中編6
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木霊と付喪神

「母が救急車で運ばれて入院した。」

父から連絡を受けて、入院が3ケ月にもなるかもしれないとの事だったので

私は仕事先に連絡をして早々に帰省した。

命に直接関わる病気ではないが、取り除かなければならない腫瘍が大きすぎる為、

切腹する部分が大きく回復までに時間を要するようであった。

母は実家に増設して自分のお店を持っており、それは喫茶店であるが田舎ということもあり

常連客が殆どで、ゴルフコンペの打ち上げや企業の打ち合わせの場所としても使われており

隠れ家的な役割をする店でもあった。

その店はもう50年以上になろうか、常連客達もそれに伴い年をとっている。

建物自体はかなり古くからあり、それをリフォームしながら今に至るので、

見た目は

綺麗であるから感じないが実は築100年は

経つであろう代物である。

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私は母の入院する病院へと着替えやら世話など毎日通う傍ら、父と祖父の食事や生活の

世話などして1ケ月半程過ぎた頃、母も回復してきたので

母が帰ってきた際に、お店を再開する時の為にと思い、店内を

自分でクリーニングすることにした。

調理場の油汚れ取り、棚をを磨き床やトイレなど、

夕食の片づけが終わると連日深夜まで一生懸命掃除した。

母へのサプライズだと少し楽しみながら。

母の退院もあと1週間後となる頃になると掃除も終盤に入り、

最後にトイレ掃除へ取り掛かっていた。

手洗い場あたりの石灰化した汚れや壁や床の漂白を済ませ、時計を見ると深夜3時を

回っていた。

私はいつもの通り、落ち着いたジャズをBGMに、疲れた体を癒すように

コーヒーを淹れて一息ついていた。

カウンター席に座り、満足気味に自分が掃除した店内をぼうっと眺めながら

この店で幼いころから過ごして来た他愛無い事や

母が言っていた事を思い出していた。

母が言っていた。

「この店はね、不思議なのよ。ママが良いからお客が来るというよりもね、建物に人が集まってくるのよ。何故か人がこの建物に引き寄せられて自然と足がこの店に向いてしまうのよ。」

始めは「へぇー」と相槌を打つだけだった。でも

確かに言われてみればこの場所は落ち着く。

ここに通う沢山の人達が色んな話をする場になっていて、自分の思いの丈を打ち明けたり

悩んだり傷ついたり、または喜んだり励ましあったり。

何十年とここに集う人々の積み重ねていく時間を、想いを、この店は見てきたのだろうか。

そう私の事も。

そんな事をぼんやりとなんとなく考えていた時だった。

あれ?

スピーカーから音楽が聞こえなくなったかと思うと

ふいに、どこからかほんの僅かな振動と共に

ボォーッなのか、ゴオーというような音が聞こえてきた。

きょろきょろするが音源がわからない。

まるで船の汽笛をぼかしたような、地面から湧く力強い低い唸りを含むような 

それでいておぼろげな感じで、その音に体が包み込まれるような、

そして同時に自分の体の周りを暖かい空気が包み込んでいるような感覚がした。

いや、店全体から響くように聞こえているようだった。

驚いて、何故か天井を見上げた。

頭上を見上げる視線が、天井を辿り部屋の角まで行った時 黒い霧のような物が

空中から湯気の様に沸き出ているのが見えた。

その瞬間に体が金縛りになり動くことは出来ない、だが視線は動かせる。

不思議と怖いとは感じず、その黒い霧のような靄にくぎ付けになって見ていると

やがて黒い靄はだんだんと天井と角から溢れるようにこちらに迫って来て

私の体の周りを囲むように渦巻きだした。

いつの間に私の体は黒い靄にすっかり包まれて少し体が宙に浮いているような気がした。

座った姿勢のまま椅子から少し浮いているようだった。

そしてゴオオーという音がとても優しく聞こえ、何か言っているようだった。

気持ちのいい春の陽だまりに包まれているような温かい空気に

何かを伝えたいのか?と耳をそばだてた。

言葉というよりも頭に感情を送り込まれているような感覚だったが

確かに伝わってきた。はっきりと。

あ り が と う

ごく自然の流れで

当たり前に

知っていたかのように、こう思った。

あぁ古いこの店を必死で掃除したことが嬉しいの?

