長編18
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向かい合わせの怪異

先日、自宅付近の路地を歩いていると、一軒のカフェを見つけた。

入口には古びた木製の扉があるだけで店内を伺うことはできないが、扉には「営業中」と書かれたプレートに簡素なメニュー表が掛かっている。

わたしは先月に引っ越したばかりなので、時おり自宅近辺を散策しては、こうして気になる店へ入ってみるのだ。

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店内はアンティークな落ち着いた雰囲気で、店主と思しきお爺さんが「いらっしゃい」と迎えてくれる。

他にお客さんも見当たらなかったので、奥にある二人掛けの席へ座ってから注文を済ませると、わたしは書きかけの原稿をテーブルに広げた。

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原稿といっても、別に物書きとして生計を立てている訳ではない。

単なる趣味として、日々の出来事や思いついたネタを物語風に書き留めているだけだ。

いっときは携帯電話やパソコンに打ち込んでいたこともあったが、最終的には紙とペンに落ち着いた。

そうして、時々それをブログに掲載してみたりなんかもする。

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注文したコーヒーを啜りながら筆を走らせていると、ハットを被った1人の男性客が入ってきた。

年齢は60代前後だろうか。

店主と親しげに会話をしている様子から、知人か常連客のように見受けられる。

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その男性は私の姿に気がついて「作家さんかい」と尋ねてきた。

わたしは「そんな立派な者じゃないです」と言って視線を机の上に落としたが、「向かいに座ってもいいかな」と被っていたハットを取って近づいてくる。

少しためらったが、もしかしたら面白い話が聞けるかもしれないと思い承諾することにした。

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男性は頻繁にここへ足を運んでおり、かれこれ20年ほど通っているそうだ。

それでも、場所が分かりづらく知っている人も多くないせいか、物書きには出会った試しがないという。

わたしが趣味で書いているだけだと伝えても、謙遜する必要はないと言って文筆家と思い込んでいるようだ。

ただ、勘違されていた方が話を聞くうえで好都合ではないだろうか。

そう考えたわたしは、自分の生業について明言するのを避けることにした。

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男性は、この街も随分変わったとかあの店が美味いなど、とりとめのない話ばかりしている。

尽きることのない四方山話に辟易し始めたころ、話題は彼自身の昔話へと変わった。

聞けば今でこそ平穏な日常をおくっているが、かつては筆舌に尽くし難いほど慌ただしい毎日だったのだとか。

その中で、決して忘れることの出来ない体験があるのだという。

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彼はホットコーヒーを注文すると、これまでの陽気さに反して静かに語り始めた。

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あれは昭和63年のことだ。

時代はバブル景気の真只中。

私は建設業の現場指揮官として働いていた。

高層ビルや商業施設が次々と建てられ、バブルの恩恵を受けた人々は浮足立っていたよ。

もちろん、私が勤めていた会社も例に漏れず仕事が舞い込んだ。

だが、人手は全く足りていなかった。

それは競合他社も同じである訳だから、人材確保に苦戦するのは当然だろう。

高額な給与を提示し、来る者は皆採用にすることで少しでも戦力を増やそうとしたが、必要な人数の半数も集まらなかった。

しまいには、従業員の家族や友人にまで募集をかける始末だ。

私は不安になったよ。こんな人数で仕事をこなせる訳がないと。

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それでも時代が時代だ。

社長は気合で何とかしろと言うばかりで、現場のことなんか考えちゃいない。

自分は高級外車で送迎されて美味いものが食えればいいのさ。

 

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夏の訪れを感じた頃、我々は複合商業施設の施工に取り掛かろうとしていた。

山間の広大な敷地に宿泊施設はもちろんのこと、大浴場や屋内プール、飲食店からボーリング場まで、遊びに必要なものは全て揃っていたよ。

これが完成したら、従業員の皆で来てやろうなんて話していたもんだ。

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ある晴れた朝、いつもそうしているように施工前の地鎮祭を行っていた時のことだ。

神主が祝詞を読み上げていると、上空に凄まじい騒音が響き渡った。

まるで金属が軋むような、何とも言い難い音だ。

皆で何事かと空を見上げても、音の発信源となり得るものは見当たらない。

その場にいた全員が耳にしたのだから、聞き間違えではないはずだ。

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不思議なこともあるもんだ。

そう思って視線を戻すと、神主が倒れこんでいるではないか。

すぐに駆け寄って声をかけるも、どうも様子がおかしい。

神主はガタガタと震えてしきりにうわ言を言っているものだから、うちの事務員を付き添わせて切り上げてもらうことにした。

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そうして地鎮祭も半ばに仕切り直そうとしたんだが、若い作業員はえらく怯えてしまってね。

