長編22
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S美(仮称)

この話は残酷な描写、グロテスクな描写、非常に不快な表現を含んでいます。

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知人から聞いた話です。

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某所にある高層オフィスビル。

一階入り口、自動ドアの先には広々としたエントランスホール。

エントランスホール内、左手には喫茶店があり、白髪まじりの髭をたくわえた中年男性が愛想よく笑顔を振りまく。

挽きたて珈琲の良い香りが空調の流れに乗り、エントランスホールに足を踏み入れた人々を誘う。

右手にはコンビニが隣接しており、毎朝、朝食を買い求めるサラリーマンの行列が出来る。

喫茶店で珈琲を飲み終えた者、白いビニール袋を片手にコンビニから出てきた者が向かう先、エントランスホール正面には非常に大きな絵画が飾られている。

絵画には森の中の開けた場所で切り株や丸太に座りながら食事を楽しむ外国人達が色鮮やかに描かれている。

ただ、描かれた人物はどれも虚ろで死んだ魚の様な目をしており、遠目に見る分には良いが、近距離で見ると気味が悪い。

その絵画を中心に、左側と右側にエレベーターホールが分かれている。

左側は低層棟(B1~F9)行き、右側は高層棟(B1、F10~F20)行き。

それぞれにエレベーターが四基ずつ設置されているが、それでも毎朝行列が絶えない。

各フロア、エレベーターから降りると通路が左右に分かれ、さらに各々の通路が突き当りで左右に分岐、オフィスの入り口は4か所存在する。

10階であれば、10-A、10-B、10-C、10-Dと呼ばれ、それぞれに中小企業が入り、誰もが聞いたことのあるような大企業の子会社等は1フロアを丸々借りている。

私の勤め先は高層棟14-Bにある。

満員のエレベーター、14階に辿り着くまでの間、目の前に立つ男性サラリーマンの後頭部の白髪をじっと眺めた。

スーツがフケだらけのサラリーマンが目の前に立つことも多々あり、そうすると朝から非常に不快な気分になるが、この日は大丈夫だった。

14階に到着し、エレベーターのドアが開いた。

エレベーターが停まる度に周囲や背後を気にかけ、降りそうな人がいれば道を開けてくれる人も多いが、この日、目の前に立っていた男性サラリーマンは気が利かない部類だったようだ。

「すみませ~ん。おりま~す」

同じ階で降りる人がいなかった為、私は人をかき分けながら、エレベーターを降りた。

丁度、向かいのエレベーターから見覚えのある女性が降りた。

女性は私に気が付くと軽く会釈し、私とは反対方向の通路に歩いて行った。

先月から同じフロアで働いているようで、最初に出会ったのはお昼休みにお手洗いで歯磨きをしている時だった。

鏡越しに満面の笑みで会釈され、それ以来、すれ違う度に向こうから会釈してくれるようになった。

特に会話した事もなく、清掃のおばさんに挨拶されたら挨拶し返すのと同程度の間柄だ。

私なんかと違って、モテそうだなと思ったのが第一印象だった。

茶髪のセミロングでいつも可愛らしい服装をしており、最近テレビによく出ている女優のS美に似ている為、私は勝手にS美と命名した。

「思い切って今度話しかけてみようかな?服装もメイクも参考にしたいし」

色々考えているうちに14-Bの入り口に到着した。

バッグからネックストラップを取り出し、カードリーダーにIDカードをかざす。

【ピピッ】

入口ドアを開け、ネックストラップを首から下げ、またいつも通りの日々が始まる。

「おはようございます」

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【カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ】

