長編9
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毒づくり

小学生のころ、なにをして遊びましたか。

不思議なことに大人になってから同年代の人間と当時の話をしたりすると、けっこう似たような遊び方をしていたりするんですよね。

同じ遊び方でも、名称や細かいルールが異なったりする。鬼ごっこの《ドロケイ》と《ケイドロ》があったり、指を合わせて合図で動かし本数当てをする《指・スマッシュ》が地域によって《ビーム》だったり《ポコペン》とかもそうですよね。

知人の崎田さんが夢中になっていたその遊びも、聞いてくれている人の中にも恐らくやったことがある、という人は多いと思います。

崎田さんはその遊びを《毒づくり》と名付けていました。

そんな物騒な、と訝しがる向きもあるでしょう。

しかし、そこは子供の遊びです。

早い話が液状のものをデタラメに混ぜ、瓶や容器に溜めて《これは毒だ》と自分のなかで思い込む。

それだけでこの遊びは完結します。

ああ、それか、と納得していただけたのではないでしょうか。

この遊び、わりと全国的に経験者が多い。

いま説明してみても、何が面白いのかと思いますが、確かに自分も同じような遊びをした記憶はあります。

もちろん基礎的な理科知識や薬学などが指し挟まる余地もない、ただのゴミにしかならない混合物が出来上がるだけなんですが。

調合によっては思いがけない発色をしたり、泡が出たりして、そう言うのは普通より《いい液体》なんですね。

しかし崎田さんの熱の入れようは並ではないんです。彼に言わせれば《その程度は一ヶ月くらいで思い通りに調整出来るようになった》らしい。

呆れたことに彼は何十種類と製作を重ねて、学習ノートに調合の素材や比率を書き込んで独自のレシピをつくっていたというんです。

お察しの通りにちょっと崎田さんは、度を越してのめり込み過ぎていた、と。

しかし。それには訳があるんです。

崎田さんはご両親が離婚していまして、いわゆるシングルマザーの家庭で育っていたんですね。

訳というのはそのことではなくて、当時母親が仲良くしていて家に連れてくることもあった男性が居たそうなんですが……崎田さんはその男性に暴力を振るわれていたんだそうです。

その時の崎田さんの気持ちとして、やはり母親には言いにくい。自分が被害者であることを認めるのは厭だし、新たに現れた男性に対して嫉妬心を抱いていると思われかねないと、そう考えたらしい。本当にやるせない話ではあるんですが。

ええ、それで《毒》なんですね。

彼が液体をわざわざ《毒》と呼んだのは、真剣に男性の殺害計画を企てたためなんです。

男性が現れてからその遊びを始めたのか、元々その遊びをしていたサイクルの中に男性が現れたのか……それは崎田さんも判らないそうですが。

とにかく、始めは自作の液体を何種類も作製した。

《毒》を男性の食事に混ぜ、もがき苦しみ死ぬところを夢想して悦に入っていたそうです。

後ろ向きな遊びではありますが、子供というのは自らも騙しとおせるほどの自由な想像力があるぶん、残酷なところもあるのが普通ですから、無下に否定する気にはなれません。ましてや当時の崎田さんの環境を考えてしまうとね。彼なりの防衛術だったのでしょう。

それから崎田さんの部屋には様々な液体や容器が持ち込まれて、ほとんどマッド・サイエンティストの実験場さながらになっていたんですね。

家庭や学校で手に入るようなものは全部試したそうです。

絵具、洗剤、清涼飲料水、肥料、芳香剤、殺虫剤……

もうそれだけで口に入れたら毒になりそうですよね。

崎田さんもどこかで一番出来のよいそれを真剣に猛毒だと思い込んで

《僕はいつでもあの男を殺せる》

と、そう考えて小さな瓶に容れて持ち歩くこともあったそうなんです。御守りがわりに、ということなんでしょうか。

そこで、あるとき一線を越える事件が起きるんです。

例の男性、なにか気に食わないことでもあったんでしょうか。自宅で食事中、崎田さんの目の前で、母親に暴力を振るったんですね。小突いたとか罵倒したとかではなくて、拳骨で顔を殴ったというんだから酷い話ですよ。

