長編9
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あまり知られてはいないだろうが、これは実際に起きた話だ。

私も一切信じてはいなかった。

そう、あの日までは。

 私は毎日忙しく働いていた。

30も半ばになり、それなりに順調な人生だったが、会社の部署異動で更に忙しくなった。

仕事では不慣れなこと、やらなければならないことも多く、毎日四苦八苦し、

家では帰りの遅い私に嫁が嫌味を言ってくる。

仕事も家庭もあまりうまくいかず、私は若干疲弊していた。

 そんな時、大学時代の友人から飲みに誘われた。

金曜日の夜、会議を終わらせ、私は友人が待つ居酒屋へと急いだ。

気心しれた仲間だ。男三人で色んな話に花が咲く。

家庭の話、仕事の話、女性には決して聞かれたくない話、、、。

そんな楽しい時間に私の心は癒された。

最近あまりうまくいっていなかった私はついつい、彼らと時間を忘れ盛り上がってしまった。

 23時を回ったころだろうか。

「なんか、不思議な話があるんだ」

と友人のAが語り始めた。

彼はオカルト好きだから、また面白い怪談でもするのだろうと私ともう一人のBはいつものように聞いていた。

 「『鏡』っていう話なんだけどな。女って鏡を持ち歩いてるだろ?パカって空くやつ。

その鏡がさ、ある日同僚の席に置いてあったんだよ。男の同僚の席に。

そいつもさ、『なんだ?誰のだ?』って聞いてたけど、周りの女性陣のものでもない。

だからそれを放置したんだよ。特に捨てるわけでもなく、隣の席にちょっと寄せて放置w」

 まぁ、面倒くさがりの男がやる手だなと私たちは笑った。

「それで、一日仕事してすっかり忘れてたはずなのに、帰り道にさ、なんか鏡のことを思い出したんだって。まぁ、『誰のだったんだ?』くらい。そしたらさ、急に後ろから

 『私のです。』

って声が聞こえたんだって。んで振り返っても誰もいない

空耳だと思って歩きだしたら

『私のよ、返して』

って声がするの。んでまた振り返るけど誰もいない。

気味が悪くなって急いで帰って、鍵を閉めて、ビール飲みながらテレビをつけた。

バラエティ番組を見てたらさ、芸能人の言葉に違和感を感じた。

 『返して』

 『私の』『返して』

ぎょっとしてテレビの方へ身を乗り出したら、画面が暗くなって、髪の長い着物姿の女が映って、

 『私のよ、私の鏡を返して!』

って叫んだらしい。

  

  その同僚、今入院しちゃって会社休んでるんだよ。

だいぶ忙しい奴だったから、いい休息になればいいけどな。」

  

 やはりAの大好きな怪談話だ。

その日は怪談話で締めくくり、終電で帰宅した。

 

 土日は忙しい。

不機嫌な嫁、まだ幼い子供を相手しながら、持ち帰った仕事を片付ける。

月曜になれば、また会社でも四苦八苦するのかと思うと全てから逃げ出したくなる。

ため息をつきながら、ひたすらパソコンとにらめっこし、休日を終える。

 月曜日。憂鬱な日だ

私はほぼ無言で家を出て満員電車でもみくちゃにされながら、会社へ急ぐ。

今日は昼前に課長と会議だ。

 会社について一服したあとデスクへ向かう。

「おはようございます」

生気のない声での挨拶をかわしPCを取り出すと、私のデスクの上に何か置いてある。

よく見ると、何だか古いコンパクト型の鏡だ。

デザインもどこか古めかしい。一応私の周りの女性陣に声をかけるも持ち主は不明だった。

 今時の若い女性が好むようなデザインではなく、どちらかというともっと昔のデザインのような印象だった。

 私はそっと隣の席に鏡を寄せ、資料の続きを急いで作成しに取り掛かった。

会議まで時間がない。

そう焦りながら、ひたすらに作業を進める。

 鏡はまだある。

 なんと忙しい日なのだろう。

連続の会議にトラブルの発生。体が何個あっても足りないくらいだ。

週の頭からこれでは5日間もつだろうか。

 忙殺されるという言葉がしっくりくるほどに、目まぐるしく時間が過ぎていく。

20時を過ぎ、周りの同僚たちは帰宅していく。

私だけが忙しいわけではないが、今日のタスクの数はすさまじい。

私はふと目に入った誰のものとも分からないあの鏡を手に取った。

『誰のだろう?』

 

