長編13
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押された理由⑥~完結~

天井の小さな明かりに照らされ、3人の顔が薄ぼんやりと部屋の中に浮かんでいた。

トキさんは話を終えると、部屋の外にいる神主に声を掛けた。そして私達は、拝殿に連れられてお祓いを受け、終わるとお札とお守りを渡された。

生き霊は話をするだけでも寄ってくる可能性があるから、なるべく肌身離さず持っているように、と神主は言った。

なんでも、愛花の生き霊は未練や執着の念が強く、1度で祓い切れるものではないらしい。

その証拠に、トキさんが初めてこの神社に訪れたのが、清人が中学3年の頃…今から約6、7年前の事で、そこから今日に至るまでに何回も祈祷を重ねて行い、お札やお守りを授けてきたそうだ。

怖がらせないようにと、清人には生き霊であるという事は伏せ、初詣や受験など、年の節目ごとに「厄除け祈願」と称してお祓いを行っていたという。

その効果もあってか、年々生き霊の気配は薄くなっていたので、トキさんはまた平穏な生活が戻ってくると思っていたそうだ。しかしその矢先、再び愛花は姿を現し、清人を苦しめ始めた。

清人が見つかった時、凄惨な姿だったのも、普通の人間の仕業と言うより、愛花の念によって引き起こされたと考えるのが妥当だと言っていた。

そして、愛花の生き霊は、私にも少なからず影響を与えていると───

「紗也はどうなるんですか?」隣にいたユミカが、震える声で神主に聞いた。顔が青ざめている。当然だ、こんな非現実的な話を聞かされたのだ。

しまいに、霊だなんて聞いたら怖いに決まっている。私も、トキさんの話の途中からずっと背筋に冷気が走っていた。

神主は、頷くでも首を横に振るでもなく、淡々としながらも強い口調で、私達に告げた。

「もう、彼には関わらないようにしなさい」

と─────

帰りの道すがら、トキさんが私達に背を向けて言った。

「あんたは…あんたらみたいな優しい子達は、清人の様になっちゃいかん。あの子の心の弱さに気付けなかった私も悪いんだ…申し訳無い事をした…」

「あの女の生き霊が鎮まることはこの先も当分無いだろう。忘れなさい、清人の事は。此処にも来てはいけないよ。もう一切、この事に首を突っ込んだらいかんよ…」

涙を堪えるかの様に、トキさんの背中は小刻みに震えていた。

私達は、雪沢の所在を聞く機会も、知る術すらも失ってしまった。

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事件から、約2ヵ月が経とうとしていた。

あの芝居小屋は、大学側の援助で清掃と修理が行われ、学園祭で使われる事になった。

3号館の裏の薄暗い広場から、学祭のメイン会場の真ん中に設置された芝居小屋は盛況で、私は事件の後にして、初めて小屋の中に足を踏み入れた。

真っ暗な空間の中、天井まで届く巨大なスクリーンには、映画研究会の作った映像作品が流れている。ぼんやりと眺めている内に、私はふと、雪沢が居る情景を想像していた。

この空間に1人で、しかもこんなデカい画面で愛花の姿を見てしまったのか…と思うと、次第に何とも言えない苦しい気持ちなってしまった。私は映像を最後まで観ること無く、早々に芝居小屋を後にした。

雪沢が所属していたサークルは、いつもなら屋台か何かを出して騒いでいるのだが、もうその光景を見ることは無い。

サークルは、都内近郊で行われていたハロウィンイベントでトラブルを起こしたのを切っ掛けに、未成年飲酒喫煙をやっていた事、薬物や少女売春にも少なからず関わっていた事が明るみに出て廃部になり、所属していた学生の殆んどは、停学や除籍処分になったのだ。

ニュースで取り上げられた事もあって、しばらく大学全体が某ちゃんねる某やまとめサイトなんかで取り沙汰され、散々言われまくっていた。

だが、その中に雪沢の名前はおろか、私も含め雪沢が起こした一切の出来事に関する記述は一行も無い。

それどころか、キャンパス全体が、元から雪沢なんて学生は居なかったとでも言うように、何事も無かった様な雰囲気へと変わっていた。

学祭から暫く経って、長屋と松田の2人にも久々に顔を合わせる機会があったが、彼等もまた、雪沢の記憶を消そうとしていた。

雪沢にとって都合の良い人間として振り回されていた筈だが、警察の聴取には「中の良かった同級生の1人」とだけ話して、手元に保管していた裏ビデオも全て廃棄したという。その後は大したお咎めも無く、大学には無事に復帰出来たそうだ。

「雪沢がどうなったのかは正直気にならないと言えば嘘になる。でも…もう俺達にはどうしようも出来ないんだ、ていうか、あいつが拒んでる気がしてるんだ。何でか分かんないけど」