崎田さん、ニュースやなにかで《カッとなって》とか《容疑者は反抗を計画して》とかを耳にするたび、この時自分が見た情景が蘇るんだそうです。

本気で他人に対して殺意が芽生えると、目の前がぐーーっ、と暗くなるんですって。

目を閉じていなくても、ぐーーっ、とね。

でも、まともに立ち向かっても勝ち目はない。

崎田さん、その時《毒》を持っていた。

それを、男性に浴びせかけたんです。

《僕はいつでも男を殺せる》

という思い込みが高じていたんですかね。

もちろん男が死ぬわけがなく、火に油を注ぐことになった。

母親が必死にすがったんですが、右脳と左脳がズレるほど殴られて、おまけに崎田さんが飼っていたハムスターを踏み殺されたんです。

それも、おすとめす、つがいの二匹。名前も覚えてるそうです。

おすの方は《キチロー》

めすの方は《テツコ》

仲がよくって、テツコはお腹も膨らんでいたとか。

忘れられないんだそうですよ。

その次の朝。

崎田さんは初めて学校をサボったんです。

ランドセルには例のレシピが書かれたノートといくつかの空き瓶、あと殺されてしまった二匹のハムスターの死骸を入れて。

目的はこの二匹の埋葬です。

ある目的地がありました。

崎田さんは当時、今でもわりと有名な工業地帯に住んでいたんですが、その頃は倒産して放置された廃墟の工場がたくさんあったらしいんですね。

崎田さんが向かったのは、ある科学薬品工場の跡地でした。

当然、立ち入り禁止な訳ですが、作業をした人間がいい加減なのか、長いこと放置された結果なのか……敷地内への侵入を防ぐフェンスがぼろぼろで、子供の体格なら簡単に入ることが出来たんです。

そしてこの科学工場、昔に酷い事故が起きて死亡者を出し《オバケが出る》という噂があったんです。同級生らは絶対に遊び場にはしない。このあたり詳しくは話してくれませんでしたが、崎田さんは同級生とも折り合いが悪かったようです。

崎田さんは飼っていた金魚や亀なんかが死んだ際にもここに埋めに来たんです。彼にとって、少し特別な場所だったんですね。

さて埋葬に取り掛かろうかというところで……。

ふと魔が差したというか、その刹那まで考えてもいなかったことが頭によぎったんです。

工場の中には《ホンモノの毒》があるのではないか。

崎田さんはそれまでフェンスを越えて外周を歩き回ったことはあっても、屋内に入ったことはなかったそうなんですよ。

単純に危険だという認識もあったし、やはり噂のことが気になった。

けれども、オバケは生きてる人間と違って崎田さんを殴ったりはしませんから。

ホンモノを求めて、彼はとうとう工場内部に足を踏み入れたんです。

工場は三階建てで広くて、用途不明な計器類や割れた空き容器なんかはたくさんあるけれど、薬品はすべて撤去されている。当然の話なんですが。

ただ何ヵ所かに、奇妙に新しく見える緑色の染みがついているんです。現役時代の何かでしょうか?

