中編5
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人恋川

これは、私がまだ小学校高学年だった頃の話

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学校の帰りに、必ず立ち寄るところがあった

それは地元の小さな商店街の中にある古本屋だ

間口が狭くて奥深く、まるでうなぎの寝床みたいになっている

棚にはぎっしり古臭い本が並んでいて、当時の私にはさっぱり分からないものだらけで、なんだかカビ臭かった

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一番奥は薄暗くて小上がりになっていて、おばちゃんが一人、ポツンと正座している

真っ黒な髪を胸元まで垂らしていて、びっくりするくらい白い肌をしている

いつも薄黄色の生地に派手な柄を刺繍した着物を着ており、じっと虚ろな目でただ前を見ているんだ

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おばちゃんの前にはちゃぶ台があって、真ん中辺りには蝋燭が一本、炎をゆらゆらさせているのが、なんだか不気味だった

ちゃぶ台の端っこには、写真が立て掛けてあり、

そこには、おかっぱ頭の女の子が映っていた

おばちゃんが言うには、それは娘らしくて、小学校三年生のときに、事故で行方不明になったそうだ

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私はこの店で何度か、不思議な怖い体験をしたことがあった

それは塾の帰り、夕方頃に立ち寄ったときのこと

お気に入りのコミックを立ち読みしていたんだ

すると、私の立っている棚の向こう側から、女の子の笑い声が聞こえてくる

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「フフフフフフ、、、」

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─え?確か、ボク以外誰もいなかったはずだけど

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棚の端まで周り、向こう側を見たとき、その時は誰もいなかったけど、一度だけ一瞬だけど、身体は黒い影で、顔だけおかっぱ頭の女の子を見たことがある

その話をおばちゃんにすると、

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「一美もそろそろ、あっちの世界で退屈になってきてるのかもね」

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そう言って嬉しそうに目を細めると、とつとつと「人恋川」の話をし始めた

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それは商店街を抜けたところにある、幅100メートルほどのかなり大きい川で、木製の古い橋が掛かっている

この橋は、おばちゃんのおばあちゃんの頃からあるらしい

川の流れはそんなに早くなくて、どちらかというと、穏やかな方かな

私は毎朝そこを渡って学校に通っていて、帰りにたまに下を覗きこんで水面を見たりするんだけど、じっと見ていると、なんだか吸い込まれそうになるときがあって怖い

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「ぼうや、この川がどうして「人恋川」なんて名前で呼ばれていると思う?」

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薄暗い店の奥でおばちゃんは、私の顔を覗き込みながら、尋ねる

私は素直に首を横に振った

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「この川はね、とにかく人がよく橋から落ちるの」

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「誤って落ちるのもあるのだけど、自分で飛び降りる、つまり自殺も多い

この間とかは、お年寄り夫婦が車ごと、突っ込んだみたい

そして、これが不思議なんだけど、死体が見つからないことが多いの」

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おばあちゃんが言うには、小学校三年生だった娘が学校の帰りに、友達とふざけて遊んでいる最中に、この橋から落ちたらしい

そして、未だに見つかっていないそうだ

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その日は朝から曇りがちの、じめじめした天気だった、と思う

土曜日ということで学校は休みだったから、昼間は友達と遊んでいて、その後、塾に行った

塾が終わる頃には、日が傾き始めていた

私は一人で、家に向かってとぼとぼと歩きだす

3分くらい歩くと、商店街が見えてきて、あの古本屋の前になる

いつもはそこで立ち読みしていくのだけど、今日はなぜだかシャッターが降りていて、貼り紙があった

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─勝手ながら、しばらくの間、休業します

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習字で使う半紙に毛筆で書かれている

中々の達筆だ

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─どうしたんだろう おばちゃん、病気かな

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首を傾げながら私はまた、歩きだした

しばらくすると、あの橋が見えてきた

それから雨の心配をしながらちょうど、橋の中央辺りに差し掛かったときだ

なぜだかぞわりと背中の辺りに寒気を感じた

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すると、

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─ぼうや、ぼうや

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何処からか女の人の声が聞こえてきたんだ

立ち止まって、キョロキョロと周りを見回したんだけど、木製の橋の上にいるのは、私だけだ

おかしいなあ、と思いながらも、また歩きだすと、

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─ぼうや、ぼうや

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また、さっきの声が聞こえてくる

どうやらそれは、橋の下の方から聞こえてくるようだ

私は、手すりから川を覗きこんでみた

そして思わず、あっ!と声が出てしまった

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ちょうど、橋の真下の辺りの川面に、女の人が仰向けで浮かんでいる

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薄黄色の下地にいろんなカラフルな柄の付いた着物を着ていて、黒くて長い髪が水面に拡がり、ゆらゆら揺れている

水に浮いたり沈んだりしながら、瞳を大きく見開いてじっと、私を見ていた

そしてよく見ると、おばちゃんの首筋には細い腕が絡んでいて、肩越しには、おかっぱ頭の女の子の楽しそうな白い顔が見え隠れしている

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それは、あの古本屋のおばちゃんだった

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「すぐ、警察を呼ぶからね!」

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と、その場を離れようとすると、

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─ぼうや、いいのよ、、、

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そう言っておばちゃんは一度だけ微笑むと、ゆっくりゆっくり水底に沈んでいった

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呆然とおばちゃんの沈んでいった水面の辺りを眺めていると、ボコリ、ボコリと、水底から泡が沸き上がってくる

しばらくすると今度はあちらでボコリ、こちらでボコリと、泡が沸き上がってきて、やがて、広い川面のあちらこちらで無数の泡が沸き上がりだした

それは、どこかの温泉地の「血の池地獄」のようだ

するとどこからか、苦しげな人の呻き声が聞こえてきた

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─オオオオ、、、アアアア、、、オオオオ、、、アアアア、、、

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悲痛な声は徐々に大きくなっていき、しばらくすると広い川面のあちらこちらから、人の腕がボコボコと突き出てきた

それらはよく見ると大小様々で、まるで必死に何かを掴もうとしているように、くねくねと蠢いている

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そして次の瞬間、わたしが眼下に見た光景は、恐らく一生頭の奥底にトラウマとして残ってしまうようなものだった

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それは、水面に映った巨大な白い月のよう

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あちらこちらで蠢いている手を覆うくらいの女のリアルな白い顔が、まるでホロスコープのように現れ、大きく瞳を開いて満足げに微笑んでいる

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やがて女の顔は徐々に川の色に同化していくと、消えていった

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Fin

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Presented by Nekojiro

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