長編21
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小さな棺

数年前まで、私はとある地方で葬儀屋に務めていました。色々と不気味なことも不思議なこともありましたが、これは私が一番やり切れなくて、悔しいのか悲しいのか、今でも時々分からなくなる話です。

◇◇◇◇

基本的に毎日担当持って走り回らされる葬儀屋稼業だったけど、時には自分以外が担当してる葬儀の手伝いもしに行くことがある。

その日はたまたま担当がなくて、ある会館で施行中の先輩二人(それぞれ別の葬儀を担当してる)に頼まれて棺を持っていった。

もちろん、葬儀は二件なので必要な棺はふたつ。私が運転して行ったホロ付きの軽トラにもふたつしか積んでない。

はず、だったんだけど。

「私ちゃん?」

「はい?」

「なんで三つも棺あんの?」

「うぇ?」

別の荷物を積み下ろししてた私に、ホロの中を覗き込んだ先輩の一人が不思議そうに聞く。聞かれた私も驚いて一緒に覗き込むと、確かに棺は荷台に三つ積まれていた。

ただし、積み方が明らかにおかしい。

「私ちゃん積んだ?」

「いや、私が積んだのは下の二つだけで……仮に積んでも上には置かん、ですね。傷がついたら怖いし」

「そうよなあ」

そう、問題のひとつは、荷台に二つ並べて積んだ棺の上に乗せられている。というか、乗っかっている。

なぜなら明らかにサイズが小さい。さすがの葬儀屋でもあまり使うことのない、ていうか使う機会のあってほしくない、子供用の棺がひとつ。

積み木でもするように二つの棺の上に乗せられていた。

「誰か間違えて積んだんかな?」

「でも今日、仏さんはお年寄りばっかですよね」

「そうなんよ」

二人で首を傾げていると、もう一人の先輩がやってきた。白髪混じりの刈り上げた短髪にがっしりした肩。仕事用のジャンパーからは相変わらずショートホープの匂いがする。

「おー私ちゃん来たか、すまんな」

「いえいえ今日は珍しく暇ですし、オヤジさんは相変わらずここのヌシなんですね」

「オヤジさんはこの辺詳しいからなあ」

「ずっと昔から住んでるだけやて」

そう笑い飛ばすこの人は、この会館の近くに昔から住んでいる=土地鑑があるのと顔見知りも多いということで、しょっちゅうこの会館に入る施行(要は近所の人の葬儀)の担当をしていた。

面倒見のよさと温厚さから、みんなにはオヤジさんと呼ばれていて、本当ならかなり上の役職がつくような年の方だったが、管理職を嫌がって現場に残っているという、まあ、いわば職場のヌシのような人でもある。

必然、私も駆け出しの頃はここに書ききれないほどお世話になった方の一人だった。

「そんでどなんした、二人で首傾げて」

「あーいや、私ちゃんに棺持ってきてもろたんですけど、数が……」

先輩がそこまで言ったのと、オヤジさんが荷台を覗き込んだのはほぼ同時だった。

するとなぜかオヤジさんの顔色がみるみる変わり、見たこともないような険しい顔でこう言った。

「私ちゃん、俺のポケットから仕事用の携帯取ってくれんか」

「え?」

「そこに今回の喪主さんの番号入っとるから、今日の通夜には絶対子供連れてきたらあかんて言うてくれ。連れてくるなら明日の葬儀、それも日が昇ってからでないと絶対あかん。詳しい説明は後から俺がする言うとき。それとS原(先輩のこと)、お前んとこまだ小さい子おったな。ええか、今日はここから帰る前に必ず塩で手ぇ洗ってうがいしてから帰れ」