「俺もそんな感じ!何だろな…『こっちに来るな、構うな』って…そう言われてる気がするんだよな。…まあ俺達も、もうあいつに関わる気は無いけどね」

2人は別れ際、私にそんな事を話してくれた。

幸い、神主から貰ったお札とお守りの効果があったのか、今の所、私もユミカにも何ら異変は起きていない。むしろユミカは、雪沢の「元」仲間達とは別れ、今では私や麻衣、梨花達とつるんで仲良くやっている。

皆、今までと変わらず私と接してくれているが、雪沢の話題を表に出すことは禁止、とでも言う様な雰囲気が、薄い膜のように漂っている感覚が否めなかった。

そして記憶の中から、当然かの如く、雪沢の存在を消そうとしている。気味が悪いくらいに。

だが、私自身も事件の直後は雪沢の存在を、自分の身に起きた事を忘れようとしていたのだ。誰に何を言える立場では無い。そう気付いて、言いようのない絶望感に襲われた。

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その後私は、冬休みを待つこと無く、休学した。

学校生活が楽しくない訳では無かった。だが今まで以上に、周囲から感じる何とも言えない違和感が拭えず、徐々に足が遠退いてしまったのだ。

両親や学生課の田中さんと相談を重ね、いつでも復学出来るようにと、籍だけは残す事になった。

だが、そんな日が果たして来るのだろうか?という不安の方が正直大きい。

ユミカにこの事を話したら、

「ま、しゃーないよね。何なら気晴らしに渋谷でも行く?一緒に遊ぼうよ(笑)」

と、悲観するでも慰めるでもなく、あっけらかんとしていた。

幸い引き籠る事は殆ど無く、バイトをする気力はあったので、私は休学してすぐにシフトを増やし、バイトに精を出した。休みの時はネカフェに行くか、ユミカ達と4人で遊ぶかして過ごし、気が向いたら勉強する。

そうした生活を続けている内に、意外にも心も落ち着きを取り戻し、漠然とした不安も消えつつあった。

そして、そんな生活が3ヵ月程過ぎた時の事だ。

いつも通りバイトに行き、従業員用の連絡ノートを確認すると、

「昨日店の前で変な人が突っ立ってるのを見ました。店に入るでもなく、ずーっと入口付近に居て、超怖かった…変質者には気を付けてくださいね!」

と、新入りバイトの子からの記述があった。

変質者か…しつこい場合は通報しなきゃな…と、確認のサインをして店に出て、返却レジで作業をしていると、お客さんの1人が「落ちてましたよ」と、DVDのケースを拾ってくれた。

よく見ると、ディスクとケースがごっちゃになっていた。あ~…探すの大変だ~!と思った時、私はある事を思い出した。

ユミカ、あのディスクどうしたんだろ…ちゃんと捨てたのかな…?

どうしても気になって、私は休憩に入ると直ぐユミカに電話をした。するとユミカは────

「紗也…黙っててごめん。ずっと言おうか迷ってて…ディスクはちゃんと捨てるつもりで、自分の部屋に置いておいたの。なんだけどさ、彼氏がうちに遊びに来た時に、私がリビングで酒の用意してる間に見つけちゃって…部屋に戻ったら勝手に再生して見られちゃったんだよね…」

「それで、見終わったら何も言わずに、ディスクをいきなりパソコンに取り込んで、なんか一気に調べ初めて…うちの彼氏さ、何か変な事に詳しいんだわ…何なの?って言ったら、これ凄いなって…」

どういうことか何なのかさっぱり分からなかった。

「まあ、20年くらい前?のものだから、そりゃそうだよね。でもさ、ずっと凄い凄い言ってるから、何なん?って、私も気になって聞いたの。そしたら彼氏がさ、もう1回ビデオ再生し始めてさ…」

「紗也覚えてる?愛花のシーンで時折画面が荒れたじゃん?一瞬チラチラ暗くなるみたいなのあったじゃん、その中にさ…なんか、変なのが映ってたんだよね…」

ユミカの彼氏曰く、だいぶ映像は劣化しているものの、映像の途中途中に、別の映像が仕込んであったそうだ。「サブリミナル効果」と言うらしい。

かなり再生速度を落とさないと見れないらしく、映像系の仕事をしている彼氏が、過去に似たようなものを見たことがあり、気付いたそうだ。

ユミカ達が見たその「変なもの」は、映像というよりは画像に近いという。小綺麗な格好をした中年の女性が立っていて、前にある革張りの椅子の背もたれに手をかけて微笑んでいるそうだ。

