長編11
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比売野怪談 零

卯月の章

〇薬袋研究所

ゆっくりと目を開くと、そこには、蛍光灯が照らす無機質な灰色の天井があった。

強い衝撃を受けたのだろうか、体を動かそうとすると、頭に鈍い痛みが走る。

なんとか寝返りを打ち、横を向くと、白衣を着た男がこちらに背を向けて、何かの機械をいじっていた。

「......誰?」

「ああ、目を覚ましたのか。いやぁ、帰ってくるなり意識を失うもんだから驚いたよ。」

「なんの事?......あなたは、誰なの?」

「あれ? 御子ちゃん...だよね?」

「何故、私の名前を知っているの?」

「覚えていないのか?」

「何も......、ここは、どこなの?」

「うーむ、参ったなぁ......」

そう言うとその男は、引き出しからノートを取りだし、机のペンを手に取った。

「僕は、ミナイシンジ。薬の袋に心が二つと書く。この研究所の所長をしていて、君には僕の研究の手伝いをしてもらってたんだが......」

薬袋は、表情を曇らせた。

「君はどうやら記憶が飛んでいるみたいだね。分かる範囲で構わないから出来るだけ沢山、記憶に残っていることを教えてくれないかな?」

御子は、起き上がってベットに座り直すと、そのまま目を瞑った。

どれくらい経ったのだろうか。

途中、壁に掛かった振り子時計は五回程、鐘を叩き、遠くからは、鴉の鳴く声が聞こえてきた。

しばらくすると彼女は、口を開いた。

「思い出せるのは幼い頃のことばかりだわ。」

「それでも構わない、なんでも口に出してみてくれ。」

「私の名前は、物部御子。幼い頃に両親を失っている。......正確に言うと、父は、元からいなかったわ。母は......」

御子は少し口籠もる。

「......お母さんは?」

「母は......殺された。化け物に。目の前で血まみれになって倒れているのを......はっきり覚えている。あの服装は、恐らく......巫女?...かしら、」

それに、と言って御子は左手の袖を捲り、紫水晶の腕飾りを見せた。

「これは、彼女に貰ったものよ。」

「私は小さい頃から妖怪や幽霊の類が視えたの、だからこの腕飾りは、そうゆう奴らから身を守るための御守り。母はそう言ったわ。」

薬袋は、御子の言ったことを書き留める。

「......他には何かあるかい?」

御子は、覚えていることを全て薬袋に話した。

「あと、ひとつ、ぼやけていてしっかり思い出せないのだけれど......。あれは、夏...かしら?強い日差しで......。男の子?がいる......。でも、これ以上、思い出せないわ。」

「......そうか、ありがとう。恐らく今、君が話してくれたことは、君の中で、特に、印象深く残っている事なんだと思う。こういった、印象に深く残っていることが幾つも出てくるようになれば、自然と記憶は、元に戻るはずだよ。また、なにか思い出せたら直ぐに言って欲しいんだが...」

薬袋は、ノートに何かをメモする。

「僕も記憶喪失は、初めてでね。上手い対処法が思いつかないんだ。それに、君の記憶喪失は、医学的な原因があるのではなくて、呪いとかの類が原因である可能性があるからね。」

薬袋は、御子の方を見ると少し笑いながら話を続けた。

「とりあえず、これから日常生活を送る上で支障がないように、君に関する事を話しておこう。......と言っても、僕も君について全て知っているわけじゃないんだけど。」

そして薬袋は御子に説明を始め、所属する学校や友人関係、これまでの仕事内容などについて話す。

説明を終えると、薬袋は研究室の扉を開け、御子を案内した。

「君は現在、この研究所の三階に住んでいる。まあ、部屋にいけば、君のアルバムなんかがあるはずだから、それを見ることで記憶も少しは戻ると思うんだが...」

ダンボールが積み重ねてある薄暗い廊下を通り抜けるとその先の突き当たりに階段があった。

階段は、真っ赤な夕日に照らされていた。

「そうだ、言い忘れてたけれど、この研究所は三階建てで今いるのが研究室のある二階。この下の一階には、僕の部屋と倉庫、玄関がある。そして、この上の三階にあるのは、君の部屋とバルコニーだよ。」