「オヤジさん、なにを……」

「ええから言うた通りにせえ!!」

何がなにやらの私と先輩をこれまた初めて聞くような切羽詰まった声で怒鳴りつけ、オヤジさんは即座に本部に電話をかけだした。

「もしもし、⚫⚫です、室長おりますか」

「室長あきません、また出ました」「そうです、間は空いとりますけど多分アレですわ、また呼んどるんです」

「はい、家の方には私が、念の為、家に伺ってご説明も」

「こっちの棺はもう無理です、新しいやつ持って来させて……」

訳が分からないなりに、オヤジさんの会話の端々からはアウトな空気しかしない。

これは相当ヤバいんだとぴりぴりするような空気で否応なく悟った私は、オヤジさんが葬儀を担当する家に連絡して要件を告げる。

「子供を連れてくるな」と言われてこれまた疑問符を飛ばす喪主さんに後で担当が詳しく説明するからと伝えて、どうにか納得してもらって電話を切った。

同じようなタイミングでオヤジさんも通話を終えた時、

かた、

荷台から音がするのと、置いてけぼりを食らっていた先輩が、ひっ、と息を飲むのは同時だった。

かた、……かたかたかたっ

もはや私もオヤジさんも先輩も、視線の先は同じだ。

揺れている。

空のはずの小さな棺が、積んだ覚えのない子供用の棺が、かたかた、かたかた、とひとりでに揺れていた。

「ここにはおらん!!」

我に返ったのは、やっぱりオヤジさんが一番早かった。

そう怒鳴りつけるなり、まくりっぱなしだった荷台のホロを下ろしてゴムで留め、飛び乗るように軽トラの運転席へ滑り込む。

「俺はこれ本部に戻して別の棺取ってくる。S原、私ちゃん、悪いけど留守頼んだ」

「分かりました、いや、わからんけど留守はちゃんとします、でもオヤジさんちょっと待って!」

エンジンをかけて今にも走り出ていきそうなオヤジさんを呼び止め、先輩は走って中に入ったかと思うと、またすぐに飛び出してきた。

手に持てるだけ持った清めの塩の包みのいくつかを乱暴に開け、オヤジさんの肩や手、問題の荷台の周りにも私と手分けして振りかける。

「事故らんといてくださいね」

「私ちゃんの言う通りや。俺、オヤジさんの葬式なんか絶対担当しとうない」

「ほんまそれです!」

「なあ!」

カラ元気でも責める人間はそこに誰もいなかった。

ようやくいつもの顔でちょっと笑ったオヤジさんは、それでもいつもより荒い運転で会館の敷地を出ていく。

なんとなく動悸が早いまま見送った視界の端でふと、白いものが動いた。

「私ちゃん、あれ……」

「……無視しましょう」

そう呟いたものの、それを認識した瞬間ざあ、と血の気が下がった感覚、危うく貧血を起こすんじゃないかというスピードで冷たくなっていく手足の気持ち悪さは今も忘れられない。

ヤバイ。語彙はこのひとことを残して消滅した。

認識するどころか、何事もなく天寿をまっとうしたいなら、絶対に関わってはいけないようなものが、数メートル離れた場所にいる。

ズタズタになって赤黒く汚れている布はたぶん、元はスーツか何かだったのだと思う。くちゃくちゃにもつれた髪で顔の半分が隠れたその男が、会館の入口、つまり私たちの斜め前くらいに立っていた。

片方だけ髪の隙間から覗いている充血して黄色く濁った目が、さも憎々しげにこちらとオヤジさんが軽トラで走り去った方向を交互に眺めている。

ぎち、ぎち、と音のしそうな関節の動きが実に気持ち悪い。裸足なのだろう足元はカサブタや生傷でぐちゃぐちゃだし、なんなら爪も何枚か剥げているように見えた。

こう説明するとガン見してたのかよと思われるかもしれないが、私たちだって見たくなかったし、なんなら目線だって頑なに逸らしていた。

なのに視えてしまうし、わかってしまう。タチの悪いやつがいる時の典型だ。

なんなら臭い。すごい臭い。うっかり夏場に腐らせた生ゴミと、流れの淀んだところの潮の臭いを足して割ったような、鼻の奥まで石鹸突っ込んで洗いたくなるような悪臭で吐き気すらしてくる。