それが3、4枚くらい、映像の途中に挟まれていて、1枚ごとに違ったポーズで映っているという。

椅子に笑いかけるようなものや、しゃがんでこちらを指差して微笑んでいるものもあったそうだ。

まるで家族写真を撮っている様に見えたという。

「何だろね、って彼氏に聞いたんだけど、分かんないって…でもね、私思うんだ。あれ、愛花の現在の姿なんじゃないかって…だって、当時20代か30代なら、今はちょうど中年でしょ?」

私はユミカに、以前のように画面を写真に撮って送ってほしいと頼んだ。だが、映像を確認した彼氏が、そのあと直ぐにディスクを割ってしまったそうだ。「こんなの持ってたら縁起悪い、これはヤバイやつだから」と…

ならばせめてもと、ユミカに覚えている限りの女性の特徴を聞いた。

ユミカはかなり事細かく覚えていたのか、着ていた服の色、髪型、顔のパーツの形や背格好まで教えてくれた。

頭の中で、その女性のパーツを、稚拙ではあるが組み合わせていった。すると、そこにはどこか見覚えのある女性の姿が浮かび上がっていた───

その矢先、ふと目線の先にある、更衣室奥の突き当たりの窓に、何かの気配を感じた。人影の様なものが、じっと立っていたような気がしたのだ。

ノートの内容を思い出して背中が寒くなり、私は電話を終えると急いで店に戻った。

術は無いと思っていたが、それは違った。

私は翌日、ある場所に足を運んだ。

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入り口で待っていると、見覚えのある女性がこちらに向かって来る。

雪沢が芝居小屋で発見された時、私の聴取を担当していた女性警官、藤野さん(仮名)だった。彼女も私の顔を覚えていたのか、「ご無沙汰ね。体調はどう?」と優しい声で気遣ってくれた。

昨日のユミカの話が本当ならば、映像に映り込んでいた「彼女」が手掛かりかも知れないし、警察に行けば何か知っているかも知れない。

それに雪沢の事も詳しく聞けるかもと、私は朝一で警察署に連絡を取ったのだ。

私が事件の時の事を知りたいと言うと、予想通り、藤野さんは首を傾げながら「ちょっとそれはなあ…」と困惑していた。だが、何度も懇願する内に根負けしてくれたのか、「答えられる限りであれば」と、教えて貰える事になった。

すりガラスの仕切りがある相談室のソファに座ると、藤野さんは、雪沢の病状について明かしてくれた。

発見当時、雪沢の意識はほぼ無いに等しく、全身の至る所の骨が砕けていた事もあって、暫くのあいだ生死の境を彷徨っていたが、治療の甲斐あって何とか一命は取り留めたそうだ。

ただ、骨折の度合いを見る限り、彼は今後、最悪の場合寝たきりか、良くて車椅子生活になるらしい。意識も取り戻しはしたが、未だ混濁状態が続いていて、意思の疎通はあまり出来ていないそうだ。

だから、捜査するにしても、一体誰がどういう方法で彼に暴行を加えたのか、彼自身に聞き取りを行うことは難しく、はっきりとした当日の足取りも、証拠品も1つも無い為、事件として取り扱う段階に至っていない状態だという。

そう聞いて、私はトキさんから聞いた話を藤野さんに教えるべきか迷った。裏ビデオも、ユミカ(の彼氏)がディスクを壊してしまったし、物的証拠も無い。つまり、私が協力出来る事は何もなかった。

すると、藤野さんは私の表情が暗くなったのに気付いたのか、フォローする様に私に言った。

「でもね、発見が少しでも遅れていたら、今頃命は無かったかも知れない。だから、あなた達のお陰で彼は助かったのよ。それに、あの時皆、パニックにならずに冷静に私達の聴取に応じてくれた…なかなか出来ない事よ」

「…ありがとうございます」

「こちらこそ。あなたのお父様にも、大学の方やお友達にも、良かったら伝えてね」

え…?

「どうしたの?」

「あの、大学での聴取…もう1人女性が居ませんでしたか?父の同僚の方なんですけど…」

「女性?う~ん、女性はあなたと、あなたのお友達2人だけよ?あとは、大学の方とお父様と、雪沢君のお友達2人…。私達が聴取したのはこれで全員なんだけど…」

神田さんが居ない。嘘だ。だっていち早く雪沢の気配に気が付いたのは彼女だし、あの時確実に居たのに。

私は藤野さんに、神田さんの特徴と当時の服装、事件に関わっていたことを全て話した。

しかし藤野さんによると、事件当夜そのような女性を見た人は1人もおらず、警備の警官も捜査員も、彼女の姿を目撃していなかった。だから勿論、聴取したという事実も無く、調書も残っていない。