階段を上りながら御子は、窓に目を向ける。

そこには、夕焼けに染る姫野の街が広がっていた。

「......綺麗。」

「君は、ここからの景色をいたく気に入っていたよ。特にこの近辺は、二階建ての住宅街だから、駅の方までよく見えるだろう。」

階段をのぼり終えると、その先は廊下になっており、手前と奥に扉がある。

「ここが君の部屋だ。」

薬袋が手前の扉の前に立つ。

「奥の扉は、バルコニーに出るための扉だよ。あと、」

「君の部屋の鍵は、君しか持っていないんだけど......探してもらえるかな?」

御子は、両方のポケットに手を突っ込み、中身を取り出す。

左側に携帯電話、右側に財布が入っており、財布の中身を確かめると鍵が二つあった。

「こっちの小さい方が部屋の鍵だね。もうひとつは、玄関の鍵だ。」

扉を開け、部屋を見渡す。

中は、至って普通であった。

左側に窓と机があり、奥側に本棚とベットが、そして右側には、押し入れがある。

「色々見てみるといい。きっと何か思い出せるはずだよ。」

「それと、もしお腹がすいたら二階の研究室の隣にキッチンがあるから、そこにある冷蔵庫から好きなものを取って食べてくれ。」

電気をつけると、薬袋は、ちょっと用事があるからと言って、部屋を出ていってしまった。

残された御子は、部屋の中を見て回った。

中学校①と書かれた写真帖を本棚から取り出し、中身を確認するが、

「これ、......どこ?」

どうやら記憶は、そう簡単には戻らないらしい。

〇深山家

「え、えっと......もっかい話してくれますか。御子が、倒れて、その、記憶喪失?」

「そうなんだよ、桐悟君。御子ちゃん、帰ってきて倒れたっきり、記憶が無いらしくて......」

身近な友人が記憶喪失だと言われて、ああそうですかと納得できる人間など、滅多にいないだろう。

大抵の人間は、ドッキリかなんかだと思うものである。

「いや、そう言われてもなぁ......」

「勿論、そう思うのも無理はないよ。でも、事情を知らない他の人ならともかく、君なら、これが有り得ないことではないと分かってくれるだろ!?」

「まぁ、なんと言うか、はい......」

そう、彼、深山桐悟は、物部御子と幼馴染であり、そして記憶を失う前の彼女の数少ない友人であった。

彼は、彼女が、普通の人間には無い力を持っているということをよく理解していた。

「でも、それを言って、僕にどうしろって言うんですか。」

「そう、そのことについて、僕は、あるお願いをしに来たんだよ。」

「お願い、ですか。」

「君は、御子ちゃんと仲が良かっただろう。だから、学校に行っている間は、彼女のサポートをして欲しいんだ。大丈夫、記憶は失っているみたいだが、言動からして、性格は変わっていないだろう。」