再び蘇らせようと思って思慕いを馳せた事が嬉しかったの?

100年以上もの月日を幾重にも積み、貴方は生まれてしまったの。

そうか、この店はとっくに木霊になっていたのだろう。

そしてずっとここに集う人々を、思いを、紡がれる時間を、

私たち家族を、見守っていてくれたのだろう。

こちらこそ ありがとう。

やがて

黒い靄はスルスルと、天井へと壁の継ぎ目へと、吸い込まれるように流れだし

最後に私の斜め上あたりで丸く円を描きながらスーと静かに消えていった。

先ほどまで体を包んでいた温かい空気も消えていた。

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まるで何もなかったかのようにスピーカーから音楽が聞こえだし

ハッと我に返り、目の前のコーヒーカップに目を落とした。

夢でも見ていたのだろうか。

あまりに現実離れした出来事にひとり苦笑いをしながら

ふとこの店で過ごして来たであろう人々の楽しく笑う声や歌う声、活気あふれて

飛び交う話声、古き良き時代だったであろう光景が頭に浮かんだ。

私は幼かったがその頃の大人達の全盛期であり人生であったのだ。

50年以上も通っていた人たちも、今ではすっかり年を取り、他界された方もいる。

また30年前に一度この店に来たことがあるんです、まだやってるんですねと訪ねて来る人、

辛いことがあったのか

わざわざ遠くからやって来て 昔ここへ通ってました、懐かしいんですと

一生懸命に自分の話をしていく人。

そういう時代を生き、時を紡いできた場所。

ここはそういう場所なのだ。

「人はね、どんな人でもみんな自分の話を聞いてほしい生き物なのよ。」

よく言っていた。だからこそ母には、もう少しこの店に立ってもらいたい、

きっとここは人を癒すのだろうから。

この店のママは母でなくては。

人々を癒す魔法の雫を称えた一杯のコーヒーを淹れるために。

そんなノスタルジックでセンチメンタルな事を 独り言ちながら

なんだか自分でおかしくなって、さぁお風呂に入って寝ようかと

椅子から腰をあげコーヒーカップを片づけようとした時に気が付いた。

私の髪の毛はびしょびしょに濡れて足元には水溜りが出来ていた。

髪の毛だけ。

私はもう理屈を考えるのをやめた。

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翌朝、昨夜の木霊かもしれない事件を母にありのままに話した。

髪が濡れていた事にも説明がつかないことも。

笑い飛ばされると思いきや意外な言葉が返ってきた。

「そうよ。知らなかったの?あの店はねえ、魂が宿ってるのよ?

綺麗にしてもらって余程嬉しかったのね。

あらぁ、それと遭遇してあなた悟りを得てるみたいね。はははは。

ママも足腰動かなくなるまで 店に立ちたいと思うよ。

あなたが綺麗に磨いてくれたしね。ありがとうね。

あなた、この先の人生できっといいことがあるわよ。ははははは!」

その後、古き良き客人たちが盛大にママの快気祝いと集い盛り上がったと聞いた。

めでたしめでたし。

思い出したことがある。

幼稚園くらいの頃だったか、店の近所が大火事になったことがある。

あんな大きな火事は今でも眼にしたことはない。

店のある建物の、前の道を挟んだ大きな工場が出火元で何軒もの家に炎は移っていった。

店の前に立っていた2本の電信柱が炎の勢いにやられたのか、ドグォーンと

破壊的に大きな爆音を轟かせながら倒れて、あまりに怖くて私は泣いていて

家族皆で非難したことがある。

家が無くなってしまうと本能的に思っていた。

なんで忘れていたんだろう。

あの時、隣家も裏の家も半分以上焼けていたのに。

他の家は全焼だったのに。

店があるこの建物だけは無傷だったこと。

運が良かった、奇跡だと言われていたが、今の私にはちょっと偶然だとは

もう、思えない、のであった。

物に付くのは付喪神というが、なぜあの現象を木霊だとわかるのか。木霊だと思ったのか。

それは忘れていたわけではない。

彼等が消える前にそう私に教えたのだ。

そう 私はそれを見たのだから。

見てしまったのだから。

Concrete
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