「災いの前触れだ」とか「土地神の怒りに触れた」だの口々に言ってきかない。

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給与に色をつけるからと伝えて、やっとのことで思い留まらせた。

これ以上、貴重な作業員が減っては仕事にならない。

ただでさえ人手が足りていないんだから。

私が皆を励ますと、最後まで頑張ろうという気持ちになってくれたようだった。

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それから、過酷な日々が続いた。

皆は通常の倍以上働いている。それでも作業が追いつかない。

過労で倒れる作業員も出てきて、現場はいっそう混沌とするばかりだ。

そのうえ、こんな労働環境だから辞めたいと申し出る者が何人も現れてね。

日を追うごとに一人、また一人と現場を去って行ったよ。

私を含めて残された作業員は死に物狂いで働いたさ。

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少ない人数のまま2ヵ月が経とうとしていた。

作業こそ遅れていたものの、人員の数を考えれば悪くない進み具合だったと思う。

建物全体の土台はおよそ仕上がっていたし、うまくいけば期日には間に合うかもしれないと感じるほどだった。

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だが、現実は甘くなかった。

建設車両の運転手であるサトウが失踪したんだ。

ここにきて建設車両の運転手が減るのは非常にまずい。

彼の自宅へ何度も電話をしたが、いくら待っても留守電に繋がるだけ。

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私は何か事件に巻き込まれたのではないかと思って、彼の自宅アパートまで訪ねたんだよ。

でも彼は出てこなかった。

そこで念のためドアノブを回すと、扉が開いたんだ。

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名前を呼んでも返事はない。

いよいよ彼の身が心配になってね。

悪いとは思ったけど中へ入ることにしたんだ。

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部屋は足場もないほどに散らかっていた。

いや、散らかっていたというより荒らされていたという方が正しい。

食器棚や冷蔵庫は倒れているし、テレビの画面も割れている。

これは只事でないと感じて辺りを見回していると、テーブルの上に一枚の書置を見つけたんだ。

そこには、走り書きでこう書かれていた。

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「モウ逃ゲラレヌ。

- アノ土地ハイケナイ。

- 初日ノ嫌ナ予感ハ間違イデナカッタ。

- ツイニ化物ハ俺ノ部屋ニ姿ヲ現ス。

- コレガ夢デアレバドンナニ良イコトカ。

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- 俺ハ仕事ガ嫌デ逃ゲルノデハナイ。

- コレ以上耐ヘラレヌノダ。

- 現場ノ仲間ニハ申シ訳ナイ。」

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最後まで読み終えた時、何かが背後を横切る気配がした。

咄嗟に振り返ったが何事もない。

こんなことで怯えている自分が情けなかっよ。

ただ、化物が何を指しているのか気になってね。

いずれにしても、すぐに警察へ届け出なければいけない。

この書置きは懐へしまった。

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私は罪深い人間だよ。

警察がこの書置きを読めば、恐らく現場を視察に来るだろう。

あんな労働環境だ。下手をすれば建設を中断することにもなりかねない。

そうなれば、従業員の給与すら払えなくなる可能性もでてくる。

それだけは避けなければいけない。

結局、この時は私も社長と同じように利益を優先した訳だ。

 

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私は警察へ探索願を依頼して、事情聴取が終わると現場へ戻った。

きっと見つかることはあるまいと感じながら。

現場の人間にはサトウが失踪した事実だけを伝えて、その他に見たことは伏せておいた。

私が説明を終えて皆に持ち場へ戻るよう伝えると、一人の作業員が声をかけてきたんだ。

彼は他に気になることはなかったかと尋ねてくる。

なんでも、彼は失踪したサトウとは仲が良く、昨夜に部屋を訪ねたところ、中からけたたましい物音と怒声が聞こえてきたので怖くなって引き返したそうだ。

私は彼を管理室へ連れて行き、詳しい話を伺うことにした。

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彼の話によると、サトウは毎日のように「この土地はまずい」と言って何かに怯えているような素振りを見せていたのだとか。