先輩もそれは同じらしく、ちょっと涙声で話しかけてきた。

「俺さあ」

「はい」

「この会社そこそこ長いやん」

「そうですね」

「でも全然なんも見たことなかってん」

「マジですか。そりゃレアだ」

「そやろ?レアやろ?」

「この会社だとSSRですね」

「そうなんよSSRだったんよ、今日まで」

「……お気の毒に」

「見たことなかったんがさあ、俺のささやかな自慢やってんやんかあ……」

「お察しします。……泣かんといてください」

気の毒だったけど、ここまでキツイ相手に不意打ちで来られると私にも取れる手段は限られる。

馴染みのお寺さんからもらった経文はカバンの中だし、申し訳程度の腕輪念珠はさっきから火傷しそうに熱くなっていた。一応本水晶のそれは、真夏だってどうかすればひんやりとしていると言うのに。

さっき、オヤジさんに振りかけた清めの塩に触れていたのだけが幸いだった。

俗信よと侮るなかれ、理屈は分からないが、このご時世にも殺菌力の強いものはなぜかこの手の類の奴らに一定の効力を発揮する。

そう考えながら、ずっと聞こえてきている声から必死で意識を逸らす。嗄れた男の声に金属で黒板を引っ掻く音をまぶしたような不快極まりない声でずっと、

―――ジャマシヤガッテ ジャマシヤガッテ ジャマシヤガッテ……

勘弁しろ、これがあと1分続けば私はせっかく久しぶりにちゃんと食べた朝飯を消化してやれないことになる。そうこっちこそ呪いながら耐えていたら、男は不意に消えた。

途端に、会館に駆け込んだ先輩を責める気持ちは今でも起きない。

男子トイレから聞こえる気の毒な呻き声を聞きつつ、念の為、私はアレが立っていた所を囲むように盛り塩をしてから会館に入った。

◇◇◇◇

「それで結局、どういう話なんすか、今日のアレ」

そう、切り出したのは先輩だ。あの後は特に変わったことも無くその日の仕事を終え、私と先輩とオヤジさんは本部の喫煙所にいた。

オヤジさんが留守番代と言って私と先輩に奢ってくれたコーヒーは、自分のお金で買うより不思議と美味い。

「あれなあ。……聞きたいか?」

「聞いていい話でしたら」

「長いぞ?」

「俺は聞きたいすよ。なんせ今日は塩で赤剥けするまで手ぇ洗ろたんですからね」

散々吐いて喉が荒れたところに塩水でこれでもかとうがいをした先輩から、聞くも哀れなガラガラ声で言われてはオヤジさんも立つ瀬がない。

苦笑してコーヒーを一口飲んでから、オヤジさんはぽつぽつ話し出した。

「俺と室長が若い頃にあの会館で担当した葬儀でな、家族三人いっぺんに送り出したやつがあった」

――若い夫婦と、小さい女の子や。無理心中やったらしい。旦那が嫁さんと子供道連れにして、車でガードレールに突っ込んだんやと。

結構ええ車やったけどぐちゃぐちゃでな、当然中の人間もおシャカや。三人とも即死やった。

まあ、打ち合わせの時の嫁さんのご両親の剣幕よ。よりによって自分の娘婿に我が子と孫と殺されたようなもんや。気持ち考えたらしゃあないけど、俺と室長が止めに入らんかったら旦那さんのご両親の葬式も出す羽目になったんちゃうか。