14-Bのオフィス内、聞こえてくるのはキーボードを叩く音。

様々なクライアントからの依頼を受け、音声データ、手書き文書、アンケート結果等を文書データ化するのが私の仕事だ。

この時、担当していたのは音声データの文書データ化だ。

最初に音声データをテキスト化するツールを使用し、ざっくりと変換する。

その後、音声データを聞きながら、変換しきれなかった平仮名を漢字にしつつ、誤字脱字を訂正して出来上がりだ。

「お昼~お昼~」

ヘッドホンを外し、デスクから立ち上がり、真後ろの席に座る同僚の両肩を掴む。

「今日は何食べる?」

「昨日は和食だったから、洋食かなぁ」

「おっけー。あ、あとこれ」

私はランチトートに入れてきた二本のマグボトルのうち、一本を手渡した。

「いつもありがと~♪」

同僚は待ってましたと言わんばかりに両目を輝かせ、すぐさまマグボトルの蓋を開け、一口、二口、三口飲んだ。

「ほんっと、この手作りスムージー美味しい!」

「ここで飲むんかい!ほら、急がなきゃ!」

オフィスビルにはフードコートがあり、ワンコインで食べられるものも多いことから、昼食時は非常に混雑する。

私は同僚と共に、エレベーターホールに向かった。

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エレベーターホールは昼食時という事もあり、エレベーター待ちの行列が出来ている。