ある時は虚空を見つめてぼうっとしていたり、唐突に背後を振り返ったり、日に日に不可解な挙動が増えていったらしい。

そうした言動を見せるようになったのは、ある出来事がきっかけだという。

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着工から1ヵ月が過ぎた頃、彼がいつものように資材を運んでいると、「ちょっと来てくれ」とサトウに呼ばれた。

彼が駆け寄ると、サトウは泥まみれの衣装箱を抱えている。

重機で地面をならしていたところ、地中に埋められていたそれが姿を現したので掘り起こしたそうだ。

こびりついた泥を拭うと、漆塗りの側面に頑丈そうな鍵が備えられていた。

彼は埋蔵金か何かが入っていたら良いんだがと冗談をとばしていたのだが、どうしても中身が気になってくる。

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サトウは「別に金目の物が入っていてもくすねる気はない。ただ、見つけてしまったのだから興味も沸くというものだ」と言った。

こんな人里離れた山間に埋められている理由が分からなかったが、それ故に気になって仕方がない。

二人は何が入っていても上長には報告しようと決めると、サトウの持っていた特殊な器具で鍵を壊し始めた。

鍵は劣化していたこともあり、存外あっけなく外れたのだ。

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そうして衣装箱の中身を改めると、そこには手鏡と一体の人形が折り重なっていた。

手鏡は酷く曇っていて使い物にならないだろう。

では人形はどうか。

その人形は驚くほど精巧に作られている。

身に纏っている着物は恐らく本物と同じ生地だ。

髪の毛はまるで生きた人間のように艶がある。

人形としては珍しく瞳は閉じていたが、肌の質感も実物と遜色がない。

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彼がそんなことを考えていると、サトウも同じことを思ったのか、人形を手に取って眺めている。

「今にも目を覚ましそうなくらい良くできているな」

サトウは持っていた人形を置くと、今度は手鏡を手に取って頭上へかざした。

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何度か角度を変えながら「これは駄目だな。映りゃしない」と呟いたのだが、突然「うわ」と叫んで手鏡を放り投げると、先ほど壊した鍵に当たって割れてしまった。

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サトウは肩で息をしながら割れた手鏡を一心に見つめている。

どうしたのだろうか。

しばらくして、サトウは「見たか?」と尋ねてきたので、彼は「何も」と答えた。

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「老婆が映り込んだ。気のせいじゃない」

そんな馬鹿な。

彼には到底信じることができない。

しかし、ただでさえ曇っている鏡を見間違うことなどあるだろうか。

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サトウは息を荒げながら「これはとんでもない物だ。今すぐ戻そう」と言うので、彼も言われるがままに手伝うしかなかった。

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割れた手鏡の破片を拾い集め、壊した鍵も全て衣装箱に放り込んだ。

そして衣装箱の蓋を閉めようとした時、人形の違和感に気がついた。

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目が開いている。

それは不自然なほど大きく見開かれていた。

彼が驚きの叫びを発するよりも早くサトウが衣装箱を奪い取ると、掘り起こした穴に戻して重機で土を被せていく。

彼は、ただ唖然としていることしか出来なかった。

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衣装箱が埋め終わると、サトウは彼のもとへやってきた。

「このことは誰にも口外するな」

彼も言うつもりはなかったし、言ったところで信じてもらえないだろう。

それから二人は何事もなかったかのように、各々の作業に専念したという。

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いや、仕事に没頭することで忘れたかっただけなのかもしれない。

それでも、決して忘れることはできなかった。

どんなに自分の作業に打ち込むよう努めたところで、脳裏に焼きついた人形の顔が心を支配する。

それが一日中続くのだ。

どうすることもできないまま。

そんな中、サトウは姿を消したのだった。

 

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一通りの話を聞き終えた私は、どう言葉を返してよいか分からなかった。

誰だって、こんな話を聞かされたら同じような心境になるだろう。

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私がまごついているうちに彼が口を開いた。

「今日限りで辞めさせていただきたい」

彼の気持ちを考えれば無理もない。

むしろよく今日まで続けてくれたものだ。

だけど、はいそうですかと言う訳にもいかないんだ。

何度も言うように、人手が足りていないんだから。

私は少しでも彼を長く引き留めようと思って、給与を上乗せする話を持ち出した。

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だが、彼は首を横に振った。

「サトウと同じ末路を辿らせるつもりですか」

私は何も言えなかった。

先ほど聞いた話が頭をよぎる。

それに、本人が辞めたいと申し出ているのに続けさせるのも酷だろう。

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今思えば、ここで彼の意見を素直に聞き入れてやるべきだったんだ。