歳いった二人が、板間どころか控え室の入口に土下座して殴られても蹴られても動かれんの見るんは、まあキツかったわ。

とにかく葬儀は嫁さんの親が喪主したけど、奥さんの膝で座っとった、一人残された下の子が哀れでなあ。まだ生後数ヶ月やったのに。

「下の子?」

「一人だけ車に乗せんかったんですか?」

「いや、乗せとったよ。ただ、奇跡的に助かった。チャイルドシートに母親がかぶさっとってな」

そう聞いて、先輩が複雑そうな顔をする。

なんだかんだ嫁バカ親バカで、机には奥さんと子供たちの写真を飾っているような人だったから、思うところがあったのだろう。

「ただ、まあ……結果的にそれが原因だったんかもしれん」

「どういうことです?」

「下の子だけ、旦那の子じゃなかったんや。正しくは、旦那がそう思い込んどったと言うべきか……」

先輩と顔を見合わせる。

ほとんど吸っていないショートホープを灰皿に押し込み、オヤジさんは新しくもう一本火をつけた。

「事故を起こすちょっと前までは、優しいて真面目な、それこそ真面目すぎるくらいの旦那やったらしい。ただ、それが祟って、仕事のストレスやなんやで体調崩して、今で言う統合失調症みたいなことになったんやな」

――ちょうど奥さんの知り合いが精神科の医者で、最初はそこにかかって回復の傾向もあったんやと。

ただ、その医者に奥さんが何くれとなく相談するようになって、病気のこともあるから疑心暗鬼になったんやろう。

奥さんからしてみれば二人目が出来た矢先の旦那の病気で、不安になることも多かったんは分かるんやけどな。

事故の直前、二人目が生まれたばっかりの頃は、近所まで聞こえるような喧嘩が絶えんかったんやて。

「……産み月から計算すりゃ、自分の子ぉて分かったでしょうに」

「その判断がつかんくなるから、怖い病気なんですよ。幻聴や妄想もありますしね」

「それでも子供はなんも悪ないやんけ」

先輩が吐き捨てるように言う。

やり切れなさそうなのは優しい人だったからだろう。

たぶん同じくらい優しいオヤジさんも、痛ましそうに目を細めていた。

「何にしても旦那と奥さん、上の子は死んで、下の子だけ残ってしもた。その後は分からん。俺らはどうしたって第三者やからな」

――ただ、葬儀の時に限って言うなら、不思議なことが一つだけあった。大人用の棺ふたつと、子供用の棺ひとつ用意して会館に持ち込んだはずが、もうひとつ、子供用の棺が増えとったんや。

家族まとめての葬儀なんて滅多にないから、その時は誰かが勘違いして積んだんやと思て、本部に戻した。その時はそれだけで済んだんや。

「その時は、すか」

「それで済まんかったことがあったんですね」

「……おん」

――その葬儀から3年も経った頃やろか。あん時は俺のすぐ下の後輩が担当しとった。

俺も手伝って物届けたり祭壇組みに会館来てたんやけど、あいつ、俺が乗ってきたトラックの前で頭ひねっとんねん。

どなんしたんや、て聞いたら

「オヤジさん、子供用の棺とか、トラックに乗せました?」

――背筋冷えたわ。あの時と同じ、白いレース貼った小さい棺が、乗せた覚えもないのに、大人用の棺の上に乗ってんやから。

「そやけどその時は、それがどういうことか分からんかった。時間もなかったし、下ろさないかん荷物はまだようけあったからな。後で積み直して俺が持って帰るからそのままにしとけ言うて、1回会館の中に運び込んで、倉庫に置いとった」

それがあかんかった。悲痛な声でオヤジさんが言う。

「何があかんかったんです?」

「通夜も終わって、親族控え室で飯食お言うて、お客さん案内したすぐ後や。担当のやつが顔真っ青にして飛んできた。そんときの仏さんの孫息子いう子が、火ぃついたように泣き出したと思ったら、その場に倒れて吐きっぱなしや、救急車呼んでください言うて」

ちょうど3歳くらいの、まだ小さい子やった。呟くようなオヤジさんの声に寒気が走る。

例の無理心中はその3年前。遺された子供は、当時生まれたばかり。

「救急車呼ぶんはそいつに任せて、二階の控え室に飛んで行った。その子のお父さんお母さんはもう半狂乱で、その子はもう吐く元気も泣く元気もないんか、ぐったりして一目でヤバいと思た。その子が、吐いたもんまみれの小さい口動かして、こう呟いとった」