 まだ見えない終わりを察し、私は鏡を置いて喫煙所へ向かう。

一服してからまた残りを片付けなければならない。

喫煙所のガラス窓から向かいのビルの明かりに目を向ける。

まだ自分と同じように働いている人間がいる。それは少し気分をあげる。

 ふと視界に何だか違和感のあるものが映った。

白い着物姿の女性。

ぎょっとして振り向くも誰もいない。

疲れているんだな、、たばこの煙を見間違えたのだろう。何だか笑いが込み上げてきた。

 席に戻り、タスクをひたすらに消化する。

早く終わらせて帰らないとまた嫁に嫌味を言われる。帰りたいけど何だか帰りたくない、そんな気分だ。

PCに目を落としながら必死に作業を進める。視界の端にはあの鏡がある。

 なんとも不思議な鏡だ。何だか心奪われる。

気が付くと鏡を見つめてしまうので、私は首を振りながらまた作業へ戻る。

 一時間ほどで目処がつき、PCを閉じた。ため息交じりで帰り支度を済ませる。どうも気になる鏡は、不機嫌な妻へご機嫌取りの品として持って帰ることにした。

エレベータへ向かう。

エレベータホールもガラス窓。窓の向こうにはビルの明かりがきれいな夜景となって映る。

 疲れたな・・・

私はただそんなことを思いながらため息を一つついた。

 次の瞬間私は息をのんだ。

 「あ・・・」

 まどの向こうにはきれいなビルの明かりと共にその場には似つかない、白い着物を来た女性が立っている。

長い髪、白い肌、どことなく淋しげな表情の女性。

美しく長いまつ毛、しかしあまり化粧っけもなく、明らかに今時とは言えない。

テレビで見る昭和初期、大正あたりの恰好だろうか。。

  

 私は動けなくなった。彼女から目が離せない。背中から冷や汗が流れ落ちる感覚を覚えた。

 

 「返してください。」

彼女は言った。

 「私のものです。返してください。」

一体何の話しだろう。自分の手持ちに人から奪ったものなどない。

声を出したいが硬直していて言葉が出ない。

金縛りのような感覚。

 「返してください。私の鏡」

 鏡と言われてハッとなった。

そうだ、いつの間にかデスクに置かれていた誰のものとも分からないあの古い鏡。

あれは彼女のものなのか。

 「返してください。私の鏡」

そう言いながら彼女はじりじりと私へ近づいてくる。

それは恐怖以外の何物でもない。

体も動かず、声も発せず、私はただその時間を見守るしかなかった。

一歩、また一歩と近づいてくる女性。

額からも汗がしたたり落ちる。

全身から血の気が引くとはこんな感覚なのだろうか。

 彼女の腕が私のカバンに伸びてくる。それでも動くことができない。

 ちょうど下に降りるエレベーターが付いた。チンという音と共に、

金縛りがとけ、彼女の姿も消えていた。

私はその場にしゃがみ込み、肩で息をしていた。

全身の力が抜け、まるで今まで水中にいたかのような息苦しさ。

 15分ほど動けなかったが、やっと立ち上がれるまでになった。

エレベータに乗り込み、もはや電車に乗ることなどできない。

会社の前でタクシーを拾い、帰宅した。

 

 帰宅すると不機嫌な嫁は変わらずそこにいた。しかし顔色の悪い私を見て、

タクシーでの帰宅は責められなかった。

スウェットに着替え、ベッドへ体をうずめる。

大きい溜息をついた時、Aの話しを思い出した。

  「そういえば・・・」

 気心しれた仲間内での飲み会。オカルト好きのAの同僚が誰のものとも分からない鏡をもったことでうつ病になった話だ。

私は急いでAに電話をした。

 「もしもし?A?あのさ、この前お前が話してた怪談でさ鏡の話しあっただろ?」

 『あぁ、あれ?うん。それがどうした?』

 「それってさ、いったい何なの?俺のところにも古い鏡があってさ・・・」

 『え?お前、それヤバイよ・・・』

電話の向こうではAの焦った声が聞こえる。

  

 詳しい話を知ってるなら教えてくれというと、Aはすらすらと話し出した。

 話は昭和初期のものだった。

当時は今と大きく違い、男尊女卑が根付いていた。

結婚も早く、男は働き、女が家を守ると言った昔の日本がそこにあった。

 とある夫婦がいた。

夫は典型的な仕事人間で職人をしていた。妻を顧みることなく、仕事に打ち込んでいる。

そんな夫をかいがいしく支えるも、淋しさを抱えていた妻は夫にもう少し家にいてほしいと懇願するも、夫は聞く耳を持たない。淋しさを抱えながら生活していると、ある時夫から贈り物をされた。