だけど、仕事人間だった私は再度引き留めてしまった。

一日でいい。せめて明日まで来てくれと頼んだ。

彼は悩んでいたが、「明日までなら」と渋々引き受けてくれた。

もう、何度もお礼を言ったよ。申し訳ないってね。

私は事業が暗礁に乗り上げるのも時間の問題だと感じたよ。

 

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彼が管理室から出て行こうとした時、こちらを振り返って言ったんだ。

「ここ数日、私も誰かに見られているような気がするんです。

 働いているときも、家に帰ってからも」

これが、彼と交わした最後の言葉だった。

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翌日、彼が姿を現すことはなかった。

皆は仕事が辛くて辞めたと考えていたことだろう。

これまでに辞めていった人間は多くいたから、誰も不思議に思う者はいない。

私は現場に断りを入れて、サトウの時と同じように彼の自宅アパートへ伺ってみることにしたんだ。

今度は部屋の鍵が閉まっていたから、大家に事情を説明して開けてもらうと、部屋の中は思いのほか綺麗に整頓されていた。

大家が「彼は礼儀正しくて家賃を滞納したこともないのに」と首をかしげるのも無理はない。

私は真っ先に書置きのような物がないか目で探していた。

サトウも書置きは残していたし、礼儀正しい彼なら尚更あるような気がしたから。

だが、どんなに探してもそのような物は見当たらない。

結局、彼がいなくなった事実以外は何も分からなかった。

前日に続いて警察に探索願を依頼するのは気が引けたよ。

ただ、探索対象者の実家や友人などに連絡をとってもらえるのはありがたかった。

いったい、どのツラをさげて親御さんに事情を説明するというのだ。

私は警察とのやり取りを済ませてから、重い足取りで車に戻った。

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車の運転席に腰をおろして小休憩をとっていると、不意にあることを思いついた。

地鎮祭の最中に倒れた神主だ。

神主なら何か分かるかもしれない。

私は現場に引き返して管理室にある名簿から神主の所在地を確認すると、急いで向かうことにしたんだ。

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目的の神社に着いてから、境内にいた巫女に取次いでもらい早々に神主と会うことが出来た。

私が件の現場指揮官であることを伝えると、神主は露骨に嫌な顔をしたが「こちらへ来なさい」と奥の居間へ案内してくれた。

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お互いが居間の座布団へ座ると、これまでに起こった出来事を話せと言うものだから、洗いざらい全てのことを喋ったんだ。

私が話し終わると、神主は大きくため息をついて言った。

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「おたくから地鎮祭の依頼があった時、初めは断ったんだよ。

 何処に依頼しても大抵は断られるだろうとね。

 あの場所がよくないことは我々の間で有名だから。

 でも、おたくの担当者は頑として聞かなかった。

 そんなのは俗言だと云わんばかりにね。

 だから、他の仲間に迷惑がかかるくらいならと引き受けたんだよ」

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私は心苦しく思うと同時に、仕方がないとも思った。

あんな大規模の工事に地鎮祭をやらないという選択肢はない。

なぜなら、我々は地鎮祭をやったという事実が欲しいだけなのだから。

もちろん、仮にやっていなかったとしても結果は変わらない。

ただ、やらなければこうして神主に話を伺うこともないだろうから、やはりやっておくが良いのであろう。

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神主は見せたいものがあると言って、居間の隅にある古い箪笥から一冊の資料を取り出した。

そこには、あの山間部にまつわる土地の変遷が事細かに記されているという。

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資料によると、あの土地にはかつて一つの集落があったそうだ。

