長編14
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灰下回廊②

その夜、私は金縛りに襲われていました。

理由はおそらく家に侵入してきた霊的な何かのためだと思われました。

それでも、私は幾分落ち着いたままベッドで横になっていました。

このまま再び眠りについてもいいかなと考えているほどでした。

私は世間で言うところのいわゆる霊感の強い人間でした。

そのため、日常的に幽霊のようなこの世ならざる存在が視えていました。

私の住む家はいわゆる霊の通り道だとか、曰くつきというものでは全くありませんでしたが、それでも時折幽霊と呼ばれるものが入り込んでくることはありました。

しかし、彼らは特に目的があってこの家に入り込むのではなく、彷徨っているうちにたまたま入ってくることがほとんどのようでした。

今夜、入り込んできた何かのせいで金縛りにあっているのかどうかは分かりませんでしたが、特に悪意のようなものは感じなかったので私はそのままにしていました。

しかし、その何かは今までのただ彷徨っている霊とは違い、私の隣の部屋に入ると何か家探しをするようにあさっているような音がずっと響いていました。

私の隣の部屋は空き部屋で今は誰も使っていなかったはずです。

だから、家族が危害に会うということではなかったのですが、普段と異なる行動をとる何かに言いようのない不安は感じて始めてはいました。

金縛りで半覚醒の状態だったので、隣の部屋の何かが一体どれぐらいそうしていたのかは正確な時間は測り兼ねましたが、かなり長い時間あさっていたように感じました。

そして、いよいよその何かは隣の部屋から移動し、何と私の部屋に入ってきました。

暗くて姿の詳細は見えませんが、男でした。

かなり若い……シルエットは私と同じ高校生ぐらいに見えます。

寝たふりをしていれば、そのまま出ていくものがほとんどでしたが、流石に身の危険を感じた私は金縛りで動きづらい体をよじって起き上がろうとしました。

「まだ体が動くんだ、やっぱり姉さんはすごいね」

声が聞こえました。

耳にではなく霊特有の頭に直接響くような声でした。

姉さんとその少年が言ったような気がしました。

私には弟はいないのでこいつは何を言っているんだろうと思いましたが、その少年が私の目の前に手のひらを差し出すと今度こそ私の意識は遠のいていきました。

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次に目が覚めた時には夜が明けていました、

時計を見るとちょうどいつも私が起きている時間です。

すぐに起き上がって体がどうにかなっていないか探ってみましたが、特に変わっているところがあるようには感じませんでした。

夢ではない、なぜだか漠然とした思いがありました。

「何だったんだろう、昨日のあれは?」

あの少年の霊が偶然この家に辿り着いたような感じはしませんでしたが、彼がこの家にやってくる目的にも心当たりがありませんでした。

うちの両親や親せきの関係者なのかもしれないので、それとなく事情を話して聞いてみようと思いました。

部屋から出て下に降りていこうと廊下を歩いていると、隣の部屋の中に勉強机と椅子が置かれています。

一般的には何でもない光景だったのですが、今の私には何とも言えない違和感が沸き起こります。

私の家族は両親と妹、祖母の五人家族です。

この二階に部屋があるのは私だけです。

しかし、その部屋には勉強机とクローゼット、ベッドまで置いてありました。

何だか自分の隣の部屋のことなのにこの部屋にこんな家具が置いてあったかどうかの記憶があやふやでした。

昨夜の彼が何かごそごそとやっていたのはこの部屋でした。

これではまるであの少年がこの部屋に住み着こうとしているような気配すら感じ取れました。

私は少し頭をすっきりさせたくなったのでいつもはしない冷たいシャワーを浴びようと思いました。

シャワーを浴びていると、脱衣所の方から妹に呼ばれました。

「お姉ちゃん、砂緒先輩が来てるよ」

思い出しました、高校時代の先輩が保険の説明に訪問を受ける約束をしていたのです。

シャワーを終え、急いで着替えて応接ルームに向かいました。

先日私は高校時代の先輩の勧めで生命保険に入りました。