「はあ」

「君には、少し迷惑をかけるが、この通り!頼むよ...」

必死に手を合わせる薬袋。

それを見かねたのか、それとも断る由もないと思ったのか、桐悟は、それを了承した。

「分かりましたよ、そんなに頭を下げないでください。」

「ああ、ありがとう。やっぱり、君に頼んで正解だよ。」

まだ、何もしていないが、そう言って貰えて気を悪くするものはいないだろう。

「じゃあ、明日から学校へ行く時は、御子を一緒に連れて行ってくれ。御子には、僕から伝えておくから。えっと待ち合わせは、」

「比売野神社前の交差点でお願いします。あそこなら、うちと薬袋さんの所のちょうど間ですから。」

「そうだね、それがいい。兎に角、ありがとう、桐悟君。明日からよろしく頼むよ!」

そう言うと薬袋は、桐悟が返事をする間もなく、深山家を後にした。

「ふぅ、」

自室へ戻ると、桐悟は、オフィスチェアに深く座り込み、息をついた。

買ってからもう五年は経っていると思うが、なかなか、座り心地の良い椅子であった。

「記憶喪失って、あいつ、今度は何をやらかしたんだ?」

薬袋が帰ったあとも、桐悟は、ひとり御子について考えていた。

御子には、不思議な力がある。

所謂、霊力ってやつだ。

その能力を使って、薬袋さんの“仕事”をこなしたり、他にも依頼を受ければ、相手が誰であろうと、問題解決にあたっているらしい。

記憶を無くしても続けられるもんなのかどうか......。

「桐悟いてるー?」

突然ドアが開くと、姉の恋春が顔を覗かせた。

「なんだよ、急に」

「いやぁ、さっき薬袋さん、来てたでしょ?何の話し?」

「あ、姉貴には、関係ないだろ。」

ふーん、と呟くと恋春は、妙に納得した表情を見せ、少し身を乗り出した。

「御子ちゃん関連でしょっ」

桐悟は顔を顰める。

「ま、何でもいいけど。」

「なんかあったらちゃんと言いなさいよ?あんた変なとこで意地張るんだから。」

「うるせぇよ!」

「はいはい、」

笑いながら恋春は桐悟の部屋をあとにした。

ああ、もう寝よう、寝た方がいい。

何で俺が御子の心配なんかせにゃならんのだ。

桐悟は、若干、不貞寝気味に、床に就いた。

〇夏目湖疏水沿いの道

翌朝は、少し気温が低いものの、その日差しには、確かに春の陽気さが含まれており、大変心地の良いものであった。

今日は、きっと暖かくなるだろう。

誰もがそう思い、平和的な朝を迎える中、豪も平和的な心持ちで無いものがいた。

そう、深山桐悟は、御子が記憶を失ったことについて、まだ、俄には信じられないという思いを拭いきれずにいたのである。

だがしかし、その一方で、それが事実なのではないかと思い始めている自分がいることを、彼は、否定できなかった。

色々と考えを巡らせる彼の前へ、不意に人影が現れた。

「おはよう、深山君。行きましょ。」

「え、あ、おう。おはよう......」

なんだ、いつもの御子じゃないか。

何の変哲もない......

「お前、記憶失ったんじゃなかったのかよ。」

少し下向きに結んだポニーテールを揺らしながら御子がこちらに振り向く。

「失ったわよ、勿論。」

「じゃあなんでそんな平然としているんだ。」

「あら?平然としていちゃいけないのかしら?」

そうあっさり答えると、御子は、再び前を向いて歩き始めた。

なんだ、この泰然自若さは。

彼の心配は、一片の杞憂に終わってしまうのであろうか。

「お前、記憶が無くなって大変なんじゃないのか?」

御子は、前を向いたまま答える。

「そんなことないわよ。」

何故、彼女が平然としていられるのか、桐悟には、さっぱり理解できなかった。

「なあ、どうしてそんな普通にしてられるんだ?全部思い出したのか?」

御子が再度、こちらを振り向く。

「記憶が無くなったって、別にそれを思い出す必要は無いのよ。だって記憶があった頃の私の写真やら日記やらが残っているのだから。それを見て体験したことにすればいいだけよ。」

御子は、至って真面目に答える。

「昨日、部屋に置いてある物には、全て目を通したから、今の私は、記憶があった頃とそんなに変わりないはずよ。幸い、性格は変わってないようだし。」

「いや、ちょっと待てよ。体験したことにすればいいって、お前、少しも記憶が戻ってないのか?」

「ええ、そうよ。手始めにアルバムを見てみたけれど何も思い出せなかったわね。でも大体のことは記憶し直したわ。」

記憶し直すと言ったって、そんなこと常人には出来まい。

「じゃあ、俺のサポートって必要なのか......?」

「勿論、必要に決まってるじゃない。」

「いやでも、」

「いくら記憶し直したからと言って、日記の内容からだけでは、細かい友人関係を知るのに限界があったわね。だから、深山君には、そう言った詳細な事柄について教えて欲しいの。」

