長編12
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夢映し

夏とはいえ、この連日の酷暑は一体いつ和らぐのでしょうか。

たまに吹くそよ風も生暖かく、ちっとも涼しくありません。

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そんな思いで買物から帰宅しますと、一本の留守電が入っておりました。

「父、危篤。至急帰ってくるように」

お義母さまには久しくお会いしておりませんでしたが、その厳格な口調と声音から、つい背筋が伸びてしまうのです。

私は急いで勤務先の夫に伝えますと、「分かった。すぐに帰る」と云って電話を切りました。

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思い返してみれば、夫は常々から「母には逆らえない」と云っておりました。

教育熱心な母に対して、一言の口答えも許されなかったそうでございます。

私がお義母さまに初めてお会いした時などは、生まれから経歴まで余すところなく問われ、まるで尋問を受けているかのような心持ちで応えたものです。

また、お義父さまは篤実なお人柄で、長く行政機関の某省にお勤めになられておりました。

ただ、神経質な気質から精神病を誘因し、早期に退職されたと伺っております。

その後、ご自宅で養生なされていたようですが、夫が実家を離れた頃から奇行が目立ち始め、お義母さまのご要望により別宅へ移されたそうでございます。

その奇行は別宅においても改善されず、幾人もの仲働きが職を辞すまでに至ったと夫が申しておりました。

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私が荷物を纏めておりますと、暫くして夫が帰宅いたしました。

夫は特に慌てた様子もなく「支度が済んだら行こうか」と云ったので、一息ついてから夫の実家へ向かうことにしたのです。

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私共の自宅から二時間も車を走らせますと、住宅街から離れた小高い丘の上に大きな瓦屋根が見えて参ります。

外壁が高いため、他所の人間が内部の様子を伺うことは到底できないでしょう。

敷地へ入るには、東にある大きな門扉を門衛に解錠していただく必要がありますので、盗人などに侵入される心配もございません。

昔は門衛などおりませんでしたが、お義父さまの強いご要望により数年前に雇い始めたそうです。

敷地内には、母屋となるお屋敷の他に蔵が一つあるのですが、修繕のためか蔵には足場が組まれ、全体を養生幕が囲んでおりました。

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私共がお屋敷に到着いたしますと、お義母さまが「早速で悪いけれど、大事な話がある」と申されて、奥の座敷へ案内したのです。

そこには、霊媒師であろうお方が既におりまして、お義母さまは「これから見聞きすることは一切他言しないように」と私共に念を押されました。

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そして、ここに呼んだのは他でもなく「夢映し」なる儀を行うためであり、儀と事のいきさつについて説明すると云うのです。

私は、その初めて耳にする言葉に動揺を隠せませんでしたが、「夢映し」とは、凡そ次のようなものであったと記憶しております。

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一つ、「夢映し」とは記憶の共有である。

二つ、「夢映し」の「映し元」は危篤の人間のみである。

三つ、「夢映し」の「映し先」は健全な人間のみである。

四つ、「夢映し」の「映し先」は、儀に参加したことのない人間のみである。

五つ、「夢映し」の「映し元」及び「映し先」を除き、儀の参加人数は三人までである。

六つ、「夢映し」の条件が一つでも満たされていない場合、儀は失敗となる。

七つ、「夢映し」の儀に失敗した場合、「映し元」は絶命し「映し先」は二度と眠りから目覚めない。

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俄かに信じがたい話ではありましたけれども、冗談であるようにも思えません。

私がこのただならぬ内容に恐れおののいておりますと、不意に夫が「それは危険です。何のためにやるんですか」とお義母さまに尋ねました。

なんでも、お義父さまの抱える他聞を憚る秘密が、精神に異常をきたした要因であると考えるため、このまま手をこまねいて死を待つくらいであれば、後学のためにも行うと申されるのです。

しかも、この場にいる私以外の御仁は、「映し先」こそ選ばれなかったものの、過去に「夢映し」の儀に参加したことがあるというではありませんか。

夫は反論するような素振りを見せたのですが、遂に言葉を飲み込んでしまいました。

結局、「映し先」の役目は私以外におらず、断る勇気のない私は泣く泣く引き受けることしかできませんでした。

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そして、お義母さまに連れられて向かった先は、あの養生幕に囲まれた蔵だったのです。