私はちらりとエレベーターホールの壁を見た。

激太りの男性が苦しそうに階段を上がり、徐々に身体が痩せていき、最後にはスマートなイケメンになっているイラストが描かれている。

階段利用を促進するポスターだ。

一度だけ、避難訓練の際に非常階段で14階から1階まで下りたことがあるが、いかにエレベーターが素晴らしいものかを再認識する良いきっかけとなった。

「私は痩せてるし、美人だし、エレベーター使っても文句ないよね」

エレベーター待ちをしている小太りの男性陣を横目に、耳元で同僚が囁いた。

「ちょっとやめなよ…聞こえるよ」

「ごめんごめん」

【ピンポン】

エレベーターが到着しても、乗れるとは限らない。

お昼時と帰宅時は14階よりも上の階から乗ってくる人たちで満員になっていることもざらだ。

ドアが開いたかと思えば満員、既に乗っている人が申し訳なさそうに会釈し、そのまま閉じるドア。

それを何度か繰り返し、やっとエレベーターに乗り込めた。

「あっ」

私は後からエレベーターに乗り込んできたS美に会釈した。

S美も軽く会釈し、背を向けると私の目の前に立った。

大抵、エレベーターの中は一緒に乗り込んだ中年サラリーマンの汗や加齢臭の臭いが漂うが、今は違う。

石鹸で手を洗った直後のような、さわやかな香りがする。

おそらく、目の前のS美だろう。

エレベーターが閉まり、下降する間、私は瞳を閉じた。

高層棟用のエレベーターである為、13階、12階、11階、10階と連続で止まり、次は1階までエレベーターが止まることは無い。

10階のドアが閉まった直後の事だった。

「ひっ!」

小さな叫び声がした。

隣にいた同僚が口元を手で押さえている。

「どうしたの?大丈夫?」

小声で尋ねるも、同僚は無言のまま、目を見開いている。

エレベーターが1階に到着し、ドアが開いた。

私は口元を押え続けている同僚に寄り添いながらエレベーターから降りた。

「どうしたの?具合悪い?」

「ねぇ、見てなかったの?」

「何を?」

私を真顔で見つめながら同僚が口を開いた。

「あんたの前に立ってた女いたでしょ?」

「うん」

「急に後頭部を手で掻き始めたかと思ったら…何かを掴んでそれをそのまま口に入れて食べたんだよ」

「え?」

「それで、すぐにまた後頭部を掻き始めたんだけど…」

「…」

「指の隙間から見えたんだよね…」

「何が?」

「たぶん、ゴキブリの赤ちゃん。それも一匹じゃなくて、何匹も見えた…」

「またまた~嘘でしょ?」

相変わらず真顔で私のことを見つめる同僚。

冗談では無いことが犇々と伝わってきた。

「ほら、前に生きたゴキブリが頭の中にいて、手術で摘出してる動画あったでしょ?きっとあれと同じだよ。頭の中で飼ってるんだよ…」

「さすがにそれは無いでしょ…」

「それに、エレベーターの中、カメムシみたいなすごい嫌な臭いしたでしょ?きっとあの女の臭いだよ」

「え?せっけんの良い香りしかしなかったけど…」

険しい表情の同僚は私に理解してもらえないと判断したのか、それ以上、S美の話はしなかった。

「よし!美味しいもの食べて忘れよっと!」

同僚は元の明るい表情に戻ったが、何処か無理しているようにも見えた。

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「オムライス美味しかったねー」

「だねー。あれで600円は安いよね」

14階の女子トイレ、私と同僚は鏡の前で歯磨きをしながら雑談していた。

「あっ…」

鏡越しにS美が入ってくるのが見えた。

私が歯ブラシを咥えたまま会釈すると、S美もいつも通り軽く会釈した。

可愛らしい手提げポーチを手にしたS美は、同僚の隣に立ち、歯ブラシと歯磨き粉を取り出した。