あいにく両親は不在でしたが、出来上がった保険証書と記念品の説明だけだったので契約者の私だけで話を聞くことにしていました。

一通りの説明をしてくれた後、砂緒先輩は続けて営業口調で私に話しかけてきました。

「この前聞いたご家族の保険もまた良かったらお願いしますね」

この辺は保険会社もしっかりしているもので、推進や契約の際に他の家族の情報もまとめていて別の契約にもつなげようとしていました。

そのサポートメモの中に見たことのない名前が記載されていました。

「黒川優季」

初めて見た名前でした。

苗字は同じでしたが、すくなくともうちの家族にそんな名前の人物はいません。

昨日からの出来事があってか妙に不安になった私は先輩にその名前のことを尋ねました。

「うん、これ?」

保険の営業としてきている先輩ですが、敬語を使われるのもよそよそしいので素の言葉で反応しましたが、彼女自身もなんだろうと言った感じでした。

「いや、たぶん、ここで聞いた家族構成なんだと思うんだけど、だって私が何の情報もなく書き込むことなんてないと思うし」

確かに彼女の言うことももっともでしたが、やはり気持ち悪い感触が残ったままだったので、一つ彼女にお願いしてみることにしました。

「あの、先輩のところで顧客の情報を調べられますよね、この『黒川優季』って言う人のこと照会できないでしょうか?」

「えっ、どういうこと?」

「その、私この人が誰なのか気になるんです、もしかすると先輩の会社のデータベースにこの人の情報があるかもしれませんよね」

「いや、でも、個人情報のことを教えるのは」

「私、先輩に貸しがありますよね」

先輩に対してこんな駆け引きを使うのは気が引けましたが、ここまで来たら私も後には引けませんでした。

先輩は法令順守と私への貸しの板挟みになって困惑の表情を隠せないでいましたが、渋々承諾してくれました。

一時間後、先輩から携帯電話に着信がありました。

先輩の話によると黒川優季という人物は先輩の会社のデータベースに登録されていました。

その情報で住所は私と同じでまさに私の家族ということで登録されているようでした。

また先輩の会社で預金口座があったようで、そこで登録されていた生年月日から私の一つ下の弟となっているようでした。

しかし、その口座は昨日付で解約になっていたようでした。

「昨日付で解約って、本人が来ないと解約ってできないんじゃ」

「……未成年だから両親もしくは委任状という手もあるけど、どちらにしても少なくとも家族の承認は必要よね、ねえ、本当に覚えがないの、この人あなたの弟になってるんだよ」

いくら迫られてもやはり覚えはありません、私はなんとか糸口をつかみたくて先輩にその口座の解約票やできれば防犯カメラの映像の確認まで打診してみました。

土曜だったので、明後日月曜日の放課後にでも店頭に伺うことを取り付けました。

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翌日の日曜日、電話の喚き声が家の中に響き渡りました。

家族は皆外に出かけて誰もいない家の中ではその音は声高に存在を主張していました。

「はい、黒川です」

受話器を素早く取って受け答えをした時、若い男性の声が耳に入ってきました。

男は自分の素性を説明して謝罪の言葉を口にしたようでした。

「はい、確かに砂緒先輩、いえ、えっと、うちの家族に覚えのない人がいて」

男は砂緒先輩の会社の人間でうちの家族の個人情報の登録内容に誤りがあり、ご迷惑をおかけしたので、良ければこれから説明をしに訪問したいということでした。

家族は皆不在でしたが、今回の覚えのない家族のことはまだ私の中で留めていたので、ちょうどいいかもしれないと思い、私はその訪問を承諾しました。

程なくして来客を告げるインターホンが鳴り、私がドアを薄く開いて外を覗くと立っていたのは一人の若いスーツを着た男性でした。

「初めまして、お電話を差し上げました橘と申します」

取り敢えず私は来客を家の中に招き入れました。

「この度は当社の登録情報の不備に寄りましてご迷惑をおかけしました」

通された応接間のソファに身を沈めた長身の男はまずそう口を開きました。

その橘と名乗った男性によると黒川優季という人物をうちの家族として誤登録してしまっていたところ今回の私の指摘を砂緒さん先輩から知り、間違いがなければ直ちに訂正するということでした。