私は初めてこの蔵を目にした時から、あまり良い印象を受けておりませんでした。

まるで座敷牢のように雰囲気は重苦しく、そのうえ蔵の入口は鬼門に位置しておりましたので、不吉な考えを払拭することができなかったのです。

もしかすると、この養生幕のように見える囲いも「夢映し」を行うための舞台装置であったのかも分かりません。

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厳重に施錠された蔵の扉が開けられると、僅かに死の臭いが漂うのを感じました。

蔵の中は、天井から無造作に吊されたランタンの灯りが頼りなく辺りを照らしております。

お義母さまに促されて二階へと進んで行きますと、そこには敷布団で眠るお義父さまの姿がありました。

その顔は薄黒く頬が酷く落ち込んでおりましたので、一見では生きているのか死んでいるのか見当が付かないほどでございました。

もう、幾日も目を覚ましていないのだそうです。

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私はただおろおろとするばかりでしたが、お義母さまは早くも儀の準備に取り掛かっており、もう一組の敷布団を広げたかと思うと、「着替えたらここに寝なさい」と申されるのです。

大変失礼な話ではございますけれども、お義父さまの横に一寸の隙もなく敷かれた布団に寝ることが、その時は堪らなく嫌で仕方がありませんでした。

しかし、今さら後戻りなどできる状況ではありませんでしたので、差し出された白装束に着替え、覚悟を決めて仰向けに寝たのです。

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もう、只々儀が失敗しませんようにと必死に祈るばかりでした。

私が祈っているさなかも準備は続いており、二組の敷布団を囲むように無数の神鏡が並んだかと思うと、内壁の至る所にお札が張り付けられていくのでした。

いよいよ準備が整いますと、霊媒師のお方が「この香りを手で扇いで吸ってください」とお線香のようなものを差し出されましたので、私は言われるがままにいたしました。

そして、そのまま深い眠りに落ちたのでございます。

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気が付くと、私は石造りである建物の入口に佇んでおりました。

ここは何処なのだろうかと暫し辺りを見回しておりましたが、この建物が某省庁舎であると認識するのに時間はかかりませんでした。

どうしてここにいるのか思案しておりますと、建物から忽然と一人の男性が急ぎ足で出て参りましたので、自然と目を向けたのです。

それは、若かりし頃のお義父さまでした。

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私は、何故だか追い駆けなくてはいけない気がしたものですから、後からついて行くことにしたのです。

暫くして、お義父さまは裏路地にある喫茶店の扉に消えて行きましたので、私も中へ入ることにいたしました。

不思議と私の姿形が周囲の人間に認知されることはなく、またそれが当然であるかのように感じたのでございます。

入口から最も離れた座席では、初老と思しき男性の対面にお義父さまが着席し、開口一番「計画が頓挫しそうです」と告げたので、私は何事かと耳を傾けておりました。

すると、向かいの男性から耳を疑うような言葉が次々と口を衝いて出てきたのでございます。

「今夜までに人消しを実行しろ」「奴がいなくなれば我々の出世は間違いない」「皆が望んでいる結果だ」「失敗は許されない」

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「人消し」― それが何を意味するのかは、会話からも容易に想像がつきます。

まさか、お義父さまが犯罪に加担していたのか、それとも巻き込まれたのか、もう会話を聴くことさえ耐え難く感じました。

あの堅実なお義父さまが、息も絶え絶えに「申し訳ございません」「必ず遂行致しますから」と応答していた姿は今でも忘れられません。

向かいの男性は「吉報を待つ」と告げたのを最後に、席を外して店から出ていかれました。

取り残されたお義父さまはうなだれておりましたが、唐突に立ち上がったかと思うと外へ飛び出していきましたので、私も慌てて店を後にしたのでございます。

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もう、辺りは夜になろうかという暗さでした。

お義父さまが次に向かわれた先は、自宅にある蔵でございます。

駆け足で二階へ上がりますと、そこには三名の男性が待機しており、矢継ぎ早に状況を説明されました。

三名の男性は口々に「次の手はある」「独り身で近しい親族もいないから容易い」「警察は手の内にある」などと述べ、またしても物騒な会話が繰り広げられたのです。

段取りが決まったのか、四人は足早で蔵を後にしたのでした。

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そして、お義父さまによる支持のもと、人消しが遂行されたのです。

ご遺体は、眠っているのではないかと思われるほど損傷がありませんでした。

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暗闇の中、お義父さまは重い足取りで家路につきました。

その顔は完全に血の気が引いており、今にも倒れんばかりです。

しかし、やっとのことでお屋敷まで辿り着いたかと思うや否や、突如としてこちらへ振り返り「君ならどうする」と問うてくるではありませんか。

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私は余りの出来事に、心臓が止まる思いでした。

周囲には自身の姿が見えないと考えていただけに、激しく狼狽したのです。

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幾ばくかの沈黙が訪れると、お義父さまはぽつぽつと語り始めました。

