長編7
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チョキチョキさん

杉田さんはいわゆる転勤族の長女で、彼女自身も五回小学校を変わっている。

しかし、いわゆる転校生イジメとはまるで無縁だったという。

転校の回数が多く、泣きながら別れを惜しんでくれたような同級生も学校が変われば二、三通の手紙で縁が切れることを杉田さんは骨身に染みて知っていた。

無理に溶け込もうとしないクールな態度が、かえってよかったのかもしれない。

しかし、それもある時点までだった。

最後に転入した学校で彼女はとうとう、あからさまなイジメを体験する。いかにも通例な、元・友人たちからのものだ。

きっかけははっきりしていたーーそう前置きして、語ってもらった話。

杉田さんが小学五年生の一学期に転入したその学校では、一週間も経たないうちに快く迎えられ、下校の道をクラスメイト達と共にするようになった。

流行りのテレビや音楽や、誰々は誰々のことを好きである等の四方山話は尽きることなく飛び交い、そのなかで不意に聞いたのが、この近所には

《チョキチョキさん》

なるものが出現するというウワサだった。

チョキチョキさんは正体不明の妖怪で、目があった子供をハサミで切り裂き、切り裂かれた人間もまたチョキチョキさんになってしまう。自分の仲間を増やそうとこの界隈を歩き回っているのだそうだ。

実は読書家、とりわけ怪談好きでその手の話に慣れ親しんでいた杉田さんは《よくある話》としか思わなかった。

しかしその場にいた全員が目撃した経験があると主張を始めた。

『本当にいる』

『○○は最寄り駅で見た』

といった尋常ではない怯えぶりに、空気を察してその場では思ったことを口に出さず、大袈裟に怖がってみせた。

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その数日後。

杉田さんが雑誌を買いに、コンビニへ向かった夜のこと。

最寄りのコンビニでは目当ての雑誌が売り切れており、しかたなく別のコンビニへ向かった。

川原を歩く近道を選択し、すぐに後悔した。

街灯などほぼない舗装に佇む人影があった。

人影は微動だにせず、黒い影が舗装を塞ぐように長く延びている。

自転車で来なかったことを後悔した。

上背の高い、長い髪の女が、どこか中空を熱心に見つめながら直立していた。

まだ夜の冷たさが残る時季だというのに、ワンピース一枚きりの姿。

まるで筋肉の存在を感じさせない細く長く白い両腕を後ろに回し、ときおりブツブツと独りごちているのが聞こえる。

杉田さんは分岐のない一本道を、まるで意に介していないかのように歩いていった。

急に引き返したら、女が追い掛けてくるのではないかーーそんな気がしたそうだ。

杉田さんが女に最も接近したタイミングで、心臓が止まりそうになった。

突然、その女が足踏みを始めたのだ。

ももを上げ、行進するかのように。

つた、つた、つた、と一定の足音がリズムを刻む。

肝を冷やしながら速足で通り過ぎるも、杉田さんは足音に金属音が混ざっていることに気が付いた。

後方の女へふりかえると。

後ろに回した手にハサミを持ち、足踏みをするのと同時に

しゃき しゃき

と鳴らして動かしていた。

全速力でその場を離れたという。

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明くる日。

杉田さんは《私もチョキチョキさんを見た》と打ち明けた。

クラスメイトは皆大ウケできゃあきゃあと怖がり、同情してくれた。

『マジでびびるよねぇ』

『殺されるかと思うよね』

と囃すクラスメイト達に杉田さんは《自分も共通認識の輪に入れた》という奇妙な満足感を覚えたという。

それだけの危険人物が存在するのだ。教師や地域に伝達するなり、警察に通報するなりが出来るはずだ。

しかしそれをしなかったのは、そうした歪んだ喜びもあったからだそうだ。

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その日を境に、杉田さんは幾度もチョキチョキさんを目撃することになる。

それは時間帯を問わず、朝方の駅前でフラフラしていたり、真っ昼間に道路脇の排水溝をうつむき眺めていたり、夕暮れの公園でベンチに座っていたり。

ハサミをしゃきしゃきと鳴らしているときもあればそうでないときもあったが、いずれの場合も手にはハサミが握られていたそうだ。

目には見えないものを切り取ろうとするかのように空を見つめ、ハサミを動かす《チョキチョキさん》

しかし。

始めは当然恐ろしかったが見慣れるにつれ、徐々に杉田さんの認識も変化した。

チョキチョキさんは気の毒な人には違いないだろうが、どう考えても妖怪ではない。

ウワサというか、実在する不審者を妖怪扱いして勝手に怖がっている、という子供特有の残酷さと愚かさが混ざった遊びに荷担したことが、急に恥ずかしく思え、必要以上に怯えるのをやめた。

