという間の出来事に立ち尽くしている俺の耳元にかすかな声が聞えた。

「お兄ちゃん」

薄っすらとその黒い物に少女の影が浮かんだ。どうやら、中学生くらいの少女らしい。俺は直感でそれをホンモノの妹だと思った。

「お前、もしかして助けてくれたのか?」

俺の問いにその少女は微笑んで消えて行った。

俺は涙が止まらなかった。

願いは叶った。一瞬だが、本当に妹は帰ってきたんだと思ったんだ。

それから、妹だったナニカはまた行方不明になった。

俺だけが知っている。あれは妹が、どこかへ連れて行ってくれたのだと。

両親はまた娘を失い、失意のどん底に突き落とされたが、何故か体調はどんどん快方に向かって、今は故郷で元気に暮らしている。

今では、あれは夢だったのかなあ、なんて寂しく笑うくらいの余裕すらできた。

えーと、それとこれがどう関係あるかって言うとだな。

つまり、お前が今見ているこれは、妹だ。

あの卵から産まれた、黒いやつな、あれ俺に取り憑いちゃったんだ。

ほら、お前が見てる影な。

俺におぶさってるだろ?

まあ、影なんて、誰も気付かないし、何かしてくるわけじゃあないから別に問題ないんだけどさ。お前くらいのもんだぜ、気付くなんて。

ああ、ところでさ、煙草吸ってもいいか?

そう言うと、先輩は煙草を一本取り出すと火をつけてうまそうにくゆらせた。

影が煙草の煙にむせるように身をよじらせて小さくなるのを、僕は見逃さなかった。

「なあ、矢田、俺タバコやめたほうがいいかなあ?タバコなんて百害あって一利なしって言うもんなあ」

「いや、先輩の場合、タバコ止めないほうがいいと思いますよ。ご自身の為にもね」

そして、先輩の背負っているそれは妹ではない。

「変なヤツ。まあ、止められねえけどな、たぶん」

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