私は再び視線を鏡に戻し、歯磨きを続けた。

「…」

「うっ…、おぇ…」

「ちょっと、大丈夫?!」

突然、隣で歯を磨いていた同僚が嘔吐した。

先程、食べたばかりのオムライスが見るも無残なかたちで洗面台に広がる。

洗面台は吐しゃ物で詰まり、酸味のある臭いが鼻をつく。

同僚は蛇口から水を出し、何度か口をすすぐと足早に女子トイレから立ち去った。

同僚の隣に立っていたS美と視線が合い、再び会釈されたので、私も会釈し返した。

歯ブラシを咥えたまま、にこやかな表情を浮かべている。

同僚の後を追うように女子トイレを出ると、通路の壁に寄りかかりながら携帯をいじる清掃のおばさんがいた。

事情を説明すると、あからさまに嫌な顔をしながら携帯をポケットにしまい、清掃のおばさんは女子トイレに入っていった。

私は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、14-Bに向かった。

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「大丈夫?」

声を掛けるも反応が無い。

同僚はデスクに突っ伏し、腕枕で寝ていた。

「どうした?具合悪いのか?」

横で私と同僚を見ていた上司が話しかけてきた。

「さっき、お手洗いで戻してしまって…」

「え…ちょっと無理しないでよ。今日は帰っていいから」

私が説明すると、上司は心配そうな顔をしながら帰宅を促した。

「お忙しいところ申し訳ありません…。もう少し落ち着いたら帰ります…」

同僚は突っ伏したまま返答した。

それから十分後くらいに同僚はオフィスを後にした。

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「おはよー」

翌日、同僚は何事も無かったかのようにいつも通り出勤した。

「あ、おはよー。具合、大丈夫?」

「あ、うん。ちょっといい?」

「え?うん」

同僚に着いて行った先はフロア内にある小会議室だった。

真っ白なミーティングテーブルが一つ置かれ、イスが四脚。

テーブルの上にはPC用のモニタが一つ設置されている。

同僚が奥の椅子に座り、私は小会議室のドアを閉め、同僚の目の前に座った。

「昨日はどうしたの?」

「…」

しばらく無言だった同僚は額を手で押さえると、そのまま髪をかきあげ、口を開いた。

「あのさ、トイレで後から入ってきた女いたでしょ?」

「あ、うん。S美でしょ?」

「S美?あぁ、確かに似てるかも。そう。あいつ絶対やばいよ。なんでいっつも挨拶してんの?」

「え?だって会釈されたらし返すでしょ?」

「私は会釈されたことないよ?そもそも誰だか知ってるの?」

「いや、知らないけど…同じフロアだし、顔見知りだし…。それがどうしたの?」

「昨日、トイレで本当に何も見てないの?」

同僚は呆れた顔で私のことを見つめている。

「見てないけど…何を見たの?」

「あの女、ポーチから歯ブラシ出して、歯磨き粉を付けようとしてたんだけどさ…」

「うん」

「歯磨き粉のチューブから黒いのが出てきて、初めは炭の歯磨き粉かなと思ったんだけ…」

「うん」

「炭じゃなかったんだよ」

「え?」

「歯を磨いてる最中に私が見てるのに気が付いたみたいで、鏡越しに私を見ながら微笑んだかと思ったら、歯磨きを止めていきなり口を開いたの」

「…」

「口の中は真っ黒で、所々真っ白な歯が見えたんだけど、動いてた…」

「え?動いてた?」

「黒いのは全部、小さい虫だったんだよ!前歯の表面でウジャウジャ蠢いてた!あの女、口開けたままニヤニヤしながら歯磨きし始めて、途中でグチャグチャグチャグチャと歯で虫を磨り潰してた…」