――いやや。おじちゃん、こわい。いやや。こんといて。いやや……

確かめるまでもなかったそうだ。その子が怖がっているソレは、いつの間にかすぐそばまで来て突っ立っていたという。

あちこち焼け焦げ破れたボロボロのスラックス、そこから見えるあちこち傷だらけの汚い足。剥がれた爪が奇妙な生き物のように揺れる。

ぽた、と糸を引きながら真っ黒な、血なのか膿なのか分からないものが畳の上に落ちてきた。

――笑っている。

あのズタズタになった口元を歪ませ、自分が道連れにし損ねた子供と同い年の幼子を苦しませ、ニタニタと満足そうに笑っているのだ。

そう、オヤジさんは直感的に悟ったらしい。

「もう、頭に血ィ上ってな。その足で倉庫に走っていって、持って帰るはずやった小さい棺抱えて二階に上がって、裏の通用口あるやろ。階段登ってくるやつ。あそこに出て、下のアスファルト目掛けて投げ落としたんや」

――病気で辛かったんやろ、無念やったんやろ、せやけどおのれの嫁と子ぉ殺したんはお前や、あの子はお前の子供とちゃう!

「そんなこと言うてな。今思えばよう聞き咎められんかったと思うわ」

苦笑するオヤジさんに何も言えなかった。先輩の顔は若干青い。

ぱら、と落としそびれた煙草の灰が床に落ちる。

棺はアスファルトにぶつかって呆気ないくらい簡単にバラバラになったけれど、その後、夜の暗がりの中では真っ黒にしか見えないシミがじわじわと周りに広がり、すっと消えたと言う。

不意に、そのすぐ側で、壊れた棺を見下ろす男がいるとオヤジさんは気づいた。

赤黒くまだらに汚れたスーツ。汚い裸足。ぼさぼさ頭の頭頂部は、白っぽい灰色のもの(オヤジさんは「たぶん脳みそやろ」と言った)が見えるくらい、ばっくりと割れていたらしい。

黄色く濁った片目でオヤジさんを見上げ、忌々しそうに舌打ちをしてから、男はオヤジさんを睨みつけて消えたそうだ。

「……俺やったらそんなんと目が合うた瞬間に気絶してますわ」

「そうなっても無理ないと思います」

「まあ俺もあん時は頭に血ぃ上ってたからなあ、そうでなかったら震え上がって逃げとるわ。今思い出しても、気色の悪い目ぇやった」

「言うて、オヤジさんがまず無事でよかったですよ……」

「そのお孫さんは大丈夫だったんですか?」

「おん。念の為やっぱり救急車も呼んだけどな、急なひきつけやろうってことになっとったはずや。次の日にはもうケロっとして走り回っとった」

「今回も室長にお伝えしてたってことは、上の人もある程度知ってるんですよね」

「室長と、部長までは通してある。社長はこの手の話バカにするからいかんねん。自分も研修時代、Y会館で出くわして失神したのになあ。やっぱり二代目はいかんわ」

「あ~」

「二代目はね~」

ひとしきり三人で笑ったものの、それがカラ元気のままなのは私も先輩もどこかで気がついていたと思う。

その一回で事が済んだんなら、このオヤジさんがあんなに取り乱す訳がない。そう確信するくらいの仕事ぶりと人柄だって知っていた。

オヤジさんもそこは勘づいていたのか、すっかり冷めたコーヒーをすすって、また話し出す。

「まあ、お前らも想像ついとんやろけど、嫌なことに続きがあっての」

「一回で済まんかったんですね」

「そうや。ついでに言うたら、お前らは知っとるやろ。死んで三年言うんは、あの世で閻魔さんの裁判が全部終わって、忌が明ける区切りでもある」

「十王裁判のことですよね。あの世の王様十人が順繰りに裁判してくやつ」

「おん。まあ、大抵の人間は三年経たんでも四十九日でだいたい終えるもんや。それを越えたのにあんなことがあったっちゅうんは、もう供養もなにも届かん所におるか、最初から供養する誰かもおらんかったんか……」