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あるとき、いつものクラスメイト達と下校中のこと。

一人が小声で《まえ》と進行方向を指さした。

皆がそちらに注視した。

すると、小汚い服装の老人が

『ちょきちょき~』

と言いながら両手をジャンケンのチョキの形にして歩いてきた。

『パンツ見せて~スカートを切らせてよ~』

全員で蜘蛛の子を散らすがごとく逃げ、老人の姿は見えなくなったが半泣きの子もいた。

『久し振りに見た』

『死ぬかと思った』

口々に恐怖するクラスメイト達に、杉田さんは理解が追い付いていなかった。

全員が見た《チョキチョキさん》は70代くらいの、男なのだ。

『チョキチョキさんて、女じゃないの?』

と言った杉田さんに、全員が

『なに言ってるの、あれがチョキチョキさんじゃん』

と口を揃えた。

チョキチョキさんは一人しか存在せず、今まさに出会ったあの老人である、と。

じゃあ、私が見たのは?

話せば話すほど、杉田さんが怯えれば怯えるほど、あれだけ恐怖で盛り上がっていたクラスメイト達は白けはじめ、ついには

『杉田はチョキチョキさんを目撃していなかったのに、嘘をついた』

ということにされてしまった。

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嘘つきのレッテルは子供には重大だった。それを皮切りにギクシャクした状態が始まってしまい、杉田さんは集団下校のグループから外れてしまった。

もともとクラスメイトの中心人物を擁するグループだったのが災いして、それがイジメに発展するまで時間はかからなかった。

学校を欠席する、相手と同じレベルに堕してやり返す、などの対処法も知らなかった杉田さんは格好の的であり、四面楚歌に陥る。

詳しくは聞き出せなかったものの、未だに身体に傷が残るようなことをされたというから凄惨だ。

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一度だけ、自殺を考えた。

本気で遺書を書いた。思いの丈が指先に伝わり筆圧で紙が破ける感覚は忘れられないという。

当然《あの出来事》のことを記して。

《男のチョキチョキさんのほうが偽物だ。自分が見たチョキチョキさんこそが本物なはず》

杉田さんは本物のチョキチョキさんに自分を切り裂いてもらおう、とそう考えた。

その夜、親の目を盗み家を抜け出した。

チョキチョキさんに出逢えそうな場所はしらみつぶしに見て回った。

最初に目撃した川原。

公園。

路地。

その夜に限ってどこへ行っても見つからない。

県境にたどり着くまで真冬の夜道を探し回り、とうとう朝を迎えてしまった。

親が起きるまえに帰宅し、何事もなかったかのようにベッドへ潜る。

そのとき、冷たく固い感触に触れた。

ハサミだった。それも、見覚えのある。

ーーチョキチョキさんのだ。

杉田さんは《これで仕返しをしろ》という意味なのだ、と完璧に理解した。

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学校へ行き、いつもと同じようにイジメが始まる。

言葉によるからかい、身体的な攻撃。

無抵抗を貫く杉田さんの机の中には、チョキチョキさんから譲り受けたハサミが入っていた。

杉田さんは何度も何度も至近距離のクラスメイトの顔面を切り裂く想像をした。

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結論からいえば、杉田さんは手を下さなかった。

いつでも仕返しができる、と考えるとつまらないイジメに苛まれなくなったという。

その意識の在り方は加害者にも伝わったのか、その場は白けておさまった。

その日から徐々にイジメは沈静化。孤立したままではあったが無事に卒業の日を迎える。

卒業証書とアルバムを受け取ったその帰り道で、チョキチョキさんを初めて目撃した川原へ向かった。

真冬の冷たかった季節が過ぎ去り、不自然に並んで植林された桜が花開く、嘘のように穏やかな川原。

当然、チョキチョキさんはいなかった。

杉田さんは例のハサミを取り出し、卒業証書とアルバムをめちゃくちゃに切り裂き、中空に舞う紙片にしたそうだ。

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もうひとつ。

《本当のチョキチョキさん》に出会ってからというものの、杉田さんが遭遇した女性のチョキチョキさんを目撃することは二度となかったのだ。

変態の老人はあのあと何度も見かけたし、ほどなくして警察に補導されたという話を聞いたが、女性のチョキチョキさんに関しては目撃談すら皆無であったという。あのあとも何度か自ら探しに出掛けたものの、あれほど目にしていた彼女の姿を見つけることは出来なかった。

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彼女はいったい何だったのか?

十年以上が経過した今でも正体は判らないままだ。

そして、驚くほど人間関係の構築に興味が持てず、他人の顔を覚えるのも苦手な杉田さんはこの先も引っ越し魔、独身貴族を貫きたいという。

ハサミは現在も所持しており、髪の毛を整えるのに使うというから驚く。

案外あの《チョキチョキさん》は人間と人間の繋がりを自ら望んで断ち切る自分自身の姿だったかもしれない、と杉田さんは自慢の長い髪の毛を触ってみせた。

Concrete
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