中編6
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蛙の子

小学校の頃の話です。

夏休み、母方の祖父母の家に泊まっていた時の事でした。

お盆なので普段会わない人がたくさん帰ってくるのが子供心にも嬉しく、はしゃぎすぎたのでしょう。

いとこや親戚の人達と遊園地に行ったその日の夜、私は熱を出してしまったのです。

「くたびれたんじゃわ、明日には治るでの」

幸いというべきか、風邪をひいた時のような頭痛などの症状はなく、ただだるくて心臓が痛い、寒い、と震える私に夏布団を何枚も重ねてかけて寝かしつけ、祖母は色んな話をしてくれました。

長野の実家から祖父の住むこの家にお嫁に来た時の話、当時は戦後すぐだったけれど材木商だった祖母の父が苦労して嫁入り道具を用意してくれた話、小さい頃はあちこちに材木を積んでいた実家の庭をお姉さんと遊び回ったことなど……

「起きたらなあ、またよおけ遊べるで。遊びたあて、みんなこんな田舎に来るんやけ……」

祖母の口調は間延びしていて優しく、まだみんなと遊びたくてぐずっていた私も、いつのまにか眠り込んでしまいました。

真夜中、ふと私は喉の乾きで目が覚めました。

胸の痛みも寒さもすっかりおさまっていて、沢山汗をかいたから喉が渇いたんだな、と子供心に思いつつ、台所に水を飲みに行ったのです。

廊下は保安灯がついている以外真っ暗で、他の座敷からも人の声はしません。

大人は毎晩のように酒盛りをしていましたので、今日はみんな寝てしもうたんかな?と不思議でしたが、眠さと喉の乾きでそこまで気にしませんでした。

当時はまだ井戸水を使っていた祖母の家の水道は冷たくて気持ちがよく、好きなだけコップについで飲み干してから、寝汗でべたべたになっていた手や顔もついでに洗いました。

さっぱりした気分で、もっぺん寝よ、と部屋に戻ろうとした、その瞬間です。

「あけてえ」

不意に、勝手口からそう声をかけられました。

ぱっと振り向くと、誰かの影が写っています。

驚きましたが、田舎のことですから、急な用で隣家や近所の人が夜に訪ねてくることはない話ではありません。

隣のじいちゃんになんかあったんかな、ばあちゃん起こした方がええかな、と思いつつ、そろりとそちらに近づくと、

「ばあちゃんとちゃう」

また声がしました。

しゃがれたような、なのに歳下のいとこがはしゃぐ時のようにキンと響くような、変な声です。

ふと見上げた壁掛け時計は2時過ぎで、変やな?と思いながら、だんだん気味が悪くなってきました。

「あんたや、なあ、あけてえ」

私のこと?

訝しく思う私の前で、がた、と勝手口のドアが揺れました。がたがた、がたがた、と音は続き、私はその場から動けなくなりました。

音が大きくなることは無いのですが、一定のリズムでドアはゆらされ続けます。

「あけてえよ、あけてえあけてえ」

声は止みません。

逃げ出したかったのですが、足がその場に縫い止められたようになってまったく動けませんし、声も出せませんでした。

それなりの音だろうに、誰かが起きてくる気配もなく、暗い家の中は静まり返っていて、なおのこと怖さが増しました。

そのうち、ふっと音が止みました。声も止まり、行ってもうた?と安心したのもつかの間

べたん、

と、なにかねばっこいものがガラスに当たるような音がしました。

見ると、勝手口のドアの上の部分、すりガラスになっている所に、まっ黒い手が貼り付いています。

おかしなことに、その手はやたらと大きく、水かきの部分がぶよぶよとした感じで、いつか図鑑で見たカエルの手にどことなく似ていました。

誰?これ、誰なん?

近所の人でないことはさすがに分かりきっていましたが、こんなひと、いえ、こんなものに見込まれる覚えはどこを探してもありません。

祖母と迎え火も焚いたし、お仏壇にお供えして手も合わせた、遊園地に行く前にお墓の掃除もしたのに、なんで?