同僚はその光景を思い出したのか、昨日同様に口元を手で押さえながら具合の悪そうな表情をした。

「ちょっと…さすがにそれは見間違いじゃないの?」

「は?私が嘘ついてるとでも?」

口調が荒々しくなってきた同僚は憤怒の表情を浮かべている。

「ごめんごめん…。私もなるべく関わらないようにするよ…」

「それがいいよ。絶対やばいから、あの女」

同僚は立ち上がり、小会議室を後にした。

一人残された私は頭を抱えた。

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それからしばらく経ったある日。

「家飲み楽しみだねー」

「だねー。何処で買い出しする?」

女子トイレで同僚と一緒に化粧直しをしながら、今晩の家飲みについて話して話し合っていた。

「ビールは昨日買っておいたから、うちの近所のスーパーでおつまみ買おー」

「おっけー」

「ちょっと相談に乗ってもらいたい事があってさー。あっ…」

同僚の視線の先、個室トイレから出てきたS美と目が合った。

S美はいつも通り、私に対して軽く会釈した。

私が反射的に会釈すると、脇腹を同僚につねられた。

『何で挨拶してんのよ』

と言いたげな険しい顔で私を睨みつける同僚。

「あ、ちょっとトイレ…」

女子トイレの個室は三つあり、気まずくなった私は丁度一つ空いた一番奥の個室トイレに向かった。

「きゃっ!」

「どうしたの?!」

私の叫び声に同僚が駆け寄る。

「どうかしました?」

「大丈夫ですか?」

他の個室トイレ内からも心配する声が聞こえた。

「…」

個室トイレ内を見た同僚は絶句した。

便器の水面が真っ黒になっている。

初めは流し忘れかと思ったが違った。

真っ黒い何かが動いている。

「…」

便器の水面は大小様々な虫でびっしりと埋め尽くされ、便器から這い出ようと蠢いていた。

既に数匹の虫が便座の上を動き回っている。

「そういえば…あの女が出てきた時、トイレ流す音しなかったよね?」

「確かに…」

「…」

「…」

私はトイレットペーパーを大量に巻き取り、水面の虫を隠すよう投げ入れると、水洗レバーを押した。

水の渦の中、流されていく大量の虫。

便器内の水が全て無くなり、再び溜まり始めた水にも流れ切らなかった虫が数匹浮かんでいた。

再度、トイレットペーパーを投げ入れ、水洗レバーを押し、同僚と一緒に女子トイレを後にした。

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その日の帰り道。

会社から徒歩二十分の場所に住む同僚の家に向かう途中、隣で自転車を押す同僚が突然立ち止まり、振り向いた。

「ねぇ…あれ、あの女だよね…」

私も振り向くと、十メートル程後ろで立ち止まっているS美と目が合った。

S美は私に気が付いたのか、軽く会釈した。

私も会釈しようとしたが、同僚の視線が突き刺さり、気が付かない振りをして再び前を向いた。

「あの女、やっぱりヤバいよね」

「う、うん…」

「てか会社からずっと付いてきてない?」

「え?たまたま帰り道が一緒なんじゃない?ほら、もうすぐ最寄り駅だし」

「ならいいんだけど…」

五分ほど歩くと、左手に会社からの最寄り駅が見えた。

私と同僚は最寄り駅を横目にしばらく歩き、再び振り向いてみた。

「…」

「…」

最寄り駅は過ぎているにも関わらず、S美が視界に入った。

こちらに気が付いたのかまた会釈している。

「ほら、やっぱり付いてきてる…」

「もしかしたら、家がこっちの方なのかもよ?」

「じゃあ、試してみる?」

「え?」

同僚は自宅とは別の方向に進み始め、曲がり道がある度に右へ左へ適当に歩きはじめた。

かれこれ十分以上、経っただろうか、普段は通らない住宅街で同僚は立ち止まり、振り向いた。

「嘘でしょ…」

背後にある曲がり角、電柱の隣にS美が立っていた。

そして、またこちらに向かって会釈した。

「ほら、絶対に付いてきてるよ…。ちょっと怖いんですけど…」

「…」

ふいに腕を見ると、ぶつぶつと鳥肌が立っていた。

「ねぇ、後ろ乗って!撒こう!」

「あ、うん…」

同僚の自転車に二人乗りで、その場から急いで離れた。

私は同僚の腰に手を回した状態で背後を見た。

「…。ねぇ…、やっぱりヤバいかも…」

「え?」

私たちを追いかけるように走るS美が見えた。

走りながら、何度もこちらに向けて会釈している。

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「もう大丈夫みたい」

「よかったー」

さすがに諦めたのか、しばらく走った後に背後を確認したが、S美の姿は無かった。

「おつまみどうしよう?」

逃げるのに必死でスーパーでの買い出しをすっかり忘れていた。

「そこのコンビニで適当に買おうか」

「おっけー」

コンビニでの買い出しを終え、再び二人乗りで同僚の自宅に向かった。