「ああ、なるほど。」

納得した気持ち半分、納得出来ない気持ち半分の桐悟であったが、このままでは、いくら詰め寄っても埒が明かない。

とりあえず、クラスメートや先生、また、学校の行事などについてこと細かく説明する。

「まあ、ざっとこんなもんかな。何か気になることとかあるか?」

「ふーん。私って交友関係少なかったのね。」

「ま、まあ、そうだな。話し相手......つったらなんだが、よくつるんでたのは俺か」

「あたしくらいよねぇ」

二人が振り向くと、そこには、一人の女子生徒が立っていた。

彼女の瞳には、その落ち着いた見た目とは、裏腹に爛々とした輝きが宿っている。

勿論、制服は、二人と同じ高校のものであった。

「おっはよっ、御子に桐悟。」

「おはよう、山神内さん。元気そうね。」

「何よ、急にさん付けなんかして。かたいわね。」

まずい。

桐悟は、御子がどんな呼び名を使っていたのかについて、まったく触れていなかったのである。

「それに、元気そうねって昨日も会ったじゃない。どうしたのよ、御子。なんか変なものでも食べた?」

黙って緋雨を見つめている御子に対して、一方の桐悟は、かなり慌てていた。

「お、おはよう、山神内。いやぁ、悪いな、こいつちょっと調子悪いんだ。きっと、昼くらいには直ってるよ。」

御子は、じっと緋雨のことを見つめたまま、ゆっくりと口を開く。

「あなた、気づいてるわね。」

その瞬間、緋雨の目の色が変わり、口元が妖しく緩んだ。

「なーんだ、つまんないの。御子には敵わないわね。どうやったらそんな洞察力を身につけられるのかしら。」

緋雨は少し微笑み、御子の方を向く。

「やっぱり御子は、御子ね。変っわんないわぁ」

「へ?」

一方、桐悟は、思考停止の模様。

「途中からずっと私たちの後ろをつけてたでしょ?」

「さっすが御子。」

「バレバレよ。でも......私たちだけが情報源って訳ではなさそうね。」

完全に取り残される桐悟。

彼は、こういった状況に滅法弱かったのである。

「な、なぁ、情報源ってなんの事だか」

「私が記憶喪失であることについて知っているんでしょう?普通、そんなことを初めて耳にしたならもう少し、反応が大きくてもおかしくないわ。」

「あらあら、どこまでお見通しなの?そうよ、昨日、薬袋さんが家へ来たの。御子のことをよろしく頼むーって」

「おいおい、ちょ、ちょっと待ってくれ。えっと、つまり、山神内はもう既に御子の記憶喪失のことを知っていて、要は...」

「あたしも御子のサポート役ってことよ。桐悟だけに任せたんじゃ心配だし。薬袋さんもきっと不安だったんじゃない?」

緋雨は、桐悟を見ると、薄ら笑いを浮かべた。

ぐうの音も出ないとは、まさにこの事である。

「ま、何はともあれ、あたしがいるからには安心なさい。それと......あたしについての説明はいいわよね、顔を見た瞬間に名前が言えるくらいなんだから。日記にもきっと書いてあったでしょ。あと、山神内さんじゃなくて緋雨でいいからね、御子。」

「やっぱり、俺のサポートって必要なのかぁ?」

御子が空かさず答える。

「必要よ。」

「男子と女子にサポート役がいた方が何かと円滑に物事が進められるわ。それに......」

御子が桐悟を向くと、少し目を細めた。

「あなたには、面白いものが憑いているし。」

そう言うと御子と緋雨はくすくす笑いながら行ってしまう。

「え、おい!なにが憑いてるんだよ!」

「知らぬが仏だと思うわよ。」

「桐悟、お憑かれ!」

疏水を流れる水の音が優しく耳を撫で、小鳥たちが忙しなく鳴く、そんな春の日。

三人は、学校へ向かって道を進んでゆく。

今日は、きっと暖かくなるだろう。

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@天津堂
ご覧頂き、ありがとうございます。
これからも皆様に楽しんで頂ける作品を投稿できるよう、努めてまいります。
何卒お待ちください。

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@飼い主
ご覧頂き、ありがとうございます。
既に「比売野怪談-壱」の執筆に取り掛かっております。今しばらくお待ちください。

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今後の展開が楽しみです。

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