ほとんど泣きそうな私の前で、べぢゃあ、となんとも言い難い音がしました。

それは手だけではなく、顔までもガラスに押し付けてきたのです。かなりの力で押し付けているのか、またドアががたりと揺れました。

「あげでえ、あげでえよ、あげでえっで、なあーーーーー」

私はもう半分泣きながら首を振っていましたが、それがどういう顔かは常夜灯の乏しい灯りでもあらかた見えました。

――カエルや。カエルのバケモンがおる。

当時の私には、そうとしか思えませんでした。

ぐちゃんと潰れてひしゃげたような平たい顔、いく筋かの黒い線は額に張り付いた髪の毛でしょうか。

目は両脇に飛び出てぐりぐり黄色っぽく光り、引き攣るように笑う口は耳元まで裂けているのに、歯が一本も生えていないので、真っ暗な口の中はまるで汚い沼みたいに見えました。

べた、べぢゃあ、がたがた、がたっ

もうこの場から逃げられるなら気絶でもなんでもしたい、そう思いながら震える手を握りしめた瞬間、

「その子はちゃう!」

物凄い大声で祖母の怒声が飛んできました。

途端に体が動き、振り返った先には台所の入口で仁王立ちの祖母がいました。

なぜか祖母は仏壇にあったお鈴を持っていて、片手には見たことの無い金属製の棒を持っています。

「あんたもや。あんたもこことちゃう。早うお戻り」

打って変わって静かな声で言うなり、祖母は手に持ったお鈴を金属の棒でひとつ鳴らして足を進め、私の前に立ちました。

チィーン、とも、キィーン、とも聞こえるような、涼しい不思議な音でした。

「いややあ」

「あかん。あんたはちゃうんや」

「いやあ、あけてえ……」

「ちゃうんやからしゃあないんや、早うおもどり。もう来るんやない」

「いややあああ……」

さっきと同じ不気味な、なのに弟が泣く時のような不憫げな声を聞いているうちに、緊張の糸が切れたのか、私も祖母にしがみついて泣いていました。

祖母が根気強くその声に言い聞かせながら鈴を鳴らすうちに、声はどんどんか細くなり、そのうちふっと消えてしまいました。

「怖かったなあ、あんたは近い子やて忘れとったわ。ごめんでえ。けど、もう大丈夫やから」

一息ついた祖母がそう言って私の頭を撫で、今度こそ私は大泣きしてしまいました。

しゃくり上げるうちに気がついたのですが、家の中はいつの間にか明るく、いまさっきまで飲んでいたような赤ら顔の大人たちが、どうしたどうしたと集まって心配そうに覗き込んできていました。

「おっちゃんらどこにおったん、おばちゃんも、なんでばあちゃん来る前に来てくれんかったん、嫌いやみんな、嫌いや」

わんわん泣く私を宥めてくれながらも、大人たちはみな一様に不思議そうな顔を見合わせていました。

後に聞いたことですが、大人たちはその日も台所に近い大きな座敷で酒盛りをしていて、家の中にも電気をつけたままにしていたはずだと言うのです。

私が大声で泣き出すまで、私が台所に来たことも気づかなかったと。

では、私が見た真っ暗な家の中は、一体なんだったのでしょうか。

その晩なにが起きたかは、結局大人たちには話さず、祖母と私の秘密になりました。

あれはなんだったのか、どうしてやってきたのか、なぜ私に話しかけたのか。

理由はわかりませんし、正体も謎のままです。

けれどその年の初夏、私たちが祖母の家に来る前に、お墓の近くから無縁仏の骨が出たと、これも後になって聞きました。

小さく細い、子供の骨だったと。

その骨が出た場所のすぐ近くで、これまた大きいヒキガエルが、なぜか干からびて死んでいたそうです。

「あんたはあっちに近い子や。だけん寄られるんやな。私の姉さんがそうやった。これは体質やからどうしょうもないけど、じいちゃんもばあちゃんも守ったるからな、大丈夫やけんな」

そう、私の頭を撫でて言ってくれた祖母は既に他界しましたが、今も親戚たち含め、私も家族も夏には祖母の家に集まって楽しく過ごします。

私は私で、祖母から「近い子」と言われただけに、あれからも色んな目にはあっていますが、無事ことなきを得て、今も元気に暮らせているのは祖父母のおかげなんでしょう。

ただし、台所の勝手口と蛙だけは、未だに少し苦手です。

おしまい

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@カイト コメントありがとうございました。何分、昔の話で細かいところは曖昧でしたが、なるべく記憶に忠実に書こうとしたお話でしたので、そう仰って頂けると嬉しいです(。ᵕᴗᵕ。)

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とても優しく郷愁を誘う語り口で、とても引き込まれました。

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