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「あ、あれがうちのアパート」

視線の先に二階建てのアパートが見えてきた。

そのままアパートの敷地内に入り、駐輪場に自転車を置き、アパートの階段を上がる。

同僚が立ち止まったのは<二〇二>と書かれた玄関ドア前。

「到着!さすがにもういないよね?」

同僚は周囲を見渡し、S美がいないことを再確認した。

「よし!飲もう飲もう!どうぞ入ってー」

「おじゃましまーす」

私は<二〇二号室>に入った。

女性の一人暮らしにしては、室内は綺麗に片付けられており、やや殺風景な印象だった。

「あ、可愛い!」

「でしょ?」

唯一、目に留まったのが、カーテンレールにハンガーで掛けられた花柄の綺麗なワンピース。

「何処で買ったの?」

「少し前までこの部屋にお姉ちゃんが住んでたんだけど、引っ越しの手伝いしてる時に見つけて一目惚れしてね、手間賃としてもらったの」

「へぇ、お姉さんいたんだー」

「あ、うん…。あ、適当に座ってね」

姉についてそれ以上は語ることなく、同僚は冷蔵庫からビールを持ってきた。

テーブルの上のリモコンを操作し、テレビをつけると、バラエティ番組が映し出され、観客の笑い声が響く。

「それじゃ、かんぱーい!」

「かんぱーい!」

小さなテーブルで向き合いながら缶ビールを開けた。

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「そういえば相談って?」

三本目の缶ビールを開けた頃、女子トイレで言われた事を思い出した。

「あ、うん…。もう少し飲んでから話すよ」

何やら言い難い様子だった為、私は深追いせず、同僚から話を切り出してくるのを待つことにした。

「あ!ちょっと動かないで…」

「え?」

同僚はゆっくりと私に近づき、肩に手を乗せた。

「肩に虫がついてたよ」

「え?ほんと?ありがとう」

同僚はそのまま台所に向かうと、手を洗った。

それからしばらく経ち、三本目の缶ビールが無くなりそうになった頃、同僚が真顔で私を見つめた。

「どうしたの?」

「ちょっと、動かないで。そのままじっとしてて…」

再び友人がゆっくりと近づいてきた。

また虫でもいたのかなと思った私は言われた通り、じっとした。

【パンッ!】

「痛っ!!突然何すんの?!」

同僚は私の左頬を思いっきり平手打ちした。

「ごめんごめん。ほら、虫が付いてたから」

そう言いながら同僚は右手の平を私に向けたが、手の平に虫の死骸はない。

「あ、そうだ、最近の悩み、聞いてくれる?」

私は左頬を押さえながら無言で頷いた。

「ありがとう。ちょっと待っててね」

同僚は立ち上がると、玄関の方に向かって行った。

私はバラエティ番組を見ながら待つことにした。

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「お待たせ~」

フローリングの床を何かが引きずるような音とともに、同僚が戻ってきた。

何故か同僚は背を向けたまま近づいてくる。

「え…」

【バンッ】

同僚は手に持っていたものを床に下ろした。

「え?誰?これ?え?」

パニックになる私をよそに、笑顔で振り向いた同僚の足下には見知らぬ男性が仰向けになっている。

皮膚は変色し、息をしていないのは明らかだった。

異臭が鼻をつき、私は口元を手で押さえた。

「この人は<二〇三号室>のFさん、お隣さんだよ」

同僚は笑顔で淡々と話し始めた。

「Fさん、私の部屋から異臭がするとか騒いで煩くてね、何も無いって言っても信じてくれないから部屋に入れたんだけど」

「…」

「私の部屋を見回ってるFさんの襟元から虫がたくさん出てきて、怖くなってね。玄関に飾ってあったトロフィーで軽く叩いちゃったの」

「…」

「そしたらさ、死んじゃった。ねぇ、どうすれば良いと思う?私は悪くないよね?正当防衛?不可抗力?わかんないけど、悪気は無かったの。これっぽっちも」

一刻も早く逃げ出したかったが、出口となる玄関側には笑顔の同僚。

私はゆっくりと後退りするしかなかった。

また、同僚の語る内容と目の前のFさんの状態はあまりにも乖離していた。

「じゃあ…その目は?」

私は恐る恐るFさんの目があった箇所を指さした。

「目?あぁ、なんか目玉からも虫がたくさん湧いてね。怖くなったからスプレーしたの。ほら、薬剤使ってなくて人体に無害な凍らせるやつあるでしょ?」

「…」

「片目に三本ずつ噴射して、最後に人差し指でツンツンしたらグチャってなっちゃった」

全く悪気が無かったかのように淡々と語り続ける同僚。

「あと、耳とか鼻とか口からも虫がすごくて、とりあえずガムテープで塞いでから、小さな穴を開けて、そこに殺虫スプレーのノズルを刺しこんで、プシューってね」

「…」

「ねぇ、これからどうすれば良いかな?あ、とりあえず、Fさんにはお風呂場で待っててもらうね。また飲みながら相談させて」