「お上の命に従わない不敬の輩を粛正しろと、ある政治家が私の上長に圧力をかけた。

 その汚れ役として私に白羽の矢が立った訳だ。

 あの件を頼まれた以上、断れば間違いなく職を失うか殺されるだろう。

 それは出来ない。せめて一人息子が大きくなるまでは。

 この罪は一生背負っていくしかない。他に手立てなどなかった。」

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私は、返す言葉が見当たらず俯いてしまいました。

長い間、一人で責任を感じ、良心の呵責とその罪の大きさに少しづつ精神が蝕まれてしまったのでしょう。

ただ、決して許されることではありません。

再び静寂が訪れました。

ややあって、私が言葉をかけようと意を決して視線を上げますと、見る間にお義父さまの顔が歪み始めたのです。

それは、瞬く間に晩年にみるお義父さまの姿へ変化したかと思うと、しわがれた声で「許してくれ」と言い残し、一切の影もなく消えてしまったのでした。

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私が唖然として立ち尽くしておりますと、今度は背後から何者かが駆け足で近づいてくる気配を感じたのです。

恐る恐る振り返ると、その何者かは明らかに私を目掛けて接近して参りました。

私は逃げることもできず、ついに目の前まで迫って来たかと思うと、たちどころに両手で私の首を締めてきたのです。

その顔は深淵のように黒く、目鼻さえ何処に付いているのか分かりませんでしたけれども、件の亡人であろうことは、想像に難くありませんでした。

私を殺さんばかりで締め上げる両手からは、悲しみや怒りの感情が犇々と伝わって参ります。

その手を振り解こうにも、私の力では敵うはずもなく体力を消耗するばかりです。

次第に薄れゆく意識の中で、お義父さまが最後に発した言葉はこの亡人に向けられたものであるのが分かったと同時に、私自身も許しを乞うこと以外に救いの術がないと感じたのです。

もう、言葉を発する気力も残っておりませんので、その想いを必死に念じ続けました。

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すると、首に加えられていた力が徐々に弱まり、いつしか亡人の姿も消えているのでした。

私はその場に崩れ落ち、そのまま意識を失ったのでございます。

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目を覚ますと、薄暗い蔵の天井が広がっておりました。

私は激しい動悸を感じながら、暫くは視線を泳がせることしかできませんでした。

徐に顔を傾けると、夫とお義母さまが何やら心配そうに言葉を交わしております。

お二方は私が目を覚ましていることに気が付くと、慌ててこちらへやって参りました。

お義母さまによると、どうやら私は半日近くも眠っていたようで、「夢映し」の儀が失敗するのではないかしらと身の縮む思いで見守っていたそうです。

夫や霊媒師のお方も安堵した顔をしており、すぐに手拭いや飲み水を持ってきて下さいました。

ここへきて漸く、私は「夢映し」の儀が終わったのだと認識する一方で、首の違和感が消えていないことに気が付いたのです。

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私は手鏡を受け取り、尋常ではない量の汗で濡れた装束を不快に思いながら、自身の首元を映しました。

そこには、首を絞めたような手の跡が、うっすらと赤く残っていたのです。

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その場にいた私以外の御仁は、すぐにでも夢の内容を伺いたい様子が見てとれましたが、衰弱した私の姿を見て、気を使ってか口を紡いでいるようでございました。

それから、私は暫時ぼうっとしていたかと思います。

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ふと、何気なくお義父さまの方へ目をやると、穴もあかんばかりにこちらを凝視しているではありませんか。

私は声にならない声を発し、すぐさま夫やお義母さまの方へ振り返りましたが、私の所作を怪訝そうに見守るだけで、一向に要領を得ていない様子です。

再度、私がお義父さまに目を遣ると、そこには儀の前と変わらず静かに眠る姿があるだけでした。

私は、自分自身が夢から目覚めているのか分からなくなりそうでした。

そんな私の挙動を見てか、霊媒師のお方が『儀が終わって少しの間は「夢映し」の残滓が現れることがある』と仰ったので、辛うじて正気を保つことができたのでしょう。

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しかし、もう心身共に限界でした。

これまでにない疲労を感じるだけでなく、一刻も早くこの場から離れなくてはいけない気がいたしましたので、そのように皆へ申し上げたのです。

そうして、お屋敷で休息をとる計らいになると、一同は蔵を後にしたのでございます。

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私がお屋敷の居間で寛いでいる間、夫以外の両人は儀に使用した敷布団やお札、私の纏っていた装束などを庭で燃しておりました。

