中編5
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トンネルを抜けると

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 緑の山々が重なり合い、汽車はジグザグのスイッチバックを繰り返しながら頂上を目指していました。

メリーゴウランド、豆自動車にお猿の電車。それに観覧車。

―― 遊園地に着いたら、一番先に何に乗ろうかしら――

心はゴム風船のように膨らみ、はじけそうでした。

青くて硬いボックス座席には、笑顔の父と母。そして私。

今日は「お祭り」  待ち遠しかった五月の炭山祭り。

トンネルを抜ければ、もうすぐ遊園地。「もうすぐね」「うん。すぐだよ」

「あ、トンネル」

その時

 私の向かいの窓際にいた父が立ち上がり、慌てて窓のツマミを両手でつかみ、窓を下ろし、閉めたのです。

私たちの前の席でも、後ろの席でも、バタバタと大きな音を立てて窓を閉め始めたのです。

さっきまで笑顔だった父が、少し怖い顔になっていました。

爽やかに車内を駆け抜けていた五月の風はもう入ってはきません。

蒸気機関車が黒い煙を吐きながら、客車を牽引していた時代は、とっくの昔に終わっていましたのに。ディーゼルなのに。

 私が4歳の頃でした。

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 夏休み前のある日、3年1組のクラスに、タケオ君という男の子が転校してきました。

座席は私の隣でした。丁度、空いていたからです。

背丈は私より小さくて、いつもニコニコしていて、すばしっこい感じがしました。

坊主頭で、目は大きな青いビー玉がはまっているみたいでした。

教科書は、私たちが使っているのと少し違ったものを持ってきていたので、私のものを机の中央に置いて見せてあげました。タケオ君に近づいたとき何か、煙にいぶされたような、燻製のような匂いがしました。

 夕御飯の時、父にその事を話すと

「飯場の子だから、仲良くするんだよ」と言われました。

 