何時間そこに居たのか、割れた嵌め殺しの窓から傾いた西陽が差し込んでくる時間になっていたんですね。

同時に、屋内が真っ暗になった。

崎田さんは我に返って、急に怖くなってしまった。

それはそうですよね。

オバケが出そうな廃墟、それでなくても危険極まりないし、もし大人に見つかったら怒られる、犯罪になるかもしれない。

何より、自分が我を忘れてそこに居た目的……それに気付いて《もう帰ろう》と、そう思ったんです。

来た道を引き返して。

そうしたら。

入り口付近に、来たときには目に入らなかったものがあったんですね。

床に直接設えられた、貯水槽のようなもので。

周囲を鉄の柵で囲まれた、バスタブより少し大きい程度のそれが、暗くなった屋内で薄緑色に光ってる。

崎田さん、それは怖くなかったそうです。それどころか

《とうとう見つけた》

と、そう思ったらしいですよ。これはなにか、とても危険なもの、ホンモノに違いない、とね。

それを持ち帰りたかったんですが、さすがに直接触るのは気が引けた。

その時、思い出したんです。

キチローとテツコの死骸を。

埋葬しそびれていた彼らをなぜかそのときは、この謎の薄緑に発光する薬液で満たされた場所に葬るのが一番よいことのように思えたそうなんです。。

鼻紙でくるまれたキチローの死骸は渇いた血が滲んでいる。

それを、そっと投げた。

ジュッ!と溶けたりしたら、触る方法も考えなきゃいけませんよね。

しかし、それよりもさらに崎田さんの予想を越えたことが起きたんです。

キチローの死骸が液体に触れるその前に。

水面から《なにか》が飛び出した。

手、だったそうです。

崎田さんがいうには、我々が知り得るもので一番近似しているのは《猿の手》だということでした。

黒い毛に覆われていて、関節があり、長い爪が生えた指は六本。

その手がキチローの死骸を握り潰しました。

挽き肉を掴んだその手は、再び液体のなかへ沈んでいったんです。

崎田さんははじめ、何が起きたか判らなかった。

波紋がようやく静まり始め、おそるおそる近付くと。

今度は二本の手、《そいつ》の両手が貯水槽の淵を掴んで液体から上がってきたそうですよ。

全体像を目の当たりにした崎田さん曰く《人の形状ではあった》らしいんですが、何しろ身体のすべてが目が痛くなるほど発光する液体にまみれていて、臭いも酷い。ハッキリと確認することは叶わなかったものの、土左衛門が生きて歩いたらこんな感じかな、というような輪郭の崩れた人型だったそうです。

崎田さんはとっさに逃げて、物陰から様子を伺っていました。

それが、ズルズルと水気の多い足取りで歩き回り、液体を滴り落としながらある地点で立ち止まった。

くるん、くるん、と回ってるんですって。

子供が両手を伸ばして回転し遊ぶみたいに。

崎田さんは気付いたんです。

明らかに自分を探している。

それはもう歯の根も合わなくなり、物影で震えていました。

崎田さんは隠れ続けることはできないと判断して出入り口の反対方向へ逃げようとしたんですね。

そーっ……と身体の向きを変えたんです。

そうしたら、それだけで《そいつ》は回転を止めて崎田さんのほうへまっすぐ走ってきた!

手と足にまるで力が入っていないような、奇妙なバランスで。べったべった、と。

崎田さんも走って逃げました。

工場はもう真っ暗。当然電気なんか通ってない訳ですから。

迷路に迷い混んだような心持ちで逃げる。

そうしたら、廃材に足をとられて転んでしまった。

崎田さんは声を出したら気付かれてしまう、と大きな声を出すことも叶わない。

じっと息を潜めていると。

だんだん、自分の背後から明るくなってくるんですって、緑色に。

崎田さんはぎゅっ、と目をつぶって祈りました。

こないでくれ。

目をつぶっても判るんです。真っ暗なはずの視界が強い光で照らされているのが。

そして臭いも。腐った貝みたいな悪臭に全身を貫かれて息をするのもやっとなんです。

崎田さん、目を開けてしまいました。

《そいつ》が溶け崩れた顔が目の前にありした。

手を伸ばしてきて……

殺されてしまうんだな。そう思ったとき。

《そいつ》は崎田さんのランドセルを引きちぎって、おもむろに中を探ったんです。空き瓶やなんかが幾つも床に落ちて割れました。

やがて、テツコの死骸だけを掴むと口に入れて噛み砕いたそうです。

殺すのか?

崎田さんがそう訊くと。

ーーカワリヲササゲルカ?

《そいつ》はそう答えました。

代わり?

崎田さんは意味も判らず頷くしかなかった。

ーーカナラズ。

すると《そいつ》はにやりと笑って、身体のあちこちをかきむしりながら引き返していったんです。

……崎田さん、そのあと床じゅうに飛び散って光る液体を集めて持ち帰ろうかと考えたそうなんですが、やはり止めたそうです。

《そいつ》の存在を口外してはいけない。なぜかそう思ったんだそうです。

報復を恐れたのと、なによりこんな恐ろしい体験をすればあの屑のことなどなんでもない、殺す価値もない、と意識のスイッチが変わってしまったらしいんです。

《毒づくり》もぴたりとやめてしまったそうで。

解決したような、してないような……すっきりしない話ですが、崎田さんは後付けしてくれました。

例の男。

あのあとすぐに行方不明になってしまったそうなんです。

ケチなトラブルに巻き込まれたのか無責任に新天地へ旅立ったのか……まあ、よかったんじゃないですか。

でも案外、崎田さんは居場所を知ってるような気がしますけどね。

まだその工場、取り壊されてはいないらしいですよ。

Concrete
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