限界まで壊れてもうた人間ちゅうんは手がつけられん。生きとっても死んどってもな。

ぼやくというよりは、気の毒そうにも聞こえた気がする。

そこは自分も誰かの夫で誰かの父親でもある、オヤジさんと先輩にしか分からない心境なのかもしれなかった。

「それから大体、年に一回か二回は似たような事があった。そのどれも、あの男が出てきよったわ。いっぺんなんか、担当した人間の家の子まで引いていこうとした事もあったくらいでな。塩で手ぇ洗え、うがいせえ言うたんはそのせいや」

先輩がぎょっとした顔になる。苦笑して、オヤジさんは塩使こたら大丈夫やで、と付け足した。

「なんで塩なんですか?」

「いわれはちゃんとあるんよ。ありゃ三回目やったかのお……これはもうあかんて室長と部長が会社に内緒で坊さん呼んでな。小柄なじいさんやったけど、なんちゅうんや、春のひなたが人になったらこんな感じか、みたいな、横におるだけで気の抜けるような……とにかく安心するじいさんやった」

「へー」

「有名なお坊だったんです?」

「いや、その辺は聞いてないな。なんとてそのじいさんが、もしまた出た時に子持ちの社員、とりわけ男がおったら、必ず塩で手洗いとうがいさせて帰せ言うててん」

「「はー……」」

「3年に1回は来てもろて色々張り直してもろとるから、ここんとこは落ち着いてたんやけどな。お前らには変なもん見せた上に、けったくそ悪い話聞かせて悪かった」

言うなり、深深とオヤジさんが頭を下げるものだから先輩と二人して慌てる。

先輩は特にコーヒーの缶を取り落としそうになったので、毎日奥さんがアイロンをかけてくれているというワイシャツに危うくシミができる所だった。

「やめてくださいよ、オヤジさんのせいとちゃいます」

「ほんまや。全部その妄想逆恨み野郎が元凶でしょ。オヤジさんなんも悪いことしてないですよ」

自分の半分以下の歳の相手に半ば叱られて、オヤジさんは苦笑しながらありがとう、と呟いた。

だからお礼も詫びも言われる必要はないってのに。もう一度たしなめようとした矢先、ふと脳裏をある疑問が走った。けど、それを口に出すことは出来なかった。

「俺があの会館の施行にばっかり入るんはそれもあるんや。あの棺が出てくる時に、ことの次第が分かる人間がおらんかったら、あいつはそれこそ好き放題に子供を引いて行くやろう。坊さんも室長も俺がええならその方がええ言うてくれたし、まだ当分はそれに甘えるわ」

最後はため息をつくように結んだオヤジさんの、目元のシワは年相応以上に深い。

話すべきでないとは言いつつ、聞かせることを謝りつつ、結局全てを聞かせてくれた、その背後に、オヤジさん自身もその役目を重荷に思っていた可能性はもちろんあるだろう。

当たり前だ、こんな理不尽なこと。通り魔にあったせいでその相手に目をつけられて、延々つけ回されるようなもんだ。

それがどれだけ苦痛か、身も心も削いでいく恐怖か、当事者ではない私じゃ到底分からない。

分からないからこそ、口には出せなかった。私の疑問はそれくらいに無神経で、むごかったから。

『元凶の葬儀があった時、オヤジさんいくつでしたか?』

『ひょっとして、あの父親と同年代ちゃうかったんですか?』

『小さい棺は、オヤジさんがあの会館におる時でないと出てこんのやないんですか?』

『もしかしたら、あの父親と【ご縁】が出来てしもうたんは、あの会館とちゃうくて、オヤジさんやなかったんですか―――』

穢れは祓える。だけど、縁が結ばれてしまえばそれは容易に切れないことを私は知っていた。

数十年の月日が経っても、相応の坊さんに対処してもらっても、おかしなことが起こるのはそのせいじゃないのかと。

最後まで言えないまま、そのあとはいつも通りに二人と別れ、家路を辿る。オヤジさんに奢ってもらったコーヒーを飲み干しながら運転をしていても、胸のもやもやは消えなかった。