集落の住人は外部との接触がほとんどなく、自給自足の生活をおくっていたらしい。

それが戦後まもなくして、ダムの建設が決まったのだ。

集落は猛反対した。

だが、政府は金をばらまき、従わない者には片っぱしから圧力をかけたので、次第に住人は減っていったそうだ。

そうして、ついに一人の住人を残して集落の人間はいなくなった。

唯一残ったその人物とは、集落に最も長く住む老婆だったという。

老婆は、どんなに大金を積まれても、酷い圧力をかけられても屈することはなかった。

そこで政府は最終手段にでた。

老婆の住居を無視してダムを建設する取り計らいとしたのだ。

そうすることで、自ずと集落を出て行くより仕方なくなるよう仕向けたのだろう。

その通達を受けた老婆は、ようやく建設を認めた。

ただし、老婆は集落を出るまでに10日間待ってほしいという条件をつけたそうだ。

政府は容易い御用であると老婆の条件を快諾した。

条件の期日になり、政府の遣いが立ち退きの挨拶に老婆の住居を訪れた際、老婆はこんなことを言ったという。

「この土地一帯に呪いをかけた。今後いかなる人間も住めなくなるだろう」

その場に居合わせた人間は、最後の悪あがきと冷笑して誰も相手にしなかった。

それから、政府は満を持してダムの建設に取り掛かったのだった。

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しかし、いざ工事が始まると、次々に不可解な出来事が起こったという。

現場の作業員や行政の視察者が立て続けに原因不明の死をとげただけでなく、建設に携わる人間の半数以上が眩暈や頭痛などの体調不良を訴えたのだ。

作業員の間には、誰とはなしに「老婆の呪いだ」と囁かれるようになった。

現場の責任者は建設を中断し、この異常事態を直ちに政府へ伝えた。

だが、政府はその報告を無視した。

そのような超常現象など起こるはずがないと。

とにかく人員を補填して建設を続行しろとの命令が下された。

建設は再開されたが、作業員の士気は目に見えて低下していたそうだ。

そして、またしても作業員の一人が謎の死をとげたのだった。

建設業者は撤退を決意した。

これ以上大切な従業員を失う訳にはいかないと。

この噂は同業者にたちまち広まったという。

政府が他の建設業者へダムの建設を依頼するも、すべからく断られた。

行き場を失った政府は、ダムの建設を断念するしかなかった。

それから、今日まで手付かずの土地とされている。

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神主は、これで分かったろうという顔をした。

自分が身をもって経験したからこそ、この資料の内容が現実に起こったことだと受け入れられるが、着工前であったとしたら信じてはいないだろう。

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しばらくして、神主は「あなたがすべきことは一つしかないと思うが」と言った。

云わんとすることは明白だ。

あとは聞き入れられるかどうかだけ。

私は深々とお辞儀をすると、その場を後にして車に乗り込んだ。

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現場に戻る間、建設を中止させる理由ばかり考えていた。

社長は間違いなく反対するだろう。

先ほどの史実で例えるなら、おおかた社長は政府といったところだろうか。

私は首を切られるに違いない。

それでもいいさ。

いずれにせよ、残された人数であの建物を完成させるのは不可能なのだから。

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気がつくと、既に車は現場の敷地に入っていた。

現場の皆は片付け作業に取り掛かっている。

私が車を降りて管理室へ向かっていると、後ろから呼び止められた。

見れば20名ほどの作業員が集まっているではないか。

一体どうしたんだと言うと、「今日限りで辞めせていただきます」と先頭にいた一人が告げた。

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くるべき時がきたと感じたね。

私は「わかった。今までよく頑張ってくれた」と伝えると、あっさりと認められたことが予想外だったのか、皆は驚いた顔をしていたよ。

少しあって、事務員から日当を受け取った皆は「お世話になりました」と軽く頭を下げて去って行った。

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もうお終いだ。

人員は足りていないし、集めることも出来ない。

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私が管理室へ入ると、運がよいのかそこには社長と現場責任者の姿がある。

社長は私を見るなり「貴様らは何をやっているんだ。全然進んでいないじゃないか」と激高した。

あぁ、この人は何も分かってくれはしないんだと落胆したね。

崩壊の足音はすぐそこまで迫っているというのに。

利益を独占したい社長の判断が招いた結果なのだ。

他社と協力して取り組む提案を蹴ったのも社長自身だ。

「これ以上、作業を進めるのは不可能です。たった今20人ほどの作業員が辞めて行きました」

これを聞いた社長は顔を真っ赤にして「今すぐ呼び戻せ」と怒鳴るばかり。

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私が呆れていると、現場責任者が口を開いた。

「我々は毎日休まずに働いてきましたが、もう限界です。

 この事業は初めから無謀だったことが、まだ分かりませんか。

 私も本日限りで辞めさせていただきます。失礼します」

 

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現場の要がいなくなったことで、ようやく社長も事の重大さに気がついたらしい。