夫はお茶菓子を持ってきたかと思うと、火種とする薪や油を運んだり、専ら雑用をこなしております。

儀の後片付けも一段落し、再び皆が居間に集まって参りました。

私が夢の内容について洗いざらい語るべきか逡巡しておりますと、お義母さまは察しがついた様子で「夢で見たことは全て教えてほしい」と申されましたので、決心がついたのです。

また、霊媒師のお方は「家の内情を聴いては悪い」と退出されようとしたものですから、万一に備えて同席していただくことにいたしました。

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私は、お義父さまが人消しに加担してしまったこと、断れる状況ではなかったこと、一人で贖罪に努めていたことを含め、全てをお伝えしたのでございます。

夫の驚きようといったら、それはもう大驚失色の有様でした。

しかし、お義母さまはある程度の検討がついていた様子で、終始冷静な態度でご清聴されておりました。

最後に私が被害者の成仏ができていない可能性を告げると、突然、蔵の方からけたたましい物音が聞こえたのです。

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皆一様にして身動きもせず、耳を澄ましておりました。

再び、何かを壁に叩きつけるような鈍い音がしたかと思うと、「ここから出せ」とくぐもった怒号が聞こえてくるのです。

私は、すぐにでもこの場から逃げ出したい衝動を抑えるのがやっとでした。

見れば、既にお義母さまは幾つもの数珠や神器を身に着けており、霊媒師のお方と蔵の方へ駆けて行きました。

夫は「一人だと心細いだろうから」とその場に残ったのですが、心ここにあらずという様子で、あまり心強くはありませんでした。

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どれくらい時間が経ったでしょうか。

私にはとても長く感じられました。

蔵の方から、獣の咆哮を思わせる声が発せられたのを境に、辺りには不気味なほどの静けさが訪れておりました。

夫が様子を伺うため立ち上がろうといたしますと、蔵へ駆け付けた両人が神妙な面持ちでお戻りになり、お義父さまはお祓いと同時に絶命したと聞かされたのです。

まるで、呪詛や怨念といった類いの力がはたらくことにより、命をもって贖罪を全うさせたのではないかと思われるほど、それはあっけない最期でございました。

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それから、皆で葬儀の準備に取り掛かりました。

葬儀は先祖代々からそうしてきたように、お屋敷の敷地で行われました。

ご逝去の通知から一日しか空いていなかったにも拘らず、二百名近くのお方に参列していただいたことは、感謝の念に堪えません。

翌日、葬儀の片づけも終盤に差し掛かった頃、大層古い袈裟を纏ったご老人が訪ねて参りました。

お義母さまは居間へ上がるよう進めたのですが、

「北東の雑木林に一体の仏がある。忘れないように」

そう云って、一瞥をくれると立ち去って行くのでした。

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私はその一言で思い立ち、すぐに支度を整えると、夫とお義母さまを引き連れて北東に車を走らせました。

二十分ほどで、目当てと思しき雑木林が見えて参りましたので、車を降りたのち、ご老人が示した仏を一心に探しました。

無数にある木々の間から夕陽が差し込み始めた頃、一体の無縁仏が茂みから姿を覗かせたのです。

私は、これが人消しに見舞われた魂が不成仏となった根源であると確信し、改めて供養することにいたしました。

長く放置されていた無縁仏を丁寧に磨き上げ、仏花とお線香を添えると、私共は静かに手を合わせたのでございます。

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そして、全ての穢れを洗い流すかのように、ひんやりとした風が頬を掠めたのでした。

Concrete
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いつも素敵な文章をありがとうございます。
こちらのお噺もとても言葉遣いがお綺麗で素晴らしいです。
早速朗読させていただきました。

https://www.youtube.com/watch?v=7aEh4LuGfn8

次のお話も楽しみにしております。

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@ゴルゴム13 様
嬉しいお言葉とフォローをありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。

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素晴らしいです。フォローさせていただきます。

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@あんみつ姫 様
ご感想ありがとうございます。お陰様で2作目を投稿することができました。こちらこそ、感謝の限りでございます。

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このたびも、心の琴線に触れるような作品をありがとうございました。
心より感謝申し上げます。

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