ご縁と一口に言うが、色々な形がある。いいものも、そして悪いものも。そこに本人の意思や因果は必ずしも関係ないことすらある。

通りすがっただけ、ただそれだけで結ばれてしまったご縁も、この世には存在してしまう。

そしてそういうものの多くは、当事者にしてみれば理不尽としか思えない結末を連れてくる事だってある。

いつかオヤジさんに訪れるだろうその結末を、今後見せられる可能性は充分にあるのだと、分からざるを得なかった。

そうすることしか出来ないのが、哀しくて悔しかった。

その出会いに感謝できるものばかりをご縁と呼べたなら、もっとこの世は優しく回ったのかもしれない。

◇◇◇◇

オヤジさんの訃報が届いたのは、私が葬儀屋を辞めて二年ほど経った頃だ。

綺麗な秋晴れの、彼岸に近い秋の日だった。

葬儀は今にしては珍しく、ご自宅で行われると言う。

「私ちゃん、来たな」

「S原さん。お元気そうで」

「はは、おかげさんで。……見てくれよ、俺、嫌や言うたのになあ。あんだけ嫌や言うたのに。オヤジさん、最後の最後まで俺にテストさせんねん」

「ほんまや。でも絶対、合格点しかつきませんよ」

「そうかなあ」

「そうです」

断言した私に少しだけ笑って、先輩は仕事に戻っていく。泣き腫らした目と裏腹に、熟練の葬儀屋としてテキパキと采配を振るっていた。

久しぶりに袖を通す喪服の重みを感じながら鯨幕の張られた小さな一軒家を訪れると、庭先には懐かしい顔が沢山だ。みな、一様に目元を赤くしている。

ひっきりなしに訪れる弔問客の相手をするご家族も、似たような顔をしていた。

開け放たれた縁側にしつらえられた受付で記帳し、ご遺族にお悔やみを伝え、読経の響く座敷に座して焼香を待つ。

抹香の匂いと薄い煙が漂う中、不意に、二度と嗅ぎたくなかったあの臭いがした。

弾かれたように顔を上げる。

参列者のほとんどがこうべを垂れて親父さんの冥福を祈る場所の片隅、半ば以上透けた姿であの日のあの男が立っていた。

―――まだ足りんのか!!

恐怖よりも吐き気よりも、怒りが勝った。オヤジさんの訃報を聞いてから、塩も経文も数珠もすぐ取り出せるポケットに入れておこうと決めていた。

まだ60前だ。持病だってなかった。内臓年齢も骨密度もお前らには負けんぞって健診の度に自慢してた。まだまだ生きられたはずだ。

娘さんがやっと嫁に行って、次は孫の顔だと笑ってたんだ。ろくに休みも取れなかったから、そのうち奥さん連れて温泉にでも行こか、あいつは長風呂で困るんや、なんて惚気けてたんだ。

そんな人を数十年かけて引きずり込んで家族から引き剥がして、この上、見送りの場まで汚すのか。

オヤジさんが何をした。あんたの自業自得に付き合わされかねない子供を守ってただけだ。

あんたとの悪縁なんかオヤジさんだって結びたくなかったはずだ。なのに、まだ足りんとでも言うのか!!

この場で蹴立ててでも、その汚い面に塩なすり込んでやらないと気が済まない。

今度はこっちが祟られようが構うかクソッタレ。

腸煮えくりかえりながら、さぞ鼻息が荒くなっていただろう私の左手を、そ、と握る誰かがいた。

「ええんですよ」

静かな、穏やかな声だった。

春の日の縁側にいる心地にさせられるような、さびさびと落ち着いた声。しわしわに乾いた、手の温度。

「ええんです、あの方は、これが一番ええと決めて、それを貫かれた。通り魔をご縁に変えて、連れていかはるんです」

不思議に通る声なのに、読経の邪魔にはならない。誰もこちらに気づかない。

私の胸元程までしかないようなちんまりとしたおじいさんは、綺麗に頭を剃りあげ、墨染の衣を着て、手を握ったまま、にこにこと私に笑いかける。

「得心が行かんでしょう。悔しくも思われるでしょう。生きてはる言うんはそういうことや。あなたはまだこちら側におられる。

あの方はもう、自分が連れて行けるもんは全部連れて、あちら側に渡られはるんや。なかなかできることやおへん。優しい以上に、強ぉなかったらあかん。せやからあの方は、あなたも気にかけてはった。