今さらになって、どうにかならないか、どうすればいいと私に泣きついてくる。

「そもそもこの土地は呪われているので、どうにもなりません」と伝えると、「そんなのは迷信だ。もっとも、破格の値でここが手に入ったのはそのおかげだが」と言うではないか。

社長はこの土地が穢れていることを知っていた。

それでいて今まで隠していたのだ。

「既に犠牲者も出ています」と知らせても「建設に犠牲はつきものだ。仕方がない」と聞く耳を持たない。

所詮、我々はコマでしかないのだろう。

散々働かせて必要がなくなれば捨てられるのだ。

きっと土地がどうであろうと結果は変わらない。

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私は、その日を最後に現場を離れた。

建物の完成を見届けられないのは残念だったが、完成することがないのも分かっていたから。

その後、バブルの崩壊とあわせて会社が倒産したと風の噂で聞いたよ。

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あれから30年が経った。

最近になって、あの現場がよく夢に出てくるようになったんだ。

なぜ今になって現場の夢を見るのかは分からない。

ただ、頻繁に見るものだから気になって行ってみることにしたんだよ。

驚いたことに、現場はほとんど変わっていなかった。

雑草が生い茂って荒れてはいたが、造りかけの土台もそのままだった。

私は懐かしくなって、しばらくその場に佇んでいたと思う。

その時、ふと何かが視界に入り込んだ。

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そこには、確かに失踪した二人がいたんだ。

まさか。

私は思わず駆け寄った。

すると、二人の姿はたちまち蜃気楼のように消えてなくなった。

あまりの懐かしさに記憶が創り出した幻覚だったのだろうか。

 

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よくよく考えれば、あの二人がいるはずもない。

私は自嘲の笑みをこぼして視線を落とした。

何があったと思う?

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漆塗りの衣装箱だよ。

失踪した二人が埋めたはずの衣装箱が、そこにあったんだ。

初めて目にしたはずなのに、私はそれが例の衣装箱であると信じて疑わなかった。

何者かが掘り返したのか。

話に聞いた通り、鍵が壊された形跡もある。

開けるべきか迷ったさ。

でも、もしかすると失踪した二人の手掛かりを得られるかもしれないだろう。

そう考えて、意を決して衣装箱の蓋を外してみることにしたんだ。

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だが、すぐに戻した。

手掛かりなどとんでもない。

私は見たことを後悔した。

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割れた手鏡と精巧な人形。

鏡の破片が底に散らばっていた。

そして仰向けに寝かされた人形。

その目は見開かれ、まるでこちらを見ているようだった。

衣装箱はそのままにして、逃げるように帰ったよ。

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ここまで話をすると、男性は冷めたコーヒーを口にした。

わたしも自分のコーヒーカップを手にする。

どう反応を示してよいか分からない時、気まずさを隠すためにそうするのだ。

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それから、彼は腕時計に目をやって「もうこんな時間か」と立ち上がった。

「この話、書いてもらえるのかな」

彼はいたずらっぽく微笑んでいる。

「きっと書きます」と頷くと、彼は満足そうな顔でハットを被った。

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そうして、わたしが見送りのために入口の前まで後をつけて行くと、彼は振り向きざまに真剣な眼差しでこう言ったのです。

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「衣装箱を見つけたあの日以来、誰かの視線を感じるんだ。

 家にいる時も、外にいる時も。

 ここへ来れるのは、もう最後かもしれない」

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そう言って喫茶店を出て行く彼の後姿を、わたしはいつまでも見つめているのでした。

Concrete
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@みゆ🃏 様
ありがとうございます。

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9位おめでとうございます🃏❤

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@りこ-2 様
温かいお言葉をありがとうございます。
いつか投稿が再開できるようになりましたら、また読んでいただけると嬉しいです。

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@夢宮花風 様
大変嬉しいお言葉をありがとうございます。
朗読していただくようになってから、密かに楽しみにしておりました。この度もありがとうございました。
また機会がございましたら、朗読していただけると幸甚です。

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すっかりrsさんのファンになってしまいました。
本作も大変楽しく読ませていただきました。
4月から投稿が出来なくなるとのこと、とても残念に思います。
また、作品が読める日を楽しみにしております^^

そして、また朗読させていただきました。
ちょっとつっかえすぎですがご容赦ください。

https://www.youtube.com/watch?v=ZI9Gs1QENFI

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@カイト 様
ご感想ありがとうございます。
物語の展開には毎度悩まされておりますので、そういっていただけると嬉しいです。

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