同僚は再びFさんの脚を持ち上げると、引きずりながら玄関の方に向かって行った。

この状態で飲む気になどなれるはずがない私は逃げ出せるタイミングが来るのを待つしかなかった。

【ピンポン】

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突然、インターホンが鳴った。

同僚がFさんを引きずるのをやめ、玄関のドアスコープを除く。

「え?なんで?」

同僚が険しい顔をしながら戻ってきた。

「ねぇ?嘘ついてたの?」

「何が?」

「あの女が来てるんだけど!」

「あの女?」

「とぼけないでよ!あんたが会釈してるあの女だよ!」

途中で撒いたと思っていたS美が、ここまで付いてきたようだ。

出口と思っていた玄関までもが塞がれてしまい、私は呆然と立ち尽くした。

【ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン】

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「ちょっと、怖いんですけど…」

同僚は怯えているが、それ以上に怖いのは私の方だ。

室内には人殺しの同僚、外には得体の知れないS美。

八方塞がりとはまさにこのことだと思った。

「ねぇ、警察呼ぶ?」

同僚が許可するとは思えなかったが、ダメ元で提案してみた。

「は?あんた馬鹿じゃないの?!お風呂場でFさん死んでんだよ?捕まるじゃん!あんたも道連れだよ?」

「…」

予想通りの返答に私は無言で俯いた。

「あ、ちょっと、動かないでね…」

突然、同僚が私の首元を凝視しながら後ずさりし、玄関に向かった。

「え?」

私は首元を見るも、何もない。

戻って来た同僚の手には玄関に置かれていたトロフィー。

「ねぇ、じっとしててね、動かないで」

真顔で徐々に近づいてくる同僚。

「え?何?」

「首元に虫がたくさん。あんたもFさんと同じだったなんて…。ごめんね。気が付いてあげられなくて。今、楽にしてあげるからね…」

同僚が涙を流しながらトロフィーを振り上げた。

私はその場に座り込み、頭を抱え、目を瞑った。

「…」

食卓に並ぶ美味しそうな日本食。

実家の両親が微笑む光景が脳裏に浮かんだ。

「お父さん、お母さん…」

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「ひっ!」

同僚が小さな叫び声をあげ、手にしていたトロフィーを床に落とした。

震える左手を見つめながら、悲壮な表情を浮かべている。

「どうして?なんで?」

左手の指と爪の間を右手の指の爪で必死にこすりはじめた。

「やだ!やだ!どうして!何で指から虫が出てくるのよ!」

同僚はリビング内に設置された木製のチェストに駆け寄ると、一つの引き出しを引き抜き、中身を床にぶちまけた。

チラシや文房具が床に散乱し、その内の一つを手に取った同僚。

「ちょっと…何するの?」

「何って?虫を取り出すのよ!!」

同僚は手にしたカッターナイフの刃先を爪と指の間に入れると、力を込めて左右に何度もスライドさせた。

「あぁっ…痛ぃ!イタイヨォ!どうして私がこんな目に遭わなきゃイケナイノヨォ!」

全身を震わせ、号泣しながらもその手を止めることなく、5本の指先から流れる鮮血で左手は真っ赤に染まった。

同僚はカッターナイフを背後に投げ捨てると、床に散乱したものの内の一つを手にした。

今度は切り開いた爪と指の間に銀色のピンセットを深々と突き刺し、内側の肉を何度も摘まみ始めた。

「どうして?どうしてこんなに出てくるノヨォ!」

ピンセットを向かいの壁に投げつけると、背後に転がる殺虫スプレーを手にした。

【シューーーーーーーーーーーーーーーー】

「アァァァァァァァァァァァァァ!!!!」

絶叫しながら左手の爪と指の間に殺虫スプレーを噴射し続ける同僚。

【バン!バン!バン!バン!バン!】

殺虫スプレーを使い切ると、激痛を誤魔化す為か、号泣しながら広げた左手の平を床に何度も叩きつけた。

叩きつける度にリビングの床は徐々に赤く染まり、血飛沫が飛び散った。

【ガラガラ】

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突然、背後から物音。

「…?!」

ゆっくりと振り向いた私は絶句した。

ベランダの窓が開かれ、S美が立っていた。

私と視線が合うと、軽く会釈するS美。

S美は土足のまま室内に入り、周囲を見渡した。

「あっ」

何かを見つけ、移動した先には花柄の綺麗なワンピース。

「うっ…」

S美がワンピースに手を触れた直後、同僚が床に倒れ、白目を剥きながら全身を痙攣させた。

口元からは悍ましい数の黒い虫が溢れ出ている。

S美は足元に蠢く虫を踏みつぶしながら私に近づくと、私の手を引き、ベランダに向かった。

「え?どうなってるんですか?」

私からの問いかけ対して、横たわる同僚の真上、天井を指さすS美。