あなただけでなく、皆さんを気にかけてはった。せやから、連れていかはるんです」

得心がいかんでも、悲しいても寂しいても、今は受け取ってあげなはれ。仕舞うんはもっと後でもよろし。仕舞えんかっても、抱いていったらよろし。

それが見送る、言うことです。

小さい子に言うようにこんこんと言い聞かされ、いつの間にか握った拳はほどけていた。視界がぼやけて鼻の奥がツンと痛いのは全力で無視する。

この歳でこんなツラさせて、全部オヤジさんのせいですよ、ほんま。

毒づいた私の前に、隣から香炉が回された。

抹香をつまみ、炭に落として、煙を浴びながら手を合わせる。諭してくれたお坊さんに回そうと左を向いて、今度こそ息を飲んだ。

短く刈られた白髪混じりの頭、がっしりした肩、ショートホープの匂いがする、作業着の紺色。

『堪忍な、私ちゃん』

すまなさそうに微笑んで、一瞬で消える。

私の左隣には、誰も座っていなかった。

――やから、言い逃げしてくれるなて、言うてたやないですか。

我慢の限界だった。唇をぎちぎちに噛んで、ええ歳の大人が今度こそブッサイクに泣いた。

泣き方ド下手くそやから絶対オヤジさんの葬式では泣かんとか言うてたのに。台無しや。オヤジさんのアホ。

どうせあっちでも面倒見ええんは変わらんのでしょ。せいぜい美味い酒飲んで、ゆっくり好きにやってください。

文句なのか何なのか分からない言葉が届いたのかどうか、知らない。

だけど、オヤジさんの姿はそれ以降、ただの一度も視ることはなかった。

読経が終わり、焼香も済み、みんながお別れを済ませて、棺は霊柩車に乗せられる。ご遺族の嗚咽が一層酷くなる。

オヤジさんは、その年代の人にしてはガタイのいい方だった。本当なら、メートル棺と呼ばれるような、普通より大型の棺を使わなければいけないはずだった。

けれど、目の前で霊柩車に収められた棺は小さい。

それこそ、幅はともかく、長さは子供用の棺とそんなに変わらないほど。

運転中に心臓発作を起こしたオヤジさんの車は、自宅近くのガードレール下で見つかった。潰れた車体に下半身を挟まれ、腰から下は回収出来なかったと言う。

発作の時点で、ほぼ即死だったそうだ。苦しまなかっただろうことだけが、唯一の救いだと奥さんは言っていた。

秋晴れの空気はどこまでも気持ちが良く、今をさかりと咲いた彼岸花のあぜ道に、霊柩車がゆっくり走り出す。

見送る私の視界の端に、グレーのスーツがちらりと映った。

――ああ、ほんまはそんな色やったんか。

もう殆ど透明になりかけているその男が、振り向く。かつて視た時の形相はどこにもない、ただ酷くくたびれたような、若い男の顔だった。

一度こちらに頭を下げて、霊柩車の後をゆっくり歩いて着いていくうちに、すう、と消えた。

今でも先輩とはごくたまに飲んでいるが、今のところ、あの会館に運んだ荷物の中に、小さな棺が増えていることは無いという。

おしまい。

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@昆布様 コメント感謝致します。あまり怖さは無い話かと思いましたが、お気に召して頂けたなら幸いです。こちらこそお読み下さりありがとうございました(*´ω`*)

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ぶ(。・´д`・。)わっ

泣けた

このようなお話しを拝見させてもらい
ありがとうございました

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