藤野さんが、神田さんに連絡を取れるかと聞いてきたので、私は迷惑承知で、仕事中の父に電話を掛けた。

幸いすぐに繋がったが、神田さんの事を話すと、「カンダ…?カンダ…神田…あ~!」と、何故かやっと思い出したような口ぶりだった。事件の時の事を話したが、何故か父に「もう忘れなさい」と諭され、電話は切れた。

その後すぐに麻衣と梨花にも連絡をしたが、「正直あんま記憶にない…雪沢の事がインパクト有り過ぎて…てかこの話、もうやめようよ」と拒否られて終わった。

何故か皆の中で、神田さんの記憶は曖昧になってしまっていた。

ふと藤野さんの方を見ると、彼女は怪訝な顔をしてこっちを見ている。私は最後の手綱とばかりに、「鉄道警察と駅員なら確実に彼女を見ている。調べて下さい」と頭を下げた。

すると、私の態度がかなりテンパっていたのだろう。藤野さんは、とりあえず確認しようと、一緒に鉄道警察に向かってくれる事になった。結果何も分からなかったら帰る事を条件に、私は駅へ向かった。

鉄道警察による、事件当時の聞き取りの記録は、確かに残っていた。

しかし、1日に数えきれない程の乗客をさばき、酔っ払いや小競り合いを日常的に経験している駅員からは、当時の記憶は得られなかった。

鉄道警察も調書を確認しろとしか言わず、藤野さんが何とか交渉してくれたお陰で、監視カメラの確認だけは許可が下りた。

調書を頼りに当日の映像を探し出し、10分前位から映像を再生する。若干画質が荒くはあるが、ホームで電車を待つ私の姿と、よろよろと肩を担がれながら階段を上ってくる雪沢達の姿が確認出来た。

そして記憶が正しければ、私はこの後すぐに雪沢に押され、神田さんに介抱されるはずなのだ。

私の居る方向に走っていく雪沢…私のすぐ後ろ部分を、体当たりするように押す。よろけた衝撃で私が倒れ、後ろに立っていた人が姿を現す────

「…この人で間違いない?」

藤野さんが、画面を指した。

そこには、確かに神田さんの姿はあった。髪型も、顔も、神田さんで間違いない。ただ、彼女の表情が、何かおかしいのだ。

気付いて驚くでもなく、何するでもなく、神田さんは直立不動で私達の方を見ていた。じっとその場で…焦点の合わない目で。

私は、藤野さんに彼女で間違いないと答えた。

その後映像の中の神田さんは、正気に戻ったように急いで私に駆け寄って、私の両肩に手を添える。

その映像とまるで連動する様に、私は両肩に気持ち悪い寒気を感じた。

結局、神田さんの挙動には特別問題行動は見受けられないとして、私は帰された。

出来れば信じたくない。

だが、私の中で、ずっと引っ掛かっていた違和感が消えていき、輪郭だけがはっきりと削ぎ落とされる感覚が止まらなかった。

愛花のビデオを最初に見た時に感じた…誰かに共通する面影、ユミカが見た、写真の女性─────

彼女は…神田さんは、川嶋愛花なのか?

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その後何ヵ月か経ち、ほとぼりもだいぶ覚めて復学した頃、父が私に教えてくれた。

神田さんは確かに同僚だったが、担当部門が違うから殆んど交流は無く、私や雪沢の事件以外では、全く話したことが無かったという。

そして、芝居小屋で雪沢が発見されてから暫く経って、神田さんのいる部門のデスクに諸用で行くことがあった。

だが、辺りに彼女の姿が見当たらず不思議に思っていると、彼女は会社を辞めた、と伝えられたそうだ。

なんでも、「息子に会わなければならない」と同僚に言ったきり会社に出社せず、そのまま辞職扱いになったという。

そして、神田さんの元同僚の1人が、彼女の様子が少し変だったと、訪ねて来た父に話してくれたそうだ。

神田さんは、会社に来なくなる少し前くらいから、

「女の子も1人欲しかったけど、惜しかったな」

と、独り言の様によく言っていた、と────

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今頃あの椅子に、彼は座っているのだろうか。

どうなったかはもう分からない。それに、最近ふと記憶が蘇る度に、誰かに見られているような、気味の悪い視線を感じるのだ。

神主が言っていた、「話すだけでも寄ってくる」というのは、あながち間違ってないと、今は思える。

私もそろそろ、彼等を記憶から消してしまおう。

Concrete
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@カイト様
読んで頂き有難うございます(^◇^)
存在を忘れ去られるって、死ぬよりも寂しい事なのでは?と思って書いた話です。
ユミカやギャル達の会話は、私の大学時代の同級生を参考にしました(笑)
記憶を消したり残したり、脳みそって不思議です。

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