 タケオ君は、勉強が全然できませんでしたが、休み時間や体育の時間になると、別人のように元気で輝いていました。

私のことを気に入ってくれたみたいで、いつも後をついてきました。

給食係で、重たい牛乳瓶の箱を持つ時も、すぐにやってきて、手伝ってくれました。

給食のおかずが残ったときも、タケオ君は喜んで食べてくれました。

 土曜日は学校が午前中に終わります。

帰り道、タケオ君は

「トンネルの向こうに沼があるから釣りにいこう」と私を誘いました。

トンネルの周りには、熊や変な人がいるから、絶対に一人では行かないように。と先生が言っていたことを思い出しました。

「ボクがついているから大丈夫さ」と笑うのでした。

ランドセルを背負ったまま、家に帰らず、二人はずんずんトンネルまで歩きました。

線路の傍にはヒメジョンの花がいっぱい咲いていました。

タケオ君は、何度も何度も花を摘みました。両手がヒメジョンだらけになりました。

「汽車が来たら壁に張り付くんだよ」とタケオ君は言いました。

レンガでできた、トンネル内部の壁は濡れていて、天井からポタン、ポタンと水が落ちています。

小さな電球が、ぽつん、ぽつんと長い間隔でついていて、薄暗くて、夏なのにひんやりしていました。

「おじいちゃんと、おじさんがこの中にいるんだって、母ちゃんが言ってた」

タケオ君は、濡れたレンガの壁に手のひらをあてて、ヒメジョンの束をその下に置きました。

なんのことなのか、全然わかりませんでした。

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 沼はココアのような色をしていました。

とても釣りなどできる場所じゃないことは、子供なりにもわかりました。

水面はべったりとしていて、落ちたら絶対に出られない底なし沼のようでした。

本当に、底なし沼なのかもしれません。

タケオ君は近くにあった水たまりに、細い木の枝を差し込んでいました。

黒っぽいザリガニをとっていたのです。

何匹も何匹もとるのです。

そのうちに、そこいらから小枝をたくさん集めてきて、どこに持っていたのか、マッチを擦り、小さな焚き火をつくりました。

枝に刺したザリガニを火に炙り、皮を剥き食べ始めたのです。

「おいしいよ」

私に一匹勧めてくれましたが、とても食べる気にはなれません。

 日が暮れてきました。沼はずっと水音ひとつ立てません。

ふくろうが鳴いていました。私は寒かったのです。怖かったのです。

「タケオ君、もう帰ろ」

「うん」

二人でトンネルの中を走りました。

暗かったトンネルでしたが、なんだか少し明るくなったような気がしました。

トンネルの出口が見えてきた時でした。後ろを走っていたタケオ君が転びました。

振り向くと、線路の上で膝を抱えてしゃがみこんでいました。

膝小僧から血が流れていました。

「だいじょうぶ!? タケオ君」

「うん」

彼は泣いていました。

後ろの方から汽車がきました。近づいてきました。

「タケオ君、危ない」

私は父や母の怒った顔が目に浮かんできました。

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 どこでタケオ君と別れて家にたどり着いたのか、覚えていないのです。

父や母にすごく怒られましたが、タケオ君とあのトンネルにいったことは言えませんでした。もっと怒られるからです。

 次の日、タケオ君は学校に来ませんでした。

次の日も次の日も来ませんでした。

間もなく夏休みになりました。二学期が始まっても、タケオ君は来ませんでした。

父にたずねると、「別の飯場に行ったんだよ」とそれだけでした。

私は思い切って父に、あの日トンネルに行ったことを話しました。

父は驚いた顔をしました。

あのトンネルはもう塞がれているとのことでした。

私が小学校にあがる前の年に――

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 その後、近年稀に見る自然災害が発生し、あの山はトンネルもろともに崩れてしまいました。

すでに、人口流出の過疎の町になっていましたので、幸いにも犠牲者は出ませんでした。

でも、トンネルのあった場所からは、無数の人骨が発見され

その中には、明らかに子供のものと思われる骨も混じっていたのだそうです。人柱。

「ひとばしら」

生きたまま埋められた人々……。

 あれから何年過ぎたでしょうか。10月16日

遠い思い出となりました。

町中に鳴り響く「注水」を告げるサイレンの音。それは

坑内に閉じ込められた男たちの、最期の生への絶望的な望みの叫び声でした。

あの町に無数に残る、コンクリで厚く塞がれた鉱口の遺跡。

炎熱に焼かれ、何万トンの水に流され、必死に坑道を走り、出口に辿り着いてもそこには、コンクリートで何十メートルもの長さ、厚さで密閉された壁があるだけ。

爪を剥がし、かきむしり、苦しさと絶望に顔を歪ませたままに、永遠に骨として残る人々。

見つけられることもなく――

 町全体が墓石なのです。

私のふるさとはそんなところです。幼いころの記憶です。

それでも、私にとっては懐かしい、とても懐かしいふるさとなのです。

こわくなんて全然、ないんです。ぜんぜん

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小夜子様
北国は、だいぶお寒くなりました。
朝夕、ストーブを焚いております。
お元気でいらっしゃいましたでしょうか。
お久しぶりでございます。
この度は、心の琴線に触れるような作品をありがとうございました。
切なく哀しい昭和の歴史。
胸にこみ上げるものを感じながら、読ませていただきました。
石炭が「黒いダイヤ」と呼ばれていた時代。
かつて、炭鉱で栄えた町があったことすらお若い方々は、知らないでしょうね。
貴重な昭和史が、こういったかたちで語り伝えられることで、人々の記憶から忘れ去られることなく、永遠に生き続けることができる・・・タケオ君や無念の死を遂げられた人々の魂が少しでも癒されることを祈り願います。
既に、珍味様がコメントしてくださっておりますし、この件について、多くは語りませんが、是非、「怖話」を訪れた方々に本作を読んでいただきたく存じます。
過去アップしてくださった小夜子様の名作「飯場の子」再読したくなりました。

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