「はあ、ということは私の弟となっていた男の人は誤りだったということですか?」

その通りですと目の前の男性は答えたが、私はまだ釈然としないものがありました。

あの夜に私を訪ねてきた男の子、あれこそ「黒川優季」ではないかという感覚がありましたし、何より彼は私のことを姉さんと呼びました。

そして、この橘という男にもなんというかなんとも言えない違和感がありました。

その銀行員といったきちんとした服装となにかその本人の持っている空気が一致していないように思えました。

銀行業務の苦情対応のことは私にはよくわかりませんでしたが、あまりに対応が早いという印象もまずありました。

砂緒先輩に相談したのが土曜日、この橘という男性が尋ねてきたのが日曜日です、私の感覚ではまずは週明けの月曜日に確認の電話でも入るぐらいかなと思っていました。

まるで早急に確認しなければいけない案件であるかのような感じです。

「あの、この黒川優季さんは本当に間違いだったんでしょうか?」

「……どういうことでしょうか、貴方の方から間違いだと問い合わせられたのではありませんでしたか?」

その通りでした、そして私や私の家族にはこの黒川優季に関する記憶はありませんでした。

このまま追求したとしても私にはその肝心の黒川優季に関する情報が何もないのですから、本来はこれで話は終了のはずでした。

しかし、私はやはり確認したいことがありました、少々感心しない手を使っても……

「いえ、それが、あれから優季の、弟のことが、頭にだんだんよみがえってきて、なんで忘れていたのかなと……」

どちらかというと熱のないマニュアル通りの説明をしていた橘さんの表情に動きがありました。

「えっ、弟さんのことが……」

「はい、今日になって少しずつ……」

「弟さんのことを思い出したんですか?」

橘さんの声がかすかに震えていました、その声と表情が雄弁に彼の動揺を物語っていました。

そして彼は今私の期待していた言葉を口にしました。

『弟を思い出した』と。

「思い出したって、やっぱり私には弟がいるんですね」

本当のことを言ってもらうために誘った私の引っ掛けに気が付いたのか、橘さんは表情をなくして私から目をそらしました。

私は興奮して立ち上がりかけましたが、橘さんは私の肩をゆっくりと押さえて再び席に着かせると自嘲気味ににんまりと笑いました。

「これは……私としたことが女子高生の簡単な手に引っかかってしまいました」

「あなた、本当に銀行の人間なんですか?」

私の激しい問いかけに興味なげに再び両手を組みなおしました。

「黒川瑞季さん、あなたのことも少々調べさせていただいたのですが、あなたはいわゆる心霊的なものが視える性質をお持ちですね、それもかなり強い部類だ」

「それが……何の関係があるんですか?」

「なら、今から私が話すことも理解していただけますかね」

「何を言って……」

「私は今回のような心霊案件を担当する外部業者です」

「心霊案件、外部業者?」

いきなり胡散臭い単語が並んだような気がしました。

「役所や企業はいわゆる心霊に関する案件に対して想定外の危険な事態が発生する場合を想定しています」

「なに、何を言ってるんですか!」

自分がかなり間抜けな質問をしているような気がしてしまい、私は言葉を続けるのに躊躇しました。

「心霊スポット、事故物件、忌み地などに関わる場合、担当者もしくはその組織に危害が及ぶ場合があります」

私の動揺とは裏腹に橘さんは淡々と説明を続けました。

「仮に自社社員に心霊的な障りによる怪我や精神疾患、最悪の場合死亡事故が起こるとそれには労働災害としての手続きをしなければならないですよね」

私の質問には答えるようなそぶりを見せなかったので、私は黙ったまま聞くことにしました。

「しかし、現代の日本では心霊的な祟り、障りを公的なものとして扱うことは難しいことです。祟りで死んだという理由で納得する人はいませんし、対策費としての予算も付けることが出来ません」

冷たい顔でした、そこには何の感情も浮かんでいませんでした。

「けれども、心霊的な障りは確かに存在し、だからこそ企業はその対策を考えます」

「それが外部業者に委託するということ?」

「まあ、組織によっては採用するときに身寄りのいない人間を枠として採用するということも聞いたことがありますが、私のようないかがわしい身分の人間や外国人を雇う場合がやはり多いですね」

橘さんは私の方に静かな視線を向けました。

「何かあったときには企業側はその人物との関わり合いを否定して逃げればいいですからね」

一瞬だけその顔の表面に侮蔑に似た表情が滑り落ちて行ったような気がしましたが、すぐに私は目の前のこの男が言おうとしていることを理解しました。

「さっきから簡単に話してくれていると思ったら、そういうこと」

「ええ、そうですね、あくまで私が勝手にやっているということです」

「今回の『私の弟』の件はどういうことなの?」

「銀行や役所は認めることはありませんが、あるのですよ、ふいに神隠しのごとく人が消えてしまう事象が」

「役所も……認めないって、どういうことよ!」

その声は私の思っていた以上に部屋に響きました。

「少なくともあなたはないのでしょう、弟さんの記憶が、詳細が分からない人物のことをどうやって追求できるのですか?」

橘さんの声は穏やかで冷静そのものでした。

確かに記憶のない弟のことを問い詰めることはできそうにはありませんでした。

「……でも、人が消えるっていうのは」

「一般的には神隠しなどという現象が有名ですが、この事例は関係者の記憶が消えてしまっている、しかし消えたのはその人間の記憶と存在だけでその人間がこの世にいた形跡はそのまま残っています」