「??」

そこには何の変哲もない真っ白な天井があるだけだった。

「ほら、急いで」

S美は立ち尽くしている私の手を再び引いた。

ベランダに出ると、お隣<二〇一号室>のベランダから顔を覗かせている男性が心配そうに声をかけてきた。

どうやら、S美がお隣さんに助けを求めてくれていたようだ。

私はS美に促されるまま、<二〇二号室>のベランダから<二〇一号室>のベランダに移動した。

「この人をよろしくお願いします」

S美はそう言い残すと軽く会釈し、<二〇二号室>に戻って行った。

【ガラガラ】

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××市アパートにて変死体、近隣トラブルか

××市にて、アパートの浴室から男性の変死体が見つかった。

男性は同アパートの住民と見られ、変死体が見つかった部屋に住む女性も意識不明の重体。

警察は、何らかの近隣トラブルがあったとみて、女性の回復を待ってから詳しく事情を聴く方針。

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あの事件以来、S美に会うことは無かった。

命の恩人であり、お礼をしたい旨、事情聴取の際にも話したが、結局、S美が誰だったのかは分からずじまい。

オフィスビル内のどの企業にもS美は在席しておらず、エレベーターホール及びエレベーター内の監視カメラに行き帰りの姿は映っていたが、オフィスフロア内の監視カメラには一度も映っていなかった。

目的は不明だが、14階でエレベーターを降りた後、帰りの時間になるまでずっと女子トイレか非常階段にいたのではないかと噂されている。

そういえば、警察と一緒に同僚の部屋に再度足を踏み入れた時、S美は既におらず、花柄の綺麗なワンピースも見当たらなかった。

S美が持ち去ったのだろうか?

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そうそう、蛇足ながら、同僚は精神病棟に入院している。

虫が見える幻覚と、虫の羽音が聞こえる幻聴に悩まされ続け、看護師に危害を加えることもしばしばあるそうだ。

おそらく、薬物が原因と噂されている。

マグボトルを洗い終えた私は、リビングのソファに腰掛けた。

「はぁ…あのまま死ねば良かったのに…」

テーブルの上に散らばる粉末を鼻で一気に吸い、静かに目を閉じ、深呼吸した。

ふいに、顔だけが取り柄の同僚が病院で暴れる滑稽な姿を想像し、口元が緩んだ。

五感が冴え渡り、聴こえてくる聴き馴染んだクラシックの美しい旋律に心震わせる。

あぁ、素晴らしい高揚感。

今日も私は優雅な時間に浸る。

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「クソが!また誰かアレ買い取っただろ!」

小太りの男が怒鳴りながらパソコンのキーボードを拳で叩いた。

「店長?どうしたんですか?」

後ろにいた若い男が呆気にとられていた。

「あー。これ見てよ…」

小太りの男がモニターを指差した。

指差す先、買取カウンター前に人が映っている。

「彼女ですか?」

「バカか!ちげーよ!」

小太りの男が怒鳴りながら再びモニターを指差した。

リサイクルショップの店内、複数個所が映し出された監視カメラの映像。

よく見ると指差した人物だけが、ピンボケして不鮮明に映っていた。

ピンボケした人物はスローモーションのように首をゆっくりと上下左右に動かしている。

他の客は平然と店内を歩き回っており、まるで買取カウンター前だけ時間がゆっくり流れているようにも見えた。

しばらく見ていると、ピンボケした人物がゆっくりと振り向き、頭上に設置された監視カメラを凝視した。

監視カメラ越しに視線が合ったと思った次の瞬間、映像にノイズが走り、砂嵐となった。

「…」

数秒後に再び映し出された買取カウンター前、ピンボケした人物の姿が無い。

「え?え?え?消えた?あれ?何処?」

騒ぎ出す若い男。

店長は頭を抱えながら、無言で天井を指さした。

若い男は頭上を見上げた。

「んっ…」

見上げたと同時に右の眼球に違和感を感じ、手で擦った。

埃でも落ちてきたのか思い、指先を見ると、擦りつぶされた小さな黒い虫の亡骸。

「えっ…」

再び天井を見上げた若い男は口をあんぐりあけて硬直した。

天井には蜘蛛のようにしがみつくワンピース姿の痩せこけた女性。

首は背中に向かってだらりと折れ曲がり、白濁した眼球で若い男を見つめる。

顎が外れているのか、普通の人間では考えられないくらいに大きく口を開くと、口角が裂け、虫の羽音と共に低い声がした。

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『た だ い ま』

Concrete
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