 夫が作った手鏡だった。

その鏡はとても美しく妻は肌身離さず持っていた。夫が帰って来なくても、鏡を夫の変わりに気丈に生きた。

 しかしあるとき、買い物中に大事にしていた鏡を誰かに掏られてしまった。

 彼女は必死で探すも見つからず、泣く泣く家へ帰った。

帰宅すると夫がいた。いつも忙しく家にいない夫がそこにいた。

彼女は嬉しいやら悲しいやら複雑な気持ちを抱えながら、鏡が掏られたことを夫に知らせた。

夫はひどく怒った。忙しいのはお前を守るため。淋しい思いをさせているのも分かっていた。

仕事の合間を縫ってお前のために精魂込めて作った鏡。それをなくすとは何事だ!と。。。

 それから夫はさらに帰って来なくなった。

妻はひどく落ち込み、毎日のように鏡を探して歩くも見つからなかった。

帰ってこない夫の変わりにしていた鏡も失い、心の支えを完全になくした彼女は、とうとう川へ身を投げてしまった。

 

 なんとも悲劇な話じゃないか。

時代というものがあったのだろうが、夫もずいぶんな奴だな。と私は思った。

 身を投げた彼女はそれからも鏡をもって夫ののように忙しく働く男の前に現れ、夫の面影を探し、夫ではないと分かると鏡を返してくれとせがむ。そして鏡を捨てたり誰かにあげたりして手元にないことが分かると、掏った男と勘違いをし呪い殺してしまうという。

 よかったぁ。。。。

私は妻に鏡をあげようとしていた。

誰のものかも分からない鏡、そんな呪われた鏡とは知らず、妻に渡してしまおうとしたのだ。

 妻への愛情なんてもう感じてはいないが、それでも人を自分の身代わりにしようとしてしまうところだった。

いや、身代わりもなにも自分が呪い殺されるところだ。

また背筋から冷や汗が流れた。。

 Aから話を聞いたものの、この鏡は一体どうするべきなのだろう。

お祓いにもっていくわけにもいかない、捨てることもできない。

八方ふさがりだ。

私はカバンの中に鏡を入れたまま、翌日も会社へ行った。

 どうする術も見つからず、私は鏡をデスクに置いた。

もうデスクに放置するしかない。

『元に戻す』これしか思いつかないのだ。

また忙しく時間は過ぎていく。

しかし、私は鏡を気にしないようにし、デスクに置いたまま、帰宅することにした。

 時間は22時を回っていた。仕事を終え、エレベータに乗り込む。

その時私は鏡のことを忘れていた。疲れ果てていたんだ。

俯き。一人きりのエレベータでため息をついた。

 その時。

 ガタン。

エレベータが止まった。そして電気も消えた。

『故障か』

そう思い、非常ボタンを押そうとしたとき、

 『返して』

あの声だ。

 『返して』

 『返して、私の鏡』

全身に寒気が走る。そして、恐る恐る横を向くと、あの女が立っていた。

私を見つめ、淋しそうに、恨めしそうな目で私を見ている。

 『返して』

体は動かない。また金縛りだ。声も出せない。

背中、額から冷や汗が噴き出すのが分かる。ただ、目は彼女に釘付けとなり、そらすこともできない。

 『返して』

淋しそうだった彼女の声がどんどん怒りに満ちていくのが分かる。

私は必死で、心の中で唱えた。

 「俺はあなたのご主人じゃない。そしてあなたの鏡も盗んでいない。鏡は俺のデスクの上にある。返す、返すから!」

彼女はじりじりとゆっくりと生殺しのように私に近づいてくる。

私は二度、三度と心の中で同じことを唱えた。

 チン

 気が付くとエレベータは1Fのロビーについた。

何事もなかったかのように、電気もついている。

ゲートをくぐると、警備員のおじさんに「お疲れ様でした」と声を掛けられる。

力なく「お疲れ様です」と返し帰宅の途についた。

 私は助かったのだろうか。。。

さすがに翌日はひどい疲れで熱もあったため会社を休んだ。

木曜日、出社するのが怖かったが、鏡がまだあるのかも気になり、恐る恐る出社した。

デスクに鏡はなかった。

 私は忙しかった。ここ1年ずっと。

だからか、彼女は私を夫と勘違いし、鏡を見せたが、私は夫ではない。

しかし恨まれる覚えもない。

ただ、忙しさにかまけていた自分を顧み、少し今日は早く帰ろう。

そう思い、定時で帰宅した。

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