「それが銀行口座や自宅の部屋ということ?」

「その不意に出現する記憶のない貯金口座や金融商品を適切に処理する、それが私のこの事案に関する仕事です」

そこまで説明を聞いて私はようやくこの橘という男の行動と態度を理解しました。

しかし、私にもこのまま引き下がることはできませんでした。

「詳しく教えてください、弟が巻き込まれた事件のことを!」

なおも食って掛かる私を冷静そのものの表情で宥めながら、橘さんは話を続けました。

「その前に確認しておきますが、本当に構いませんか、話をしても?」

「どういうことですか?」

その焦れさせる物言いに私はむっとしましたが、橘さんは感情のこもらない口調で恐るべき台詞を続けました。

「この話を聞けば、もう戻れなくなるということです。まあ、境界線とでも言いましょうか」

「境界線?」

「世の中には超えてしまうと後戻りのできなくなる境界線というものが明確に存在します、人付き合いや仕事でもこれを言ったり、やったりすると終わりというものは存在するでしょう」

「つまり、この話が?」

「ええ、聞けばもう戻れなくなりますよ、そちら側には」

それはすでに私とこの目の前の彼との間にはっきりした境界があることを示唆しているようでした。

「構いません、続けてください」

即答した私でしたが、その私に対して橘さんは哀しげに訴えました。

「しかし、この話を聞いてしまえば、あなたは弟さんと同じく、この世から人々の記憶ごと消えてしまうかもしれませんよ」

「えっ」

「あなたの家族もあなたの影響した霊障によっては命を落とすかもしれません」

「な、なに言ってるんですか?」

漆黒の目が私の顔を不思議そうに見つめました。

「はて? 私、今明確に説明しましたよね、ここを超えると戻れなくなる境界線だと」

橘さんの表情が黒く染まっていくような気がしました。

「あなた自身も心霊的事象の経験はつんでいるというのにそれぐらいのこともわからなかったんですか、そんな反応をされると恐ろしく軽薄に見えますよ」

今度こそ何も言い返せませんでした。

彼の言うことは理路整然としたもので、私の方が勝手にヒステリックになっていたことに気づかされました。

彼の説明の内容と態度は熱くなっていた私の心に羞恥心を思い出させるには十分でした。

それでも、私はなおも抗弁しようとしました。

「で、でも……」

「今のところは自分に見知らぬ家族がいるのかもしれないという段階です、それで止めておいた方があなたやあなたの家族のためになりますよ、あなたさえ少し我慢すれば」

そう言うと橘さんは立ち上がって、部屋から出ていこうとしました。

確かに彼の言う通りかもしれませんでした。

いたかもしれない家族のことで私だけでなく他の家族まで危険にさらすのはある意味理不尽なことかもしれないと思いかけていたその時でした。

頭が沈むような感覚とともに視界がインクを流したかのように黒く染め上げられていきます。

(姉さん、僕は死にたくない……)

誰かが遠くで囁いたような声が頭によみがえりました。

なにかとてつもなくいやなことがあったような気がしました。

こんなに頭が痛い、いえ胸が痛い……頬を何かが伝わり落ちていく感覚がありました。

「えっ、優季、私の、弟、交通事故で死んだ」

私は泣いていました。

突然、今まで何もなかった『弟』に関する記憶が頭の中によみがえってきたのです。

「もう、思い出したふりはかまいませんよ」

「あいつが調べていた心霊スポット、あの時私はトンネルの中で大きな階段で」

それまで白けていた雰囲気だった橘さんが私の口から『大きな階段』という言葉が発せられた瞬間はっと目を見開きました。

「なんと言いました、今、大きな階段と」

「そう、私は確かにあの大きな階段で優季を……」

なぜ今まで忘れてしまっていたのだろう、確かに私には優季という弟がいました。

「あなたはその『回廊』で弟さんを連れ帰ったのですか?」

私は大きな階段と言ったのに橘さんは回廊という言葉を使ったことに違和感がありました。

私は尋ねられたままにゆっくりと頷きました

「あなたがその『回廊』に行ってしまったならば、もうあなたは当事者です、とっくの昔に境界は超えてしまっていたようですね」

橘さんは考え込んでいる私に返答を促してきました。

「お願いします、私と弟に何が起こっているのか、教えてください」

「わかりました、では始めさせてもらいましょう、今からお話しするのは私達が『灰下回廊』と呼んでいる心霊スポットに関することです」

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後で思い返すと、このとき私は目の前にいる彼がなぜ嬉しそうに微笑んでいるのかを不思議には思っていませんでした。

そして、それは彼が人としての魂をこの世ならざる存在に売り渡しているということをこのときはまだ理解していなかったのです。

この日、この場所で私の人生は変わり始めていました。しかしそれはもはやこの世の出来事とは言えないものだったのかもしれませんでした。

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